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それぞれの考え

 ヒスイたちも、事実に気付きつつあるようだと、オキからの連絡を受け、日本の捜査隊は緊張を孕みつつ出国した。

 見送りに来たエンは、市原葵と高野信之と共に空港に来ていたが、関東から再び出てきた森口律とばったり会って、その話を耳にした。

「オレたちが行っても、邪魔にしかならねえからな。こっちでやきもきしてるしかねえ」

 警告を耳にしても、同行出来ない市原は、苦い顔で呟く。

「ま、そういう事だ。意外に多くの保険があるようだから、大丈夫だろう」

 凌も呑気に言い、律を一瞥した。

「念のため、確認したいんだが」

「何でしょう?」

 荷物を取り、仕事に向かおうとする律に、銀髪の大男が問いかける。

「お前、シュウレイに、余計なものを土産にやってないか? 目くらまし的な何かを?」

「……」

 黙って見上げる女に男はゆっくりと報告した。

「セキレイの所に様子を見に行ったら、部屋に軟禁状態のはずのシュウレイが、消えていた。オレが部屋に入ったら解ける程度の目くらましだったが、中にいたのがあの現場にいるはずの女だった」

 考える顔になった律は、問いかける。

「もしかしてあの人、あなたの弟子の一人ですか?」

「カスミの子供なんだから、どういう敵が出来てもおかしくないからな。処世術と護身術くらいは教えた」

「護身術……あなた、その感覚で、他の方達にも教えていたんですか」

 女は溜息を吐いてから、答えた。

「あの人には恩があったんです。仇に借りを作りそうな事態を、最小限の被害で抑えてもらいました。だから、何か欲しい物をと申し出たら、私の趣味のものに興味を示してくれまして……同じものを三個ほど、差し上げました」

「三個もか。一つは使っていたが、もう二つどこで使う気だ?」

「一つは、使っているようですよ」

 昨日の報告で、オキはある女の動きを気にしていた。

 ヒスイも驚いていたようだから、余程の腕前なのだろう。

 だが、それまではそういう様子を伺わせていない。

 つまり、それまではひっそりと履歴通りの女として動いていたのだろう。

「だからか、現地にいる調査員も、シュウレイを知っている。気づいているなら、すぐに報告があったろうからな」

「あの社長、また取り乱しているんですか?」

「いや。身代わりの女は意識がなかったんで、そのままカムフラージュして来た。セキレイが乗り込んだら、現場はとんでもないことになるからな」

 何でもないように答える男に、律はゆっくりと頷いた。

 あの現場に一時保護していた女が紛れ込んでいる事は、内密にしてほしいと伝言を受けていた。

 言われなくてもそのつもりだったが、気づいた相手は自分たちの危惧も承知していた。

「……あなた、セキレイを知っているんですか?」

 二人の会話を聞くともなしに聞いていたエンが、穏やかに問いかけた。

 それを意外に思いながら凌が頷く。

「ああ。シュウレイが生まれた頃から知ってる」

「……そうですか。全く、あなたたちは、周囲の者の子供はすぐに気に掛けるくせに、どうして自分の血の繋がった子供を見つけきれないんですか?」

「どうしてだろうな。子供が出来ると言う事が、奇跡みたいに思える家柄だからかもな」

 だから、子だくさんのカスミが羨ましい。

「しかも、『孫』まで出来ているとは、驚きだった」

「孫?」

 思わず驚いてしまった律に、凌は真顔で頷いた。

「この間の身内の集会で、ややこしい事になったと言っただろ。セキレイが行けば一目瞭然だったんだろうが、まさか、あんなことになるとはな」

「親父さんがもう少し考えてくれれば、こうはならなかったでしょうね」

 お蔭で今、本当にややこしい事態になっている。

 ただでさえ、ややこしい事件の現場なのに。

 事情を知る男二人は苦い顔だが、相変わらず説明が足りない。

 全くと首を振り、時計を見た律はその場を立ち去ろうとしたが、その前に市原に呼び止められた。

「あなたは、今回どんな御用でこの地に?」

 何気ないようで、何となく察している問いかけに、律は微笑んだ。

「雇い主の調べものです。この空港から移動した方が速いようなので」

「……」

「ご心配なく。あの子は、単に情報収集のために雇い主に話を吹き込んだんです。それを承知でこちらも動いている」

「場所は、分かってるんですか?」

「見当程度ですが。雇い主の細君に収まっている者のことは、あなたもご存知でしょう?」

 そんな律から、後ろで会話する連れたちを伺い、声を潜めた。

「数日前は、随分取り乱してたんですが、あんたの時は、どうでした?」

「あなたにも、連絡があったんですか。しかも、数日前って……蘇芳の元に連絡が来たのは、昨夜ですよ」

 その時は、いつも通りだったと答えると、市原はほっと溜息を吐いた。

「そうですか、それならいい。あんな状態で、あの人たちの相手なんか、難しいだろうし。もう終わったことで、今更混乱してもどうしようもないと、腹をくくれたんだな」

「あなたの実家の事を、自分が調べたらすぐに知られるからと、こちらに話を持って来たらしいのですが、あなたの叔母に当たる女性の死が、あの子にどうしてそこまでの衝撃を与えたんでしょう?」

