3.思い出はいつも美化されて
驚く私に気まずそうな二人。
今までは王族が男爵の娘と直接関わる可能性なんてほとんど無かったから、二人はこの事を私に教えて大騒ぎされるのが嫌だったのかもしれない。それにきっと真実を知る前に私の熱が冷めるとでも思っていたのだろう。
なんだか揃ってそう言いたげな顔をしていた。
接点が無ければ実害は無い。
はずだった。
でもまさかそんな人だったの? 全然そうは見えないんですけれど……?
ちょっと、私の今までの五年間を返して……!
これまでの美しい王子のイメージがガラガラと音を立てて崩れ落ちた瞬間だった。
詐欺だ……。
人は見かけによらないって言っても、程がありませんかね。
そして若い娘をそういうゴシップから遠ざける風習も良くないと思います!
ええ八つ当たりですが! この怒り、一体どこへ持って行けばいいの。
「しかし何も知らないで返事してしまったぞ、どうする。正式にお茶の招待が来たら断れない」
兄様が頭を抱える。
「でもだからといってのこのこ行って無事に帰ってこれるかどうか」
エーリクが珍しく焦った顔をしている。
「このままでは側室にしてもらう以外に道が無くなる。殿下のお手つきだと思われたらフロレンスの評判が地に落ちるぞ」
「嫌よ! 愛人も側室も嫌! 私にも夢があるのよ!」
私は思わず叫んだ。
「私にも愛し愛されるという夢があるのよ。二番目なんて嫌。せめて私を一番に想ってくれる人とちゃんと結婚したい」
手軽だと思われるなんてなんという屈辱。
沈黙が三人を包んだ。
兄様が何か言いたそうにエーリクを見ている。
エーリクは兄様を見返しながら渋い顔をする。
私は……なかば放心していた。
随分と重苦しい沈黙が続いた後、何かを躊躇していた様子だったエーリクが突然意を決したように立ち上がった。
そのまま歩いて放心している私の前に来て、そして跪く。
私の手を取って、そして。
「フロレンス、俺と結婚しよう。せめて婚約していれば、ガドウィ様も手が出せないはずだ。君が俺を何とも思っていないのは知っている。だけど、実は俺は前から君が好きだ。大切にすると約束する。だから俺と結婚してほしい」
真剣な顔で一気にそう言ったのだった。
「は?」
何の冗談? エーリクが私を好き? え?
きっとそんな思いが顔に出ていたのだろう。
兄様が言った。
「実はそいつ、昔からお前が好きだからな。お前はガドウィ様ばかり見てキャーキャー言っていたから全然気がついていなかったみたいだが、エーリクはお前ばっかり見ていたぞ?」
たしかに今、エーリクは見たことがないほど真剣な顔で私を見つめていた。
「え……?」
「君のことを全力でガドウィ様から守ると誓う。そして一生大切にする。君が俺を好きになってくれるように努力もする。だから、よい返事をして欲しい。もっと君が俺を意識してくれるまで待とうと思っていたけれど、どうやら時間が無くなってしまった」
ええ…………?
でも彼の目は真剣で、嘘を言っている目ではなかった。長い付き合いだから、知っている。
「いつから……?」
「それは……イエスと言ってくれたら教える。まずはイエスと」
「ええ、でも突然今すぐなんて無理でしょ。一生のことなのよ? 私、結婚なんてもっとずっと先の話だと思っていたのに」
「でもまごまごしていたらガドウィ様のお手つきになるぞ」
兄様が煽る。もちろんそんな状況は嫌だ。
「とりあえず婚約だけでもして、何ならどうしても嫌だったら後から解消してもいい。でも今はとにかくガドウィ様を遠ざけるのが先決だ。だからフロレンス、まずはイエスと」
普段は自信家なエーリクが珍しく弱気なことを言う。
「ま、まあ、そういうことなら。本当に後からどうしても嫌だったら解消してもいいのね?」
「約束する。では、婚約でいいね?」
「うん、はい。えーと、よろしくお願いします……?」
「よし、ではすぐに新聞広告に載せるぞ!」
兄様が即座に立ち上がった。
ちょっと兄様、早い早い。もう少しこう、大事な妹を取られて寂しいパフォーマンスとかないの!?
まだ私、実感もないのに。
「でも昔からエーリクにはお前さえ良ければ嫁にやると約束していたわけだし、まあちょっと思っていたよりは早まったがそれもこんな状況では仕方が無い。大丈夫、幸せになるよ」
って、何なの兄様のその信頼は!? そしてその約束ってなに! 初めて聞いたわよ!?
