第92話「元勇者まさかの逃亡?違います戦略的撤退です」
◇
翌朝の目覚めは最悪だった。いや慧花とのキスは最悪じゃなかったけどねと考えるくらいの余裕は出てきた。幸いにも親父は母さん達に話してないから漏れるとしたら慧花からだろう。
「つまり慧花に注意してれば良いって話だ」
「殿下……ではなくて慧花さんがどうかされたんですの」
「部屋に入る時はノックしてセリカ」
普通に部屋に入ってくる女性陣に毎回言ってるけど今まで守られたのは数回しかない。俺だってソロ活動してる時が有るかもしれないのに配慮が無いんだよ最近。
「気を付けますわ、それで今のはどういう意味ですの」
「昨日少しな……嫌な事が有って慧花に愚痴って気まずいだけ」
嘘は言ってない。でも最大の懸念事項のキスのことは聞かれて無いから話さない。元勇者にだってプライベートは有るのだ。
「そうですか、あまり尾を引かない方がいいかと、あの方は意外と根に持つタイプですからね」
「そうか? 向こうではそんな素振りは見せなかった気がするが」
「それは快利の前だけです、私やモニカには愚痴が多かったんですよ、あなたがこちらの世界に戻ってからは目に見えてお酒に逃げるのが増えてましたわ」
「ケニー、いや慧花が……」
そこで下の階から朝食に呼ばれて俺とセリカは降りて行く。セリカは意外と鋭いから長々と話してたら危ない所だった。しかし一難去ってまた一難、今度は慧花と大学で同級生のユリ姉さんが話しかけて来て俺は内心ドキッとする。
「あっ、来たわね快利、今日はサークルで遅くなるから」
「サークル……って例の同人誌のことかな」
「そうそ、もしかしたらケイは私の部屋来るかもだから那結果、悪いんだけど今夜は絵梨花かモニカの部屋でお願い出来る?」
実は那結果の部屋問題はまだ片付いていない。文化祭の時の応用で家に異空間を作り出して生活はしていたが問題が発生して今は使用禁止になっている。
「け、慧花が来るのか……」
昨晩の事を思い出して頭が一瞬真っ白になるが、すぐに二人の会話が始まって冷静さを取り戻す。
「分かりました由梨花、では快利の部屋に行きますね」
「おかしいわね、この元情報体っ娘は……日本語通じてないわ」
いざ異空間を作り出して最初の一日目は良かったのだが二日目には俺のベッドの真横を入口に設定してくれやがったのが元ガイドこと那結果だった。ちなみに発見したのはユリ姉さんの指示で待機していたフラッシュドラゴンだ。
「由梨花さんの偏差値では私の言葉が理解出来ないかと」
「うるさいわね、どうせ私はバカよ……受験対策だって妹に頼んだくらいよ!!」
一応は俺とエリ姉さんの高校は進学校で割と頭が良い方だ。そしてユリ姉さんは偏差値以外も理由は有ったけど学力は高いとは言えず一人だけ歩いて通える女子高を卒業している。
「誰もそこまで言ってません、ですので快利の部屋に行かせて頂きます」
「前後繋がってない構文で日本語になってないのは事実だろ、あとユリ姉さんは豆腐メンタルだから本気で止めろ那結果」
ただでさえ朝はゴタゴタしているのに俺のメンタルはボロボロで、さらに今日は朝から講義のユリ姉さんの朝食も必要だから大忙しだ。料理が一人分多いだけでも忙しさは段違いだ。
「とにかく那結果の件も込みで義父さんに相談した方がいいと思うのよ快利」
「そうだよね……でも今日の所の代案は有るかなエリ姉さん」
こういう時はやっぱり義姉二人に頼る事が多いのが俺だ。ユリ姉さんは今ダウンしてるから自動的に一人でTKG食べてるエリ姉さんの方に尋ねていた。
「ふむ、私の部屋を提供して私が快利の部屋で一緒に寝れば解決だな」
「外放り出すぞエリ姉さん」
「冗談だ快利……まだ少し早いか、お姉ちゃんはいつでも良いがお前の恋愛観をセリカやモニカから聞いたから、それに合わせてやろう」
正面に座る義妹たちを見るとセリカは澄まし顔で堂々としているしモニカは口元に笑みを浮かべながらパンにマーガリンを塗っている。そんな朝の忙しい空気の中で俺は自然と昨夜のことを忘れることが出来た。
◇
「まあ、それでも吹っ切れないんだよなぁ……」
「どうしたのカイ?」
放課後いつものようにバイトでルリを事務所に送り届けると久しぶりに別な依頼が有るらしく二人で待機していた。ちなみにルリは見た目だけはRUKAモードだ。
「ちょっと昨日の夜に親父と二人で話すことが有ってさ……ちょっと言い合いを」
