偶然ではなく必然で出逢い/3
床の上で手足をジタバタさせて、しばらく暴れていたが、ふと静かになって、小首を可愛く傾げた。
「ボク、頭のいい女性が好きかも?」
いつの間にか恋愛モードになっていた自分に気づき、孔明は気持ちを入れ替えるために床から起き上がった。
「それはいいから、助手が欲しいなあ。求人を出そうかな? 最低条件はボクの思考回路についてこられる人。そうでないと、添削を代わってもらうことが起きるかもしれないからね」
ほどほどに整理整頓して、出口へ瞬間移動をし、教室の自動点灯照明が消えて、真っ暗になった。
「とにかく鍵を閉めて、どこかで夕飯を食べて帰ろう。今日も遅くなっちゃった」
正面玄関が施錠されると、九時半を回った街を見回して、孔明はさらに瞬間移動をかけようとした。その時、背後から女性の声がかかった。
「――先生、夜分遅く申し訳ありません」
振り返ると、塾に関係ない女が一人佇んでいた。評判が大切な商売である以上、孔明は春風のようにふんわり微笑む。
「いいえ、こんばんは」
「こんばんは。カエルが外に落ちてましたよ」
散々見た黄緑色のカエルが女の手のひらによって、目の前に差し出された。外でカエルを見つけるなど初めてだと思いながら、孔明は頭を下げた。
「あぁ、わざわざありがとうございます」
しかし、彼はカエルを回収することもせず、女は念を押すように前へ差し出した。
「可愛らしいですね、子供は。自身の好きなものを肌身離さず持っているのですから」
「そうかもしれませんね」
カエルを受け取る、二百三十センチもある大きな孔明の後ろにある扉を、女はのぞき込んだ。
「今まで、カエルの忘れ物を探していらっしゃったんですか?」
孔明の脳裏である言葉が色濃く浮かび上がった。
疑問形――。
好青年の笑みで真意を隠し、
「なぜ、そのようなことをお聞きになるのですか?」
同時に情報を整理する。カエルの忘れ物の質問をしてくる、相手の本当の狙いはどの可能性が高いのか。
カエルをすぐに受け取らなかった男を、女は真正面からじっと見据えた。
「塾へ持っていくためにカエルを子供たちは持ってきた。そうなると、最終目的は塾の中で遊ぶ。外に落ちているとなると、中にはさらに多くの数のカエルが落ちている可能性が高い、になる……」
探偵が犯人でも探すように、理論的に説明してきた女。孔明の中である可能性が急上昇してゆくが、彼はクールな雰囲気をまとって意見を求める。
「あなたなら、忘れ物をなくすためにどのようなことをしますか?」
女は考える仕草をして、女性ならではの方法を口にした。
「そうですね? 私なら、生徒を数名、塾が終わったあとに残して、理論を使って忘れ物を探した子には、お菓子を上げます。子供は遊びが好きですから、ゲームにしてしまえば、忘れ物を先生が見つける時間はなくなります」
孔明は女の狙いが何なのか完全に読み切った。だからこそ、うなずいて、去っていこうとした。
「そうですか。それでは……」
用があって話しかけてきた女は、孔明の手に未だに握られているカエルをじっと見つめた。
「先生、私の話はまだ終わってません。助手が『そろそろ』必要ではいらっしゃいませんか?」
以前から塾が終わると、この女と顔を合わせた。それは仕事帰りなのかもしれないし、そうではないかもしれない。しかし、今の会話で理由がはっきりした。
孔明が振り返ると、漆黒の長い髪が宙を横へ舞った。
「タイミングを図るために、キミは今日までここで見ていた。そうでしょ?」
そして、言葉遣いを変える、この女の年齢と服装、言動などから、一番最適なものを今までの情報から導き出して。女はにっこり微笑んで、急に砕けた口調になった。
「そうかもしれないわね」
「『かも』じゃなくて、そう」
女は右手をカエルへと差し出した。
「どうして、そう思うの?」
疑問形――。
孔明は持っていた黄緑色の小さなものを、『持ち主の女』へと返した。
「ふふっ」
生徒の落としていったカエルなど嘘なのだ。子供の宝物。今日初めて見つけた。いつもと違うことが起きている。そうなると、相手の罠の可能性が高い。
孔明は少しだけかがんで、女に近づいた。
「それより、お腹空いてない?」
「どうしてその話になったの?」
聡明な瑠璃紺色の瞳を持つ男に、女は質問し返してやった。瞬間移動で手元に出した扇子を、唇にトントンと当てながら、孔明は左右に行ったりきたりする。
「これは偶然じゃなくて必然だから、日時込みでどんな出来事の可能性が変わったのかの話をボクはキミから聞きたい。だから長くなるでしょ?」
話しかける口実を作るために、カエルを持ってきて、自身をアピールしながら必要最低限の会話だけをした女。仕事ばかりの孔明が望む出会いだった。
そして、女の口からこんな言葉が出てきた。
「そうね。一年前の十二月十一日金曜日、十三時十四分二十二秒、城の廊下で、最初に会った時の話からね」
塾の講師は優秀な助手と彼女を見つけ、素敵なレストランへと向かってゆく。二人の頭上には、摩天楼の谷間から見える、大きな紫の月と星々が祝福しているように輝いていた。




