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私情ばかり

 役者同士の結束は、しっかりとしたものになりつつある。

 ライバル関係を通り越してしまうことはまれにあるが、結束してその先にある目標が低い気がするのは、この場では仕方ないかもしれない。

 それを提案されたのは最初の晩で、セイとレンに食堂で会った夜だ。

 この人数で、あそこまでの存在感の若者が、湯を沸かしているのに気づかなかった。

 男たちには、それがショックだった。

 何気なく話していた女たちは、いくら疲れているからと誰かの愚痴を言いふらすような、プロの役者にあるまじきことを期待されていたと知り、ショックを受けている。

「有名じゃない役者だからって、馬鹿にしているわよね」

 そう呟いたのは、マリーだった。

 その前にはしんみりとしていたのを振り払うように言われたこの言葉に、女たちが同調する。

「確かにお金に困って、一攫千金を夢見てたけど、この現場を疎かにする気なんて、ないのに」

 ティナの言葉にも頷き、シュウが提案した。

「見つけてみない? あの三人の弱いところ」

「いいわね。そこをついて、苛めてみるのも面白そう」

「若いから苛め甲斐があるわ」

 そんな三人に苦笑してアンと顔を見合わせていたサラは、控えめに言った。

「苛めるかどうかはともかく、対策は練りたいわ。今後の稽古の為にも」

「でも、どうやって? 殆ど経歴が分からない人たちなのに?」

「それとも、オレたちのようなど素人の役者じゃ分からない位、裏方に徹した演出家たちなのか?」

 探るようなコウとカインの問いに、女たちは一様に首を振る。

「知らないわ」

「と言うより、あれは、この世界の人間じゃないと思う」

「どちらかと言うと、スタントマンとか、そちらの仕事の人の方に、近いんじゃないかしら」

 それなら、名前は知らずとも顔ぐらいは見たことがありそうだが、それもない。

「まあ、私たちだってそこまでこの世界に精通しているわけじゃないから、断言はできないけど」

ティナが苦笑し、男たちを見回した。

「あなたたちほどは、素人じゃないわ」

「……」

「心配しないで。相手が素人でも、フォローできる位には、プロのつもりだから」

 マリーも言い、気不味そうな男たちに笑いかけた。

「まずは、一人ずつ分析してみる?」

「そうだな。そこから始めるしか、ないか」

 カインが頷き、視線を横に流した。

 つられてそちらに目を向けたサラが、ちょうどそこに歩いて来ていた人物に声をかける。

「あら、今晩は。用事はもう終わったの?」

「いいえ。これから、派遣の人に報告をします」

 言いながら役者たちを見回したのは、通訳として同行しているレイジだった。

「丁度いい。あんたにも少し、聞いておきたいんだ」

「何をですか?」

「今まで、あの人の部屋にいたんだろ?」

「あの人……はい」

 曖昧な主語でもすぐに誰の事かを察し、男は頷いた。

「何か、気づいた事は、無いか? 興味がある事とか、嫌な事とか、何か話さなかったか?」

 初日からそこまで打ち解けるかと、問いかけるコウも期待はしていなかったのだが、レイジは答えた。

「そういう個人の話は一切しませんでした。ただ……」

 その質問の意図が分からず、首をかしげながら続けた。

「三人とも、見た目通りの年齢じゃないと思います。もしかしたら、我々の誰よりも年上かも」

「何でだ?」

 顔を強張らせたコウに、通訳は素直に答える。

「根拠は何もありません。でも、話の節々で、僕が考え付かないようなことをおっしゃるもので・・・」

 年少者の言を蔑ろにしないように、三人ともが無意識に言葉を選んでいるようにも見られた。

「あれで?」

 先ほど、かなりショックを受けた一同は、その言い分に疑わし気な目を向けたが、レイジの方は苦笑するだけに留めている。

「ところで、セイって人の右腕、どんな状況なんだ?」

 ハンデがあるのにあの動きが出来るのは、永くその状態にあって、年季が入っているのかと思いきや、トレアの問いの答えは予想外だった。

「刃物の傷、です。刺し傷」

 まだ、生々しかった。

「肩の下あたりに、一文字で傷がありました」

 しかも、背中の方にまで貫通し、その傷が同じくらいの長さだったことから、かなり深々と刺されたのだろう。

 流石に顔を歪める一同に、レイジは続けた。

「しかも、その傷を応急処置で、焼き塞いだようなんです」

 場所が場所だけに、内側にその処置を施す訳にはいかず、表面だけを焼き塞いでもらったそうなのだが、聞いている方が痛くなる話だった。

「表面だけの処置なので、下手に動くとぱっくりと開きそうだから、あの動きしかできなかったそうです」

「あの動きって、あの、動きの事か?」

 トレアが呆れた声で返す。

 レイジの耳には、あの「程度」の動き、と聞こえた。

 黙ったまま、ジムが小さく笑い、ゲンがその心境を代弁した。

「怪我の為にあの程度しか動けなかったあの人より、他の二人は強いんだろ? オレたちがどうこうできるか?」

「実力は、体力だけが全てじゃないわ。精神面では、勝てないかしら?」

 マリーの問いに唸る一同を見回し、レイジが首を傾げた。

「精神面、と言うより、心理面では多少の疎さがあるようですよ」

「?」

 黙ってその真意を問う役者たちに、最初の顔合わせの時の三人の様子を話した。

「……恋愛事情か」

「丸投げされても、こちらとしても困る気が」

「願わくば、演出としての自覚を、明日までに持ってほしいかも」

 女たちが照れ気味に話しているのを、男たちは何とも言えない表情で見守っていた。

 そして、翌日の夜。

 レイジの話通りに話がまとまってしまい、女たちが台本片手に和気藹々と検証をしている傍で、男たちは複雑な顔になっていた。

 昼過ぎには配役が決まり、明日の読み合わせの時には完全に台詞を頭に入れておく気概で、女たちは望んでいる。

