審判の時/1
バイセクシャルの複数婚をし始めて、一年の月日が流れた。二度目の秋の匂いは深まり、月明かりがこぼれ落ちる部屋で、おまけの倫礼はふとパソコンを打つ手を止めた。神経を研ぎ澄ます。
「あれ? 誰もいない」
間接照明ひとつきりの部屋は、角の方に闇が漂っていた。いつもなら誰かがすぐそばに座っているか立っているかするものの、がらんとした空間だった。
「珍しいね、誰も守護でそばにきてないなんて」
霊感を取り戻して、重複婚を繰り返した日から、こんな日は一度だったなかった。おまけの倫礼は心細さを感じながら、廊下へ出た。すると、そこで、彫刻像のように彫りの深い顔をした夫が立ちふさがった。
「お前に、話があんの?」
「焉貴さん。珍しいですね」
最近彼はそばにこなかった。しかも、いつもみたいなハイテンションではなく、やけに落ち着き払っている。どうしたって、何かが待ってる予感がしてしかたなかった。
「話よく聞いて」
「はい」
「陛下がお前に決めてほしいって」
「陛下が?」
神世もこの世界も統治する偉いお方だ。こんなおまけの人間に一体何の用なのだろう。
「このまま消滅するのか。それとも残りたいのか」
「それって……」
おまけの倫礼の心臓はバクンと大きく波打った。
「お前の霊層が達したの」
「あぁ、そうか。そういうことも起きるんだね……」
ひんやりとした汗を、おまけの倫礼はかいた。結婚して、神のみんなと触れ合っていたがために、未来が変わってしまって、魂が宿れるようになったのだ。残ることができるのだ。焉貴は無機質な声では話を続ける。
「で、光とか他のやつのことは考えないで、お前が自分のことだけど考えて決めて」
「わかった」
「じゃあ」
焉貴が瞬間移動で消え去ると、また一人きりの空間が戻ってきた。廊下らから部屋へ戻って、おまけの倫礼は右に左に行ったりきたりする。
「冷静に判断ができるように、焉貴さんがきたんだ。他の人だと、焉貴さんと話すより感情が動くもんね。みんな考慮して、今そばにいないんだ」
霊層が達する――この手があったのだ。昔コウが言っていた。霊層が満たなかった人間の魂を抜くと。死ぬまで満たないとは言わなかった。それはこうなる可能性が残っていたからなのだ。あんな悲観的になる必要もなかったのだ。おまけの倫礼にも人権はきちんとあったのだ。
旦那たちは守護神だ。きっと、おまけの倫礼の未来を知っていたのだろう。こうなることを。それでもただ見守ってきたくれたのだ。
「みんながいたから、今の私がいるんだ。みんなの澄んだ心に出会ったから、今の私がいる。みんなのおかげだ」
消えてゆく運命だと思ったが、彼らのそばに永遠にいられる権利を持ったのだ。おまけの倫礼の頬を嬉し涙が次々に落ちていった。しばらく感動していたが、彼女は気持ちを引き締めた。
「考えよう。光さんの笑顔のためにじゃなくて、自分のために……」
おまけの倫礼の人生はいつだって、誰かのためだった。自分のために生きたことなどなかった。光命が今言葉を伝えにきたのなら、どうしたって彼のことを考えてしまうだろう。そうならないために、無機質な焉貴がきたのだ。その心遣いを無駄にしないためにも、今初めて純粋に自身のことを考える。
「私は……」
私が生きていて、他の人に悪影響を与えないだろうか。
「私は……」
私は神さまの元で胸を張って生きていけるだろうか。いや、そんなことよりも、おまけの倫礼は貪るような感情を心の片隅で見つけた。
「生きていたい。残っていたい……」
せき止められていたダムが決壊するように、颯茄は号泣し始めた。望んではいけないことだと戒める毎日で、そんな感情に押しやられ、心の片隅にひとかけら残っていた気持ちは、渇望してやまないアイデンティティだった。自己保存の本能。
その時だった。ふとすぐそばで、遊線が螺旋を描く優雅な声が響いたのは。
「決まりましたか?」
神だとか、人間だとか、そんなことを考えて今まで接していたが、今この時から、倫礼は対等の立場で生き始めた。
「はい。生きていたいです。光さんとみんなと一緒に、この先の未来を生きていたいです。見ていたい」
「それでは、名前を決めなければいけませんね」
「え……?」
思ってもみないことを言われて、倫礼は一瞬固まった。何とか思考回路が停止するのをまぬがれて、
「あぁ、そうか。倫礼さんじゃなくて、別の個体として生きてくんだから、名前が必要ですよね」
「えぇ」
「あ、そうだ。父上に決めてもらろう。私の父は、父上ですから」
未熟な自分をいつも導いてくれたのは、光秀だった。他の誰でもなく、光秀だった。そのあとの人生がスムーズに行くよう、そばで色々と教えてくれたのだ。
自由に神世を行き来できない倫礼。彼女に光命は優雅に微笑む。
「そうですか。それでは、そのように光秀さんには伝えておきますよ」
「ありがとうございます」
と、倫礼は頭を下げたものの、本家の玄関へ行くことをためらっていた。




