9.駆け落ち?
このお話の途中から、電子書籍のものとは別ルートとなります。
書籍では田舎に行かず、王都に留まってガドウィ様との直接対決となります。
お話のボリュームが倍になる大幅加筆での、意外で大騒ぎで華麗な手のひら返しの大団円、あの人やこの人の意外な趣味や性格が暴露される書籍版も、どうぞよろしくお願いします!
だけどなんということでしょう。
私の願いも空しくガドウィ様が私と結婚すると言い出したそうです。
はあ? 冗談も休み休み言って欲しい。
嫌ですよ。断固拒否!
愛人も嫌だけど、結婚ももはや嫌です。
あんなに意思疎通の出来ない人と結婚とか、どんな拷問!?
一生ものなんですよ、結婚っていうのは。まっぴらごめんだ。
私の気持ちなんて全然カケラも全く忖度しないで一方的に振り回した後に、どうせ飽きたらまたマダームとか未亡人なんかに手を出すんでしょうが。こういうのは治らないって聞くよ?
絶対に嫌です! 心から!
だがしかし。
我が家に拒否権は無いのだった。
身分が違いすぎる。つらい……。
兄様は顎が外れたのかと思うくらいにあんぐり口を開き、母様なんか貧血を起こして倒れてしまった。父様も今頃田舎の領地で卒倒していたらどうしよう。
冷静なのは情報を持ってきたエーリクただ一人。
「駆け落ちするか、もう」
……彼もどうやら冷静ではなかったようです。
「うちの領地の神父に頼んで、うちの領地でとっとと式挙げるか。なんならお前んところの神父に頼んでもいいぞ。本当はもっと派手に挙げてやりたかったが」
って、目がすわっているけど、本気なのかな。頼むと書いて脅すと読めそうな雰囲気なんだけど。
「なんなら代理結婚ならもっと早いな。とりあえず書類だけでも」
とかブツブツ言っている。
「いやあ、でもエーリクはそれでいいの?」
でも私は思わず聞いてしまった。
「は? なにが?」
エーリクが私を見る。
「いやだって、ガドウィ様が何故かとち狂ったからこんなに私は追い詰められてはいるけれどさ、本来エーリクは地位もあって人気もあるんだから、こんないつかはガドウィ様に絡め取られるか捨てられるかされそうな今や悪名高くなってしまった男爵家の娘なんかと地味婚する人ではないでしょう。もっと身分の高い、美人の奥さんを選び放題なんじゃないの? もし親友の妹で今まで仲良くしてきて可哀想だからとか見るに忍びないとか乗りかかった船だからって責任を感じているんだったら――」
そう。それは最近思い始めたこと。情の移っている妹分を救うために言ってくれているのではという疑い。だって彼は縁のあった人を見捨てるような人ではないから。
でも最近ちょっと私に振り回されすぎている気がするのよ、彼。
でも。
「フロレンス」
突然エーリクが目をつり上げて言った。
「俺はそんな責任だけで結婚しようなんて考える人間じゃねえよ。最初に言っただろう、好きだって。俺は好きでもねえ人間と結婚なんてしたくないし、好きだからお前と結婚がしたいんだよ。もしお前のことが好きじゃなかったら、俺が言う台詞はこれだけだ。『良かったじゃねえか、王族だぜ? 大出世だな! 頑張れよ!』でもそれでは俺が嫌なの。わかる?」
まっすぐ見つめられて、私はちょっと恥ずかしくなりながら思わず顔を上下に振った。
ああうん、そういや確かに言いそうだ。
『大出世じゃねえか! 良かったな!』
ああ目に浮かぶ。
でもそれを言わないで真剣に阻止しようと考えてくれているのが、そのまま彼の気持ちということなのか。
そうか。
なんだかちょっとほっとしている自分がいた。
よかった。彼は渋々振り回されているわけではない。最近妙に苦労しているようには見えるけど、それは立場上嫌々していることではなかったのだ。
いや迷惑をかけている自覚がね、あったからね。