 何故かめいめいに戸惑いを浮かべている男たちを振り返り、シュウが声をかけた。

「こら、真面目にやりなよ。ど素人ならど素人らしく、あたしたちの何倍も読み込みな」

「あ、ああ。すまない」

 カインがまず我に返り、女たちに近づく。

「覚えるのは得意なんだが、演技は出来るかどうか……」

「だろうね」

「心配しないで。感情はこちらで引き出せるように持っていくから」

 シュウがあっさりと頷き、その後のマリーの言葉に女全員が頷いた。

 それをじっと見つめてから、ゲンが言葉を漏らす。

「舞台女優って、大概そんなもんなのか?」

「何のこと?」

「新人にも失敗させないように、舞台でフォローし合うのか? 一昔前は、出る芽は育つ前に摘む、って人が多かったって聞くけど」

「それは……」

 マリーが微笑んで、他の女たちと目を交わす。

「人それぞれね。それに今は、大っぴらにそれをやったら、やった方が叩かれる時代よ。よっぽどうまくやらない限りは」

「少し前にいたわね。それが上手だった人」

「新人苛めが?」

「ただその女優は、世界で知られた大女優で、舞台で新人を貶めても他の役者たちにフォローして、大成功に導く人だったわ」

 新人苛めはしても、舞台は失敗させない。

 スタッフから見たら失敗でも、客側からはそれが全く分からない、分からせない女優だった。

「『壊し屋』か」

 カインが思い当たり、その呼び名を口にすると、説明したサラも頷いた。

「結婚して引退したけど、彼女ともう一人同期の女優との通り名が、今も語り継がれているわね」

「もう一人は、確か『褒め殺し』だったな。どちらも人目を惹く女性で、役者としてはライバル同士だったが、役柄で被ったことがないから、彼女たちが出たものは全て成功を収めていた」

 懐かしそうに言ったカインが、我に返って付け加える。

「まだ、オレも新人だったけど、現場に連れて行った動物となれ合うあの人たちを見たことがある。大した女優だって、先輩たちも驚いてた」

「私も、同じ名前の名女優がいるって知って、役者を目指した位だもの。有名な人よね」

 マリーが頷き、男たちを見回した。

「ところで、今話してたんだけど、あなたたちは何か感じた事なかった?」

「何かって?」

「昼過ぎに、あたしたち、三手に分かれて散策しただろ?」

「ああ……」

 配役を決め、動く場所を実際に見て回るという名目で、役者たちとレイジを三手に分けて、三人の演出たちとそれぞれ散策に出かけた。

「まさか、やっと建物から出られた、って素直に従っただけじゃないよね?」

「いや、そこまで楽観的には……」

 出来ないというより、なる余裕は無かった。

「レンって人も大概だったけど、レイジも中々だったよね」

 シュウが今まで話していた事を確認するように、一緒に行動したサラとトレアに同意を求めた。

「どこかの坊ちゃんって感じだとは思ってたが、危機感が薄いというか・・・」

「道端に生えた、雑草に興味を持って、持って帰ってたわ」

「雑草?」

「そう。この辺ではどこにでも生えている、雑草だ」

 名前を告げると、ジムとマリーも呆れた。

「食べる物がない時は、口にするかもしれないけど、どうしてそんな草を?」

「分からないけど、レンは事情を少し知っていたみたい」

 目を輝かせたレイジに、使えそうな草なのかと気軽に聞いていた。

 試してみないと分からないと言う男に、若者は少し表情を緩めてこの機会に試してみたらいいと答え、次いで言った。

「毒見なら、オレが引き受けるぞって。効きはしないけど、加工後の成分なら分かるからって」

「毒見?」

「毒素なんか、あったか?」

「と言うより、レイジって奴、非合法の何かを製造しているわけじゃないだろうな?」

「非合法って、どの国にとってだよ」

 眼を鋭く光らせたコウに、カインが苦笑する。

 国によって薬の類の境がまちまちなのは、昔からだ。

 とにかく、適量の雑草を摘むレイジを見守りながら、シュウはレンにきわどい質問をした。

「恋愛に結び付くまでに至ることは、殆んどないって」

 容姿の幼さのせいで、女も殆んど近づかないし、近づいてきても母性をくすぐられての延長戦上での関係にしかならないらしい。

 ただ、答える前に苦笑して、尋ねた。

「セイの奴か? こっちに話を持って行けって言ったのは?」

 頷くとやれやれと首を振って、あっさりと答えてくれたのだった。

「ああ、それ、ヒビキもそうだったわ」

 アンが言い、苦笑してから答えた女の様子を話した。

「平然としている風を装ってたけど、素直な人だと思う」

 それまでも、歩いている時によそ見をし過ぎて何かに蹴躓いていたが、ある男前との淡い恋を話した前後のヒビキは更に足元を疎かにして、何度も転びそうになった。

「その度に慌てて平静を装っていたけど、中々可愛い人だよな」

 ゲンが小さく笑いながらアンの言い分に同意し、ジムも天井を仰ぎながら呟いた。

「男には免疫がないタイプだな。見た目で判断して近づいたら、痛い目にあいそうだ」

「腕が立つ分、余計にな」

 トレアもしみじみと言い、カインとコウを見た。

「……」

 見られた二人は顔を見合わせて、一緒に行動した女たちを見る。

「私も売れないながらこの世界は永いから、自信はあったのよね……」

 マリーはそう切り出し、その言葉に頷いたティナが続けた。

「それとなく話を持って行って、聞きたい事を訊きだそうと思ってたんだけど……」

「あの人、三人の中じゃあ弱いのかもしれないが、一番の曲者であるのは間違いない」

 訊かれた事には、素直に答える。

 だが、素直過ぎるのか、はぐらかしが上手いのか、恋愛の話となると即答だった。

 さっきも言ったが、その手の事は全く経験がない、訊くなら他の二人にしてくれ。

「ああ、レンも言ってたな。もし、セイの方にも訊く気ならやめとけって。確かに閨の相手をすることは三人の中で一番多いが、それは相手の一方的な欲求の発散の行為だと、本気で思っているような奴だって」

