偶然ではなく必然で出逢い/2
散らばった紙をトントンと机の上で整えて、一束を左側の床へ下ろした。そして、まだ残っている山から、再び一枚紙を取り出す。
「大人の人たちの分」
綺麗な字で書かれた理論的な回答文を読む、視界がせんべいを噛み砕く衝撃で縦に激しく揺れる。
「ん〜〜? 相手に合わせて、自分の性格などを変えるのもいいかもしれない。ボクはよくやる」
神々をうならせた天才軍師は、当たり前のように自分の呼び方を変える。私、ボク、俺などなど……。
「そのほうが相手が油断して、情報が引き出しやすいし、策略が成功する可能性が断然上がるから」
人間は他人に理解されたがっている傾向が強い。つまり、自分と似ているところを相手に見つけると、嬉しくなるものだ。実はそこが、孔明にとっては罠なのだ。感情をデジタルに切り替える元軍師は、言葉どころか性格まで巧みに操ってくる。
次の一枚を取り上げて、聡明な瑠璃紺色をした瞳の前で、ダメ出しをする。
「『気がする』は、理論じゃない。これは、『感じがする』に変更する。自分を中心にして考えると、負ける可能性が高くなる。視野が狭くなるから。だから、神さまみたいに上からたくさんの範囲を常に見ることをしないと、失敗しちゃうかも?」
可愛く小首を傾げると、漆黒の長い髪は床の上で少しだけ揺れた。
「勘ははずれる時がある。自分の感情が入るから」
理論派の孔明はよく知っている。勘がどんなものかを。なぜなら、自分も直感を持っているからだ。ただそれは普通のものではないが。
刻々と時間は過ぎてゆき、最後の添削を終えると、壁にかけてあった時計は九時を大きく回っていた。
孔明は文机に突っ伏して、ため息をもらす。
「はぁ〜。陛下のお子さんがきてくれたお陰で、宣伝になったみたいで、生徒の人数が一気に増えたのはありがたいこと。あっという間に全ての講座は満員御礼。それでも、クラスを増やしたけど、空きがほとんどない……」
自分の望んだ通り、仕事仕事の毎日。静かな教室に、衣擦れの音が儚く舞う。
「でも、お陰で、忘れ物探し。大量の添削。手紙の整理……」
新しい情報をパソコンで調べたり、遠方へセミナーで呼ばれ、主催者のパーティに参加したりの大忙し。知り合いは増え、外出する回数も多くなり続け、自身の勉強をする時間を取るのがなかなか難しくなっていた。
大量に配達されてくる手紙の宛名をひとつひとつ見ていたが、珍しいところからのもので手を止めた。
「ん? 界会? 出版社からだ。ボクに何の用だろう?」
ペーパーナイフで綺麗に封を割いて、事務的な白い紙に印字された文字を、聡明な瑠璃紺色の瞳で追ってゆく。
「何々? 先生のご活躍のほど、あちらこちらで目にする毎日でございます。お元気でいらっしゃること、心から嬉しく思います。さっそくではございますが、恋愛シミュレーションゲームへのモデル出演依頼をお願いさせていただきたく、お手紙差し上げました。今回は、先生を主役として……」
塾の宣伝になると思い、過去に二度オッケーを出したテレビゲームのモデル抜擢の話。しかし、孔明にとっては少々頭の痛いことだった。
「恋愛……。女の人……」
手紙で飛行機を折り、誰もいない教室に飛ばした。それを眺めながらため息をついて、両手を腰の後ろに置き、天井を見上げる。
「はぁ〜。どうして、女の人はあんなにおしゃべりなんだろう?」
全てを覚えている頭脳から、該当する事項をひとつ取り出してみた。回想し始めようとすると、教室を照らす電気のひとつが、塾のすぐ近くにある街頭に変わった――
「先生、いつも息子がお世話になっております」
塾が終わり、子供たちを迎えにきたお母さん方に、孔明が丁寧に頭を下げていると、
「お迎えお疲れ様です」
「先生聞きました?」
人の良さそうな羊の女性で、孔明は的確に聞こうとしたが、
「どのようなこと――」
途中で話をさえぎられた。
「また新しい宇宙が統一されたそうで、何でもそこにはおいしいフルーツがあるそうなんですよ」
「それはよい――」
「お肌にもいいと言われるものもあるそうで、何でしたかしら? え〜っと……?」
頬に手を当て、母親は小首を傾げて考え出した。生徒は全員帰ってしまって、あとは忘れ物探しと添削と手紙の整理が残っている。孔明は春風のように穏やかに微笑みながら言葉を紡ごうとするが、
「家に戻られて――」
また途中でさえぎられてしまった。
「名前は忘れてしまいましたけど、とにかく素敵なところなんだそうです。先生、行ってみたいと思いませんか?」
孔明は心の中で嘆息した。
(感覚的で、意味が相手に伝わってないって、気づいてないのかな? どうして、フルーツの話が、その宇宙へ行くことにつながったの?)
現実へと焦点が戻ってきて、孔明は盛大にため息をつき、床の上に大の字で寝転がった。
「――と言ってしまいたいボクがいる……」
合理主義者の孔明としては、文句が次から次へと出てくるのだった。
「気を使って、話してくれてるのはありがたいんだけど、はっきり言って時間の無駄。ボクが欲しい情報を持ってるわけでもないからね」
シルバーの細いブレスレットをくるくると回して、くすぐったいような感触を味わう。
「話そうとしても、自分が話し出しちゃうし。情報を欲しがってるボクの願いは叶わない。だから、感覚の女性は苦手」




