お前の女に会わせて/6
クリアファイルに挟まっているデータよりもかなり少ない人数で、蓮の綺麗な唇から出てきた名前はこの人だった。
「広家 独健だ」
「それも同じ」
「孔雀大明王」
「それも同じ。本名は空美 明引呼ね」
小学校一年生の生徒数は兆を超えている。焉貴が担当しているクラスはひとクラスだ。それなのに、知り合いというのが偶然を通り越して、怪奇現象みたいだった。
何の脈略もないものだと思っていた。単純におまけの倫礼に印象が強く残った人物を、小説に採用しているのだと、蓮は信じて疑わなかったが、先日行った音楽事務所の社長を思い出すと、おかしい限りだった。
「どうなっている?」
「何?」
チョコレートを口の中に入れた、焉貴の無機質な声が春風に乗った。
「事務所の社長の息子が独健だ。なぜ関係している?」
世の中が狭いのか、それとも必然なのか。そうなると、光命に会ったことさえ、意味があるということになってしまう。
三百億年も生きてきた男はこの手の話にはそうそう驚かない。答えは後で必ず出る、世の中そんなものだ。無意味なものなど何もないのだ。
見た目がそっくりな男ふたりは、レースのカーテンが風に揺れるそばで、光命のピアノ曲を共有していた。
「あとは?」
焉貴に先を促され、蓮は古い小説の主人公が光秀だったのを思い浮かべたが、首を横にふった。
「義理の父上だ――いや、違う」
「何?」
「あれを書いたのは、おまけの前の人間だ」
「お前の女になるって知らなかった時だよね? それって」
「そうだ。いつからつながっていた?」
おまけの倫礼が直感していたのは、蓮が生まれる前で、焉貴がこの宇宙へくる前でもある。
大地の上では小さな花なのに、土を掘り起こすと、根がどこまでも予想もしないところまでつながっているような大きな運命の歯車は昔からゆっくりと回っていたのかもしれない。
世界はいつだって上から変化を遂げる。下から二番目のここへ到達する頃には、何万年もの時を経てることなど珍しくもないのだろう。永遠の世界なら。
春の穏やかな日差しの中で、今も流れ続けるピアノ曲に身を任せ、蓮はあの綺麗な男――光命を思い返す。
焉貴はしばらく待ってみたが、聡明な瑠璃紺色の瞳を持つ男の名前は出てこなかった。
世界はとても広く、蓮は孔明を知らない。それでも、地球では有名だったという孔明を、人間の女が覚えているのなら、勝算はあったのだがどうもないようだった。
恋愛関係がお互いをつないでいるのかと思ったが、今のところ関連がないと判断するしかなさそうだった。
「ん〜! はぁ〜」
蓮は大きく伸びをして、ひと段落と言ったように軽く息を吐いた。腕組みをした指先がリズムを取る。曲を気に入ったのはすぐにわかった。
理論で物事を考えるのに、音楽の才能があるからなのか、感性で時おり動いてくる親友。リラックスしている男の前で、焉貴は考える。
複数婚が成立する可能性は限りなくゼロに近い。この男と妻だけなら愛せる可能性はあったが、あの人間の女も配偶者と数えるとなると、お世辞にも綺麗な心だとは言えない。
あの女が自身で当てた通り、妥協や同情をする性格でもない。どちらかというと、ついてこれないなら、迷わず切り捨てるタイプだ。
しかし、目の前にいる男はあの女も愛しているのだ。みんな仲良くという唯一の法律が焉貴の身をきつく縛る。
そんなことはとりあえずデジタルに切り替え、焉貴は携帯電話をつかんで、
「お前、Hikariのデータ持ってないの?」
「いや、今買った」
いつも超不機嫌な蓮が無邪気に微笑むと、得意げに携帯電話に今流れている曲と同じものがダウンロードされているのを見せた。
目を閉じて、ご機嫌で光命の曲に身を任せている男。そんな彼を見て、焉貴の頭脳で可能性の数字が変わった。
(俺、いつかあの女好きになんのかも……。お前がHikariのデータ買ってるって、そうことでしょ?)
複雑化する恋愛模様だったが、焉貴が蓮に会うのはこれが最後となってしまうのだった。
事務所の社長がにらんだ通り、蓮は芸名をディーバ ラスティン サンディルガーに変えて、有名人の仲間入りをして大忙しとなってしまうのだ。