「的を射すぎる意見だな」

「確かに好いた惚れたは、理性を抑えられない後付けの言い訳に過ぎないこともあるけど、そんなこと言ってたら、子孫も残せないわよね」

「でも、その言い方聞いてると、女性相手の話じゃないようにも、聞こえるような」

 一番若い女が面白そうに言い、シュウも頷いた。

「あの容姿ならあり得るけど、その辺の話は深く突っ込まないことにしたんだ」

「リアルな話は、オレも勘弁だったんでな」

 頭をかきながらトレアが続け、雑草を適度に摘み終えたレイジが謝罪と礼を述べて立ち上がるまでの間に、聞き出した話をまとめた。

「人の情ってのは、思い込みでも生まれるもんだ、ってさ」

「ヒビキの方は、もう少し優しかった」

 ジムが受け、アンが言葉を一句一句、思い出すように言った。

「何事も、思いつめたら、後に残るのは悔いだけだって」

 しんみりと言われた言葉だったが、ゲンはその時と同じように小さく笑った。

「残らない思いつめ方も、あるんだけどな」

 意味深な呟きに構わず、ティナが話を戻した。

「こちらは、当たり障りのない話をしてたんだけど……」

 仕事歴や家族のこと、どうすれば目標の動きが出来るようになるかのコツの伝授など、四人は歩き回りながら尋ね、その反応を見ていた。

「訊かれることには澱みなく答えてくれたんだが、伝授の件ではちょっと口ごもったな」

 人に教えることをするのは、今回が初めてだと言う。

「え。じゃあ、やっぱり……」

「ああ。ただ……」

 昨夜予想したよりも、さらに上をいく答えが返ってきた。

「演出の仕事以前に、この手の映画に参加することも、初めてらしい。普段は、護衛まがいの仕事が、主なんだそうだ」

「三人共?」

「他の二人については、あの人も知らないらしいが、役者の護衛で映画撮影の現場に行くくらいは、何度かあったと言っていた」

 弟子を持って、教える立場も経験した方がいいと、誰かに言われたことがあるらしいが、それを曖昧に聞き流して来たツケが今回来てしまったと、セイは秘かに反省していた。

 珍しく返答に困っているようなので、カインは方向性を変えた質問をした。

「どういう方法で、そんなに動けるようになったのか、訊いてみた」

 小首をかしげた若者は、それでも答えてくれた。

「生きていく上で、必要なことだったんだと。獲物になるか獲物にするか、そんな場所と時代を生きていたから、本当にしっかりとその術が身についているかも、その時にならないと分からないくらいだったそうだ」

「……レンは、すぐに答えてくれた方かな」

 ただ、理解できる答えだったかは、聞いていた方からすると疑問だった。

「相手の動きが、勘で分かるんだって」

「第六感頼りかっ」

「後は、いかにその攻撃を避ける素早さを身に付けるかに、尽きるそうだ」

 勘で動きは分かっても、防御が間に合わないと、当然意味がないからだそうだ。

「……」

「昔いた不出来な弟子は、大柄で長身な体格だったし、相手も大柄が多い。だから、小柄な相手が隙と見る場や、大柄な奴に多い弱点も伝授できると思うってさ」

 意外、と言う空気が室内に流れた。

「本当に、結構年齢いってるんだな」

「ヒビキの方はその逆で、弟子は取った事ないけど、誰かの弟子だったんだって」

 音や匂いを頼りに動いていることが多い、と答えたヒビキはにんまりと笑って見せた。

「力の弱さは、技術でカバーできる。うちの師匠は、力も技術も一流だったが、その裏をかく方法位なら、オレにも教えられるぜ」

 三人三様の答えが得られた。

 だから、苦手な恋愛などの細かな動きはこちらで考えろ、とでも言うつもりなのだろう。

 一同はやれやれと思いつつ、この日は深夜に近い時間まで話し合い、台本を読み込んだ。

 お蔭で、男性陣は寝不足である。

 動いていればまだましだが、一人一人を指導する時間では、待ち時間中が拷問に近いものだった。

 昼過ぎから、言われていた台本の読み合わせに入ったが、動かない時間であるにもかかわらず、目が冴えてきた。

 その一番の理由は、女優たちの緊張感漂う表情にあった。

 プロと自認しているだけあって、殆んど台本に目を落とさず、時には数行ある台詞を正確に音読する。

 感情移入も中々に早く、それにつられた男たちの台詞にも自然と感情が入る。

 基本の登場人物には変わりがないが、様々な恋愛事情が盛り込まれている。

 よくここまで複雑怪奇な関係性を考え付くと、昨夜も話していたものだがそれを実際に台詞に乗せると、これもありかと思えてしまう。

 最後は一同一丸となったその読み合わせは、休憩を挟んで二時間ほどで終わった。

 最後の締めの台詞を終えて、一息ついた役者たちの耳に、地の底から這うようなくぐもった声が入ってきた。

「……何だ、これは?」

 それは、黙って聞いていたヒビキの声で、どうやら最後まで読み合わせが済むまで堪えていたらしい。

 言いながら睨んだ先には、穏やかな笑いを浮かべたままのセイがいる。

「どういうことだ、これはっ」

「心の準備は出来ていなかったのか?」

「出来るわけ、ねえだろうがっ」

 穏やかな問い返しに吐き捨てるように返し、ヒビキは若者に近づいて文句を投げる。

「こんな話だとは、聞いてねえぞっ」

「聞いていない?」

 見返したセイは、僅かに呆れを滲ませた。

「昨夜、私に音読させておいて、聞き流してたのか」

 表情は怒りのまま女が詰まるのを見て、セイは穏やかな笑顔のままやんわりと言った。

「あのカスミが考える話が、普通に聞き流せる類の話であるはずが、ないだろう? 特に今回は、向こうも私たちが参加することを知っているんだ。私たち自身の話を面白おかしく盛り込むのは、想定内のことだ。だから、一度は目を通して、こちらもそれなりの心づもりをしておくように、レン、あんたにもそう忠告したはずだよな?」

 途中で視線をレンに移した若者の視線の先を追った役者たちは、もう一人の若者が静かに呆然としているのに気づいた。

 ようやく投げられた言葉に反応して見返したレンは、やけにぎくしゃくとしている。

 それを見たセイは目を見開いてから、尋ねた。

「あんたまさか……英語、読めないのか?」

「……今まで、その必要のある仕事は、したことがないんだよ」

 珍しく言い訳じみた答えを返すレンに、こちらも珍しいほどに驚いたセイが、目を真ん丸にしたまま、誰にともなく吐き捨てた。

「予想外だ」

 そんな二人の傍で、ヒビキが怒りで体を震わせながら地を這うような声を発した。

「……あいつ、あそこまで、出歯亀だったのか。次に会ったら今度こそ、切り刻んでこの地の肥やしにしてやるぜ、あの変態親父がっ」

「……どこから、あんな場面を覗いてたんだっ? いくら、こっちが気づける状況じゃないからって、覗き見できる場所なんか……」

 二人の動揺を見守りながら笑顔を戻したセイが、穏やかに宥めにかかる。

「落ち着いてくれ。そんなに動揺しては、あいつの思う壺だ。それこそその反応を期待して、こんな話を盛り込んでいるんだからな」

「お前、何でそんなに平然としてるんだっ? ああいう場面を勝手に、こんな形にされといてっ」

「まさか、お前は、無かったわけじゃねえよな? 盛り込まれる可能性としては、お前の方が断然多いだろうがっ?」

 怒鳴るように責める二人の、迫力ある問い詰めにもセイは笑顔だった。

 小首をかしげて二人を見比べ、答える。

「消去法で、あんたたちの事を盛り込んだ話は、ごく一部だ。それでそこまで怒ってもいいのなら、私は、昨日の段階で怒りを鎮める作業をしなくてもよかった、と言うことになるな」

