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エピローグ

これで全ての設定の回収が終わったと思うのですが。

胎教、と言う言葉がある。

 今は胎児の頃からの教育の一環として、音楽や絵本の読み聞かせなど幅広く知られるが、当時はまずは生まれる事から命がけだったから、元気で産まれればそれでよかったはずだ。

「シュウレイとセキレイはな、双子だったんだ」

 なのに、その年の差が二年ある。

「貧しい家の女だったからな、周囲に腹の大きさを心配されていたらしい。一人ずつなら子供も養いやすいし、生活の余裕も生まれるだろうが、二人一遍じゃあ大変だろうとかなんとかな」

 後に、シュウレイは冗談めかして言ったと言う。

「先にセキレイを蹴り出そうとしたら、力任せに押されたとさ。それから弟の方は、どんなに力んでも生まれ出てこなかったから、本当のことだったかも知れないな」

 凌のしみじみとした説明を聞いていた東が、深い溜息を吐いて口を開いた。

「叔父上。そんなこと、今は訊いていません。オレは、どうして、その姉弟の事を、黙っていたのかと訊いているんです」

 早々とその存在を知っていたなら、あんな誤魔化し方はしなかった。

 そう言いつのる弟子に、銀髪の男は首を竦めた。

「仕方ないだろう。二人とも、父親の血縁に会いたくないとはっきり希望したんだ。今は少し考えが変わっているが、カスミとは顔を合わせるのも嫌だったらしい」

 無理やり紹介する手もあったが、子供相手にそれをするのは弱い者いじめに感じて、凌は諦めたのだった。

「一応安心したぞ。コウヒの兄弟をお前が嫌っている、という訳ではなかったんだな」

 明るく言われて東はまた溜息を吐き、黙って話を聞いていた同行者の隣に立つ女と、少し後ろに立つ小柄な若者を見た。

 柔らかな薄い色の髪の色白の若い女と、まだ十代に見える若者だ。

「……その子に、一度も会わせてくれたこと、ないわよね?」

「……お前その喋り方、コハクを正式に娶ったらやめると言ってなかったか?」

 さっきまでまともに話していた弟子の変化に、凌が目を見開くのにも構わず、色黒の男は若者を見据える。

 見返す方は平然としている。

「あんたらの所が、気楽に女連れていける場だったか? けだもんばかりの集団だったじゃねえか。連れていけるはずがねえ」

 カスミが頭領として存在していたあの時、その集団は頭領の命を聞く以外の掟は機能していなかった。

 鬱憤を、手近な村や一族で晴らす盗賊紛いの集団。

 そんな場に、若い娘を一緒に連れて行くなど、蓮は考えもしなかった。

「あなたは、女目立てで通ってたのに?」

「誤解招く言い方すんな。酒友達のランが、偶々あんたらの集団の頭領の娘だったってだけだろうが」

「そうそう、妙に意気投合してたから、珍しいとは思ってたのよ。血の巡り会いもあったのね」

 何度も頷く男を睨み、若者は低い声を出す。

「意気投合してたからって、あんな嵌め方して許されると思ってたのか」

「いいじゃないの、失敗したんだから」

 話の先を望む顔になった凌に、東は曖昧に笑いながら話を打ち切った。

 どういう嵌め方をしてどういう風に失敗したかなど、言えるはずがない。

 名前の出たカスミの娘ランの死が、それに関係しているのだから。

「あたしが言いたかったのは、その子を連れてきてくれていれば、メルちゃんにもその子を紹介してたって話よ」

 ヒスイの孫娘。

 そして、カスミの孫娘でもあった。

「コウヒちゃんてば、うちにいる時にランちゃんの妹のユーちゃんと恋仲になってね、駆け落ち同然にいなくなったのよ」

 戦だけでなく、貧しさが弱い者からの搾取を正当化していた時代だ。

 逃げた先で、二人は諍いに巻き込まれたらしい。

 その時に、女は命を落とし、男はその無念を晴らして更に行方をくらました。

「……瀕死の母を、看取ってくれたのが、私を大切に育ててくれた、ご夫婦です」

 口を開いた女の口からは、近しい肉親との対面を喜んでいるようには聞こえない言葉が漏れた。

「無念を晴らすより、死にゆく前にせめて子供を世に出そうとしていた母の手を握って、声をかけ続けた方が、どんなに良かったか」

 吐き捨てるように言い、隣で悲しそうにする女に笑いかけた。

「すみません。こんなひ孫で」

「いや、やっぱり、大変な目に合ってたんだな」

「まあ、大変と言えばそうですが、そんな事ばかりでもありません。私、色々なことに挑戦してるんです」

 その一つが、女優だったのだ。

 ユズと育て親に名付けられた女は、マリーと言う名で一昔前にスクリーン界で知らぬ者はいないほどの大女優となった。

「もう一人の大女優、ライラと肩を並べた、な」

 凌は若干低い声で呟いてから、顔を上げた。

「で、お前さんは、養女として育て上げたアンナと言う娘の行方を追って、例の場へ乗り込んだんだったな?」

「……最終段階の現場の地下室で、身元不明の人骨や衣服が次々見つかっていると聞いています。いずれ、あの子も見つかるでしょう。それが?」

「それで、気が済むのか?」

 女は蓮を一瞥して返す。

「あの子が所属していた事務所に乗り込んだんですが、一足遅くて関係者の確保は出来ませんでした」

 国の首都に戻って、もろもろの手続きをしている間の手待ち時間に、蓮の協力でそこまでした。

 空振りで待機しているホテルに戻ったところを、二人して呼び止められたのだった。

 呼び止めたのは東で、昨夜の内に連絡を取ってこちらに来てもらったと言う凌と、何かと気にかけてくれて残っていたメルがそこにいた。

 ちなみに、ヒスイは妙に落ち込んでしまい、部屋に籠っている。

 メルも東も、まだ本当のことを半分も話していないから、単純に蓮に気付かず攻撃してしまった事が衝撃だったのだろう。

「と言う事は、その事務所、黒ってことか。今まで鳴かず飛ばずの所属女優を、あの現場の実態を知った上で送り込んでいた可能性があるのか?」

「可能性も何も……初めに選出されていたあの主役たちを見た時、これは当たりだと思いましたよ」

 アンナと同じ事務所の俳優だ。

 アンナもそれで信用して、警戒もしなかったのだろう。

「もぬけの殻だったところを見ると、どこからか情報が洩れてたかもな」

 そう思うくらい、行動が早すぎた。

 一筋縄でいかないと、蓮も気を改めて本格的に動こうとしているところだった。

「動くのはいいが……情報網はあるのか?」

 痛い所をつく凌に、蓮は笑って答えた。

「なけりゃ作る。それだけです」

「作る必要はない、と言ったら?」

 凌も笑って返し、切り出した。

「こいつ、出来はそこそこの弟子だったが、たまに馬鹿な画策して痛い目見るような抜けた奴だ。出来の悪い子ほどかわいいと言うだろ? ヒスイもそうなんだが。この二人のしでかした事の詫びに、最大限の協力をさせてくれ」