 純粋な疑問に、大男は黙り込んだ。

 小さく息を吐いてから、更に声を潜める。

「オレとしては、調べるだけじゃなく、伯母さんが、あの家を壊滅するくらいに動いて欲しい。当時、あいつを散々振り回しちまったし。そんな理由であんなことになっちまったと今更分かったって……」

「それはするなと、あの子本人が釘を刺して来たようですから、諦めて下さい」

「……ったく、相変わらずそういう根回しは完璧だな」

 思わず本音が大男の口から洩れ、律が微笑んだ時、携帯電話の音が鳴り響いた。

 正確にはマナーモードのバイブ音だったが、受信の手ごたえは充分で市原は懐から携帯電話を取り出した。

「……?」

 知らない番号に首を傾げて出てみると、知っている声が聞こえた。

「なっ、何で、あんたがこの番号……っ」

 ぎょっとした声は予想以上に響き、会話を弾ませていた男たちも振り返る。

「は? 何で、それを……」

 目を剝き、何とか反論していたが、市原はやがて固まって視線を泳がした。

 何事かと見返すエンを見つめ、ぎくしゃくと携帯電話を差し出す。

「……お前に代われと、言ってる」

「は? 誰が……?」

 そんな相手はいないと首を傾げる男に、引き攣った顔で大男は謝った。

「すまねえ、誤魔化しきれなかった」

 押し付けるように携帯電話を手渡され、納得できぬままに電話に出る。

「お電話、代わりましたが……」

「やっぱり、葵ちゃんと一緒だったのね」

 心臓が凍り付くかと思う程に、エンが固まった。

 やんわりとした男の声は、その様子を想像して人を食ったような笑いを浮かべるさまが、すぐに予想できるほど身近な知り人のものだ。

「久しぶりに声を聞いたけど、心配するほど病んでいるようでもないわね、安心したわ」

「ど、どうも……どういった御用で、わざわざ市原さんの電話に?」

 体を強張らせたのは一瞬だったが、その様子は異常なものだと思ったのか、その場を立ち去ろうとしていた律も、手持無沙汰で土産屋を遠目で見止めて歩き出そうとしていた凌も注意を向ける中、エンはいつも通りの声音に戻り、やんわりと問いかけた。

「いえね、別に、今はあなたの事をどうこう言うつもりは、無いんだけど……ちょっと、意見を聞かせて欲しい事があるの。聞いてくれる?」

「何でしょう? あなたが、オレなんかに意見を求めるなんて、珍しいですね」

 いつものように茶化しながら、エンは電話の主の話を聞いた。

 それは、電話の主が携わっている仕事の話だった。

 昨日の昼間に起こった、敵対している者たちの奇妙な動き。

 身を隠していたロンや、メルだけでなく、ヒスイまでも怪しむような動きを見せた若者たちの話だった。

「こちらも三人いたんで、一人ずつに張り付いてたのよね。だから、ここまで動きを観察できた。ねえ、エンちゃん。この中に、セーちゃん、いるわよね?」

 話を聞きながら、エンは叫びそうになっていた。

 これは、気づき始めていると言うレベルではない。

 大っぴらに、自分の正体をさらけ出す行為を、あの三人は自らやってしまっている。

 あの馬鹿猫っ、大袈裟は困るが、状況説明は正確にしろっっ。

 この場にいないオキに心の中で毒づきながらも、エンは表面上穏やかに答えた。

「どういう状況下でそうなったのか、言葉だけでの説明では判断できませんけど、居ないとも言い切れない所が、難儀ですね」

「……そうね、今のあなたの立ち位置なら、そう答えるかしら。ありがとう、それで十分だわ。葵ちゃんや信ちゃんには、謝っててね。そちらの捜査陣、間に合わないかも」

「待って下さい、あなただって、この国の警察関係者でしょうっ? 犯罪の手助けする気ですかっ?」

「仕方ないじゃない、宣戦布告してきたのは、あの子の方よ。こうなったら、完全敗北させて、泣いてもらうしかないわ」

 楽し気な声に、思わず叫んでいた。

「あんた、まさか、汚い手を使う気じゃあ……」

「仕方ないじゃない、それも覚悟の上じゃなきゃ、あの子もあたしたちを敵に回そうなんて思わないでしょ? 実際、虚をつくのが難しいけど、出来ない事じゃないわ」

「ふざけ……」

「やめた方が、いいですよ」

 珍しく怒りをむき出しにしたエンの傍で、電話口に向けて言葉を遮った声があった。

 それほど大音量での会話ではなかったはずなのに、ロンの話を聞いていた律が近づいて、携帯電話の通話口に声を投げたのだ。

 冷静な声音に、我に返った男に微笑み、携帯電話をそっと奪う。

「旦那、随分余裕がないようですが、その手は、やめた方がいい」

「律ちゃん? あなた、まさか、オキちゃんに、何か入れ知恵した?」

「人聞きが悪いですね。あの人は、敵に回したくない相手は、本当に回さない素直な人なんです。相談を受けることはしましたが、知恵を貸したわけではないです」

 答えながら女は、目を細めて歩み寄る凌を手で制する。

 微笑んで頷く律に困った顔で頷き返し、足を止めたところで立ち尽くす男を見届けてから、女は言った。

「あの子の言ですが、自分の気力次第でどうにでもなる事は、弱点とは言わないそうですよ。だから、あなたが考えている手は、通じないです」

「そういうはったりが通用するほど、浅い付き合いじゃないんだけど」

 高らかに笑う男に、律は更に微笑みを濃くした。

「はったりじゃなく、警告のつもりなんですが」

「何ですって?」

「まあ、やって見れば分かりますよ。なぜ、オキが、敵に回したくないと考えているのか、嫌と言う程分かりますよ。見てるこっちが大打撃を受ける、そう言ってましたから。私も同意見です。だから、今のうちに言っておきます。ご愁傷さまです」