 笑いを残しながら今度は首を振り、空を仰いで見せた。

「本当に、よくもあそこまで、盛り込んでくれたものだ。そう感心出来るまでに心づもりをしてきたんだが、無駄な体力を使ったのか。勿体ない事をした」

 笑っているのに、役者たちの背筋には寒気が走った。

「この地の肥やしにするだけじゃあ、気が済まないな。今回は、方々の山頂に、五体をバラバラに埋めてみよう。そうすれば、少しはまともな頭に作り替えてくれるかもしれない」

「……」

 穏やかに笑いながら言う若者を見て顔を引き攣らせたヒビキの横で、レンがしばらく目を見開いたのち、頭をかいて溜息を吐く。

 役者の方にも顔を向けてその様子に苦笑してから、宥めようと口を開いた時、間の抜けた鳴き声が、響いた。

「ニャー」

 この地では珍しい動物の鳴き声に一同が振り向くと、そこに黒い塊が蹲っていた。

「わ、猫だ。可愛い」

 アンが思わず声を上げ、女たちが表情を緩めた。

「この辺りの子かしら? それとも、別荘地の人が置いて行った?」

「この辺りは、猫を養う習慣はない。鼠は、普通の大きさの猫じゃあ、捕れる大きさじゃないんだ」

 トレアが言い、それに頷いたマリーが続けた。

「きっと、心無い人が、置いて行ったか、帰る時に見つからなくて、そのままにしたか、ね」

 まだ、稽古中なので傍には近づかずに猫の話をする一同に構わず、ふさふさした毛並みの黒猫は、背筋を伸ばして身を起こし、歩き出した。

 その先には、何故か猫を見たまま固まっている、演出の三人がいる。

 真っすぐに歩いてセイの足に近づくと、猫は甘えた声で鳴きながらその足に顔を摺り寄せた。

「……」

 何とも言えない表情で顔を見合わせるヒビキとレンの傍で、セイは猫を見下ろししばらく固まっていたが、やがて溜息とともに呟いた。

「……どうして、ここにいるんだ? 置いてきたはずなのに」

 驚く役者たちに、セイは穏やかに詫びた。

「家に置いてきたはずなんだが、付いてきたらしい」

「へ、へえ」

 無理のある説明だと、自分でも思っているのか、若者は少し居心地が悪そうだ。

 そんな珍しい顔を眺めながら相槌を打ったカインが、不自然な出来事を振り切るようにありきたりの質問をした。

「名前は? なんて言うんですか?」

「オキ、だ」

 膝をついて頭を撫でながら答えた主を見上げ、黒猫は目を細めて喉を鳴らした。


 携帯電話に連絡があったのは、池上(いけがみ)家の一人娘がようやく落ち着き、話を訊きだそうと骨を折っている最中だった。

 黙り込んだ娘に困り果て、池上家の当主の男と顔を見合わせて途方に暮れていたとき、上野幸雄(うえのゆきお)の携帯電話が受信を知らせた。

 携帯電話類の使用のできる場所に移動しながら、その相手を確認して電話に出ると、懐かしい声が挨拶した。

「今、大丈夫か?」

「か、カガミ様っっ。ご無事でしたかっ」

「その、様呼ばわりはやめろと、何度言ったら……」

 いつもの文句を遮って、幸雄は尋ねた。

「大丈夫ですか? どこに行きついたのですかっ? すぐにお迎えに……」

「こらこら、少し落ち着け。大体、海外の辺境にいるっていうのに、すぐの迎えは、無理だ」

 のんびりとした口調で答えられたが、聞いた方は青褪めた。

「海外っ。海に落ちていたのですかっっ」

「……おい、いい加減、崖から落ちた事を前提に、話を進めようとするのは、やめろ」

 思わず悲鳴に似た叫びをあげた男に、鏡月はどんよりとした声で言い、別な方向に声を投げた。

「こらっ、そこっ、笑うなっ。お前の方も、似たようなもんだろうがっ」

 その言葉で、幸雄は別な可能性に気付いた。

「お仕事で、海外に出たのですか?」

「ああ」

「パスポートは?」

「……何で、そっちだ?」

「いや、お持ちではなかったはずだと」

「作った。お前の子供として登録したから、そのつもりで頼む」

「兄弟の方が、ありがたかったのですが」

 ようやく一児の父として落ち着いてきた幸雄としては、複雑な心境なのだが、鏡月は構わず続けた。

「蓮も一緒だ」

「え」

 思わず出た、男の不安げな声を、若者は聞き咎めた。

「何だ、蓮と一緒では、心配か?」

「いえ、そうではなくて……」

 むしろ、誰かと一緒の方が安心なのだが、今回は少し勝手が違う。

「市原さんが、その方は今、国外逃亡の真っ最中だと……」

 そういえば、市原も気軽な表情でそう言っていたと思い当たりつつも答えると、鏡月は電話の向こうで大爆笑した。

 滅多に笑わない若者が楽しげに笑うのは、幸雄としても嬉しい。

「確かに、今回は敵前逃亡をしたかったらしいが、日本では何もやらかしていない、安心しろ」

 まだ笑いを残しながら言った若者に、幸雄は改まって切り出した。

「一昨日、池上の(みさお)さんが、無事出産しました」

「ああ、そうだ、それが聞きたくて連絡したんだ。母子ともに健康か?」

「はい、今は三人共安定しています」

「……」

 受話器の向こうで、若者はしばし沈黙した。

「三人? どの三人だ?」

「操さんと、双子の子供の三人です」

「初耳なんだが」

 意外な答えに少し驚いたが、考えてみたら鏡月が操の妊娠に気付いたのは初期で、その後顔を合わせる機会はなかった。

「はい。我々も、出てきた子たちを見て初めて知りました。どうやら、相手の男もそれは知らなかったようで……」

「相手の男? 連絡があったのか?」

「はい。一昨日の夜、連絡がありました」

「中々、律儀な男だな。引き取れないと言っている割には」

 感心する若者に、幸雄はその男の様子を話した。

「男と女どちらかと問われましたので、男女の双子だと答えたら、聞いていなかったと。後を継ぐのは一人なのに、どうする気なのだと戸惑っていました」

「……」

 律儀な上に、言い分が変だ。

 無言で先を促す鏡月に、男は続けた。

「あまりに心配そうだったので、試しにそちらの家で一人引き取ってはどうかと、聞いてみましたら……」

 家の事情で結婚すらできないと、今後の係わりさえも拒否する返答を、操の口から聞いていたから、こちらとしては例え引き取ると言われても簡単に許すつもりはなかったが、相手の返答は予想よりも物騒なものだった。