「ではよろしく婚約者どの。ちゃんと幸せにするから」
エーリクが見たことも無いほど嬉しそうに笑っていた。あれ、こんな笑顔をする人だった?
「まあエーリクにはよかったんじゃないか? どうせこいつを待っていても全然お前には気付かずにいつまでも過去の初恋の『天使様』ばかり想っていたぞきっと」
「ああたしかにな。何しろどんなに隣にいても会話していても全然こっちを見ないで『天使様』だもんなー。一生懸命アプローチしても、全く気付かれもしないのには本当にまいった」
って、何それ、アプローチって一体なんのこと?
「エーリクに、せっかくスポーツで活躍してみたりパーティーにエスコートして張り付いたりダンスに誘ったり、いろいろしているのに全然つれないと愚痴を聞かされる日々がやっと終わって、いやあ兄としても親友としても喜ばしい限りだ」
兄様もエーリクも、なに晴れ晴れとしているの。
「まあこれからは堂々と婚約者として他の男どもを牽制も出来るし、もっと直接誘えるようになったからな、応援してくれアルバート。全力で落とす。さて早速明日あたり馬車で一緒に散歩でも行くか、フロレンス」
そう言ってさりげなく私の隣に座って腰を抱いてくるこの人、こんな人だったっけ?
今までは礼儀正しく向かいに座っていたじゃないの。
戸惑いつつも初めての距離にドキドキしてしまうのはしょうがないわよね?
兄様だってこんな近くには最近は座らないのに。
男の人らしい大きな体を実感してしまって緊張する。
「じゃあ早速新聞社に婚約を知らせる手紙を書いてくる。あ、二人で話をするのはいいがドアはまだ開けとけよ? 我が家で不埒なまねは困るからな」
そんなことを言ってうきうき部屋を出て行く兄様。
そしてますますぴったりくっついてくるエーリク。
「エーリク……一体どういうことなの。本当なの?」
「……フロレンス。俺がなんで昔からこの家に入り浸っていたと思ってるんだ。君に会うためじゃないか。いやあアルバートが協力してくれるいいやつで本当によかった」
「ええ!? ということは、いつから……?」
最初に兄様と一緒に家に来たのはいつだっけ?
「……かわいいと思ったのは最初から。君があの保養地で『わたし、フロレンス! ごさい! わたしとおともだちになってくれない?』って言った時からだ。当時は単にかわいらしいと思っていただけだけれど、アルバートが君の兄だと知って興味本位で会いに来てから、徐々に惹かれるようになった。でも君が全然俺に気付かずに昔の俺を美化してうっとり語るのはあまり嬉しくなかったな。目の前に本物がいるのに、君は五歳で出会った時の俺ばかり好きで」
ま さ か ?
ええ……まさか、まさかの私の『天使』のなれの果てが、これ!?
「全然違う! ぜんぜん! なにそれ詐欺じゃないの!? 私の天使様はこんなんじゃない!」
思わず叫んでしまう。
私の天使はこんなガタイのいい男じゃない! おかしい!
「そりゃあ子供の時とは違うさ。でも昔は本当に病弱で、保養地で過ごすくらいには体が弱かったんだ。だから全寮制のパブリックスクールに入った時に虐められてさ。色白で線の細い男ではだめだと思ったから必死に体を鍛えたんだよ」
「でも髪の色が! 銀だったじゃないの」
「子供の時は色が薄くて、大人になるにつれて髪色が濃くなるのは遺伝だ。昔も銀というよりプラチナブロンドくらいだったよ。 今では普通のブロンドだけど」
そう言って自分の髪をもてあそぶ至近距離の大人の男の人はちょっと私には迫力がありすぎて。
見慣れているから普段は意識しないけれど、一応整った顔なのよ。
しかもこんな近くにその顔があることは今まで無かったのよ。
普段は意識しない、男の人らしい彼の香りが私の気を散らす。
ちょっと、そんな目で私を見ないで。
そんなに嬉しそうにしないで。
そして腰に回した手を一旦どけよう?
私はこんな状況は初めてなの。
お願い、私に時間をちょうだい。
なぜかドキドキして考えがまとまらない。
エーリクなのに!
ちょっと心を落ち着けて、整理をする時間をちょうだい。
なんだかこのまま流されてしまいそうな気がする自分がいて怖い。
この状況が嫌じゃない自分が怖い。
私の耳に息をかけないで!
私はこの日、この世に天使なんてものは存在しないのだということを悟ったのだった――。