「……部外者に何と言われても、今回は、負けないわ」

 固い声になった男は、捨て台詞を残して一方的に電話を切った。

「……自分から電話をして来ておいて、相変わらず勝手な人ですね」

 呆れながら電話を持ち主に返し、律は凌を見た。

 見られた男は困った表情のまま、女を見返した。

「ヒスイの子供として、紹介した子が嫌いなのか、ロンの奴は」

「……」

 思わず目を見張った女に、慌てたようにエンが言う。

「蓮は、見た目は子供ですが、時を止めてしまっているので、ロンの子供好きとしての枠には入らない様なんです」

「そうか、つまりあいつ……ヒスイの本当の子供が存在することは、知っているんだな?」

 凌は頷いて納得したようだが……。

 律はその二人を交互に見ながら、信じられない事実を知った。

「……自分の血縁者を見つけられない、とは、そう言う事ですか……」

 なるほど、知れば知るほどややこしい。

 頭痛がして来た女に、エンはそっと声をかけた。

「電話の方、助かりました。ですけど……本当に、はったりじゃないんですか?」

 声を潜め、言葉少なに問いかける男に、律は微笑んで見せた。

「大丈夫ですよ。最悪、そう言う手を使われるかもしれないのは、本人も覚悟しているはずです」

「覚悟してるからって、平気な訳は……」

「ええ。やるからには、平気ではないでしょうけど、その倍、相手も平気ではないと思いますよ」

 含みのある言葉にしばらく考え込むエンを背に、律は今度こそその場を後にした。

 それをそれぞれの思いを秘めて見送った男たちは、顔を見合わせた。

「どうする? 現地入りするなら、手配するぞ」

 凌の問いかけに、エンは首を振った。

 若干引き攣った笑顔で、穏やかに答える。

「それには、及ばないです」

「そうか? ひどい顔になってるが」

「これは……ロンが、これから、直面することを疑似体験してしまっただけです」

「?」

 怪訝顔の男に、高野も答えた。

「ここからは、さっきも言ったように、帰るしかありません。何せ、管轄も違いますから」

 内密で相談を受けはしたものの、自分たちは深くかかわるわけにはいかない。

 市原も頷いて、帰路につくことになった。


 いつものように部屋へ戻った時を見計らって、レンの元に客人が来た。

 ドアを開けてぎょっとして立ちすくむ若者を見上げ、女が微笑む。

「早く入れてくださいな、この格好は目立ちます」

「……なら、なんでわざわざ……」

 言いながらもすぐに女を招き入れドアを閉め、溜息を吐く。

「どうしたんだ、一体?」

 困惑するレンの前にいるのは、この場にはいないはずの女だった。

 しかも、容姿からして目立つ。

 柔らかな髪の色は薄く、肌も国柄の白さを持つ、小柄な女性だ。

 見上げる瞳は東洋人のものだが、この地に集まった女役者の中に、こんな女はいない。

 それなのに、レンは呆れて言った。

「今日は結構な動きをしてたじゃないか。いいのか? 休んでなくて?」

「昨日は、みんなが緊張してしまっていて、あなたの元に確認に来れなかったから。今日の内にその作業をやってしまいたかったの。あの人たち、そろそろ最後の仕上げをしそうな空気だったから」

 小さく首を傾げて答え、ずばり訊いた。

「あなた、どこまで人選に携わったんですか?」

「……どこまでって、この間も言っただろ」

「じゃあ、あれは偶然なのですか? 昨日のあの二人の動き、尋常なものではありませんでしたよ」

「お前が気にしてた位だから、相当なんだと思って今日は注意してたけど、何も変わりなかったぞ」

「それは、多分、どちらか一人、カムフラージュの何かを使っているからですよ。昨日、あの時だけ、それが解除された」

「……オレやヒビキが、気づかないような、カムフラージュ、か?」

「容易なものでしょう? あなたとヒビキは、術系には強くない」

 女は溜息を吐いて、言い切った。

「男役者の方々も、それなりに曲者だと思っていましたが、一人私としては困る方が混じっていましたよ。本来ならば、もう少し前に気付くべき人でしたが、そのカムフラージュの影響で、どうやら気づきにくくなっていたようです」

「……それなりに使える奴らではあるけど、そんな奴らは、選んでないぞ」

「でしょうね。せいぜい、私と同じ立場の男位だったのでしょう? あなた方が選んだのは?」

 目を逸らして天井を仰ぐレンに、女はやんわりと言った。

 女は女なりの理由でこの地に用があった。

 レンたちはこの現場に来るにあたって、都合がいい人材を選っただけだ。

 だが……。

「まさか、その親を選んだりはしないでしょう、いくら何でも」

「何、だって?」

 思わず目を剝いて女を見直す様子は、本当に知らなかったらしい。

「……コウヒが、来てるのか?」

「ええ。いつからなのかは知りません。選考の時に見かけた時も気づかなかったですから」

「……」

「ですが、気づいていたはずの子は、いますよね? 気づいていてあなた方に黙っていたはず」

「ああ、あいつなら、気づくだろうな。だが、話す必要は感じてなかったんだろ。気づかないなら気づかないで、オレとしては関係ない。というか、会ったらぶん殴ると公言してるし」