「それは出来ない。そちらとの間に子供までもうけたと知られては、母子ともに消されかねないんです。勘弁してください。不義理ばかりですみません。オレが出来るのは、今後操さんと子供たちの安泰を、多少なりとも保障出来るように動く事だけです。どうか、操さんと子供たちを、末永くよろしくお願いします」

 切羽詰まった言葉をそのまま告げると、若者は軽く唸って呟いた。

「消される、とは、殺される、と言う事か? 随分物騒な男を引っ掛けたな、操は」

 口調は呑気だが、鏡月の場合、これでもまともに考えてくれている方だ。

 その証拠に、向こうでやり取りを聞いていた仕事仲間に話の概要を話して、意見を求めている気配があった。

 仕事仲間は、蓮一人ではないらしい。

 二人以上の会話のやり取りがあり、通話状態で放置されていた電話を、そのまま誰かに手渡した気配があった。

「もしもし、上野さんですか? ご無沙汰しています」

 無感情な、しかし聞き知った声に、幸雄は仰天した。

「あれ? 切れたかな?」

「い、いえっ。こちらこそ、ご無沙汰していますっ。あなたも、そちらで、同じお仕事をしていたのですかっ?」

「ええ、まあ。出来れば、うちの連中には内密に願います」

「それは造作もない事ですが……」

 セイの周囲には、鏡月以上に人がいる。

 人づてに、そのうちの何人かが心配しているのも聞いている。

あまり折り合うことがないので、内密に済ますのは本当に造作もない事だが、この三人が団結して仕事に臨んでいるというのは、珍しい上に空恐ろしい。

「随分、難しい事案なのですね」

「まあ、一言で言えばそうですけど……実は、単純な複数の問題が、一つの複雑な問題と入り混じって、傍からはより複雑に見えるだけなんですよ」

 どこが、だけ、なんだっ、と電話の向こうで鏡月の突っ込みが入ったが、セイは構わず話を戻した。

「池上操さんの妊娠と出産、私は初耳だったので、この件が終わったらお見舞いに伺ってもいいですか?」

「もちろんですとも。操さんも喜びます」

 当然と答える幸雄の言葉に、若者は小さく笑ったようだった。

 珍しい苦笑の類の笑いの後、セイは言った。

「喜んでくれるかどうかは、この件の後のあの子の安否次第でしょうね。何とか、無事に日本に戻せればいいんですが」

「は?」

「たまたま見つけて、その顔が妙に切羽詰まった感じだったんで、目が届かないところで妙な事をされるよりはと選考して連れてきたんですが、そんな事情だったとは。でも、あの子も操さんも、確か大学生でしたよね? 籍を入れたならこちらにも聞こえてくるだろうし、まだならどうやって、子どもなんか作れたんでしょう?」

「……だからな、何度も言っているように、子供ってのは夫婦として入籍しなくとも、周囲に認知されなくても、出来るもんなんだっ。いい加減に分かれっ」

「分かろうにも説明が曖昧すぎて、納得できないんだって、何度も言っただろ。じゃあ、どんな事をしたら、子供ってできるんだっ?」

 電話の向こうで、鏡月が頭を抱えている。

 何十回も交わされたであろう会話は、同じような収まり方をした。

「それは、お前のとこの奴らに聞け。オレからは、説明できん」

「オレにも聞くなよ。今更そんな説明、面と向かってできねえよ」

 蓮も先手を打って言い、納得できぬままセイは電話の相手に意識を戻す。

「あの、若」

 一人混乱して黙っていた幸雄が、ようやく声をかけた。

 名を呼ぶのは気が引けて、若者の周囲の殆んどの者が使っている呼び名で呼びかけると、セイは普通に返した。

「はい、何でしょう?」

 突っ込むところが多すぎて、混乱していた男がまず問いかけた。

「あの子、とは、どの子の事でしょうか?」

塚本(つかもと)家の長男坊です。次子なんですが、長子が早々と嫁入りしてしまったために、次期当主となるはずの子です」

「つ、塚本っ? あの塚本ですかっ?」

 思わず叫んだ男の心境を察し、セイはやんわりと返した。

「消される、と言う言葉から、真っ先に思い浮かべなきゃいけない家じゃあないんですか?」

「し、しかし……」

 塚本家は、代々薩摩の国を支えてきた術師崩れの忍びで、表社会では顔も名前も出たことがないが、隠密の間では「隠密つぶし」が、薩摩には存在すると恐れられていた。

 なぜ上野がその名を知っているかと言うと、今は弁護士を多く輩出していて上野家も懇意にしている池上家は、元々塚本家の分家だったからだ。

 初代と目される塚本の当主と兄弟だった人物が、江戸の世が栄え始めた頃から池上家として本家と分裂し、江戸の城の背後で支え始めたのが、塚本との衝突の始まりだった。

 池上家を憎み、金輪際その血を家に戻さないという家訓まであると噂されていた塚本家は、江戸が東京と名を変えた頃から次第に衰え始め、今は家の継続すらされていないものと思っていたが……。

