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最後の恋は神さまとでしたR  作者: 明智 颯茄
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光を失ったピアニスト/2

 母親の影響を受けて、一枚目のCDはそこそこ売れた。作曲家として他のアーティストにも曲を提供している。そんな活動の中で、自身のピアノ曲も作り、二枚目で多くの人に知れ渡ることとなり、今日の日を迎えた。


 しかし、弁財天には心配事があった。やり直しから戻ってきた光命が、社長にだけは伝えておきたいと言って、あることを教えてくれた。


 それで人気が落ちるとは思わないが、起こらないのならそれに越したことはなく、スタッフ全員には伝えていない。


 今や恩富隊はこの世界では一番大きい事務所となっていて、数多くのアーティストを抱えている。


 通常ならば、一アーティストのツアー初日に顔を出せるほど、時間の余裕はないのだが、子供の成長を見守る母親のような気持ちで、弁財天はやってきてしまった。


 スポットライトを浴びる中で、冷静な水色の瞳が揺れ動いたり、優雅に微笑んだりするさまを眺めていた弁財天の耳に、スタッフたちの吐息が入ってきた。


「やっぱり綺麗ですね。光命さんが歩くと、みんな振り返ってしまう」


 仕事をしているのに、その手を止めてまで、どこかの国の王子みたいな気品のある男に釘付けになっているのを、弁財天は見つけた。


 うさぎのスタッフが話すと、長い耳がゆらゆらと揺れた。


「あの繊細さが人気なのかもしれませんね」


 だからこそ、逆に危険だと、弁財天は思った。ステージの中央にいたスタッフの一人が右手を大きく上げた。


「光命さん! ピアノの準備整いました」

「えぇ」


 舞台の端でスタッフの話を聞いていたピアニストは短くうなずき、ロングブーツのかかとを鳴らしてピアノに近づいて、慣れた感じで腰を下ろした。 


「ピアノの音の響きを調べますから、演奏をお願いします」

「えぇ、お願いします」


 白と黒が規則正しく並ぶ鍵盤に、光命の神経質な両手が乗せられると、香水の香りがふわっと舞い上がった。


 右足はダンパーペタルに乗せられ、白いカットソーの下にある胸へ息が吸い込まれ吐き出されたと同時に、ピアノの弦を叩く音が激しく鳴り出した。


 三十二連符の十二連打が土砂降りの雨のように、音階を滑り落ちてゆく。紺の長い髪はリズムに乗って揺れ動き、不意に入り込む高音のフォルティッシモが、雷鳴のように鋭く会場の隅々につき刺さる。


 余韻を残すペダルは、主旋律を際立たせるために、一拍ごとに小刻みに踏み直され、ピアニストとしての技術と光命の激情を惜しげもなく披露する


 たくさんの人が見るであろうステージの上でピアノを弾く。その行為が、光命の中の脳裏で、人生のやり直しをした、ある時を色濃くなぞった――


 ピアノのコンクールで一位を取った時、晴々とした気持ちでロビーへ出ると、深緑の短髪と無感情、無動のはしばみ色の瞳で、自分とは真逆の性質を持つ従兄弟が待っていた姿が浮かんだ。


「君のことを思って曲を作ったんだ」

「感謝する」


 地鳴りのような低さで、落ち着きがあって真っ直ぐな夕霧命の声が、光命の心に呼びかける。


「光……」


 それが残響のように幾重にも鳴っているうちに、今度は別の場面を思い返した。


 知礼を初めて家に招待して、両親が大喜びで出迎えたあの日。記念にと思い、ピアノのある部屋へ彼女を連れてきた。


「チャーミングなあなたに、こちらの曲をプレゼントしますよ」

「ありがとうございます」


 可愛らしく素直で、少しとぼけた感のある女の声が、光命の心に今度は呼びかける。


「光さん……」


 ――さっきからずっと響いていた男と女の声が、ぐるぐると自分を飲み込むように回りながら少しずつ大きくなってゆく。


 ピアノの鍵盤の上でもつれそうになる指先を、光命は必死で押さえながら、冷静な頭脳で正常へと戻ろうとする。


 ――弾き続けられる可能性を高くする方法……?


 不意に目の前が暗くなりそうになり、意識を呼び戻すが、悩めるピアニストはいつもの迷路に迷い込んでゆく。


 私は夕霧を愛している。

 私は知礼を愛している。

 私は夕霧を愛している。

 私は知礼を愛している。

 私は神の意思に背いている。

 私は神の意思に背いている。

 私は夕霧への想いを断ち切らなければいけない。

 私は知礼だけを愛さなければいけない。

 私は夕霧への想いを断ち切らなければいけない。

 私は知礼だけを愛さなければいけない。

 私は……しなければいけない。

 私は……いけない。

 私は……私は――


 光命の視界はとうとう真っ暗になり、ガジャーンと不協和音を鳴らして、糸が切れた操り人形のように、目を閉じたまま椅子の上で横へ崩れ、床の上にどさっと落ちた。

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