敵の大将は結婚なり/1
着物のように見える白いモード服で、孔明は空港のロビーに立っていた。手を振る。
聡明な瑠璃紺色の瞳には、毛むくじゃらの大男とその腕につかまっている可愛らしい女が並んで歩いている姿が映っていた。
手を振る。結い上げた漆黒の長い髪。クールな頭脳の中で、一ヶ月前のことを鮮明に回想する――
*
――都心から離れた高台にある一軒家に、孔明の車が止まっていた。キーは今抜かれたばかりで、その奥にある縁側で、自動で雨戸と窓ガラスが全開になった。
綺麗な夏空と青々とした草原が眼前に、美しいふたつの層を作って広がる。摩天楼と人の群れに出会う、首都での勤務をしている、毛むくじゃらの大男は遠慮なしに、孔明の家をまっすぐ進み、
「山が遠くに見えるっす」
縁側の板の間に、あぐらをかいて座った。吹いてくる風がちょうど涼しくて、額ににじんだ汗を優しく乾かしてゆく。
「いや〜、いいとこっすね?」
袴みたいに見える、白いワイドパンツの足で孔明もあぐらをかき、夏なのに春風みたいに柔らかな笑い声をもらす。
「ふふっ。気に入ってるんだ」
「誰か他にも招待するっすか?」
毛むくじゃらの男は遠くの景色を眺めたままで、孔明はその横顔をじっと見つめ、漆黒の長い髪を横に揺らした。
「ううん、張飛が初めて」
「いつもカフェとかだったのに、今日はどうしたっすか?」
神界で再会してから、休みが合えば会って真面目に話したり、たわいもないことを言って、一緒に時間を過ごしてきた、孔明と張飛。
張飛の顔がこっちへ向くのとすれ違いに、孔明は真正面を向き、どこか遠い目をして、
「たまには気分を変えたいと思って……」
落ち着きなく体を前後に動かしたが、張飛は気にした様子もなく軽くうなずいて、また景色を堪能し始めた。
「そうっすか。やっぱり空が綺麗っすね〜。心が洗われるっす」
男ふたりきりの縁側。見渡す限りは草原と山ばかり。世界にふたりっきりみたいな。さわやかな夏風がふたりの髪と服を揺らす。
言葉は途切れ、孔明は視界の端に張飛の横顔を映しながら、景色を眺めている振りをした。張飛はあちこちに視線を向けて、ただただ風景を楽しんでいた。
長い沈黙を破ったのは孔明だった。
「張飛、何かいいことでもあった?」
ないと言ってほしかった。感情ではそう願った。
張飛はおでこを手のひらでピシャリと叩いて、聡明な瑠璃紺色の瞳へやっと振り返り、思わずため息をもらす。
「あぁ〜、さすが孔明っすね。わかったっすか?」
幸せという文字が顔に書いてあるみたいにわかりやすい親友だった。孔明が可愛く小首を傾げると、漆黒の髪が床についた。
「何となく?」
張飛の表情はすうっと真顔になった、親友の言葉が不自然で。
「感情で判断しない孔明が、そう言う時は罠っす。けど、答えたくない時でもあるっすからね。追求はしないっす」
「張飛はボクのこと、よくわかってる……」
と、孔明は言いながら、言葉の続きを心の中で語った。
(けど、全然わかってない!)
怒りの炎が胸の内でメラメラと燃えていたが、神に反則だと言わせた大先生は、冷静な頭脳で簡単に抑え込み、
「聞かせて? 何があったの?」
好青年の笑みで、張飛の顔をのぞき込んだ。
「俺っち、料理屋をやろうと思ってるっす」
孔明とは違って行き当たりばったりの、毛むくじゃらの男に事実を突きつけた。
「張飛は料理を食べるのは好きだけど、作れないよね?」
「習ったっす」
出会った日のパーティー会場で話していたことが、実際にもう進み出していた。気の迷いでも何でもなく、有言実行だった。
孔明は紫色の扇子を手元に瞬間移動させ、閉じたままトントンと手のひらに当てる。
「聖獣隊はいつ辞めるの?」
「来月いっぱいで、辞めるっす」
持ち前の明るさと前向きさで、張飛は着実に一歩を踏み出そうとしていた。ばっとヨットの帆が風を勢いよく受けたような音がして、漆黒の髪の横で扇ぎ出す。
「そう」
孔明はただ相づちを打って、精巧な頭脳の中で、関連する可能性の数値を一斉に変えてゆく。
「どこにお店開くの?」
「三つ先の宇宙っす」
銀河系が違うのではなく、宇宙そのものが違うということだ。それは気軽に瞬間移動をして、会いに行けないことを指していた。
「どうして、わざわざ知らないところに行くの?」
孔明からしてみれば、負けに行くようなものだった。この世界はとても広くて、地球の出来事など小さな点みたいなものだ。
張飛は膝の上に乗せていた手を強く握りしめた。
「勝負してみたいっす。自分の力でどれだけ通用するか」
「張飛、ここは人間の世界じゃなくて、神様の世界。だから、二千年も生きていない人だったボクたちには、歯が立たないよ。本当に好きなことや、元々の人気から枝葉を伸ばさないと難しいよ」




