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Case.02 門の鍵


「異界の門って知ってるか?」


 特に何かきっかけがあったわけではない。

 それでも口をついて出てたのはあの一件から一年経っても、相変わらずもやもやしたものを俺が抱え続けていたからで。

 すっかり居ついてしまった教授の研修室でだらだらと過ごしながら目の前で本を読んでいたヒューバートに投げかける。今日も今日とて婚約者のお嬢さんに薦められた恋愛小説を読んでいて、後で感想をしたためた手紙を出すのだろう。本当にマメな男だ。


「門って……アレか? 旧学生寮の裏に現れた?」

「ヒノクニってところに通じる道があるらしいぜ。前に兄貴から聞いたの思い出した」


 思っていたよりもずっとつまらなそうな声が出て自分で驚いた。話しておいてなんだが、どうやら俺自身にとってこの話題はあまり好ましいものではなかったらしい。

 雨が窓ガラスを叩く音と教授が紙をめくる音が静かに響く。好きでもない話題を出すあたり、連日の雨にすっかり気が滅入っていたのかもしれない。

 雨脚が強くなる前にとアンリエットたちが先に帰っていて良かった。未だに暗黙の了解で彼女にはカザミを保護した時のことを話していない。


 「門」と言えば、すっかりあの日見た鈍色の板を思い出すようになってしまった。

 あれから時々思い出しては考えてみたものの結局何故「門」が現れたのかわからないままだ。「門」とカザミに何か関係があるのか、何だったらあの靄の男のことも。

 ……いや。わかっていることはある。ただあまり納得したくないだけだ。


「カザミには?」

「知ってても言わないだろ」


 そりゃあ聞いて答えてくれるなら聞くけどさ、アイツは多分言わない。ある程度は答えるだろうが、あえて口にしない事も多いしなんでもない顔で嘘だって付く。悪い奴ではないとは思うけど自分のことになるとあまり話したがらない。

 だからきっと「門」のことも、「門」の奥に消えていった靄の男のこともカザミは話さない。


 あの「門」はあの世とこの世を繋ぐようなものだという。そしてヒノクニとは「門」の奥に続くいわば死者の国であると。

 靄の男は、既に向こう側の住人だ。以前何気なく溢していた人物があの男なら、カザミはあの男を探して「門」に近付こうとしているのではないか。あの汚れていた鍵は「門」を開けるために使われたのではないか、なんてそんなことばかりが浮かんでは消える。

 もちろん確証はないし、全くの見当違いという場合だってある。ヒントの様なものをくれた兄だってこんなことになっているなんて知らないだろうし、全貌を知るのはカザミしかいない。

 つまり奴が黙り込んでしまえば、答えは風の中ということである。


「なんだかおもしろい話をしているねぇ」


 カサカサと生徒から提出されたレポート課題をめくっていた教授が声を上げた。

 ひょろ長い腕を使い思いっきり伸びをするこの男はカザミと同系統の知識を持っている。一応付へ加えるなら、素人目にはどちらも同じに見えるが厳密には方向性が微妙に違うらしい。うるさい知るかと言いたい。どちらも変なことに首突っ込んでるのは一緒だろ。


「ヒノクニ、ヒノクニ……多分こう書くんじゃないかな?」


 ごそごそと紙に書き出し始めたのを見て定位置となっている応接用のソファーから腰を上げる。一瞬人の課題が見えてしまうと構えたが、よく考えずとも教授の受け持つ授業を選択してなかったしノーカンということにしてくれ。