「オレも、出来る限り協力するから、変な気起こして、早まるんじゃねえぞ、な?」

 本気で心配しているメルの、真剣な頼みの方に、ユズは折れた。

 日本に来たのは、蓮がこの国で報酬を受け取れと、その後言って来たからだ。

「その時に、あなた達に一応言っとけと」

 待ち合わせ場所に訪れたユズは、事の成り行きを話してから、「来夢」のマスターとその妻が顔を引き攣らせているのを見ながら、申し訳なさそうに言伝を伝えた。

「あのおっさん、自分の子供抱えたまま逃げた女が生存していることを、知っている。知ってるだけでどうする気もねえようだが、一応気にかけててくれ、だそうです」

 ウルが、低く唸って頭を抱えた。

「ってことは、オレの事も、分かっている可能性が……」

「分かっているでしょうねえ。あの人の事ですから、あなた方ご夫婦が、どうして現存しているのかも、分かっているかもしれません」

 ユズと同じようにカウンター席でコーヒーの香りを楽しみながら、律がやんわりと答えた。

 同じくカップの中身はそのままで、カウンター席で考え込むのは、報酬を持ってくる役となった、鏡月だ。

「そうか、お前らを盾にしておけば、オレにはまだ余裕があると言う事だな。早くこの地から撤収するぞ、絶対に」

「そうは問屋が卸すかっ。こうなったら 、こっちがお前をダシにして命乞いしてやる」

「ふざけるなっ」

 威勢はいいが、要はそれだけ凌を苦手視している二人なのだ。

「……やっぱり、お店を持つための資金繰りの方法としては、目立ち過ぎたかしら」

 ライラも真顔である。

 そんなことはないとは言えない程、当時のライラは大女優となっていた。

 と言うよりも、そんな理由で映画界に旋風を巻き起こしたのかと、呆れる話だ。

「日本人は、確か三人でしたよね?」

 呆れ果てた律に同調しながら、ユズは鏡月に話しかけた。

 その問いに、我に返った若者は首を振った。

「連絡が取れたのは、サラだけだ。ゲンも諦めて戻っていると思ったが、どこに雲隠れしたのか、姿が見えん」

 コウはまだ現地の近くで捜査の協力をしている。

「レイジも、まだ気にかかることがあるとかで、あの辺りにいるはずだ」

「じゃあ、私とサラだけ?」

「ああ。サラは早く子供の顔を見たかったらしく、あの後すぐに帰国したようだな」

 待ち合わせ時間までは、まだ間がある。

 時計でそれを確認した時、余り客が来ないこの店の扉が、呼び鈴を鳴らしながら開いた。

 客は、二人だった。

 女と強面の大男は、ユズも顔見知りの二人だ。

 思わず立ち上がって迎えた。

「朱里ちゃん、相変わらず可愛いわ」

「ユズさん、お久しぶりです」

 おっとりと返し、朱里は他の客たちにも頭を下げ、父親に笑顔を向けた。

「調子はどうですか?」

「見ての通りだ。折角淹れたコーヒーを、飲まずに帰りそうな客が来た」

「それは仕方ないだろう」

 愚痴る男に、鏡月が鼻を鳴らして返した。

「匂いは落ち着く挽き方だが、味はどうしてこうなると言うくらいの出来なんだからなっ」

「飲んでほしければ、フィルターを使って下さい。挽きガラまで入っていては、誰も口をつけようとは思いませんよ」

 律の指摘に目を剝く鏡月に構わず、大男は鼻を鳴らした。

「フィルターを切らしてるんだ、仕方ないだろう、今日は」

「……お前、それで金を取ろうとは思ってないだろうな?」

「と言うか、本当だったんだな、目が見えんと言うのは。昔と変わらない動きで現れたから、冗談だと思っていた」

 昔の馴染みと会って、少し童心に戻って見える若者と、元同業者の娘に目じりを下げて話しかける女を見ながら、律がぽつりと言った。

「……似たような話、聞いたことがあります」

「ん? 何の話だ?」

 マスターの顔を上げ、律は答えた。

「先程の、まだ生まれていないのに外の世界の会話を理解して、その望み通りに産まれ落ちた子供の話、です」

 しかもそれは、やはりカスミの子供の話だ。

「まさか、ランかユウか?」

「ええ」

 あの二人も、二卵性の双子だった。

「生まれる時期を変えるより、ある意味あり得る話ですが……」

 カスミの初めての妻は鏡月の母で、嫁ぎ先から子供を抱えて命からがら逃げて故郷へ戻った。

 ある国主への嫁入りで、その国主が不慮の事故で死に、その後継者争いに巻き込まれて、鏡月と共に逃げたのだ。

 そんな嫌な思いがあったのか、たまにぼんやりと漏らすことがあったと言う。

「男の子を産んで、不安を抱えて養うのはもう疲れた、お腹の子が女の子ならいいのにと」

 その結果なのかどうかは分からないが、後日二人の女の子を産み落とした。

 だが、今は記憶の底に沈みそうになっている今は亡きランは、女の身で剣を教わり男勝りを通り越して男その者の逞しさを、時々垣間見せていた。

「ああ、その話、聞いたことがあります」

 そう言いだしたのは、飲むことが困難なコーヒーを、どうやって啜るか悩んでいた葵だった。

「無理に飲まなくてもいいですよ。お腹壊したら大変です」

「ああ、大丈夫ですよ。いつもよりまだ飲めそうです」

「ミルがな、気まぐれなんだ。フィルターも、すぐ破れちまうし」

 買い替えろ、と毒づく鏡月に、客は来ないのにか、と返す大男に構わず、葵は律に説明する。

「聞いたと言っても、ある奴の状況をランの状況に例えて、あの人が蓮に説明しているのを聞くともなく聞いただけですけど」

 と言う事は、他にも似たような例があると言う事だ。

「ただ、ランは心まで女として生まれた訳じゃないでしょ? そこがそいつと違うから、その気持ちを変えてやれと。別れる直前に告げても、遅いですよね」

 笑いながら言う男を、律は思わずまじまじと見つめてしまった。

 それに気づいた葵が、きょとんとして見返す。

「何ですか?」

「……それは、まさか、あの、台本の?」

「やっぱり蓮は、そのランって方と恋仲だったんですか?」

 惚れやすいわけではない若者だから、血縁者と知ってもその思いを通すと言う事は、よっぽどの好意だったのだろうと納得しかけるユズに、葵は苦笑して否定した。

「嵌められただけですよ。メルおばさんに引き合わされて、居心地悪くなったところを突かれて、気づいたらランと同衾してたらしいんです」

 その数十日後に身ごもったかも、と言えば男は捕まえたも同然、となる時代だった。

「その後、ランが死んじまって、それは嘘だと明かされたんで、あの台本とは全く関係ないです」

 言い切った男を見ながら、女は悩まし気に溜息を吐く。

「そうですか。あの人は、昔からそういう方にばかり好かれてしまいますね。もう少し等身大の良い方が現れればいいんですけど」

「難しいわね」

 難しい顔で客と店員が考え込む。

 そんな中、葵がこそっと律に話しかける。

「律さん、これ、お返しします」

 言われて差し出されたものを見ると、そちらで処分すると言っていた、例の現場の台本が握られていた。

「読んだのでしたら、捨てて下さっても……」

「いえ、これは、普通に捨てたらダメな奴です。少しでも外に漏れたら……エンも同じ意見です。お願いします。オレらじゃあ、どこかしらで何かの証拠を隠滅したとバレちまいます」

 そこまで大袈裟なものかと呆れていると、その話を漏れ聞いた鏡月が、剣のこもった目を向けた。

「おい、役者共のも赤毛共のも、すべて処分済みなんだぞ。なぜ、それがここにある?」

 突然だが、書かれている内容からすると当然の勢いに、大男の部類の男が身を竦め、代わりに律が謝る。

「すみません、渡されたオキの資料の処分、これだけしていなかったんです」

「お前っ、それは……」

「分かっていますよ、ちゃんと処分します」

 久し振りに取り乱す鏡月を見た気がして、律は微笑みながら切り出した。

「それに、この人たちに回し読みさせる状況にしたことも謝ります。お詫びに一つ提案してもいいですか?」

 今思い至った事だが、丁度いい。

「凌の旦那の件の、保険となるかもしれないんですが」

「何のこと……」

 意味不明になった言葉に眉を寄せたのは、鏡月とカウンター内の大男だ。

 その問いに答えるまでもなく、その保険がやって来た。

 勢いよく店の扉が来客を告げる。

 振り返ったライラは、一瞬戸惑って視線を泳がせた。

 軽い足音がカウンターの方へ駆け寄り、明るく言った。

「この匂い、鏡月かっ?」

 幼い声が、大人びた口調で勢いよく言い、若者を一瞥して律を見上げた。

「一人でここまで来てしまったんですか?」

「お前な、しばらく見ないうちに、意地が悪くなったな。オレは確かに、残して来た子供全員の今を知りたいとは言ったが、子守して欲しいとは言ってないぞっ」

「年齢的に仕方ないでしょう、それは」

 律の答えを最後まで聞いている様子はない。

 五、六歳の少年は、目を見張ったまま見下ろす鏡月を見上げ、両手でその顔を挟んだ。

 そのままペタペタとその輪郭を触り、にかっと笑った。

「うん、やはり鏡月だ。そうか、こういう顔をしていたか。これならお前が似たと言う叔母上に、カスミの旦那が惚れた理由も分かる。シノギの旦那とは、あれからも仲良くしてるのか?」

