6.王子ご乱心2
その場の全員が唖然と固まる中、ガドウィ様は優雅な仕草で私に手を差し出した。
どんなに逃げ出して無かったことにしたくても、私もうっかり貴族のはしくれ。さすがに王族を前に逃げ出すわけにはいかない。
思わずエーリクの服をこっそりつかむ。
助けて、エーリク。あなたなら出来る! きっと……。
私の無言のお願いを察したのかどうなのか、エーリクもさらに体を一歩出してガドウィ様から守ってくれる体勢になった。
しかしガドウィ様はそれがおもしろくないようで。
「さあ、おいで、フロレンス嬢。私がこのランドール侯爵から君を救ってあげる。君も自分の気持ちに正直になるべきだ。このまま自分をごまかし続けるのは辛いだろう? 辛い気持ちを我慢することはないんだよ」
エーリクの背中から彼がイライラしているのを感じる。
でも王族相手に一介の貴族が逆らうことはできない。
私みたいなただの男爵の娘なんて、抵抗したらすなわちそれは死。社会的な死だ。
「さあおいで。フロレンス嬢、こちらへ」
ああそれは命令なのだ。私みたいな小娘になんて抵抗できない絶対的な命令なのだ。
しかも高位貴族をはじめたくさんの目がある公の場。とてもじゃないけど逆らえない。
「エーリク……」
私は彼を見上げる。
私を振り返って見る彼の顔は厳しい表情だった。
「怖くて断れない。断ったらあなたも責に問われる」
「ちっ。フロレンス、奴が不埒なことをしようとしたら大声で叫んで逃げろ。なんなら平手打ちをしてもいいぞ。そういう場合は許される。いいか、流されるなよ」
王子を平手打ち……。
そんな事態には絶対になりたくない。
が、今は抵抗も出来ない。だって相手は王族よ? しかも公衆の面前よ。
「さあ、早く、フロレンス嬢。その男を恐れることはない。僕が守ろう」
ええここまで注目されては抵抗なんて出来ません。
せめて嫌々渋々歩みを進める。
せめてもの抵抗だ。
みなさーん、私は嫌なんですよー! わかってー!
そしてガドウィ様の前まで進んだとき。
「ああ、フロレンス! 来てくれたんだね! やっぱり僕を選んでくれた! 信じていたよ。ああ、言わなくてもわかっている。本当に好きなのは僕なんだよね? 大丈夫、そんなに怖がらなくてもランドール侯爵より僕の方が偉いんだから、僕が命令してあげる。聞いただろう、ランドール侯爵。この先彼女には指一本触れるなよ!」
そう一気に言った後、いきなり私を抱きしめたのだった。
ぎゃあーーー! やめて!
でも自分の首が怖くて抵抗は出来ない!
びっくりしすぎて心の中で変な声が出たのは許して欲しい。
だって! 出るよね!? むしろ口から出ないように寸前で止めた私偉いよね!?
「ガドウィ殿下、それは私の婚約者です。彼女の家族にも認めていただいております。私の婚約者には触れないでいただきたい」
エーリクが強く文句を言った。これは多分顔が引きつっている声色だ。視界がガドウィ様で全然見えないけれど。
「だからそれは無効だと言っただろう。彼女は本当は私の事が好きなんだ。君は潔く彼女を諦めたまえ。見苦しいぞ」
いやちょっと……。
まさか私の五年に及ぶ憧れの天使が、こんな状況の読めない人だったとは。
私ってもしかして人を見る目がないのかしら?
やだ……そんなことには気付きたくなかったわ。
「殿下……」
私は出来るだけ怒りを買わないように、一生懸命ソフトにガドウィ様の抱擁から逃れようと彼の胸を押してみた。だけど、見かけは中性的な容姿なのにさすが男性、ぜんぜんびくともしない。
いやあ困る……!
これでは周りの人たちには本当にガドウィ様と相思相愛に見えるだろうし、なによりエーリクが怒っている。長い付き合いだから声でわかる。あれは怒っている。機嫌が最悪だ。
まずい。彼に王族に喧嘩を売るようなマネをさせるわけには……。
焦りに焦ってガドウィ様の腕の中で四苦八苦していたら、そこに突然涼やかな声が響き渡った。
「殿下、なんてみっともないことをされているのです。彼女が嫌がっているのもわからないのですか。人の婚約者を奪うなど、恥ずべき事ですわよ。冷静になってくださいませ」
それは、エリザベス・ロスターニャ様、つまりガドウィ様の婚約者に決まったその人だった。
美しく輝く黄金の髪、澄んだ碧い瞳、透き通るような白い肌。そして高貴な家柄とそれに負けない気品。
ああなんと完璧な淑女でしょう。素敵!
これこそ王子様に嫁ぐべき方! 私なんて足下にも及びませんとも!
わたしゃただのブルネットの、それはそれは地味な貴族社会では下っ端も下っ端な小娘でございますよ。
さあ! 王子! 目を覚ませ! あっちが本当のあなたの相手です! しかもお似合い!
しかしガドウィ様は冷たい声で彼女に言ったのだった。
「エリザベス、君は相変わらず生意気だな。いつもそうやって僕を見下して楽しいか? 見ろ、このフロレンス嬢の怯え具合を。可哀想に。まさか君も彼女を脅していたのか? まさか私がフロレンス嬢に真実の愛を見つけたのを知って、君が彼女を脅してランドール侯爵に押しつけたのか!? なんとやることが悪質だぞ。彼女やランドール侯爵の気持ちを考えろ。邪魔になったからといって二人に望まない結婚を押しつけてまで君は王族になりたいのか? 自分の私利私欲のために人を犠牲にするとは、なんて性格の悪い女なんだ。僕はそんな君とは結婚しない。僕は愛に生きる。婚約は解消だ! 君は我が身を恥じて謹慎しろ!」
えええぇ~! なんていうとばっちり!
ちょっと! エリザベス様があっけにとられているじゃないの!
全くの無実なのに、何をしてくれてんのこの王子!
人の話を、聞け!
あまりの超展開に魂を持って行かれそうになった。
でもさらにそれが誤解を広げるとは。
「ああ、フロレンス嬢、しっかり。もう悪い女は追い払ったからね。安心して。これからはずっと僕と一緒にいられるよ」
そしてますますぎゅうぎゅうに抱きしめられたのだった。
おーいだれかーー! この〇〇王子を止めてーーー!
もちろん本当にそんな叫びが出来る訳でもなく、私は能面みたいな表情のままガドウィ様にその日一日がっちりと拘束されて連れ回されたのだった。
なんだこれ。どうしてこうなった……。