「あいつら、まだいたのか?」

「最近、とんと話に出ねえから、滅びたもんだと思ってたぜ」

 電話の向こうで、幸雄の気持ちを代弁するかのような、会話が聞こえる。

「滅びるどころか、今じゃあ検察官を中心に、国家公務員を多く輩出している家柄になってるよ」

「マジか」

 昔のノウハウを生かせば、警察の捜査の補佐をしながら、多くの犯罪を起訴に持ち込めるだろう。

「だから、昔ほどは池上家を意識していないとは思いますけど……。そちらに戻ってから、詳しく訊いてみます。だから、今はそっとしておいてあげて下さい」

「し、しかし……」

 現在の職が後ろ黒くないからと言って、安心できる理由にはならない。

 重要なポストであるからこそ、もみ消す、と言う行為が出来るはずなのだ。

「一応、操の周りに注意しとけ。見知らぬ者は近づけるな」

 電話を取り返した鏡月が、真剣に注意を促し続けた。

「その辺の話は、これからこちらでじっくりと聞きだしてやるから」

「は、はい。お願いします」

 幸雄が答えるのを待たずに、電話は切れた。

 通話を終え、携帯を耳から放した男は、振り返って背後で立ち尽くしていた中年の男を見た。

「カガミ様ですか?」

「ああ。お仕事で、今は海外に行っているそうだ」

「海外、ですか」

「操君は?」

「疲れて眠っています」

「そうか……」

 幸雄が溜息を吐き、男に呼び掛けた。

(たける)さん」

「はい」

「もしかしたら、あの子たちの父親は、とんでもない男かもしれない」

「はい。今のお話から、そうではないかと、感じておりました」

 思わず周りをはばからない大声を出した自覚のある男は、咳払いをした。

「あの子たちの身を守るのは、難しい事ではありませんが・・・」

 顔色を変えずにいた男、武の表情が曇った。

「声でしか知らぬあの青年、一体何をする気なのでしょう?」

 切羽詰まって見えた、と言うセイの見立てに間違いはないだろう。

 もし本当にあの塚本の跡取りならば、相手の男も追い詰められているのは当然で、娘とその子供たちへの気持ちも痛いほど伝わってきた。

「若は戻ってくるとおっしゃった。それは、その男も一緒と言う事だろうから、心配には及ばない」

 話でしか知らないが、はっきりと言い切るセイの言葉は、その実績から信頼できる。

 後はその帰国後の事情解明によって、話は進むだろう。

 今は、行方が分からなかった人が、連絡をくれて一安心、と幸雄は区切りをつけることにした。


 一晩で最短ルートを使って日本へ戻り、南部の県のとある喫茶店に入ったオキは、そこの店主にあからさまに顔をしかめられた。

「申し訳ないが、ペットは入店させないでくれ」

 「舞」の店長とは違い、大柄な男にそう言われ、カウンター席で待っていたオキの連れがマスターを見上げた。

「人間に慣らされた獣が、よくそんな棚上げな言葉を吐けますね」

 細身のその人物は、色白の顔をオキに向けて微笑んだ。

「取りあえず、お帰りなさい」

「ああ。呼び出してすまない。説明は昨夜話した通りだ」

 近づきながら言い、椅子に座りながらマスターにぶっきらぼうに声をかける。

「酒はないのか?」

「……売りもんはない。とっておきを出してやる」

 顔をしかめたまま大男は答えて、上の住居の方へと向かう。

 その間に、オキは持ち帰った台本と資料を待ち人に手渡した。

 一升瓶を片手に戻ったマスターの後ろから、小柄な女が顔を出した。

「おはようございます」

 愛らしい女だ。

 栗毛の柔らかい髪を肩に真っすぐ流した色白の女は、マスターの最愛の妻である。

 朝が弱いらしい女は、まだ少し眠そうにカウンター内に入り、グラスをオキの前に置いた。

「珍しいお二人が、待ち合わせなのですね」

「構わないだろ。どうせ、閑古鳥が鳴いている店だ」

「黙れ」

 返しながらマスターは自分の分のグラスも出し、オキの分と共に焼酎を注いだ。

 不機嫌そうなその顔は、色白だがその体格に見合った強面で、天然の銀色がかった髪も、一般の善良な人間たちの足をこの店から遠ざからせる原因になっている。

 彼らは孫の誕生を機に、北国から娘の住居のあるこの辺りに転居してきたのだが、妻の容姿目当てに来る客も、男の姿で一気に引いてしまうという、微妙な売り上げ事情を抱えている。

 ただ、娘家族に近いところで暮らしたいと、住み慣れた涼しい土地を離れた男には、客足の数など問題ではない。

「朝っぱらから……」

 コーヒーを飲んでいた客が、その二人の様子を一瞥して苦笑し、手渡された資料を開いた。

 スタッフの顔写真入りの経歴書などに目を通した後、そのまま台本もめくり始める。

 テーブル越しでスタッフの写真を覗き見していた女が、断りを入れて経歴書に手を伸ばし、ある女優の経歴を開いた。

「……この子、マリーの娘じゃない?」

「ん? そうか?」

 嗅覚での判断は得意だが、写真では人間のシルエットしか分からない男が、知った者の名に反応して妻の手元を覗くが、やはり分からない。

「そんなに似ているか?」

「マリーとは似てないわ。養女だもの。でも、この子も苦労してるって聞いたわ。事情があって結婚も取りやめになって、婚約者だった人とその新たな奥さんの夫妻に、自分が産んだ子を養子に出したって」

「元婚約者の男夫妻は、引き取った子供を可愛がっているようですが、生活は厳しいようです」

 台本を読みながら説明する客に、女が目を丸くした。

「律さん、マリーを知っているの?」

「国際的な大女優でしたから。ちなみに、その資料の中にある役者たちも、知っています」

「有名な人たち?」

「ライラとマリーを欠いた今、運次第ではそうなりそうな人たちですね」

「マリーはともかく、私は国際的じゃなかったわ。急に持ち上げないでよ、びっくりするわ」

 照れながら笑う女ライラに笑い返し、律は隣で焼酎を味わっている男を見た。

「男たちの方も、中々有名どころですよ」

「オレは一人しか知らんが」

「ああ、猛獣ハンターですね」

 一人の男の資料を指さして頷くと、マスターが顔をしかめた。

「お前らが言う猛獣は、オレが思っている方の猛獣の事か?」

「そうでなくては、オレはここまで気にならん。そもそも、そいつの資料があったから、他の奴も癖があるんじゃないかと思ったんだ」

「あの、半獣のガキか。うちの倅と言い、混血は碌な奴にならないな」

「お前の種にしては、真面目な倅だと思うがな、オレは」

 マスターの息子を知るオキは、顔を顰めたままの大男に反論する。

 例の「猛獣ハンター」の方は、達が悪い。

 父親である猛獣を恨み、その種や同じようなモノの種を滅ぼすと言う目的で、その種の女に近づく。

 女の身も心も奪って一族に近づき、疑心暗鬼を起こさせ、徐々に滅びに持っていくこともあれば、一気に滅亡させることもある、人間の頭脳と猛獣の力を均等に持ち合わせた男だと、話には聞いていた。

「あの現場の近くで、猛獣が人を襲った事件があったらしい。その件で、もぐりこんだんだとは思うが」

「虎の大群が、立ち往生した列車の乗客と乗組員を襲ったとされる事件、ですね」

「虎? いつの話だ?」

「確か、その国の気候では夏の真っ盛りの頃です」

「繁殖期は、そんな時期なのか、虎は?」

「さあな。ただ、オレたちの感覚では出産は春先か秋口か、その辺りの方が、ある程度子供が育った頃に厳しい季節を迎えられるんで、求婚はその位の時期だとは思うがな」

 他の動物が、どう考えるかは分からないと首を振るオキの横で、律が資料に目を落としたまま口を開いた。

「そうでなくても、虎と言う生き物は、単独で狩りをする種です。ネコ化にもいろいろな種がいますから何とも言えませんが、群れを作って狩りをしたとするならば、虎ではなかったか、しっかりと調教された虎だったか……」