 一方的に話していた少年が、若者の目を見上げ目を細めた。

「お前、まさか、見えてないのか? どうした? ただでさえうかつでよくすっ転ぶのに、何てことだ」

 一同が固まっている中、唯一変わらない律が静かに呼びかけた。

「あなたが亡くなってから、随分時がたったと説明済みですよね」

「一度の説明で充分だ。どんな負け方したかなど、聞きたくもない」

「負けてはいなかったと、言ってるでしょうに」

「向こうは生きて、オレは死んだなら、オレの負けだろうが」

 頑固に言う少年を見下ろしていたウルが、気の抜けた声で訂正した。

「相打ちだった、ぞ」

 見上げて目を丸くする少年に、大男はゆっくりと言った。

「鏡月が助けなければ、恐らくは完全に死んでたはずだ」

「お前、まだ生きてたのか。どれどれ……」

 カウンターをよじ登ろうとする少年を、この数か月そんな行動に辟易していた律が抑える。

「いくら幼くても、許されることと許されないことがある事も、教えたでしょうがっ」

「ここは無礼講でいいだろうっ? ここまで異常者が集まってるのに、オレだけ抑えろとは理不尽過ぎる」

「……あんたほど、異常者じゃねえよ」

 童心を取り戻していた鏡月が、完全に取り繕いを捨てた。

 小柄な幼い少年の胸倉を攫み、強引に引き寄せる。

 宙に浮いた状態になったのに、少年はきょとんとした顔をしただけだ。

「あんたは死んだあと、全員に形見分けされた。オレの分は、灰も残さねえほどに荼毘に付したんだぞっ? 何で、ここにいるっ?」

 その勢いのまま、律を睨む。

「お前、自分が貰った分で、何かやらかしたのかっ?」

「私の分は、全部使いましたよ、この人の娘さんの為に」

 言いがかりに心外と律は答えてから、まだ戸惑っているマスターと、その隣の成り行きについていけず立ち尽くすライラを見た。

「事情は、そこの二人と同じでは?」

「……かもな。あの人なら、体のほんの一部で、充分らしいからな」

「それならもっと別な奴の物を使えばよかったものを。よりによって、呪いが濃く染み付いてた部位を使わんでもなあ」

 大男が頷き、他人事のように言った少年は、宙づり状態すら楽しいと感じているらしく、自分でプラプラと体を揺らして遊んでいる。

 そんな様子に更に顔を顰め、鏡月は吐き捨てた。

「あのくそ親父かっ」

「正確には、あのくそ旦那の、くそ親父さんです」

 その言葉を拾って律が言い直す。

「呼び出されて、ご本人が引き渡してきました」

「限定物の呪いだから、大丈夫と思ってのことだったのだろうが、まさか、律の所に、シノギの旦那の直系がいるとは」

 笑いながら言っているが、内容は鏡月が硬直するものだった。

 つい、そのまま胸倉を放し、少年を床に落としてしまう。

 が、綺麗に着地した少年は文句を言わず、若者の顔を伺った。

「顔色が悪いぞ、どうした?」

「あんた、まさか、旦那と間違って、そいつを攻撃したとか、ねえよな?」

 そうなったら、肩どころの騒ぎではない、と言い聞かせている鏡月に、少年ミヅキはあっさりと言った。

「ああ、やってしまった」

 カウンターテーブルの上のカップが音を立てて揺れるのに構わず、ウルが無言で身を乗り出した。

 殴る拳を流し、少年はそのままその腕を小脇に抱え、軽く体重をかけて逆に大男をカウンター内から引きづり出すように、床に這いつくばらせてしまう。

「子供を、そんな勢いで殴っちゃ駄目だろうが。子供だったら、命がないぞ」

 あくまでも明るく窘めるミヅキを見下ろしながら、律が説明した。

「あの時はまだ、この人は生前の記憶が戻り切っていなかったんです。ですが、それが不幸中の幸いだったのかは、分かりません」

 ある戦いの敵に、死ぬ前に呪いをかけられたミヅキは、それに抗うためにカスミの傍を離れた。

 ライバルである凌を引き金にする、解除の難しい呪いだった。

「シノギの旦那と仕合って勝てばいいと言う呪いなら、いいんだが……」

 幼い頃から全盲で姿を見ることは出来ないが、その男の気配を感じた途端に襲い掛かりそうになる衝動を、持ち前の気力で抑え込みながら、当時のミヅキはカスミに言った。

「その後、無差別に襲われても、対処が面倒だな」

 その意を受けて、カスミは真面目に答えた。

「愛想を振りまきすぎて、とんでもないものに好かれたものだな」

「全くだ。……あの旦那を襲っている間に解いてくれる気は、あんたにはないんだろう?」

 ダメもとで訊く男に、カスミは真面目に答えた。

「集中していないと、お前も叔父上も、消滅させてしまいそうだ。二人に巻き込まれんように避けながらそれを出来る程、私は器用ではない」

「だよなあ」

 その相手は、あの時代では最強の部類の術師だったようだ。

 掛かった呪いは、死してもなお濃く残っていた。

「残念だが、足を洗わせてもらうしかないな」

「そうだな、仕方あるまい。そうだ、何なら、所帯でも持ってはどうだ?」

 突然、カスミが寝言のようなことを言い出した。

「まっとうに生きろとでも言うのか? 今更だな」

 笑うミヅキに、カスミは大真面目に言ったのだ。

「子供を作れば力が減ると、よく言うだろう? 事実かどうか、お前、やって見ろ」

「……その上で、凌の旦那に殺されろと言う気か?」

「事実ならば、そうなるだろうと言うだけだ。私は信じてはいないが」

 笑いを治め、真顔で男の様子を伺うが、何を企んでいるのかは分からなかった。

 かなりの時を過ぎ、再び姿を見せたミヅキは、シノギに仕合を申し込んだ。

 その結果は、相打ち。

 静かにそれに立ち会ったカスミは、誰ともなしに呟いた。

「……言い伝えは、言い伝えでしかなかったな」

 現在、少年の姿で大男を抑え込むミヅキは、視覚に問題がない今、何でもかんでも触感を確かめることに重点を置いている。

 その体制のまま、鏡月を見上げると目を細めて問う。

「まさかとは思うが、その視力と引き換えに、旦那を助けたのか?」

 そのミヅキの従兄弟に当たる若者は、無言で顔を逸らす。

 少年は呆れ顔だ。

「お前が負い目を感じる事はないだろう。それに、このオオカミはああ言ったが、あの人は多少時間がかかっても、瀕死状態から蘇ったはずだ。お前が手を貸すことはなかった」

「分かってる。仕方ないだろう、あんたは、助けられなかった。せめて、あの人だけはと、ついつい思ってしまったのは」

 不安が募って、思わずしてしまった行為だった。

 お蔭で、顔を合わせるのも気恥ずかしくなって、姿を消すことになったのだ。

「ははん、つまり、あの旦那から、長く逃げ回っているのか。お前らしいな」

 楽しそうに今の状況を正確に理解したミヅキを見ながら、蚊帳の外にいた朱里が律に問いかけた。

「そのお兄様のお父様から、父を守る保険になるのは……無条件に、その人に襲い掛かるから、ですか?」

「巻き添えは、御免だぞっ」

 さほど力を入れているようには見えない少年から逃れようと、全力で抵抗している大男が喚くが、そのミヅキの唯一の弟子は微笑んで答えた。

「その心配はありませんよ。その呪いは、もう解けました」

 今では笑って話せるが、あの場に飛びこんだ時は、肝が冷えた。

 ちょうど、シュウレイも保護された時期で、家内はバタバタと忙しく、少年が異常に大人しかったせいで、ある可能性は考えなかった。

 凌と同じように殆んど匂いのない若者が、間違われるかもしれないなどと言う不安は、全く考えなかったのだ。

 律が尋常でない気配に気づいてその部屋に飛び込んだ時、セイはすでに刺された状態だった。

 長く使用されていない、今では飾りとして壁にかかっていた、本物の日本刀で壁に縫い付けられていた。

 ミヅキはその柄を攫んで、そのまま体を斬り払おうと力を加えようとしているところだった。

