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Case.06 盃


 年末年始というのは往々にして忙しいものだ。

 年末は領地に帰り家族や領民と年の終わりを労い合い、年が明ければ新年の挨拶と称して親戚だとか貴族同士で集まって挨拶周り。

 なんの因果か時期当主として担ぎ上げられている俺もよく分からない顔合わせに引っ張り出され、若年層を集めたサロンに放り込まれている。気ままな次男坊でいたかった俺にはかなりの苦行なのだが、唯一の救いとしては友人であるヒューバートと合流できたことか。

 早々に挨拶回りをすませて壁の花と決め込んでいた俺の前に現れた引く手数多の伯爵子息に冷やかしと労いで迎え入れたのはつい先ほどのことである。


 周りを見渡せばいくつかのグループに塊を作って時代を担う若い貴族たちが楽し気に談笑している。

 うん、そのまま健やかに成長しより良い国造りに励んでくれ。俺は領地に引っ込んで気ままなスローライフを目指すから。


 周りの様子を見てあれやこれやというのも飽きた頃、ふと退屈まぎれに何か面白い話でもするかとなった。

 まぁ、どこの誰が聞いているともわからない場所でこれ以上管を巻くのもはばかられたのもあるが。とにかく、経緯は何であれ聞かれたところで薬にも毒にもならないような話に切り替えたのだ。

 相も変わらずうちの犬は主人の代わりにスローライフを満喫しているだとか、薦められた本が良かっただとか。そんな取り留めのない話をいくつかした後、ボーイに配られた果実水に口を付けながらヒューバートが思い出したように話し始めた。


「うちの領地には酒にまつわる妙な話があるんだ」


 祖父に聞いたという枕詞から始まったそれは彼の領地で密かに語り継がれる伝奇らしく、真偽は定かではないが領地の酒飲みの間では昔から語り継がれてきた話だという。

 生憎こちらは未成年なので今のところ酒に縁がないが、酒飲みたちというのはどこであっても話のネタにはこと欠かないらしい。

 基本的に我が国は高等教育を終える年までの飲酒は法律上禁止されているが、こっそり嗜んで家の者に絞られるまでがセットだ。

 因みに俺はまだ嗜んだことはないが、兄が飲んで父上に扱かれ、その後母上によって「やるならバレないようにやりなさい」とあまり教育上よろしくない指導をされていたのを覚えている。


 母方の血筋は酒飲みが多かったらしく、酔っぱらいの相手には随分慣れていた。

 曰く、奴らはいつでも酒を飲む理由を探しているし、そのためだったら新たな信仰を生み出すことも容易にやってのけると。おそらくこの話もその類から生まれた話だろう。

 そんな兄の失敗談はさておき、同じく飲酒未経験らしいヒューバートは話を続ける。


「酒に酔う、という感覚がまだ俺にはわからないんだが、何杯か飲んで酔いがまわる頃に不思議な体験することがあるというんだ」


 酒に酩酊し始めた状態でその盃の水面をじっと眺めていると、記憶の奥底に眠る思い出の心象風景などが、ぼんやりと浮かんで見えることがある。

 心象風景であるから、故郷の田畑、山々、古き町の賑わい。見る人によって、様々な光景が映し出される。

 しかしその風景の中には決まって畦道や山々のけもの道、町並の街道といった具合に、全てに必ず「道」が存在する。

 その心象風景のなかの「道」に、一際目を引く朱色のドレスを着た一人の美しい女性が歩いてゆく姿を見られたならばそれは、今宵はいい酔いが回ってくるという証しなのだそうだ。


 ふっと息を吐いたヒューバートが面白いだろうというようにこちらを見る。

 この男、貴族なんかやめて噺家か何かになった方がいいんじゃないか? 一瞬のことではあったが、なんとなく脳内に領地の街並みを思い浮かべてしまった。


 なるほど、とだけ呟いて少しぬるくなりかかった果実水を煽る。

 先ほどまで領内の暖かな賑わいの中にいたというのに、今は雰囲気のあるクラッシックのレコードが静かに流れている。

 現実に引き戻されるというか、もしかしたら酔いが醒めるというのはこういう感覚なのかもしれない。


「いい酔いって言うのは二日酔いにならず、終始気分の良くて後味の悪さもない、そんな酔いのことらしい」

「そいつはまた」


 酒飲みたちがこぞって信仰するわけだ。

 飲んで潰れてを繰り返す連中というのは昔からいるという歴史的資料を紐解いた気分になる。同時に彼らの普遍的願いが「二日酔いになりたくない」だということが分かったところで呆れ半分に肩を落とす。

 長く語り継がれているにも関わらず酔いの最中に現れる女の正体は誰にもわからずじまいであるという。酒造の神か、はたまた妖かしの類なのか。きっと酒飲みたちには関係ないのだろう。


「ま、なんにせよ。いい女が会いに来てくれるってんなら、会わない理由はないだろうな」


 手にしていたグラスをヒューバートに向ける。

 貴族なんて浮き沈みする生き物だ。ふとした拍子に転がり落ちたり、そうでなくても領地に引っ込んだりすれば貴族社会やサロンで見なくなるなんてよくあることだ。

 酒の味など知らないが、いつかこの男とそんな話もしたなとくだらない笑い話に花を咲かせることが出来るなら。それはきっと──。


「案外、俗っぽいこと言うんだな」


 軽くグラスを当てて可笑しそうにヒューバートが笑った。


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