「ああ、そうでしたね。その殴る分、私にも取って置いて下さいな。まさか、弟が出来ているとは、思いませんでしたから」

 二人は頷き合い、女が真顔で話を戻した。

「では、本当に女性の方は、役者なのですね?」

「ああ、一応はな。だが」

「……」

「一人、経歴があやふやな女がいる」

「それは、もしかして……」

 目を見張る女に、レンは頷いて見せた。

「お前が気にした女二人とも、実在している、役者としてな。でも、その内の一人は、これまで消息不明だったのに、急にあの選考の場に現れた」

「そう。実際、名前はありふれているから、どこかにいても不思議ではないけど……経歴はあるんですね?」

 女に頷いてから、若者は苦笑した。

「確かに、選考の場でその女と顔を合わせた時、セイは妙に凝視してた。珍しいものを見るような、あんな顔になることは、滅多にない」

「……」

 それが関係しているのかは、女には判別できない。

 だが、目を伏せて考え、躊躇いながら一番確認したかった事を口にした。

「レン」

「何だ?」

「……カサネ様は、誰かに、剣を教えたり、していたのでしょうか?」

 レンの動きが止まった。

「何で、今更、あの方の名前を出すんだ?」

「すみません。思い出さぬようにしているのは、知っていますが、どうしても、確認したいのです。だから、変装を解いて、真面目にここを訪ねたのです」

「別に、思い出さないようにはしてない。分かってるのか、今回の映画の話、もろにその方と周囲の方々の話じゃないか」

「ええ。私も驚きました。まさかあの話を、こういう話にしてしまうとは」

 女は溜息を吐き、映画の話を思い浮かべる。

「地獄で大笑いされているかもしれません」

「してるだろうなあ」

 弱々しく笑いながら頷き、レンは眉を寄せる。

「昨日気にしていたのは、これか? まさか、女の一人が、あの方と同じような剣の使い方を?」

「同じようなどころか、そのものに見えました。だから、お弟子の一人でもいたのかと」

「僧侶としての弟子は多かったけど、剣術を教えた様子は、なかったぞ」

「では、あの方ではなく、同じ流派の方が、伝えたのでしょうか?」

 だとすると、この数百年間、廃れなかったのは称賛に値する。

「結局お子も出来なかったし、その可能性が高いな」

「ええ」

 二人で納得し、女はその剣を使う女の名を上げる。

「……そうか。まさにその女だ、消息があやふやな役者と言うのは」

「そうですか。それは単に、目立つ動きをしないだけ、なのかも知れません」

「一応気に留めとく。そろそろ戻った方がいい。誰が部屋から出て来るか、分からないから」

 女がそっと部屋を辞して言った後、レンは難しい顔で呟いた。

「何でこんなことになってるんだ? しかも、今になって露見するなんて。何かしらの意図があるのか……?」

 昨日の動きで、完全に警戒されているこの状況で、三人が意見交換するのは危険だ。

 今は、どんな疑問も宙ぶらりのまま放置するしかない。

 まあ、これらの事が、この件に不利に動かなければどうでもいい事だった。


 やはり、これ以上いるのは危険だ。

 ゲンは思いきることにした。

 この現場の事は気になるが、どうやら日本の警察が本格的に動き出したようなのだ。

 そうなると、どこからか、家族にも知れてしまうだろう。

 祖父の名を借りてきた手前、ここで警察と顔合わせして疑われてしまう訳にはいかない。

 男は少ない荷物をもって廊下に出、静かに歩き出した。

 食堂を通って出口に向かうべく足を速めていたが、すぐに立ち止まった。

 食堂に、誰かがいる。

 声を潜めて会話しているのは、演出の二人の男女だ。

 体形は同じくらいなのでどちらがどちらかは分からないが、今会いたくない人物なのはどちらも変わらない。

「……つまり、あの時は、いなくなってたんだな、やはり」

 ヒビキの声は、いつになく固く聞こえた。

「もしあの話通りなのなら、オレが気づかねえ筈はない。だが、お前はそう思うだけの理由があった。確信も、あったんだろう?」

「そんなこと、もう関係ないだろう。終わってしまった事だ。今更、あんたが気にすることではない」

 答えるセイの声も、若干固い。

「今だからだ。もう妨害は起こらねえはずだ。なら、腹を割って、こちらの意見も話しておきたい」

「妨害はない代わりに、いつ相手が行動するか分からない状況なんだが」

「今は大丈夫だ。特にここは、どこから奴らが侵入しても分かりやすい位置にあるからな」

 ヒビキは声を改めて問いかけた。

「ルリは、レンの子供を身ごもってたんだな?」

 知った若者の名とその子供と言う単語が、ゲンに危うく声を上げさせるところだった。

 悲鳴を上げそうになって、男は必死で口を押えたが、相手に反応がないからと安心できなかった。

 廊下をそっと動き、部屋に戻ろうとする。

「だが、レンがあの女を手にかけた時は、確かにいなかった。と言う事は……それ自体が、あの女の錯乱した理由だった、ということだな?」

 衝撃的な事を確認の形で問う女の声に、ゲンは振り返っていた。

 その言葉をゆっくりと反芻してみるが、意味が分からない。

 なぜ、妊娠しているはずの女からその傾向がなくなり、それが錯乱に繋がったのか。

 いや、錯乱したのはいなくなったからだと言うのは分かるが、どうしていなくなる?