 このままでは心臓を裂かれるか、首を斬り払われるか。

そんな切羽詰まった状態だと言うのに、若者は少年の刀を握った手首を掴みながら、立ち尽くしてしまっていた律に、いつもの口調で問いかけた。

「律さん、この人の名は?」

 なぜか、どんな心配も一蹴するいつもの声音だ。

 律がその後やったことは、問われるままにその名を教え、後は結果を待つ間に応急処置の準備をしておくことだけだった。

「あの家でゆっくり休むのは無理と言われまして、結局契約期間満了まで持つ程度の処置しかできませんでした」

 幸い、シュウレイがその時ぎこちないながらも手伝ってくれた。

 なのに、休む間もなく、あんな仕事を引き受けたのだ。

「あの子、まだ帰国していないんですね?」

「ああ」

 謝られはしたが、直接文句は言ってやりたいと用事がてらにここに来たのだが、空振りである。

「用事?」

「ほら、この人の息子二人は、うちで働いていますが、娘さんは、こちらでしょう?」

 ミヅキは、身近にいた狐の女を娶り、四人の子供を儲けた。

 うち一人はこの世にいないが、後は健在なのだ。

 律の下で働く二人の息子は、その雇い主蘇芳の「妹」として籍を入れて世に馴染み、残りの娘は……。

「追い付いて来たか」

 ミヅキが呟き、大男を開放した。

 律の隣の席によじ登って座った時、新たな来客を呼び鈴が告げた。

「今日は……って、どうしたんですか、すごい盛況ぶりじゃないですか」

 遠慮気味に扉を開けた女が、店内の客の多さに目を丸くした。

 長身の、まだ娘の年齢の美女だ。

「雅さん。珍しいですね、こんな時間に」

 朱里が目を見張る前で、店内を見回していた女が少年を見つけた。

「良かった、やっぱりあなたを探して抜け出したんですね。急にいなくなるから、焦りました」

「すまないな、良く叱っておくから。許してやってくれ」

「目を離した私も悪いんですから、程々にお願いしますね」

 雅は優しく言いながら、まだ床に這いつくばったままのこの店のマスターを見下ろした。

「お掃除中ですか?」

「い、いや、転んだだけだ」

 妙な空気を察しつつも、女は店内を再び見まわして鏡月を見つける。

「ちょうどここが分からなくて立ち往生してた人も、連れてきましたよ」

 後ろを振り返り、招き入れたのは、若者の待ち人の一人だった。

「ああ、迷ったのか。分かりにくい場所を待ち合わせに使って、悪かった」

 鏡月に気楽に声を掛けられ、サラは一瞬驚いた顔になったが、すぐに首を振った。

「迷うのも、楽しいです。度を過ぎたら大変ですけど」

 答えてから、躊躇いがちに確認する。

「あの、ヒビキさん?」

「ああ。……あ、そうか。この姿じゃ不味かったか」

「いえ。何だかその方がしっくりきます」

 微笑んだ女と鏡月は場所をテーブル席に移し、本題に入る。

 封筒を差し出され、その厚みに目を見張ったサラに、若者は問いかけた。

「今後は、どうするんだ?」

「……死ぬまで、役者は続けようとは思っています。これだけ頂ければ、息子の将来の負担を、母に負わせることもないですから」

 死んだ夫の方は天涯孤独の身で、サラの方も片親だったため、頼れる親族は母親だけだ。

 まだまだ長く費用がいる息子の将来を、何よりも心配していたサラの答えに、鏡月は首を振った。

「そうじゃなく、病の方だ。治療はしない気か?」

「……」

 その質問に、何故か沈黙した。

 どうしたのかを眉を寄せる若者を見つめ、女は暫く考えて答えた。

「そうですよね、そこまで調べ上げる必要は、もうないですもの。実は、こちらに戻ってから検査を受けたら、小さくなっていて今は様子見の状態なんです」

「……何だと? お前さんの病状は確か……」

 言いかけて若者も気づいた。

 子宮癌を摘出した後転移が見つかり、余命も宣告されていると、調べがついていた。

 だが、病特有の匂いが、余りしなくなっていた。

「驚きますよね、私もびっくりです。あの土地の環境は、予想以上に療養に向いた場所だったんですね」

 何もない辺境の国の、辺境の村と言う認識しかなかった鏡月は、そういうものか? と納得しかかっていたが、カウンター席の方で黙ってそのやり取りを聞いていたユズとライラが、無言で目を交わした後ユズが話しかけた。

「本当に、そんな精神的な理由で、治療しなくても済むレベルにまで、腫瘍が小さくなるんでしょうか?」

「オレは、病にかかった記憶がないんでな、よく分からん」

 聞く相手を間違えたと、女たちに顔を向けると、雅は困った顔になり朱里は少し考えて答えた。

「人によるのではないでしょうか」

 有力な答えをくれる人材がいないと諦めたユズに、意外な人物が答えた。

「病気持ちで拘置所と病院を行ったり来たりしている被疑者を担当したことありますが、お医者の話では、稀にあるようですよ。大体が逆の場合ですが、小さくなることもないことはない。ただ、急速には珍しいのでは?」

 乱暴な口調が多い葵だが、ここは年上が多いせいかずっと敬語だ。

 そうしていると、強面ながら行儀よく見えるから不思議だった。

「そうなのか」

 と興味のない鏡月が気のない相槌を打つが、ユズは納得してサラを見つめた。

「何か、この数日で変わったことがあったのかしら?」

「……」

 見返した女は、少し考えて全く別な話を切り出す。

「アンは、どうしてあの現場に来たの? 健康そうでまだ将来の希望がありそうなのに、あんな場所に来てまで、名を上げたかった?」

「……言ったでしょう? 私は、その名の娘を、探したくてあの現場に入り込んだ。最悪な事実が判明してしまったけれど、それは今言う話ではないわ」

 やんわりと笑いながら、ユズは問いかける。

「誰かが、あなたに個人的に接触してこなかった?」

「……いいえ」

 首を振った女に更なる問いを投げようとするのを遮り、サラは答えた。

「個人的にではありません、ティナにも、接触していましたよ」

 口を閉じて代わりに目を見張ったユズに、女は笑いながら続けた。

「一人ずつ接触するのも怪しいので、呼び出して申し訳ないと、暫くお世話になったホテルのロビーで」

「……どういう目的で?」

「いわば、法外の人体実験の一つ、です。だから、内密にと言われたんです。あなた方はご存知の事だと思っていたんですけど……」

 言われて、鏡月は思い当たった。

「まさか、あの、通訳か?」

 医者の卵でありながら、その将来を兄の放浪癖の為に潰されそうになっていた、レイジと言う通訳だ。

「人体実験って、一体どんな?」

 少し厳しい口調のユズに、サラは困った顔でバックの口を開け、プラスチックの容器を取り出した。

 薬入れにも見えるが、そこに入っていたのは昔ながらの包み方で紙に包まれた、飴玉のようなものだった。

「何だ、それは?」

「抹茶味の、飴玉かなって、渡された時は思ったんですけど……」

 口の中で溶かすようにと渡されたそれは、ティナの物よりは少し小粒だった。

「分量は人それぞれで変わるそうで。しかも、これ、一日に一個と念を押されました」

 それ以上は、効きすぎて腹に強い打撃を与えると言う。

「お腹が緩くなったり便秘になって、逆に体の耐久力が落ちるそうです」

 抹茶味の飴玉に似たそれは、レイジが研究中の薬の錠剤、だった。

「万能薬になればと、レイジさんも笑っていました。命を粗末に考えるのなら、協力して欲しいと」

 あの地で死ぬことも出来ず、この後どういう希望ももてないと思っていた二人は、失敗しても死が早まるだけと、気軽に引き受けた。

「これは、帰国後に送られてきた分です。それ以前は、あの国にいた数日しか口にしていなかったんですよ。検査の結果次第で、また送ると言われていたんです。いい結果を知らせてくれたって言う御礼の言葉も添えられていました」