「ふ~ん、でもカイも親子喧嘩とかするようになったんだ、昔は私に愚痴ってただけで表には出さなかったでしょ……それも進歩ってやつじゃない?」
それは少し違う気がするが中学の頃はルリも家の事、アイドル活動の愚痴を俺にしていたし俺は俺で家族のことを愚痴っていた。その頃の俺達よりは前向きになったのかも知れないが今は仕事の話だ。
「それよりルリ、今日はラジオとかPV撮影や番組収録じゃないんだろ? 何をやるんだ?」
「うん、なんかカイには護衛をって……母さんが」
「護衛? 穏やかじゃないな……」
ルリの実家というか家業の芸能事務所「F/R」は今でこそ低迷してはいるが少し前までは王手芸能プロダクションの一つで今も全盛期に比べれば劣るが、ここ数年はルリ達の活躍で徐々に盛り返しているらしい。
「ま、それでも前回のライブのドームの損害賠償とか凄いんだけどね快利くん」
「エマさん、直接はお久しぶりです」
そこで入室して来たのはルリのお母さんでマネージャーのエマさんだった。この事務所で俺を呼び出す人は高確率でこの人だ。それに俺の親同士も色々と付き合いや因縁があって付き合い方が意外と面倒な相手でも有る。
「そうね最近は瑠理香が、いえRUKAが特にお世話になってるわね……二人ともいい加減キスの一つくらいはした?」
「ぶっ――――ゲホッゲホッ!?」
「ちょっ!? お母さん、カイはそういう話に意外と弱いんだから、カイ、私はいつでも大丈夫だし最後に私の所に来てくれれば大丈夫だから取り合えず週末はエンゲージリング買いに行こ?」
一見庇ってくれているようで途中から一生の契約を結ばされそうなんだが俺の親友で推しのアイドル。昨日の慧花とのキスを思い出して焦ったとは口が裂けても言えない俺は咄嗟に話題を変えるのに必死だった。
「それでルリが護衛とか言ってるんですが、また記者とかマスコミ関係ですか?」
「そういうのとは違うの、とある女子高の文化祭にトワディーが出るんだけど君にも付き添いをお願いしたいのよ」
だがエマさんの今の発言に俺の中で疑問だった。RUKAの所属する三人組アイドルユニット『Twilight Diva』は、もちろん女性ファンもいるが、ぶっちゃけ男性ファンが多いから女子高は不自然だ。
「三人が女子高の文化祭にですか? 後夜祭とか大学のアイドル研究会とかに呼ばれるんじゃなくてですか?」
「さすがに詳しいわね、理由は色々と有るんだけど一番は綾華のためなの」
「AYAさんの……ですか?」
そこで以前ルリからされた話をエマさんから再び説明された。AYAさんはとある理由で普通に実家に帰ることは難しく家族や親しい友人と会うのが一苦労なのだ。
「綾華さん、いえAYAさんの秘密ってルリが前に言ってた例の?」
「ええ『S市動乱』よ、これ以上は言えない、あまりにも不吉だから私達の家にとっては……あなたの家にとっては少し違うかしら」
「え? 俺の家……まさか関係してるんですか?」
ルリから聞いた話では中学の時、家に連日のように警察が来て怖くて放課後は俺と一緒に過ごしていたのだが原因は『S市動乱』だったと最近聞かされた。
「いいえ昇一さんは確かに裏方として関係していたけどメインはあなたのお爺様、英輔さんよ……そう、詳しくは知らないのね」
それは故人の秋山英輔つまり俺の祖父の話だった。その名前が出た時に微かにルリの顔が曇った。
「ルリ、大丈夫だから、もう気にすんな」
「うん……分かってるんだけど、ね」
たぶんルリの表情が曇ったのは俺達が決定的にすれ違った本当の原因、俺の祖父の葬式を思い出したからだろう。俺たちは言葉が足りなくて……だからすれ違った。
「私が素直になれたら……あんな事にはならなかったのかな」
実はそのことについて俺は違うと思っている。よくアイドルと秘密の恋愛とか同級生と隠れて付き合うなんて夢物語を聞くけど当時の俺じゃ重圧に押し潰されてルリを守り切れなかったはずだ。逆に今の俺だからルリを救えたと思っている。
「それは……っと、また話が脱線しそうになった、えっと話を戻すとAYAさんが家族や友人たちと安全に会えるお膳立てのためなんですね」
「そうなるわ詳しい打ち合わせはAYAの時間の取れる明後日の放課後に、可能なら妹さん達と例のホステスの彼女、慧花さんにも来てもらいたいの」
そこでいきなり慧花の名前が出て来て動揺してしまった。二度目だから表面には出さないで上手くごまかせたと思う。