 それに、レンが、好いた女に手をかけた?

 廊下の壁に背を預け、混乱を鎮めようとする男の耳に、セイの静かな声が聞こえた。

「本人がいない今、もう想像するしかない。だが、そうだな。葵さんは、ルリが告白してきた後、病院を頼って検査をして、医学的にも確かだという結論を出した上で、私の元へやって来た。ルリと一緒に」

「つまり、それ程、腹の子はでかかったんだな?」

「男の子だったそうだ」

 性別が分かる位には成長した胎児が、ヒビキが会った時にはいなかった。

「初対面が、錯乱状態だったからな、一度ぐらい会ったことがあるのなら、お前のあの時の反応をおかしいと思えたんだろうが……気づけなかった、すまん」

「あんたが謝ることはない」

 答える若者の声は、相変わらず静かだった。

 不自然なほどに。

「本当に謝らないといけない奴らは、他にいるからな。そいつらの所まで、この鬱憤は持っていくつもりだ。だから、本当に、気にするな」

 言い聞かせるようにそう言い、セイは少し笑いながら続けた。

「あんた、そんな話するために、ここにいたわけではないんだろ? 早くしないと、部屋に逃げてしまうぞ、ゲンが」

 急に名指しされ、今度こそ悲鳴を上げてしまった。

 踵を返し、部屋に戻ろうとしたその襟首を、背後から攫まれる。

「そうだった、お前だお前、そろそろ、逃げる気で動くだろうと思ってたんだ。話がある、ちょっと来い」

「お、オレには、話なんかないっっ」

 低い位置から襟首を攫まれて息が苦しい中、ゲンは必死に反論するが、ヒビキは構わず食堂の方へ歩き出す。

 引きずられるようにセイの傍まで連れていかれ、乱暴に椅子の一つに座らされる。

「あのなあ、お前になくても、オレにはあるんだ、黙って話を聞けっ」

 テーブルに顔を押し付けられるゲンを、苦笑気味に見ながらセイは立ち上がった。

「じゃあ、私は、戻る」

「ちょっ、待って下さいっ、さっきの話……」

「そんな話より、まずは、お前の子供たちの話を解決するぞ、塚本の跡取りの小僧っ」

 いつもよりも厳しい声音の女の迫力ある言い分に、ゲンは思わず顔を上げた。

「何のことですかっ? オレは……」

「裏取れてんだよ、操の産んだ子供が、お前の種だと言う裏がなっ」

「違うっ」

「とぼけんじゃねえっ。お前、どんだけ、操が苦しんでると思ってるっ? 大体、掟だろうが何だろうが、女子供を守る決意をするのが男だろうがっ、こんな所で命を捨てる決意をする馬鹿が、どこにいるっっ?」

「いだだだ……」

 関節技を掛けられ、本当の悲鳴を上げる男を見下ろし、流石にセイが窘める。

「ヒビキ、乱暴は程々にしてやれ。話せるものも話せなくなる」

 ようやく落ち着いたのか、ヒビキはゲンから身を離したが目は厳しいままだ。

「お前も座れ。今日はきっちりと話を聞かせろ」

「そこまで話せないと、前にも言っただろう。掟云々の話は、全く触ったことがない」

「お前がそんなだから、このケツの青いガキが浅い考えで命知らずな行動に出るんだっ。ちっとは反省しろっ」

「だから、その話は、現当主にまずは話を聞かない事には、説明できないと……」

 宥め口調で言う若者を、突然顔を上げたゲンはまじまじと見つめた。

 それに気づいてセイが男を見下ろす。

「何だ?」

「……まさか、あんた……」

「ああ、実際に顔を合わせるのは、今回初めてだったか?」

 やんわりと答える若者を凝視していたゲンは、徐々に今の状況を自覚する。

「……逃げるなら追う気はないが、この状況で逃げても逃げきれないと思うぞ。この人、多少の術なら、掛けられる前に相手を潰せる。君の所の元祖ならまだしも、君程度ではすぐ捕まる」

 やるからには、気づかれぬ方法しかないと釘を刺され、男は蒼白になりながら唾を飲み込み、腹をくくった。

「分かりました、逃げません。ですけど、あんたは、何者ですか? 池上家の、知り合いのようですが?」

 ヒビキの方へと目を向け、ゲンが問いかけると女はにんまりとした。

「それでいい、受け身で弱腰の男は張り合いねえからな。オレは、池上の雇い主の知り合いだ。操の事はな、まだ胎児の頃から知っている。母親の腹の中でぽこぽこ暴れていて、可愛い娘だった」

 次元が違う可愛がり方だ。

 若者が小さく笑うのにも構わず、ヒビキはまた表情を険しくした。

「子供が出来たと知ってから、出産するまで、操は男の名を出さなかった。堕胎も拒否し、親のどんな叱責にも耐えたと言うのに、お前の名を出して、お前が何をしようとしているのかを聞いた途端、子供二人抱えて病院を抜け出しやがった」