 嬉しそうなサラの話に、鏡月は僅かに口元を緩ませている。

「でも、得体のしれないものが入った薬なのでしょう?」

「得体は知れてるだろ。恐らくは、あの地に生えてた、道端の雑草だ」

 ユズが心配そうに言うのに、若者はあっさりと答えた。

「お前らな、蓮の奴が、サラだけに大技かましたと疑ったんだな? それだけは、天地がひっくり返っても、あり得んと思うぞ」

「どうして? 吊り橋効果でそういう事もあるんじゃあ?」

 ライラが勢い込んで尋ねるのにも、鏡月はにんまりと笑いながら答える。

「あの程度で、蓮が命の危険を感じるものか」

 感じるとすれば、他の奴だろう。

 楽しくなって大笑いしそうになる若者を、律の隣に座っていたミヅキが呆れ顔で見る。

「そうですよね、蓮は、意外に一途ですから、一人の女性を思い続けるんでしょうね」

「望みは、薄いんだがなあ」

 その場に残っていた雅の言葉に、鏡月は笑いながら大きく頷いた。

 顔を見合わせる元女優二人が、何やら複雑な顔をしているのに首を傾げながら、雅は別な事を口にした。

「ご存知かもしれないですけど、一応言っておきますね。戒の仕事仲間の男ですけど」

 カインのことだ。

 本名は長ったらしいので、便宜上そのままの名で認識することにした若者は頷いた。

「この地にいるが、来れる状況ではないんだな?」

「ええ。自棄になって、私に襲い掛かったんです。さすがに腹が立ったので、ぼこぼこにして、術師の張った結界内で、監禁してます」

 さらっと、とんでもない事を、優し気な笑顔で報告する。

 葵が思わず声を上げてしまう程、空気が怖い。

「戒の質問ですけど、報酬は代理人が受け取るのでもいいかと」

「後でその術師の元へ、平気な奴を出向かせる。持ち逃げされる心配はないだろうが、信用問題だからな」

「伝えておきます」

 頷いて、女は店を出て行こうとしたが、やんわりとした声に止められた。

「雅さん、お暇なら、少し座っていきませんか?」

 ユズの誘いに、雅は笑って答える。

「暇ではありますけど、話についていけないです」

「じゃあ、付いていける話をします。いえ、恐らくは、あなたのお知り合い方の色恋沙汰も、係り合っていると思う話なんですけど……」

 首を傾げた女も、サラも話が本当に見えずにいたが、その場にいた面々には分かった。

 葵が、我に返って律を見る。

 その意を察して律は手元に戻った台本を、さりげない仕草で手提げバックに滑り込ませようとして、横合いから奪い取られた。

 神業か、と思う程に素早く、ミヅキはカウンター内に戻っていたウルへそれを滑らせ、大男はそれを女房の方へと差しだした。

「そ、それは……」

 いつの間に、と呟く鏡月の前で、ライラは微笑んでサラにも声をかける。

「三人で役を決めて、読み合わせしない? 私も、昔女優だったの。久し振りに演じさせて」

「本当っ? やった。日本語でやってくれるの?」

 誰よりも早く反応したのは、嬉しくて喜ぶ雅だ。

「勿論。心を込めて、演じさせてもらいます。楽しんでいって下さい」

 勢いに飲まれてサラも頷き、女優三人が、一つの台本を前に話し合い始める。

「……朱里、そろそろ、お暇しよう」

「え、これから楽しいのに」

「いや、駄目だ。触らぬ神に、祟りなしって言うだろ」

 頑なに首を振り、朱里を促す葵に、ウルが低く声をかける。

「逃げる気か? 逃げたくても逃げられん義父を置いて?」

 詰まってしまう大男を尻目に、鏡月はそっと扉の方へ向かうが、これもミヅキに止められた。

「やましい話なのか?」

 明るい声音だが、有無を言わせぬ口調だ。

「ものすごくやましい話、だっ」

 睨むように、それでも正直に答える。

 それがこの従兄弟への答えとしては最良だが、最良だからと逃げられるわけではない。

「やましい所を教えてくれ。より詳しくな。セリフだけでは分からん話もあるだろう?」

 とんでもないことを言い出す少年に、鏡月はカウンター席まで引っ張り戻されて椅子に座らされると、その膝の上にミヅキはちょこんと座った。

 無邪気に見える笑顔を浮かべ、話を聞く姿勢だ。

「……」

 つまり、自分も逃げられないわけだ。

 律は、大きく溜息を吐いて立ち上がった。

「コーヒーを作らせてください。この子に飲ませられるものも。長くなりそうですし、飲み物くらいはいるでしょう?」

「あ、お手伝いします」

 朱里も立ち上がり、店の従業員を置き去りに読み合わせの準備を始める。

 数分後、腕よりの俳優陣による、本気の読み合わせが始まった。

 ある者はワクワクしながら三人を見つめ、ある者は頭を抱えながら話を聞き、そしてある者は話を聞き終わる頃には質問の数々で燃え尽きて、カウンターテーブルに体ごと突っ伏してしまっていた。


 あの件が収まって、二週間ほどだから、無理はない。

 セイは、その場に立ち尽くしたまま、何とかそう納得しようとしていた。

 報酬を手渡すために訪れたのは、とある国の大使館だ。

 待ち合わせた男たちは、自分が来たことに気付いているのか分からない状況で、言い争っていた。

 二組の血縁者同士の男四人だ。

 一組目は、分かる。

 男の一人はこの国の重鎮のとの話を固めるために、とどまっている中華の大企業の従業員だ。

「言っとくが、オレは、許してねえからな」

 その男の息子がそう切り出したことが、争いの発端だ。

 あの地を後にして、送迎バスから降りた時迎えてくれたのは、金田始と、この国の有権者だったのだが、その隣にいた男を見て、皆が仰天した。

 細身の女と、気弱そうな男の子供を守るように立つ背高な男は、トレアとうり二つだったのだ、

「双子だったのか」

 冷静にジムが言ったが、当のトレアは苦笑して答えた。

「いや、向こうが本物だ」

 何を言いだすと怪訝な顔をする小柄な男の前で、トレアは軽く伸びをし向こうのトレアに手を振った。

 振られた男の方も頭を下げ、子供に何か話しかけている。

 すると顔を上げた子供が、笑顔で走り寄って来た。

 これにぎょっとして思わず声を上げたのは、ジムだ。

「こらっ、そんなに走ったら……」

「父さんっっ」

 言い終わる前にジムの足にしがみ付いた子供は、嬉しそうに呼びかけた。

「お帰りっ。お仕事終わった?」

 答える父は、呆然としている。

「あ、ああ。その……まあ、終わった」

「やった、おうちに帰れるんだね」

 飛び跳ねる子供を見下ろし、ジムは何故か戸惑っている。

 その横から女の隣に立つトレアに歩み寄ったうり二つの男が、頭を下げて言った。

「ご協力感謝します」

「いえ、こちらこそ、何かとお世話になりました」

 逆に礼を言って頭を下げたトレアの前で自分の頭を攫み、鬘を外す。

「なっ……」

 その後振り返った顔を見て、コウが思わず声を上げた。

「親父っ?」

 赤毛の男は、ヒスイの乗る自動車が姿を見せる前に話しを進め、コウに詰め寄る機会を与えずに姿を消した。

 まだ捜査協力をしていると言う名目でここに残っている、日本の警察関係者の一人のコウが、父親のコウヒとばったり会ってしまったのは不自然ではないが、何もこの日でなくてもいいのではとセイは思ったりする。

 もう一組は、もっと不自然だ。

 表面上の仕事の取引は終わっているはずの金田始と、呼び出しにこの地で応じたその弟のレイジだ。

 こちらは戻ってこないレイジに業を煮やした始が、再びこの地に戻ったと言うところらしい。

 この地には、日本では少なくなったある雑草が、普通に道端に生えているそうだ。

 その雑草の何かの成分が、人間の体内のある細胞を、癌細胞に打ち勝つように鍛え上げる働きがあると判明したのだそうだ。

 その研究に没頭してしまったレイジは、後継問題も兄に丸投げしてしまったと言う事のようだ。

 セイは親子の確執にも、兄弟の確執にも興味はない。

 興味があるのは、これが終わってからようやく獲得できる、睡眠時間だけだ。

 流石に薬の効果は消え、痛みは最大限になっている。

 そして、眠気の方も最大限だ。

 本能に従って今すぐ眠りにつきたい気分なのに、二組の家族はそれを許してくれない。

 セイは盛大に溜息を吐き、やや大袈裟な仕草で携帯電話を取り出した。

 画面を見ずにある番号を呼び出し、相手が出るのを待つ。

「……もしもし、蓮か?」

 これも、聞こえる声での呼びかけだ。

「すまないが、これから……」

「こらっ、待てっっ」

 すごい勢いで電話をひったくり、その勢いのまま電話の通話を切ったのは、先程までコウと言い争っていたコウヒだ。

「返してください。これ以上、私がここにいるのは時間の無駄でしょう。蓮と代わりますから」

「ここまで来てるのに、それはないでしょうっ?」

 始も、血相を変えて詰め寄った。

「こちらの話を、進めさせてくれないなら、仕方ないだろう? 一度あの人に、目玉が飛び出そうな拳を食らえ。あの人はすごいぞ。絶妙な加減で、目玉が飛び出ない勢いで殴るんだ」