「け、慧花もですか……今日はユリ姉さんと遅くまでサークル活動らしいので俺の方から伝えて、おきます」
「カイ?」
ルリの目は俺を訝しげに見ているけど気付かない振りをする。昨夜の慧花とのキスを見透かされたような気がして慌てて話を逸らしている内に今日は解散になった。家に帰ってからも昨夜の親父の話、あの女の話、そして慧花とのキス、この三つが頭をグルグル駆け巡って翌日は完全に寝不足になってしまった。
◇
「快利、快利、起きて下さいませ」
小声で揺すられて隣を見るとセリカが小声で囁いている。授業中に居眠りとか典型的なポカをやらかして慌てるが既に人の気配が有った。自動で防御されるとはいえ勇者時代なら有り得ない。
「秋山、何か言い分は有るか?」
「工藤せんせ……面目ないです」
「ふぅ、顔でも洗って来るか」
「大丈夫です、すんません」
何人かに笑われるが那結果やセリカが睨むとすぐに黙ってしまった。威圧すんな二人とも、これじゃまるで俺がカーストップになって周りを支配してるみたいじゃないか。後で二人には言っておかないと……。
「那結果、それにセリカも……あれは俺が悪いんだからよ」
「そうだぜ、だけど二人が心配すんのも分かるよ、何があったんだよ快利」
昼休みにさっそく二人に注意するが席が離れた金田までこっちに来て言われてしまった。金田はこの間まで俺の前の席だったが那結果に無理矢理どかされ今は俺の近くにはいない。
「何がって……何もねえよ」
「いやいや皆気付いてるぜ勇者様よ、笑ってた奴らだってシーンとなったらなったで気まずいから空気読んだとこ有るからな」
それも何となく分かってたから二人に注意してたんだと言いそうになって二人を見ると今の状況が作られたものだと気付いた。
「快利兄さん、みんな心配してますから」
モニカも祈るように俺を見て言う。そして遂に那結果が決定的な一言を口にした。
「一昨日……何が有ったんですか快利?」
「何でもない……お前には関係ねえからよ、昼は少し頭冷やしてくる……皆悪かった、じゃあ後で」
俺はすぐに廊下に出て屋上に行こうと思って止めた……慧花とのことを思い出してしまう。その日は放課後になるとルリのバイトも無いから俺は那結果に三人を任せて異世界へ転移した。これは逃げたんじゃない戦略的撤退なだけだ。
――――異世界
「それで気まずくて弟殿は、この『ドラゴンワールド』に逃げてきたんですか~?」
「逃亡じゃないから戦略的撤退だから、ってドラゴンワールド?」
「名称が無いと不便だと我らが主が最近になって決められた、この世界の名称です」
俺はバイト先兼ユリ姉さんのドラゴン達の住処となっている異世界へと転移しユリ姉さんの眷属マリンドラゴン、グラスドラゴンと話していた。たしかに名前とか有るのは便利だと思う。
「てかユリ姉さん命名なんだ……」
「はい、ご主人様はおバカ……じゃなくて単純な方なんで名称もテキトーなんです」
「そこは適当であると言いなさいグラス、ですが元勇者この名称は単純なゆえに覚えやすく分かりやすいので私は良いと思います」
いい意味でドラゴン達に慕われてるなユリ姉さん。最初はどうなるかと思ったけど意外と竜使いとしてやっていけそうだ。
「でも確かに異世界って今んとこ開拓したの三つ有るからな」
まず俺が勇者になった異世界でグレスタード王国が支配してたから『王国』と呼んでいる世界、次に『ドラゴンワールド』と名前が付けられたこの異世界、自然豊かで地球とほぼ同じ惑星がメインで他にも居住可能な惑星が多数有ると那結果も言っていた世界だ。
「あとは例の荒廃した世界か……」
「私達が初めて力を解放した惑星ですね」
例の加藤がコバルトドラゴンの残骸と融合して巨人と化した時の話だ。ユリ姉さんと三竜たちが中心となって加藤を倒した戦いでユリ姉さんが偶然にも過去の因縁に決着をつけた戦いでもあった。
「もう行く事は無いが、あの世界にも名前が必要かな」
「じゃあゴミ世界、いらない世界とかどうです弟殿」
なんか違う、間違ってはいないけど違う気がすると答えると今度はマリンが口を開いた。
「では『廃棄世界』はどうですか? 誰にも使われず廃棄された世界という意味で」
「じゃあ『廃棄世界』でいいか、ユリ姉さんにも教えておいてくれ」
そんな雑談をしながら空を見ると青かった。ここは現実の俺たちの世界と時差も有って今は午前十時過ぎといった所だ。
