パパがお世話になりました/5
パソコンに打ち込んであるものは、名前と仕事と役職名、そして、家族関係だけ。神のルーツを知るためのエピソードがなく、のちに抜け落ちて、それでも残ったものが、運命という大きな歯車には必要だったのだと、彼女が知るよしもなかった。
呑気にパソコンの画面をスクロールさせている女の横に、埃をかぶっているコントローラーをコウは見つけた。
「テレビゲームは進んでるか?」
「まあまあ」
恋愛ゲーム熱もだいぶ覚めてきた。ピアノの鍵盤を深く押し込むが、鈍い音が壁中にある本に吸収されて消える。
「独健をモデルにしたのがあっただろう?」
「うん、やったよ」
前へと落ちてきたブラウンの長い髪を、澄藍は後ろへはらい、ダンバーペダルに足を乗せた。シンガーソングライターを目指していた時に作った曲の、コードを弾き始めた。
「どうだった?」
コウが聞くと同時に、ライブハウスでもやっていただけあって、澄藍は話しながらでも、平気でピアノを奏でてゆく。
「どうって、いわゆる王道って感じの人。さわやかで好青年って感じで、優しいよね」
モデルである以上、設定上のズレはどうしても生じる。独健の実年齢は二千年を越している。そんな人物は登場しない。しかも、高校生で出ている。神さまの二千年を十代で再現するのは無理がある。
澄藍にとっては、独健はただの通過点になってしまっていた。そこらへんに片鱗というものはあったのだが、スルーしてしまった人間の女を前にして、コウは赤と青の瞳を疑わしげに向けた。
「ふ〜ん。お前は見る目がないな」
「ん、どういうこと?」
ピタリとピアノの音がやんだ。死のない世界で生きた二千年という時間は、人の心をどう変化させるのか予測ができないでいる澄藍を置いて、コウは神として、厳しくも優しい導きをした。
「じゃあ、またくるからな」
学びとは一から十まで丁寧に教わることではない。消えそうになった銀の長い髪に、澄藍は呼び止める。
「ちょっと待って、広域天さんの乙くんと若くん、独健さんの新しく生まれた子供と両方とも同じ五歳だよね?」
子供たちの名前を書いたものは別のノートにあり、まさかそれを今後手元から失うとは思っていない、未来が見えない澄藍だった。
人の記憶力とは崩壊するように作られていて、前に聞いたことと似たようなことを聞いてしまう。それでも、コウは文句も言わず説明する。
「当たり前だ。老いというものは起きないんだからな。子供を望めば、何世代間でも、生まれて十ヶ月で五歳児だ。子供同士が同じクラスってこともあり得るだろう?」
「年齢は関係ないって感じだね、ここまでくると」
慣れてしまえば違和感などないのだろうが、死という期限がついている世界で生きている澄藍には、想像がつかない出来事だった。
「例えば、陛下の十八歳で音楽やってる息子がいただろう?」
「うん、いたね」
子供たちに大人気で、恋愛シミレーションゲームに毎回登場しているほど。澄藍の脳でもきちんとまだ思い出せた。
「あの娘は今五歳だ」
「そうだね、新しく生まれたんだから」
「十八歳の息子の弟も五歳で、ふたりは付き合ってる。だから、同じ歳同士だ」
「そういう関係もありってことか……」
叔父と姪が同じ学年。なかなかない家族構成だ。神世の代表として、コウは人間に説教する。
「そもそも人を好きになるのに、年齢差は関係ないだろう」
澄藍が鍵盤の上に両肘をつくと、小さく濁った音が響いた。
「そうだね。こっちの決まった命にどれだけ縛られてるかよくわかったよ。歳の差なんて騒ぐけど、神さまから見たら大したことない。というか、点みたいな差だよね」
「そうだ。何億年と二桁だって、相性が良ければうまくいくんだ」
「自由でいいね」
年が明けたら、三十四歳になるという女に、コウは、
「アラサー真っ只中のお前に、朗報だ」
「何?」
前屈みになっていた澄藍は姿勢を正した。コウはふんぞり返って、偉そうに言ってのけた。
「お前も、どのくらいかかるかはわからないが、神界へきた時には自分の好きな年齢で止めるがよい。許してやる、ありがたく思え」
どこぞの皇帝陛下みたいに思えて、澄藍は小さく反論する。
「だから、許しは乞うてないんだけど。時々態度デカデカになるのは気のせい?」
「俺は忙しいからなあ。厳しい現実に生きろよ〜!」
大きな力で蹴散らすように、コウは言って、ピアノの奥へと消え去った。椅子の背もたれにもたれ、両腕で頭を抱くように包み込む。
「あぁ、行っちゃった。生徒の数が増えてるってことは、先生もどんどん増えて、校舎も増築され続けてるってことだよね?」
龍に乗って生徒が通学する校舎。芸術の神様たちがデザインした校舎。教えてもらった神さまたちでさえ、何人も子供がいる状態で、どんな広さなのだろうと想像してみる。
人として地上で生きていた経験を持つ、女王陛下が校長をしている姫ノ館。自然と、澄藍は自分の小さい頃を思い出さずにはいられなかった。
「学校の近所に駄菓子屋さんとかあるのかな? プールの授業とかもあるよね? 給食とかもあるのかな?」
珍しく微笑むと、調律されていないピアノの音が冬の日差しに柔らかく揺れ始めた。