「知っとるわい。お前、オレが何年、蓮と生活してたと思ってんだっ?」

 無感情な言い分に、コウヒが反論する。

 次いで青ざめた始も言った。

「オレだって知ってますよっ、あの短期間に、何度どつかれたと、思ってるんですかっ」

 二人の言い分に、若者は笑顔を浮かべた。

 一瞬、見惚れるような笑みだが、妙に怖い。

「なら、早くこちらの用事をさせてくれますか? 私は、早く眠りたい」

 そんなセイの様子に、すごすごと身を引いた二人に、その二人の息子と弟は内心驚きながら、若者を傍に迎える。

「今日は、どう言った御用で?」

 レイジの問いに、若者はあっさりと答えた。

「報酬を払いに」

「え?」

 思わず目を見開いたレイジが、つい問いかけた。

「リヨウさんは、まだ請求されてないって言ってましたけど?」

「ああ、まだしてない。請求しようにも、まだ清算が終わってないからな」

 それでなぜ報酬を払えるのかと、二人が顔を見合わせているが、それ以上詳しく話さずに茶封筒を二人の前にそれぞれ差し出した。

「レイジ君の方は本来の雇い主から出るんだろうけど、結構世話になったからな。気持ち程度の金額だが、受け取って欲しい」

 受け取った二人がその厚みに目を剝いている。

「……千円札の束じゃ、ないですよね」

 そうでも文句はないが、コウは困ったように言った。

「あんた、裏のやばい人じゃないですよね? それだと、受け取るのは警察関係者としては、まずいんですけど」

「そうやばい人間ではないつもりだけど」

「そうですか? リヨウさんにああいう事を頼まれる時点で、やばいんじゃあ?」

 レイジの言葉に、セイは首を傾げた。

「あいつに頼まれたのは、君の護衛だけだぞ」

「は?」

「土下座までされたら、流石に追い返せないだろ」

 驚くレイジと封筒の中の厚みをじっくりと堪能しているコウを残し、セイは立ち上がって静かになった男たちの方へ目を向けた。

「コウヒさん、シュウの居場所は?」

「……行くのか?」

「行くしかないでしょう。それとも、連れて来てくれますか?」

 そう言う気づかいをしてくれたのかと思ったが、男は頭を掻きながら答えた。

「もれなく伯母上が付いてくるぞ。それプラス親父が」

 顔を顰めた若者に、天井を仰ぎながらコウヒは言った。

「だが、本社に行くのは勧められねえな。お前にとってあそこは鬼門、火に入っていく夏の虫みたくなっちまうのを、黙って見てるしかねえのも忍びねえ」

 顔を沈ませての言い分にも、セイは顔を顰めたままだ。

「黙ったまま笑いをかみ殺すんですね、いい性格で結構な事です」

 コウヒの義理の父が起こした会社は、薬を材料から作成し成分を研究し、実験まで終わらせて世に出す薬物を主に扱う所で、足を踏み入れたくない場所だ。

 本当はそれこそ、その系列に強い者を担当にしたかったが、あっさり断られたのだった。

 自ら火に飛び込む行為をするしかないと内心覚悟を決めたセイに、男はにやりと笑って声をかけた。

「だから、忍びねえって言ってるの位は、信じろっての。これだけは本音なんだからな」

 言いながら、顎である方向を指し示した。

 その人の悪い笑顔が、振り向きたくない気持ちを生むが、そう言う訳にもいかない。

「わあ、来てるっ、本当にあの子だあ」

 ゆるゆるの声がフロア中に響き、音もなく近づいた女がいた。

「何日ぶり? もう会えないかと思った。嬉しいっ」

 振り向いたセイに、小柄な女が思いっきり抱き着いた。

 黒髪の長い髪を、高い位置で束ねたその女は、小柄ではあるがその顔立ちは整った、最近美人に見慣れ始めていたコウやレイジから見ても、思わずハッとする美女だ。

 誰だろうかと首を傾げる二人の前で、セイは疲れた声で女に答える。

「お久しぶりです。随分お元気になられたんですね」

 丁寧過ぎる物言いに、女は一瞬きょとんとしてから我に返った。

 暗に、余計な事を口に滑らせるな、と言っている若者に合わせ、女は笑顔を見せた。

「お陰様で。あんたには、すっごく世話になったものね。あのキツネさんにも、改めてお礼が言いたいな」

 芝居がかったセリフだが、それでよかった。

「……お前が、係わってたのか。道理で発見されたと言う場所の割に、昔の儘の姉上だったはずだ」

 低い落ち着いた声が、女が駆け寄った方向から投げられた。

 もう顔を上げないわけにもいかず、セイは何とか笑いながら挨拶した。

「ご無沙汰しています」

「ああ。あの国を離れての仕事は、珍しいな。それに、こちらの仕事と被るのも、滅多にない」

「ええ」

 顔を上げた先にいたのは、大柄な男だった。

 姉と同じ黒い髪を短く刈り込んだ、活動的でスポーツ万能な男のイメージが、会社のパンフレットでの写真でも印象的に写り、イケメンな社長として、雑誌にも取り上げられることが多い。