「犯行をしたのが、猛獣類ですらなかったか、だな」

「そういう事です」

 そういう事件があったと、報じられはしたが、詳しい話は全く流れてこない。

「この、他の四人のうち、二人は日本人です。どちらも、偽名ですが」

 有名な検察官の親を持つ、まだ二十代になるかならないかの男と、キャリアの刑事で三十代の男だ。

「こちらの二人は、国の首都の出身の男です」

 一人は有名な政治家の従兄弟の息子で、もう一人は名の知れた探偵だ。

「政治家の従兄弟の子供の方は、護衛もしていたようですね。この探偵も、これで中々、腕がいい」

「……」

「募集には、本物の役者も数多くいたはずなのに、ここまで脇を固めたとなると、人選した方は、現場の目的をしっかりと知った上で、選んでいます。ヒスイさんたちでは、ないんでしょう? 彼らを人選したのは?」

「ああ。その資料にもある、演出として雇われた奴らだ」

 慎重に答え、オキは事情を説明した。

「……蓮が、鏡月やセイの姿に似せた奴を伴って来たと?」

「と、ヒスイの旦那は見ている」

「カムフラージュにしちゃあ、バレバレだな」

「ああ」

「蓮君が、そこまで、ばれやすいようなこと、するかしら? そんなことするくらいなら、組んだ仲間を堂々と連れていくと思うけど」

 ライラの意見にオキはその通りと頷き、視線はそのままだが説明を聞いてくれていたはずの律に顔を向けた。

 見られている方は台本に目を落としたまま、その文面を指さした。

「この話、鏡月ですね」

 大男が目を細めて覗き込み、オキも目だけを文面に向けた。

「やだ、話には聞いてたけど、あの人、この子にこんな感情あったの?」

 ライラが口元を手で抑えたが、それでショックは隠れない。

「淡い気持ちだったとは思います。鏡月の方も、自分では認めたくないかもしれませんが」

 小さく笑う律の隣で、オキも口元だけ緩ませた。

「蓮の話らしいものもある。女の誘いに、断る理由が見つからんってだけで乗る奴だからな」

 後で苦労するというのに、と苦笑してしまった男に、律は首を傾げた。

「ヒスイさんの血縁者にしては、甲斐性があるんですね」

「あれを甲斐性と言ってもいいものかどうか」

 台本では、年上の女に言い寄られることが多い男が、一人の年下の少女に惚れ、本気で口説き落とした話がある。

 これが本当なら、おめでたい話なのだが。

「その部分だけ、創作だろうな。あの旦那は、所々にそういう話を盛り込んでいる」

 他には、血なまぐさい話も多数あった。

 男女の複雑な因縁話も、本当にあったら生々しいが、創作と割り切れるほどあり得ない話でもない。

「脚本家でも、やって行けますね、あの旦那は」

 話が盛り上がってしまったが、要はカスミも暗に仄めかしているのだ。

 蓮が、鏡月と組んで、あの場に来ているのだと。

「お前に直に会って、確認したいと思って帰って来たんだが」

「なんでしょう?」

 改まって言う男に、律も姿勢を正して臨む。

「昨夜、セイから連絡があったか?」

「ありましたよ」

 目を瞬いて答え、律は続けた。

「実は契約が終わって去るときに、暫く仕事はしないと約束させていたんですが、それが出来なくなったと珍しく神妙に謝罪されました」

「どこにいるとか、そういう話は、しなかったか?」

「そんな話、こちらが訊いても答えませんよ。あの子は、係わった事案を、例え過去の話でも軽々しく話す子ではありません」

 ロンへの報告自体、仕事の話ではなかった、と言うことになる。

「あれは、世間話だったか」

 セイの身近で気になった話題を、単に仕事と絡めて話した上で、気になったことも訊きだしただけ、と言う事だ。

 と、いう事は……。

「やはり、いるか」

 現場ではなくとも、あの国のどこかにいる。

 オキは溜息をついて、礼を言った。

「助かった。これで、何とかなりそうだ」

「そうですか?」

 資料を男の方へ戻しながら、律が返事をしたが何やら含みがあった。

「何だ、オレが失敗すると思っているのか?」

 セイが同じ国にいると言うことに蓮が気づく前に、蓮が自分の仕事に引き込む前にオキがセイと合流する。

 これは気づいたもん勝ちなのだが、律は天井を仰いで答えた。

「それは、手遅れです」

 きっぱりとした言い分に、思わず絶句した男を見返し、律はやんわりと確認した。

「その、レンと言う若者、仲間に虚勢をさせて仕事に望ませる性格じゃないんでしょう?」

「ああ。あの子は、そこまでひねくれた性格じゃない」

 カウンター内の大男が代わりに言い切ると、律は微笑んだ。

「だったら、セイも加わっていると見た方がいいです。先回りは初めからできません」

「……」

「もう一つ、根拠はあります。昨夜の電話での、あの子の反応です」

 律は、昨夜まだ日が傾いて間もない頃に電話を受けた。

 その時に、連絡がつかなくなっていることをオキが心配している旨を話すと、若者は不思議そうに問い返した。

「それほど頻繁に連絡し合っていないのに、どうしてあなたが心配するのかと尋ねるので、あなたが心配するにあたった経緯を話しましたら……」

 ロンと協力して仕事に臨むことになったオキが、セイが待ち合わせをすっぽかした後、音沙汰がないと知って、律に連絡してきた旨を聞くと、若者は沈黙した。

 ほんの暫くの沈黙だったが、その後の永い溜息が、若者の心境を明確に伝えた。

「言葉ではそういう事なら、ロンの方にも連絡して謝りますと言っていましたが、あの溜息は、諦めを含んでいたように聞こえました」

 ブランクがあって難しくなりそうな仕事なのに、敵に回すしかない相手が見えた事への諦め、だ。

「元の仲間が三人も加わっているとなると、更なる慎重さを求められるでしょうから」

「敵が下手に玄人だと、反撃もそれ相応だからな」

「そういう事です」

 そう、律もオキも、あの若者が仕事の成功を諦めたとは、思っていない。

 蓮の仕事の手伝いを買って出たのなら、その概要は知らされているはずだから、カスミが裏で絡んでいるのにも気づいていたはずで、カスミが引かなくてもそれ相応の動きで牽制しながら、成功させる気だったはずだ。