 差し出されたメモ用紙にあるのは『妣国』と、図形の様なものが描かれており全体的に四角くて詰まっている印象を受ける。

 古語か、他国のものか。隣で紙を覗いていたヒューバートに視線を向けたが首を振るばかりだ。


「東国の文字だね。カザミ君の故郷の言葉だ」


 嫌な繋がり方をする。可能ならアイツは「門」のことは知らない態でいたかったんだが、そういうわけにもいかないらしい。


「正しい読みは『ハハノクニ』。向こうの神話とかに出てくる始まりの人がいる死者の国だ」

「死者の、国」


 つらつらと教授が東国の神話を語り始めたが要は冥界下りの話だ。似たような話を母に連れられて行ったオペラで見たことがある。

 冥界のものを食すと二度とこの世には戻ってこられない。東国の神話では国生み神話の父と母が冥界下りの主人公らしい。

 国生みの母は地上に戻ることはなかった。だから東国の古い言い方で死者の国のことを『ハハノクニ』と、そう呼ぶことがあると教授は言う。


「他にも色々呼び方があるけど、長い年月をかけて読みが変わったんじゃないかな」

「そんなことってあるですか?」

「もちろん。名前を変えてリニューアル、なんてよくあることだろう?」


 神話の流れからいきなり安っぽくしないでほしい。頭の片隅でよく世話になっている商家の先輩の顔が浮かんだが今はちょっと向こうに行っていてほしい。

 確かに売り物だとか物の呼び名が変わることはある。教授の言ったように目新しくするためだったり、所謂大人の事情で元の呼び名がふさわしくなくなったり。人だって婚家に嫁げば名前が変わる。

 伝承の中の話であってもそれと同じことだと言いたいんだろうか。


 教授の静かな声と窓ガラスを叩く雨の音だけが研究室に響く。少し風が出てきただろうか、夕方になれば少しくらい雨脚が弱まることもあるかと思っていたがそう上手くはいかないらしい。

 あまり酷くなり過ぎないことを願いはするがこの分だと帰る時は濡れ鼠になることを覚悟しておいた方がいいかもしれない。


「人も物もそれこそ神話だって、変わらずに存在し続けるわけじゃない。時代ごとに少しずつ変化していく。それこそが世界の本質なんじゃないかな」


 人も物も変わり続けていく。だから面白いのだと自慢の骨董の数々を愛でる時のように浮かれた表情で語る教授に妙な納得を得る。

 ああ、確かにこの人はカザミとは微妙に違う。確かに同じような世界に生きているようだが、世界に向ける感情が違う。この人は世界を愛でている。人が作った物を、人が繋いできたものを心の底から楽しんでいる。

 これで人文学課程の教授とは、まさに天職だろう。人や歴史、自分の好きなものを大手を振って研究できるんだから。

 ご機嫌な教授を前にヒューと二人視線を合わせて肩を落とす。なんとなく、続きを話そうとはおもわなかった。気分よく話す教授に水を差す気にはなれなかったし、ただでさえ雨で陰鬱とした気分なのにこれ以上解決に近付かない話をしたくなかったのもある。


 誰が作ったかもわからないこっち側とあっち側を繋ぐ「門」。その先には石畳が敷かれた道が続いている。その道を進んでいくと妣国に辿り着くらしい。

 結局これと言ってわかったことは向こう側の名前だけ。ただ、教授は人も物も変わっていくものだ言う。ならばあの「門」も、その奥に続く道もまた変化しているのではないか。

 あの靄の男が向こう側に捕らわれた時からも、カザミがあの「門」にかかわり始めた時からも。兄は今も道は増え続けていると言っていた。迷い込めば抜け出せないかもしれない

 それでもアイツは探すのだろうか。


 世にはびこる不可思議を世界ごと愛でる教授と、その奥にある一点の手掛かりとしか見ていないカザミとでは確かに方向性は違う。

 最も。俺から見たらやっぱりどちらも変なことに首を突っ込んでいるだけの変人にしか見えないので勘弁してくれと言うのが感想である。


 バタバタと窓を叩く雨風が強くなり始めた。そろそろ本格的に帰り支度をした方がいいかもしれない。

 俺は濡れて困るようなものを鞄に詰め込んでいる程勤勉な学生ではないが、ヒューが手手配してくれた送迎用の馬車にありがたく同乗させてもらうことにする。

 毎年この時期は雨に悩まされるが今年は一段と酷い。季節柄と諦めはしているし、一過性のものではあるのだがやはりじめじめして気分が落ちるのは良くないな。碌に考えも纏まらない。

 研究室を出て玄関口に向かう最中、校舎の外を風が勢いよく吹き抜ける音がした。雨脚は強くなる一方だ。この分だと明日は休校になるかもしれない。


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