でも彼の言葉から、真剣に私の事を考えてくれているのが感じられて嬉しかった。
私を好きだと言ってくれるその心がじんわり嬉しくて幸せな気分で。
その温かさは心地よくて、ずっと包まれていたいような、そんな気がする――。
「えー、こほん、熱く見つめ合っているところを悪いんだが、僕もいるから。忘れないで」
兄様が気まずそうに割って入って我に返った。
「あら、兄様、そういえば居たわね」
「本当だ。アル、ちょっとは空気を読んで出て行けよ」
「ひどい。自分ちなのに」
でも兄様はちょっと涙目になりながらも真面目な顔をして話を続けた。
「まあ、駆け落ちは二人が良ければ最終手段で考えてもいいが、あくまで最終手段だろう。とりあえずはフロレンス、お前、田舎に一時避難した方が良いと思う。初めての社交界で疲れが出て体調を崩したことにすればいい。ガドウィ様がすぐ飽きるかと思ったら思ったより続いているし、このまま相手をし続けて万が一本当に正式に結婚の申し込みがあったらうちは断れない。残念だろうけれど、お前の今年のシーズンはもう諦めてもらうしかない」
「そうね。どのみち今年のシーズンどころかこんなに評判になってしまったら、来年以降も絶望的だし。きっと何年も語り継がれるわよ、ガドウィ様を侍らせた女ってね」
私も薄々わかっていた。もう脳天気な小娘としてシーズンを過ごすことはないだろう。残念だけど。
「じゃあそのままいっそお前の田舎で結婚するか。一応俺たちの婚約は成立しているから、ちょっと結婚が早くてもそれほどスキャンダルにはならないだろう。ましてやこの状況だ。実を言うと、いよいよマズいという時のためにもう結婚許可証は金を積んで取ってある」
エーリク! なんて準備がいいの。たしか大金が必要なはずなのに。
「エーリクお前、ガドウィ様に渡す気が最初から全く無いのな。まあフロレンスがいいなら僕には異論はない」
兄様、ちょっとは妹を送り出す寂しさとか……ないわね。
「フロレンス、君はまだそんな気持ちにはならなくて迷うだろうが、もしガドウィ様から正式に結婚の申し込みがあったらその瞬間に俺たちの婚約は事実上終了だ。だからできるだけ承認されないようにお偉方には手をまわしているが、確実なことは何も言えない。できたら早めに心を決めて欲しい」
エーリクが、私の手を取って私の目を見つめて真剣に言う。
心? 私の気持ち?
私の、気持ちは…………。
「わたし、ガドウィ様よりはずっとエーリクの方がいい」
それが正直な今の気持ちだった。
ガドウィ様は嫌。だけど、エーリクだったら、いい。
愛とか恋とかはまだわからないけれど、エーリクだったら、そうね、嬉しい。
「エーリクだったら、いいと思う」
そう見つめ返しながら言った。
それを聞いてエーリクがちょっと瞳を揺らせて、そしてにっこりして言った。
「じゃあ手配する。急だからドレスや他のいろいろが間に合わなくて申し訳ないが、ちゃんとした式はまた後日俺の領地で挙げよう。それで許して欲しい」
「じゃあ僕は早速田舎の父に連絡する。教会や神父の手配なんかはやってくれるだろう。父はフロレンスを溺愛しているからな、フロレンスの希望とこの状況ならきっと動いてくれる」
「では私は荷造りするわね。母様の分もしないと」
そして三人が同時に部屋を出たのだった。
その後私はその日の晩のパーティーは体調不良を理由にお休みして、せっせと荷造りをしたのだった。もうこのシーズンはこの王都の家には帰らないだろう。
これ以上ガドウィ様の近くには居られない。ならばできるだけ早く王都から離れるべきだ。
まるで逃げるようだけれど、でもそれ以外に良い手は私にも考えつかなかった。
王家相手に戦うことはできない。逃走上等。脱兎のごとく、逃げるべし。
そんな感じでバタバタしていたら、執事が突然の訪問客を告げたのだった。
「エリザベス様? え? 今ここに?」