鈴音さんと山田肇
学部の授業でテーマ発表をしなければならなくなり、そのメンバーに肇は恋人の鈴音さんを当然のように組み入れた。むしろ、肇から頭を下げる形だった。頭のデキでは、どう工夫しても肇が鈴音さんに及ぶことはない。
肇は参考文献を適当にめくって、たまたま目についた文言から思い付いた。
「テーマは小売のテーマ化における小売業と消費者の間の認知の矛盾なんて面白そうなことがいえると思うんだけど」
「え、小売のテーマ化? 別にいいけど」
鈴音さんはため息をついた。
「あ、あぁ、そうやって鈴音さんはすぐに僕をバカにするんだ」
「別にバカにはしてないよ。今までの会話が全部無駄になっただけ。自分で言ってて意味わかってるの?」
「テーマ化くらい分かるよ。あれでしょ、小売業はそれぞれテーマを持って供給してて、それに答えて消費者の需要があって」
「羅列したらいいってものじゃないんだから」
「ごめんなさい」
外を見ると、まだ日の沈むような時刻でもないのに異様なほど暗くなっていた。
「雨か雪になるかな」
「予防では雨っていってた」
光を遮る分厚い冬の雲は墨汁を拭き取ったあとのボロ雑巾のように汚れていた。雪になってもベタついた不愉快なものになるだろうなと肇は言った。そうかもねと鈴音は答えた。雨が降る前に帰ると鈴音は机上のものを鞄にしまった。
肇はスマホの時間を見て、もう2時間は話し込んでいたことに驚いた。彼女が伝票を持ってレジに向かう後ろ姿から発される香りを肺に含んだ。異様なほど心を乱された。まだ彼女と居たかった。
店を出て、5割5分ほどの金額を彼女に渡すと、バイバイと彼女は肇の向かう方向と真反対に歩いていった。用のない方をずっと眺めていた。彼女が見えなくなると、肇は一人で坂道を歩んだ。駅に降りていく道をとぼとぼと歩を進めた。
翌朝の土曜日、目を覚ましてスマホを眺めていると、午前からシフトが入っていることに気がついた。遅刻は免れそうだが、やり場のない苛立ちと憂鬱が同時に襲ってきた。しかし彼は思考するのを止めてフラフラと職場に向かった。
休憩室で私服姿の平尾が後輩のアルバイトに叱っていた。挨拶をするべきか迷い、小声でお疲れさまですと呟いた。
何度か彼女の私服を見たことがあるが、このアルバイトだけでは稼ぎきれやしないようなブランドものを身につけていた。肇が分かるだけでも、ヴェルサーチのコートを着ている。
「何ですか? 山田さん」
「いえ、何も」
「何もないならはやく着替えてきたらどうですか」
内規で決められた髪色をギリギリ破っているくらいの明るい茶髪の女に睨まれるというだけで、肇はびびった。
――彼女の家計が苦しくなりますように――と肇は祈った。




