2.憧れの人
はあ……。
さすがに婚約者や妻がいる人におおっぴらに憧れるのはちょっと。もうあの五年も持ち歩いてすり切れた絵姿も捨てなければいけないわね。
そう思いつつふとフロアの方を見ると、エーリクがどこぞの令嬢とダンスをしているところが目に入った。
あれは……たしか伯爵のご令嬢だったか。頬を染めてうっとりとエーリクを見つめている。そしてそれを羨ましそうに眺める令嬢たちも何人か。
へえ、本当にモテないわけではないのね。まあこうして遠目で見ている分には麗しい金髪と高い上背、そして均整のとれた体格。お顔もまあなかなか整っているし地位もある上に品行方正。
言葉使いも私と兄様に対してはくだけているが、外面は完璧な紳士だったなそういえば。
でも実は我が家の庭で、兄様と一緒になって上半身裸になって汗だくで転げ回っていた過去なんてまるで無かったかのような涼やかな顔にはちょっと笑ってしまう。
レディの前でそんな格好するなんて!
そう言って文句を言う私を鼻で笑っていた男が。
さらに見せつけるようにズボンまで下ろそうとして、慌てる私を見て笑っていたあの男が。
あの伯爵令嬢はそんな彼をきっと想像出来ないのでしょうね。
実は品が無くてスポーツばかりしている脳筋で、ちょっと寂しがり屋で頼み事は断れないお人好し。まあ、優しいのは認めてあげよう。
ふむ。考えてみれば結婚相手を探すご令嬢たちの格好のターゲットなのかもしれない。今まで考えたこともなかったけれど。
そういえば女の人にあんな優しげに微笑んでいるところも初めて見たかもしれないわね。
私は去年女学校を卒業するまではパーティーに出たこともなかったし、彼は最近まで喪中だったからパーティーには出てこなかった。だからこういう公の場での彼をほとんど今まで知らなかった。
だから今まで彼が周りの女の人たちにどう思われているかなんて考えたことがなかったんだわ。そして彼が女性をどう扱うのかも。
うーん、優しげな微笑みで私のよく知らない女性を見つめる彼を見ていると、ちょっと彼が遠くに行ってしまったようで、寂しいような気もしないでもない。
うーん?
「憂いた顔をしていますね、どうしたのですか?」
「はい?」
まあ神様、これは夢なのでしょうか?
振り返った私が見たのは、今まで手の届かなかった絵姿の君がその絵姿から抜け出して、輝く笑顔で私に話しかけている姿だったのですが。
思わず頬をつねってみたい衝動を、王族の御前という状況をかろうじて理解した理性が押しとどめた。
「突然話しかけて、無作法だったかな。 ああ、緊張しないで。せっかくのパーティーなのに楽しんでいないのかと思ってちょっと心配になってね」
ああ、そう言って微笑むその笑顔のなんと眩しいことでしょう!
そうか! お近づきになるには憂いていればよかったのか!? ええ、そんなことってある!?
突然の僥倖に頭の中はパニックになりながらも、平伏しながら答える私。
「……ご心配いただいて恐れ多いことでございます。わたくしは大丈夫ですわ。それよりご結婚がお決まりとか。おめでとうございます」
「おや、もう知られてしまっているとは。ああ、エーリクが言ったのかな。エーリクと仲がいいそうだね。妬いてしまうな」
「まあ、そんなことはございません。兄が仲良くしていただいている関係というだけですわ」
まさか殿下が私のことをご存知だとは! フロレンス、最高に感動でございます! エーリクありがとう! いいやつだ!
憧れの君の顔を間近でガン見したいのをぐっと堪えて答える私。
「ああ顔を上げてください。あなたが私の絵姿を大切にしてくれているとエーリクから聞いてね、前から気になって、いつかあなたと話をしてみたいと思っていたのだよ。だから今日見かけて、礼を言おうと思ったのだ。ありがとう」
「まあ、いえ! 殿下は私の憧れですので!」
エーリク! 一体何を伝えているのよ! よくやった!
そんな感動に打ち震えている私に、殿下が意味深に笑って内緒話をするようにささやいた。
「今度二人でゆっくりお茶でもいかがですか?」
「まあ! 光栄でございます。ありがとうございます」
「ではまた連絡するよ」
そう言われて、私は天にも昇る気持ちだった。
のだけれど。
その直後、駆け寄ってきたエーリクにことの次第を伝えたらとっても驚かれて、そして怖い顔になったのだった。
「お茶に招待だと?」
「そうなの! 今度二人でお茶でもって! エーリクのおかげよ!」
「それはまずいな」
「えっ!?」
その後私は、急に何か焦るような顔になったエーリクに兄を呼びに行かされ、急かすように馬車に乗せられて、家へと送り返されたのだった。
家に着くと、エーリクも一緒に馬車を降りる。
玄関先まで送ってくれるのかと思ったら、一緒に中まで入って来た。
そしてそのまま兄様とエーリクと私の三人で応接室での話し合いの様相だ。
ええ、なんで……?
でもエーリクから事情を聞いた兄様も驚いたあとに怖い顔になったのだった。
「よりによってフロレンスか。困ったな……」
「どうする? このままではまずいぞアルバート」
「ちょっと、まずいって何なの? 普通にお茶会でしょ? まさか私のお行儀がまずいとか言うんではないでしょうね? ちゃんとやる時はやるわよ」
そんな私を複雑な目で見る二人。
ええっと……なんだか空気が不穏なんですが。
父様が領地に行っていなかったら、父様も呼ばれていそうな感じなのはなぜ?
「お前いつ殿下に言ったんだフロレンスのこと。迂闊じゃないか」
兄様がエーリクを睨む。
「まさかこんなウブな娘に手を出すとはさすがに思わなかったんだよ。しかし俺もいつ言ったんだ? 覚えてないぞ。少なくとも最近じゃあない」
「ウブってなんなの、失礼な。狙うってなによ」
思わず文句を言う。
「ウブだろうが。ガドウィ様が『二人きりのお茶』に誘うことの意味を知らないんだから。アル、お前教えて無かったのか」
「え? お茶はお茶でしょ?」
「だからウブだって言ってるんだよ。この女学校出たてのデビューしたてが。まさか僕から妹に教えることになるとは思わなかったがいいか、フロレンス。ガドウィ様が女性を『二人きりのお茶』に誘うということは、愛人になれと言っているも同義なんだよ。それでも今までは跡継ぎのいる既婚の女性や未亡人が主な相手だったんだ。未婚の令嬢を誘うことはなかったのに。母様も教えていなかったのか。結構有名な話だぞ」
えぇええ!? なにそれ!?
「男爵の娘だからと軽く見られたか? だがれっきとした貴族の娘だぞ。遊んでいい相手じゃない!」
兄様が怒っている。
「ご自分の婚約が決まって焦ったんだろう。正式に婚約した後で堂々と愛人を囲うことは難しいからな。特に相手がロスターニャ侯爵家だ。もしかしたら今までの相手は逃げたのかもな」
「だが婚約期間にエリザベス嬢に手を出すわけにはいかないからな。それでも婚約期間に気軽に遊べる相手が欲しいのか? そしてそれには自分に憧れている何も知らない娘が手軽だと? くそっ婚約期間くらい大人しくしていればいいものを」
「こっそり会って、もしバレても正式に側室にすればいいとでも思っているのかもしれない。相手が未婚ならそれが出来る」
ええ……まさかそれ、本当にガドウィ様の話……?