「もっとも、カムフラージュはしているようですね。だからこそ、馴染みの者たちには三人が参加しているのかいないのか、分からない事態なのでしょう」

「姿を入れ替えて望んでいる、と言う事か?」

「読み合わせを見れば、一目瞭然かもしれませんよ。ヒスイさんたちがいたら、少々不味いでしょうが、それだけでしょうね」

「だが、一つ不信な点がある。もし、あの三人が本当にあの場にいるとしたら、やはり昨夜話していたときに忍んでいたのは、蓮と言うことになるが……何で、急にあそこで気配を現してしまったんだ?」

 蓮らしくないあの反応にオキは疑問を抱いていたが、問われるままにその時の事を話すと、何故か律は困った顔になった。

「何だ? どうしたんだ?」

「いえ……申し訳ない事をしたなと」

「?」

「私も後で聞いたものですから、実際どういう事になったのかは、分からないのですが……」

 天井を仰ぎながら、律は説明した。

「実は、私の今の雇い主が……どうも、その、蓮と言う子を気に入ったようで……」

 焼酎が口に残っていたら、思いっきり吹いていたかもしれない。

「あの、キツネ野郎がかっ?」

 勢いよく立ち上がって思わず吐いた言葉に、律が顔をしかめて反論した。

「やめて下さい。その言いようだと、私もキツネ野郎になります」

「お前とは違うだろうがっ。あの、蘇芳(すおう)のように、苦も無く餌の男に近づけるという理由でその格好してるわけじゃないだろうっ?」

 立ったままの力説に、律は困ったように笑った。

「それは否定しませんけど……どの時代でも、男の方が、仕事をする上でも楽ですから」

 男装というより、男そのものに姿を変えている女は、ゆっくりとオキに着席を促し、説明を続けた。

「気に入ったと言っても、いつもの気に入り方ではないようです」

「そりゃあそうだろう。もしそうなら、蓮はあんなに元気なはずがない」

「ですが、何もなかったわけでもないんでしょう」

「……」

「単に、蓮の傍に、女の影がなかったから、助かっただけじゃないのか?」

 カウンター内で話を聞いていた男が、口を挟んできた。

「その蘇芳ってキツネ。中々悪評が高いぞ」

「それでいて、未だに政界を牛耳っていると言われているから、すごいわよね。三年も前に引退したのに」

 ライラも雑誌で見知ったことを並べ、少し考えた。

「テレビでは時々、話題になってたけど、恋愛対象の幅が広いのね」

「……」

 椅子に腰を下ろしながらも苦い顔のオキに構わず、話は弾んでいる。

 それを横目で見ながら、律は店員たちの言葉に頷いた。

「噂の域を出ないのは、想像通りの理由です。噂の裏付けは、出来ない。証拠も証人も、蘇芳は残さないので」

 説明も、かなり略式のものだが、付き合いが永い一同にはそれで通じる。

 大男と女も苦い顔になる中、オキが口を開いた。

「本当に、蓮は、その時、女の影はなかったのか?」

「いた、と言う話は聞かないな。特に、朱里が嫁に行った後は」

「そうか……」

 口数少なく相槌を打つ男を凝視し、ライラがにっこりとして言った。

「気を使ってくれなくてもいいよ。この人が、この事で怒る理由は、ないんだから」

「ん? 何の話だ?」

 横の大男を指しての意味不明な言葉に、オキが顔をしかめる。

「当たり前だ。その男と、セイには血の繋がりは全くない」

 何でそこでその名が出るのか、大男が目を剥く中でライラは首を傾げた。

「じゃあ、私に気を使っているの? それなら、尚更、無駄な気遣いよ」

「おい、何の話だ?」

 焦れる夫に、女はにっこりをとしたまま答えた。

「本名であれ呼び名であれ、『セイ』って名前は、どちらかと言うと、日本では女名だもの。当時、蓮君に女性の影がなかったのなら、間違われても仕方がない位には、あの子とは親しい」

「その、経緯が理由か? お前の所で、あいつが、家事手伝いと言う、らしくもない仕事をしていたのは?」

 今度は、律が顔を顰めて頷いた。

「あの三年間は、蘇芳本人に係わらせていませんが、そもそもの始まりは、それ、です」

「……」

 客たちが顔を顰める中で、ようやく大男が話を理解して、顔を険しくする。

「あのキツネ、まさか、セイをっ?」

「ウル・・・あなたが、そうやって怒る必要はないでしょ?」

「何を言っているんだっ。今は例え小憎らしい子でも、昔はあんなに可愛らしいかった、オレたちの子供じゃないかっ」

「あなたには、もう過去の子供なのね。私には、まだまだ可愛い子、なんだけど」

 ウル、と呼ばれた大男は、笑顔のままの女の言葉に声を詰まらせた。

「大体、あなたに、復讐めいた事できるとは思えないわ。相手は、男の姿ですんなりと獲物に近づいて、心を絡めとる狩人なんでしょう? 何でも力押しのあなたには、出来ない所業の上に、返り討ちが目に見えている相手だわ」

「その通りです。まあ、あなたなら、返り討ちされたこの獣を、元に戻せるかもしれませんね。あの手の暗示の利かないセイの『特技』が、あなたからの遺伝なのなら」

「どうかしら。そうやって聞く限りでは、殆んどあの人からの遺伝に感じるけど」

 おっとりと首を傾げる、元女優のこの女は、遺伝子上セイの母親である。

 父親は、カスミたちの叔父にあたる銀髪の見目のいい男なのだが、何が不満だったのか、ライラは隣の大男と駆け落ちしてしまった。

 カウンター内の男は、すでに身籠っていた子供も、女もろとも連れ去ってしまったのだった。

 話が脱線したが、やはりあの時に忍んでいたのは、蓮本人だろうと納得した。

「動揺の理由は分かった。あの仕事にセイを係わらせないようにするのが、手遅れだと言う事もな。この後どう動くか……」

「手を引いたのなら、そのまま静観するしかないのでは? それとも、ロンに注進して協力して、強引にあの子の方に手を引かせますか?」

「もう一つ、選択肢があるんだが」

 再び注がれた焼酎を一気に飲み干しながら、オキは答えた。

 そんな男を見返し、律が微笑む。

「そうですね。それは、あなたにしかできない選択だと思います。どうやって近づきますか?」

「それが問題だ」

 一番肝心な問題が未解決で、オキが一気飲みした勢いのまま大きくため息を吐くと、隣の女は声を立てて笑った。

 そして、一番確実な接近方法を提示したのだった。



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