 しかしそれは、外見だけの話だと、身内もセイもよく知っていた。

 男の隣に、もう一人女がいた。

 それが、目当てのシュウだと認め、コウが気楽に手を振る。

 ぎこちなく手を振り返し、セイに抱き着いたまま振り返る女シュウレイに目で問いかけた。

「行っといで。でも、余計な事は、言っちゃだめだよ」

 ゆるゆると笑いながら頷かれ、シュウは男に頭を下げて歩き出した。

「いつの間にあんな女、部屋に入れてたんだ、姉上」

「私もね、少しは出来る女になったのよ」

 何故か胸を張る女を引きはがし、若者は再びコウたちの方へと向かった。

 同じように茶封筒をシュウに差し出し、それで終わりと立ち上がる。

「あ、あのっ……」

 思わず声をかける女を見下ろしその続きを待つと、シュウは躊躇いながら尋ねた。

「あの、本当に、これ、貰っても?」

「ああ。当然の報酬だろ」

「でも、私っ……」

 言いかける女を遮るように、セイはその傍に近づいた。

 身を寄せて声を潜める。

「口止め料。そう思って受け取ってくれ。あの人が、君の代わりにあんな場所にいたと知れたら、あの社長がどういう行動をとるか……頼む」

 真剣な言葉に、シュウは半分の事情も分からず頷いていた。

「ただの金持ちなのか、悪徳なことしてるのか。どっちだろうな」

 その一連の行動を見ていたコウが、しみじみを呟いた。

 今は背を向けている若者を見ながら、レイジも言う。

「ここまでの大金をぽんと出せるんですから、只のお金持ちって訳でもなさそうですよね」

 それから、シュウに声をかけた。

「丁度良かった。実は、渡したいものがあったんです。ほら、シュウさんあのホテルで一度も部屋から出て来てくれなかったから」

 明るい口調で言いながら、レイジは鞄から白い紙袋を取り出した。

「今日はあなたも待ち合わせ場所に来ると思って、持って来たんです」

「な、何?」

 嬉しそうに話す男に引きながら問うと、レイジはあっさりと答えた。

「実験中の薬です」

「……レイジ、いい加減に……」

 目を見開いたシュウの目の前で始が怒鳴りかかった時、軽い警戒音が響いた。

 目覚まし時計のアラームのベル音に似たそれは、コウヒが持つ携帯電話から発せられている。

「返してもらっても?」

 セイが手を差し出して受け取り、電話に出る。

 その様子を、コウヒは呆れた顔で見やった。

「……お前、マナーモードにするとか、気遣いねえのか?」

 それに答えず、若者はまず電話の相手の話を聞き、頷いた。

「そうか、分かった。これから行く。ご苦労さんだったな」

 短く答えて相手を労い、すぐに電話を切った後、セイは傍で文句を発した男を見上げた。

「仕事上それはやってますよ。今日は連絡待ちの電話があったし、何よりそれで嫌な人との話を中断させる事が出来る」

「……お前、正直すぎるのは、相手を傷つけると、何度言えば分かるんだっっ」

 大柄な男が、言葉を失くして固まっているのを見て、慌ててコウヒが怒鳴る。

「誰も、セキレイさんのこととは言ってませんよ」

 セイは平然と答えた。

「必要以上に付きまとわれてるわけじゃないですから、別に何とも思っていないです」

「いや、それもひどくない?」

 思わずシュウレイも呟いてしまう程に、あっさりとした言葉だった。

「私が嫌なのは、あなた方の会社であって、勤めている人たちじゃないです。それは間違わないで欲しいんですけど」

「……やはり、そうか。自分の得意分野を駆使して、会社を立ち上げるなんて、オレもどうかしていたっ。よし、こうなったら……」

「親父、早まるなっ、そんなことしたら、何十万人従業員が路頭に迷うと思ってるんだっっ」

 言い過ぎたか、と立ち尽くすセイの前で取り乱した大の男を、その義理の息子が必死で宥めている。

 眠すぎて本音が隠せなかったのは悪かったが、この程度でここまで荒れられるのは、意外だった。

 このセキレイと言う男、カスミの息子らしく外見は頑丈で、恐らくは滅多に命の危険にさらされることはない。

 だがその反面、これがカスミの息子か? と言う程に精神面が軟弱で、ちょっとしたことでこの通りだ。

 取り乱すのは百歩譲って、可愛いところがあると思うが、その取り乱し方が尋常じゃない。

「こうなったら、従業員とその家族もろとも、会社を壊滅させよう」

 それは確かに、路頭に迷う従業員は出ない方法だが、別な迷い方して成仏しない人が出そうだな。

 黙ったまま考え、セイは突然始まった喧騒に目を見張っている男三人と、急に取り乱した社長に驚くシュウを振り返り、手招きした。

「早くここは退散した方がいい。後は、側近の方々に任せた方が、解決は早いから」

 コウヒもシュウレイも、自分たちに構う暇はなくなっている。

 逃げるなら、今の内だった。


 闇の中で、カスミが唸る声が何度も聞こえた。

 それが、自分を目覚めさせようとしての苦悩の声だと知ったのは、随分先の話だ。

 ある時、カスミが唸っている所に、別な誰かが来たようだった。

「苦戦、しているようだな」

「おや」

 真面目な声が、意外そうな声を孕む。

「珍しい、ここまで出て来られるとは。何か御用ですか?」

 答える声は、固い。

「うむ、分けて貰いたいものが、あるのだが」

「ますます珍しい。何を、分けましょうか?」

 尋ねる声に答えず、固い声は自分を見下ろしたようだ。

「ここまで、うまく繋げたと言うのに、全くの木偶人形か。何の記憶も残らん物から、そんなものを作って、どうする気だ?」

「そんなはずは、ないのですよ」

 真面目な声が、溜息を吐いて説明した。

「これは、シノギ叔父の喧嘩仲間の幼馴染で、相当の手練れだったのです。女房との約束を、早く果たしたいと言うのに、意識も記憶も、残っているようなのに、動いてくれません」

「手練れと言う事は、あれだ、今の世で、いわゆる武士と言うものの先端ということだろう。潔く、死んだなら死んだで、さっぱりと諦めたのではないか?」

 固い声の言い分に、カスミはまた溜息を吐いた。

 それを見ながら、固い声の人物は笑ったようだ。

「珍しいな。煮詰まった顔をしているぞ」

「下手に意識を詰め込むと、逆に得体の知れぬ生き物として、この世を荒らすかもしれません。ここまで時をかけてその結末では……」

「……」

 カスミを黙って見つめた男が、固い声で切り出した。

「シノギの喧嘩仲間、とやらの形見の品を、少し貰いたいのだ」

 顔を上げた男に、固い声の男はゆっくりと説明する。

「お前が当主として残るなら、気にしなかったが、ヒスイが引き受けて縛られるとはな。あれをあの爺共から守ろうと、お前たちを他の女共に産ませたと言うのに」

「あなたが、あの爺共のお相手をしているのですから、ヒスイは気楽なものでしょう」

 真面目な声が笑うが、固い方は固いままだ。

「ロンの娘が、男を連れて来て、ヒスイに紹介したそうだ。あの子の心配は、爺共が、養い子の婿に無理難題を押し付けないかと、言う事らしい。このままでは、ヒスイが、今の私のようなことをしかねないのだ」

「成程。あなたが企むことは分かりました。血縁者でない者をぶつけて、あの爺共を、葬る気ですね?」

「ただ、血縁でないだけでは意味がない。シノギのように、私の血縁と言うだけで、攻撃を躊躇うようでは、困る」

 意図がはっきりとしたと、カスミは頷いたが小さく笑って尋ねた。

「ですが、ミヅキのこれは、最も呪いがこびりついた部分です。呪印付きの右腕ですよ。これを基にして、あれを一から作っては、また同じような危機が訪れるだけです。叔父上が、困りますよ」

「何、上手くいったら、あいつが姿を見せない場所に預ける。心配するな」

 カスミは丸ごとその形見を、父親に差し出した。

 それは、男の意外そうな声でも分かった。

「いいのか?」

「ええ。どうせ、持っていても意味がない。全部差し上げます」

「そうか……」

 固い声が、柔らかく笑った。

 戸惑うカスミの前で、何かをやっているようだ、と思った途端何かを頭からかぶって、自分は覚醒した。

 視界が開け、映ったのは見知らぬ男が自分の体に何かを掲げ、何かの液を滴らせている姿だった。

「これくらいなら、死人の身にどんな呪いがかかっていようが影響ない。足りなかったのは、動くことに必要な血肉だ。動くようになったからには、己で食えるようにもなる。これで貸はない事にしろ」

 そう言い残して、その男は立ち去ったのだが、カサネは今も不思議だった。

「ミヅキを作る、と言う事は、やはりただ者ではなかったのだろうが、はて、あんなものでどうやって作るのであろうか?」

 カスミにも、尋ねてみたことがある。

 自分の時は、死んだ場所に残った遺骨や肉片、その他をかき集めて繋ぎ合わせたと聞いた。

 ミヅキの形見の品は、ただ一部、右腕のみで後は他の者に分けられたか、荼毘に付されたかでほとんど残っていないそうだ。

 ならどうやってと、首を傾げるカサネに、カスミは答えた。

「あの一部の中の、肉のみをまず集めて形にし、骨も人の方に合わせながら作り替えます。記憶はそこまで深くはないでしょうが、ミヅキのあれは、良く働いた部位ですから、意志は残っているでしょう。それをより合わせて一人の人間を作り出すのです。勿論、出来た人間は、あなたよりも小さい子供並みの大きさでしょうが」

 説明されても、よく分からなかった。

 それから、自由に体が動けるようになると、カサネは山に放たれた。

 そこで出会った親子に拾われ、戦人と出会い、主君を持った。

 マリーの眠る墓の背後の大木に背を預けて、そんなことを思い出していたのには、訳がある。

 カスミに助けられた恩を返そうと、その孫の安否を気にするようにしていたのだ。

 結果、二人いたその孫たちは、カサネの元で仕えることになり、死ぬその直前まで、世話をされたのはこちらとなってしまったのだった。

 申し訳ないと思いながらも、寿命を全うして満足したのだが、今まだこんな所にいる。

 そして、内心困っていた。

 困る理由は、マリーの墓の前にいる若者だ。

 あの件が解決に傾いたころ、カサネはここから遠く離れた場所の、ある草原で立ち尽くしていた。

 数年前は、裕福層の別宅があったと、言う場所だ。

 今はその面影はなく、荒れた大地が広がっているだけだ。

 その場に立ち尽くし、肩を落とす。

 遺骨の一つは残っていそうだが、もう一つの場所のそれも、持ち主の残留念は、風化してしまっていた。

 遺骨を拾って、あの墓に葬ってやろうにも、あの肉体は、すでに壊れてしまい触る事が出来ない。

 せめて、残った想いだけでも捕まえて、あの墓まで、持っていこうと思っていたのだが……。

「何もしてやれぬ、か」

 不甲斐ないものだと、カサネが自嘲した時、その肩を気楽に叩くものがあった。

 ぎょっとして振り返ると、その反応に驚いたのか、目を丸くした若者の顔があった。

 眼鏡のないその顔は、完璧に整ったものだ。

 金髪の若者は、無感情な声音で言った。

「良くここが分かりましたね。何も残っていないのに」

「お主こそ、何故ここが分かった? それに、何故に探したのだ?」

 報酬云々の話があったから、探されるとは思っていたが、自分では、もう受け取ることも出来ない。

「金と言うのは、結構便利ですよ。ご存知ですか?」

 脈絡がありそうで、なさそうな切り返しだ。

 戸惑いながら、カサネが答える。

「まあ、そうだな。金があれば、たまに、非常識な事でもやってのけられることが、あるな」

「そうです。だから、受け取ってもらおうと思って、来ました」

 草原へと再び顔をめぐらせる男に、セイは言った。

「残った想い、とやらは持っていけなくても、金で人を動かして、遺骨を供養することは出来ますよ」

 思わず若者を見直すカサネに、セイは口元を緩めた。

「この報酬で、人を雇ってここにある遺骨を見つけ出して、供養する。それでも余るようなら、その時に使い道を考えればいいです。足りなくても心配しないでください。最近、持っている金銭が増えすぎて使い道に困っているんです」