「弟殿、七人ものハーレム維持が大変なのは分かりますが、例のガイド殿、いや那結果殿はフラッシュと仲良いから逆襲が怖いと思いますよ~」
「いやハーレムとか皆をそういう目で見るのは違うから、大事な人達だけどさ」
これは声を大にして言いたい。ハーレムとか目指してないから俺はキチンと選ぶから……たぶん。
「う~ん、別に強いオスが他のメスを従わせるのはそこまで問題無いと思いますけどね、それに弟殿ならご主人様も含めて全員を大事にしてくれますよね?」
「いやね、ドラゴンと人間は違うんだよ色々とさ」
動物と人間は違うんだよ……でもコイツらって厳密には精神生命体だから昔のガイドだった頃の那結果と似た存在だから動物じゃないのか。
「ですけど王国では一般の商人とかでも妻が二人とか普通でしたよね」
「そ、それは……確かに、そのせいで嫁と第二夫人と愛人の三つ巴を仲裁することが有った……あれは大変だった」
王国では平時になると俺は自分の力を世界平和と過去の鬱憤晴らしと言う名の人助けに費やした。俺が世界の全ての人を助け生きることが使命で生きがいと勘違いした社畜勇者時代の話だ。
「人は愚かですねえ、愚か愚か~」
「やめて、人間代表の心に響くから」
そんな俺達の様子をマリンはにこやかに笑いながら見ている。その笑顔は王国時代に戦った敵には見えなかった。そもそも竜の表情なんて昔は分からなかった。
「グラスいい加減になさい、それにしても元勇者も変わられましたね……我らに向けた昔の感情を考えると今は本当に普通の方です」
「そんなに違うか」
「ええ、昔のあなたはそれこそ『無』でしたので感情を基に作られた我らにとっては不気味な外敵そのものでした」
ブラッド、ポイズンの両ドラゴンにも過去に似たようなことを言われたなと思った所でスマホに通知が入った。それは意外な人物からで急いで転移することにした。
「悪い、呼び出しがかかったから帰るわ」
「そうですか元勇者……どうか我らのマスターをよろしくお願い致します」
「分かってる、大事な姉さんだからな……じゃあな二人とも」
それだけ言うと俺は後ろで尻尾を振ってバイバイしてるドラゴン達を見て目的地に転移した。
◇
「それで……そんな恰好で、しかも神社に呼び出して何がしたいんだ、ルリ?」
「違うかな今の私は|Twilight Diva《黄昏色の歌姫》のリーダーのRUKAだよ、秋山くん?」
俺のスマホに通知を入れたのはルリだったが通知先はRUKAの仕事用のスマホで俺が一番最初に交換した、いやルリに無理やり登録された方からだった。
「ルリ、お前……何がしたいんだ? RUKAとして外で会うのは危険で――――」
「でも秋山くんは守ってくれるんだよね?」
そりゃ転移と同時にスキルを三つも同時に展開して索敵と結界を張りましたからね。そもそも寂れた神社だし日も暮れて薄暗い街灯しかない場所だから夜に女の子が一人でいるのも危険だ。
「当たり前だ……今度は何が有ってもな」
「ふふっ、ありがと、だからね秋山くんをここに呼び出したんだ、RUKAとして初めて会ったここにね」
「でもルリ、俺は――――「私はRUKAとして居るんだよ秋山くん、ファンのあなたに相談に乗ってもらった恩返しさせてくれないかな?」
それはズル過ぎだろルリ……そんな泣きそうな笑顔を向けられたら俺は何も言えないじゃないか。
「分かったよ、恩返しか……何をしてくれるんですかRUKAさん」
「そうだね秋山くん、ううんカイくんに悩みを聞いてもらったから今度は私がお悩み相談とか、ダメ……かな?」
小首を傾げながらウインクしてくるのは卑怯なくらい可愛いし憧れのアイドルで、彼女の意図は分かるのに自然と頷いてしまう。
「よかった、じゃあ隣のベンチにどうぞ」
「分かりました、じゃあ俺の情けない相談……聞いてくれますかRUKAさん」
場所は前と同じで隣じゃなくて別なベンチ、神社は俺の結界のせいも有るけど相変わらず静かで相談にはうってつけな場所だった。
「任せて……カイ、私が聞くから、この前の時と同じように中学の時に聞いてくれた時と同じように好きなだけ話して……全部聞くから」
誤字報告などあれば是非とも報告をお願い致します。(感想ではなく誤字脱字報告でお願いします)
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