「え……?」

「散々探して見つかった先は、無人駅のホームだったそうだ。この意味が、分かるか?」

 どの列車も素通りする駅のホームで発見された、女とその子。

 頭の中が真っ白になって、自分が何をしたのか一瞬分からなかった。

「操はっ、無事なのかっ」

 目の前に迫ったヒビキの顔に驚きが浮かんだが、すぐに破顔した。

 我に返ったゲンは、自分が女の胸倉を攫んで詰め寄っていた事実に気付く。

「す、すみませんっ」

 思わず突き放すようにヒビキから身を離し、勢いのままに謝ると女は意地の悪い笑顔で言った。

「池上はそこまで無能な家柄じゃねえよ。操は確かに無人駅にいたが、ホームに入ったところを保護されたそうだ。ただ、説得が難しかった。あの人がいない世で、あの人の子供を育てるなんて、意味がない。そんなことを口走って、中々近づかせてくれなかったらしい」

 自分が居合わせていれば、多少強引にでも連れ戻せたのだがと、ヒビキは説明した。

「今は退院したが、その無理がたたって入院が伸びたらしい。ガキどもはどちらも健康だそうだ」

「……」

「お前、大したもんだぞ。あの娘が本気で惚れる奴なんか、現れねえと思ってた。それを、ああまで言わせたんだからな」

 今まで見せたことのない、優しい顔のヒビキを凝視できず、ゲンは目を逸らした。

「国で報道される可能性のない場所で、塚本が楽にもみ消せる事件。探せばいくらでもあるが、それが偶々この地のある事件で、まさか我々の仕事の現場に侵入してくるとは。面白い偶然があったものだな」

