不機嫌な先輩と山田肇 2
その日は一日中、平尾さんが不機嫌であった。周囲に対しての不満などではなく彼女の頭の中にある殺意を誘惑する妖精でも住み着いたのかと肇は感じた。それに近い人を彼は知っている。駅員に悪態をつく酔ったサラリーマンを彼は思い出した。
――まさか酔ってるのか――
仕事には真面目に取り組む平尾さんが飲酒労働をするのかと思ったが、官僚が覚醒剤を使いながら働くような国においてはそれくらい不思議ではないのかもしれない。
「平尾さん、シフトの相談があるんだけど」と彼女に話しかけたパートのおばさんは、その視線に恐れをなして近くにいた肇に「山田くん、この日変わってくれない?」と話しかけてきた。構いませんよ、と言うと平尾さんは四次元を眺めるがごとき虚ろな目付きで肇たちを見つめていた。
「どうして」「えーっ、だって会ったばかりだし」「そうかもしれないけどさ、いいじゃん暇でしょ」「うーん」「こっちが払うからさ」
ごく稀に、若い女性が一人で来店していると鼻の下を伸ばして股関が本体となった典型的なナンパ男が現れる。いつもなら男の店員である誰かが、近くを掃除するなどして、それとなく彼らの居心地を悪くするのだった。なんでこんな面倒な日に限って、と肇たちが悪態をついていると、店員たちの予想通り、平尾さんが彼らのもとに向かう。
「申し訳ありませんが、他のお客様のご迷惑になっております」
既にトゲのある言い方だが、顔はまだ接客スマイルだ。
遠くの方で「あれやばくない?」とパートのおばさんたちは言う。なんとかしたら、と肇に押し付けようとするが、彼は首を横にふった。
「出ていけやナンパ野郎が」
平尾さんはテーブルを蹴って、男を睨み付けた。
「なんや店員がそんな態度とってええと……」
ナンパされた女の子は震えている。顔が青ざめている。
「なぁ兄ちゃん、あんまイラつかせやんといてや」
「生理か? なんなら今晩はあんたと一緒に……」
平尾さんはテーブルの上のガラスコップの底で男の頭を叩いた。そしてふらついた男の顎に裏拳を入れてからローキックで倒して、伝票を目の前につき出した。
「お前とこの子の会計払って二度と来るな、クズが」
――カッコいいなぁ
ぼそっと聞こえた声に肇は驚いた。
フリーターの男は、目の中にハートマークが浮かび上がっていた。