 セイのその言い分で、ゲンは初めから正体を知られていたと知る。

「だからですか? 昨日、あんな動きをしたのは?」

「あれは、偶然だ。本当は、夜に動くつもりでいた。……子供の方は、助かるかどうか分からない程、薬で弱っていると分かっていたからな」

 実際、まだ子供の意識は戻らず、危機を脱していないとレイジも言っていた。

「あの件を把握済みと言う事は……大元の事も、ご存知なんですね?」

「まあな」

「どうしてそこまで? この現場だけでも、手一杯なのに……」

「どうしてと言われても、性分だからとしか、返せないな」

 穏やかに返され、ゲンは唸ってしまう。

 そんな男から目を離し、セイは今度こそ部屋に戻るべく歩き出す。

 それに構わず、ヒビキは改めてゲンを見据えた。

「兎に角、この場は操の免じて大人しくしていろ」

「大人しくって、ここでそんなことが出来るんですか?」

 これから起こるであろう事を予想して、ゲンは呆れて返す。

「少なくとも、お前がやろうとしている事よりは、大人しくて済むはずだ。だから……」

 説教モードのヒビキが、不意に言葉を切った。

 同時に振り返って、セイの背中を見る。

 歩き出していたはずの若者は、そこで立ち尽くしていた。

 セイと向かい合わせで立つ女を見て、ゲンは思わず目を見張る。

「……お話し中でした? 御免なさい」

 ゆっくりと言い、笑いかけたマリーに、ヒビキは黙ったままだ。

 代わりに答えたのは、セイだ。

「重要な話ではあるが、聞かれて不味い話はしていない」

「そうですか。丁度良かった、あなたにお返ししたいものがあって、部屋を訪ねる所でした」

 ゆっくりと言い、差し出した手にある物を見て、ゲンが目を瞬く。

「……苦無?」

「あなたのでしょう? あなたが投げたのを見たんですけど」

 差し出した先のセイは、穏やかに笑って答えた。

「ああ、私のだ。拾ってくれて、ありがとう」

 受け取ろうとしたとき、女が動いた。

 持っていた苦無を手の中で滑らせ、何の動きも出来なかったセイの首筋に、刃を突き付ける。

 緊張して立ち上がった二人を一瞥して牽制すると、そのまま若者を見下ろす。

「あなたには、尋ねたいことがいくつかあるんです。よろしい?」

 緊張感で張り詰めた中、マリーを見返したセイは穏やかに返した。

「どういった事が、知りたい?」

「そうね、色々あるんだけど……」

 首を傾げ、そのまま問いかける。

「昨日のあれは、どういうこと?」

「知っててここに来たんじゃないのか? あんたが化けてる人の、兄弟夫婦が巻き込まれた件なんだが」

 穏やかな口調のまま、若者は答えた。

 そして、ゲンに声をかける。

「ネット上でのこの国の風土話、話してやってくれ」

「は、はい」

 思わず返事をして、男は説明し始めてしまった。

 その話は、どの国にもあるような、おとぎ話の類の戒め的な要素を含むものだった。

 仲のいい家族を妬んで、試練を与える化け物の話だ。

「……それを訊くつもりじゃなかったんだけど……感想としては、今の世でそんな話を信じる者がいるのが、驚きだわ」

 マリーが笑うと、ゲンは首を竦めた。

「その話を信じてたわけじゃない。実際に起きている件が、その化け物の起こしたものと恐れられている、と言う話に興味を持ったんだ」

「その一つが、昨日のあれだ。未遂で終わったがね」

 マリーは納得したのか深く頷いた後、再びセイを見下ろして切り出した。

「あなた、当初は、あの子供を見殺しにする気だったわね?」

 ひんやりとした空気が、食堂を覆う。

 緊張している二人と対照的に、セイは全く変わりない笑顔だ。

「ああ。当初は、そのつもりだった」

「そう、結果的にそれはやめてくれたから、良しとするけど、不思議だわ。あなた、自分で決めた事を、あっさりと覆す人に見えないのに、どうして気を変えたの?」

「……どうして? 大体の答えは、分かっているようなのに、答える必要があるか?」

 聞き返しながら、若者は女の手首をつかんだ。

 苦無を持つ手を己の首から引きはがしながら、穏やかにマリーを見上げる。

「返してもらえるのは有り難い。私にとって、これは大切なものだ。代わる物は今後ないと言う程に。その礼に、一つだけ忠告しておく」

 苦無を持つ女の手を離さず、その手に力を込めた。

 一瞬、目を見開く女に、ゆっくりと告げた。

「どこまであいつの意図を汲んでいるのかは知らないが、邪魔だけはご遠慮願う。ここで、その姿を消し去る位なら、私も出来る」

 声音は変わらないのに、マリーが真顔で頷いた。

「……分かったわ。それに、意図も何も、ここで何があるかも、殆んど知らされていないの。ただ、余暇を潰すためだけの行動が、変な事件を意図せず作ってしまった、そう聞いてるだけ。私は私の目的がはっきりしたから、それで満足してる。昨日のように手助けが必要なら、納得いく範囲で手助けするわ」

「それは助かる」

 穏やかに笑いながら、セイは続けた。

「そちらの人も、同じ考えなら、いいんだが?」

 ヒビキがゆっくりと、別な方向へ振り返った。

 若者が言いながら目を向けた方を見たゲンも、そこに立つ女を見てぎょっとする。

「あんたが脅しをかけるなら考えるけど、そう言う気はないみたいだから、引き受けてもいいよ」

 しばらく前から立ち尽くしていたシュウが、セイの呼びかけに答えて苦笑した。

「男たちは並み以上のプロを固めていたけど、まさか、こんな人も一緒とは。そこまで、ヒスイと言う人と周囲の人は、警戒に値する人なの?」

 マリーは女に笑いかけ、若者には呆れたように問いかける。

「この人は、あなたとは違って、途中から代わっていたんだ。待ち合わせ場所に現れたこの人を見て、どんなに驚いたか」

「そうは見えなかったけど?」

 シュウが首を傾げ、驚きの連鎖で反応が乏しくなったゲンを見た。

「驚くって言うのは、そこの子のような状態を言うと思うけど」

 ヒビキが目を細め、シュウに声をかける。

「……お前、それ、律の……」

「あんたも知り合いなの? あの狐さんと? 私、あんないい狐、初めて会ったよ。別に大したことしてないのに、御礼ってこれくれたんだよ、三つも。ただ、暴走気味の坊やを止めて、この子の傷の応急を手伝っただけなのに」

 あっけらかんと言われて少し唖然としながらも、ヒビキは頷いた。

「……そりゃあ、礼に値するな。師匠の仇の親族を傷つけて、下手に借りを作りたくはねえだろうからな」

 納得してから、少し考える。

「どんだけヤバイガキを保護してんだ、あいつ」

「応急って、焼き塞いだだけなのに、そう言う?」

 笑いながらマリーが感想を述べると、シュウは首を竦めた。

「他にどうしてやれって言うの? 本当に急所すれすれだったんだよ。下手に焼いたら変な神経まで駄目にしそうだったし」

「腕が一本動かなくなるくらい、気にしないと言ったんだが、何故かその場の全員に反対されてな、手間を掛けさせてしまったんだ」

「お前な、それは、他の奴には言うなよ。オレは納得しちまうが、レンが聞いた日には、どつかれるだけじゃ済まねえぞ」

「言うのが遅い。最初の夜に話したら、目が飛び出るほどにどつかれた」

 呆れたヒビキをまじまじと見つめながら、マリーはセイに声をかける。

「あなた本当に、三人の中で一番力が弱いのね。それなのに、大丈夫なの? あんな離れ技の連続を見たら、知り合いならあなたの事分かるんじゃないの? 折角初めのうちに、あんな反則紛いな手合わせして目くらまししたのに」

「反則?」

 意味不明な会話が続いて、口を挟めなかったゲンがようやく聞き返すと、シュウが説明した。

「あんたの説明、確かにあっているけど、それは、腕や指の力が強い、鍛えられた者なら出来る技、だよ。この子は、腕の力が異常に弱い」

 苦い顔で頭を掻くヒビキに笑いかけ、マリーも続けて言った。

「あれは、アレクやジャンの力を、武器を通して利用したのよね、あんなに自然体でやれる人なんて、初めて見たわ」

「あなた達は、気づいたじゃないか」

「ええ、あなた方のお相手の人たちも、見ていたら気づいたでしょうね」

 ごく自然な動きだが、その手の玄人には目極められることだった。

 だからこそ、セイはそのタイミングでだけ動いた。

「そこまで念を入れたのに、あんなところで襤褸を出すなんて。まあ、見たところ、そこまで焦ってはいないみたいだけど」

「うん、サラが撃たれた時の方が、よっぽど焦ってたね。とっさに使う気のなかった大事な物とやらで、銃弾の軌道を逸らすくらいだもの」

 もはや何の反応も出来ないゲンが、そこで呟いた。

「……銃の名手のあの人が、とんでもない外し方したと思ったら、そう言う事か」

 そんな男に構わず、若者は穏やかに答えた。

「焦る必要は、感じないからな。ある程度の準備はしてあるし、周囲も動き出している。我々は、その動きの手助けすればいいだけだ」

「……そのだけにするまでが、大変だった」

 ヒビキが、苦い顔のまま言った。

「今回はまだ良かった。どことも連絡がとれねえ状況でもなかったからな。取れなきゃ取れねえで、暴れるだけで終わったはずだが。手配ができちまったからな」

 残念と呟く女を笑いながら一瞥し、セイは女たちとゲンを見回した。

「報酬は、この映画の雇い主からは期待できないが、きちんと払ってもらえるところからもらう手はずになっている。出来れば、リタイアを考えずに、最後まで参加して欲しいんだが、どうだろうか?」

 今更訊くか、と苦笑するシュウが、初めに頷いた。

「貰えるのなら、戴いて帰りたいね。家に置いて来た子への、手土産代わりに」

「……報酬は、意味がないけど……」

 溜息を吐いてマリーも頷いた。

「どういう裏があるかは、興味あるわ。このまま、居させてもらいましょう」

 女二人に頭を下げ、若者はゲンを見た。

「……いろと言うのなら、従います。その代わり……」

「それは、遅いと思う。あの女は、既にお前がここにいるのも、分かっている。案外ミヤと接触がある人だからな」

「……」

「だが、耳に入ったところで、あの女に何が出来る? それ位は、話に聞いてるんだろう?」

 掟と言う程、タブー視されていない塚本家の伝承に、元祖の女の話がある。

 それを知っていると言う事は、やはりそうなのかと、身を固くしながらゲンは重々しく頷いた。

「まあ、ミヤと意気投合する理由も、大丈夫と言える要素なんだが、それは気休めにしかならないな」

 男を見ながら、セイはそんなことを口にした。


 事が動いた、そう感じることが出来る動きがあったのは、それから五日後の夜だった。

 いつものようにヒスイたちが集まっているの林の中で、蓮はいつもと違う空気を感じたのだ。

 正体云々がばれたと警戒しているとみての動きとしては遅いが、周囲が緊張を解き始めるのを待っていたのなら早い動きだ。

 頭脳ともいうべき人物を欠いた二人しか、今夜はその場に来ていない。

 小さく鼻を鳴らしつつ、蓮はそのまま様子を見ている。

 どちらにしても、あの二人もしくは一人に接触する気なら、自分がここにいる時くらいしか、鼻を明かすチャンスはないとロンは分かっている筈だ。

 それは大間違いなのだが、蓮が正してやる必要はない。

 ただ、あの男のセイへの執着は、蓮へのヒスイの気持ちと重なる部分がある。

 思い込んでいる、と言う点が違うが、あれを相手にするセイには同情出来、こちらに動きが見られないと分かった今、ここに長居する理由はない。

 そっと身を引き始める蓮に気付かず、メルが声を潜めた。

「なあ、ロンが昼間言ってた話、本当だと思うか?」

 途端に、ヒスイは厳しい顔になり、女を睨んだ。

「その話は、聞いてねえことにするって、あんたも言っただろうがっ」

「でもさ、もし、本当だったら……蓮の奴、女運が悪すぎだろっ?」

 思わず声を張り上げる息子に張り合うように声を上げ、メルは続けた。

「あの、蘇芳って言う女狐、本当に悪い噂しか聞こえてこねえぞっ?」

 何で知ってるっ?

 まず、その疑問が蓮の頭に浮かんだ。

 だが、その言葉を深く理解するごとに、そんな些細な疑問を打ち消す、信じられない事実にぶち当たった。

「……蘇芳が、女?」

 女狐と言うからには、そういう事になる。

 しかし、見知った蘇芳は、初老の紳士の姿をした、引退した政治家だった。

「だからって、どうできるってんだっ? オレらじゃあ、あんな力のある狐、相手にできねえだろうがっ。オレに、律に頭下げろって言う気かっ?」

「下げてあの狐葬り去れるなら、そうしろよっ、お前、蓮が可愛くねえのかっ? 可愛いから、一緒に住みてえんだろっ?」

 今ここで、ヒスイの本音を知りたくなかった。

 ここまで干渉されているのに、同居まで強要された日には、蓮は発狂してしまいそうだ。

 そして、今は、このまま動かない方が、自分の為でもありセイたちの為でもあると判断するしかない事態だった。

 向こうの事情にまで口を挟んだら、今の自分ではロンに手を上げかねない。

 仕事で必要以上の犠牲は出さないのは、自分に限らずの暗黙の了解だ。

 これが計画的なら、大したもんだと、蓮は頭を抱えながらも苦々しく感心し、赤毛の親子が落ち着いて解散するまで、その場にとどまる事にした。

 蓮がでしゃばるまでもなく、ロンは嫌と言う程に思い知ることになるだろう。

 セイを大事と思うなら、絶対に敵対してはいけないのだと言う事を。



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