 立ち合いもすると請け負われ、受け入れたのだが……。

 後日、その作業を始める人員に交じって現れたのは、レンの方だった。

 手伝いと称して、トレアとジムも一緒だ。

 時々ティナも差し入れに来る、妙な作業場と化した。

 そして今日が、最終作業の日となった。

 陰で様子を見守るカサネの前で、作業員が遺骨を無人の墓に納骨する。

 その墓も、新しく立派になっていた。

 レンが日本式の拝み方で手を合わせ、ジムとトレアはこの国の宗教の拝み方で死者を悼む。  

 ティナも自分なりの拝み方で死者に祈りをささげると、若者は礼を言った。

「助かった。話し合いは問題ないんだが、もろもろの契約書の文字が全然分からねえ」

「それに懲りたなら、少しは読み書きも、勉強してください」

 トレアが軽口を叩くと、今度は頭を下げた。

「オレ、最初だけしかいなかったのに、あんなに報酬戴いてしまって、逆に申し訳ないと言うか……」

「あの馬鹿を送り込んで来た、くそ野郎が悪いんであって、あんたに落ち度はねえだろ。あのホテルでの物々しさを見れば、あんたが戻って、気を配ってなかったら、ジムのガキもあんたの女房も、今頃どうなってたか分からねえ」

「日本の会社の方が、結構取り繕ってくれていましたけど、確かに。あの人の部下にも、他国の者の手を借りるのを反対してた方が、数人いましたし」

 へらりと笑う男に、ジムは真顔で頭を下げた。

「……それには、感謝している。だが……」

 じろりと見上げ言う。

「このまま、お前を雇っておけとはあの人、何を考えているんだ?」

「いいじゃないか」

「良くない。これからまだ費用はかさむのに、部下など養えるかっ」

 そんな主張に、トレアが呆れ顔になった。

「お前な、だから、稼ぐんだろうが。稼いで余裕を持たせながら、子供も養う。それをやってこそ、大人の仕事人って奴だ」

 仕事と子育ての両立を完璧に出来るなら、世の中もう少し平和だろうな、などど考える蓮に、ティナが話しかけた。

「私は、そろそろ仕事に戻ります」

「ああ、こんな所にまで、わざわざ悪かったな」

「いいえ。この方の幽霊さんには、お世話になりましたから」

 ティナには、こまごまとした仕事が、舞い込み始めている。

「病気療養で休業していたんですけど、もう我慢したくなくて」

 生きるのも病に侵されて死ぬのも、好きな仕事を続けながらなら充分だと、開き直ったようだ。

「それに……」

「効いてんのか? レイジさんの実験薬?」

「はい」

 いい笑顔だった。

 ティナが姿を消してから、トレアとジムも挨拶してこの場を去り、小柄な若者だけが墓の前に残った。

「……終わりぐらいは、礼を言いに出てきてくれても、バチは当たらねえんじゃないですか?」

 レンの呼びかけは、明らかにカサネに向けたものだった。

 恐る恐る木の陰から覗くと、若者の目と目が合った。

「……しばらく見ぬうちに、大きくなったのではないか?」

 その為、カサネは気づかなかった。

 あの建物が、崩壊する場面を、目撃するまで。

「成長しても、まだまだ未熟なんですよ。だから、あんな不始末をしちまった」

「だが、我々を逃がす時間は、取ったではないか。昔ならば、一瞬であの有様であったろう?」

 近づいてくる、和服姿の男を見つめながら、蓮は小さく笑った。

 いつもの不敵な笑いではない、気の抜けた笑いだ。

 そんな返しが出来る人は、限られている。

「マジかよ。あんた、本当にそんな姿で、化け出てたのか。もしかして、死んだすぐか?」

「まあ、すぐの方だったな」

 気の抜けた笑いのまま、蓮は顔を掌で覆う。

「供養をしてくれていただろうから、その件は済まなんだな」

「何の、心残りが、あったんだ?」

 当然の問いに、男は真面目な顔で頷いた。

「それだ、確かにお前たちや、家臣であった者たちの事は気がかりだったが、それは、誰だってそんなものだろう? よっぽどの、思い入れの気がかりなのかと考えてもみたが、全く思い当たらぬのだ」

 改まった顔を上げ、若者に問いかけた。

「私は、どんな、心残りがあったのだろうな?」

「……オレに聞くか」

 思わず言ってから、蓮はゆっくりと答えた。

「正室の、その後が気がかりだと、生前は、よく口にされておりましたが、今はどうなのですか?」

「……それかのう。だが、あの女子の事だ、私が死んだと知らされても、そこまで衝撃は受けぬだろう。ああいう、異質な娘だったからな」

 頷いて、若者は眉を寄せた。

「消息を探したのですが、あの国にはもういないのか、影も形もありませんでした。あのように目立つ容姿の女子なら、どこに住んでも目立つはずです」

「あれは、妙な所で頑固であったからの。髪を黒くするのすら、拒んでおった」

 流石に、年齢と共にその頑固さが消えて、人に紛れたのか異国へと離れたのか。

 病弱ではあったが、行動力はあったから、どういう動きをしても、不思議ではない女だった。

「それが、化け出た理由かは、怪しいのう。全く別な原因にも、心当たりがある事だしな」

「……あんたが、作り出された人間だから、ですか?」

「うむ。だが、それが原因ならば、まず年を重ねられたことが、不思議でならぬのだ」

 深く考え込むカサネを見やりながら、蓮は何とも不思議な感覚を味わっていた。

 普通、幽霊の類は、こうも明るくない。

 妖怪の類が、係わっている霊類でも、ここまで話すものはいなかった。

 恨み言を繰り返し、説得など無意味だ。

 大概がその場に残った、死んだ生き物の心残りが、一つの形になっただけのものだからだ。

 ましてや、こんなに自分の事を覚えていて、自分の意志で、自国より遠く離れたこんな土地に来てしまう霊など、少なくても蓮は初めて見た。

 取りあえず、懐かしむのはその位にして、仕事の後始末の話をする。

「この女の人の姉夫婦とその子供の遺骨を見つけて、今日、供養が終わった。残りの金で、立派な墓石も誂えてみた。それでも、余っちまったんだが、残った報酬はどうする?」

「……ユズの娘の、遺品は、見つかったか?」

 静かに問われ、若者も静かに頷く。

「そうか。なら、その娘を、あの地に行かせた者どもは?」

「……見つかった」

 答えた蓮が、不敵に笑いながら続けた。

「本物のシュウが、所属していた事務所も、同じ経営者だったらしい。だから、一気に片が付く方に、持っていくんじゃねえかな」

「あの、ヒスイとやらの、親族の方々がか?」

 その問いには、何故か笑いながら首を傾げた。

「どうだろうな、どちらが早いかは、調べてた若造次第だな」

「?」

 意味不明だが、その説明を詳しくしてくれそうもない。

 気を取り直して、カサネは報酬の残りの消化法を考えた。

「それなら、後はこれしか残っておらぬな。この女子の夢を果たせる人材の育成に、力を注いでいる事業への、寄進だな」

「分かりました。良心的な所を選んで、不自然でない額を送ります」

「頼むぞ」

 仕事の用も終わり、話も途切れてしまった。

「まあ、積もる話があるって、間柄でもないからな」

「ですね」

 ここで別れることにしようと、二人は頷き合ったが、その時ふとカサネは思い出した。

「お前、凪沙の後は、情を交わした女子は、いなかったのか?」

 顔を顰めて振り返る若者に構わず、男は言う。

「子を孕んだまま死んだのは、あの女子のことなのか? あれまで話として書き出すとは、相変わらずだの、カスミ殿は」

「……あいつとは違いますよ。近いですけどね。ただ、そいつは、身ごもってはいなかった。理由もあの時話した通りです」

 嫌な事を思い出したと、顔を顰めたままの蓮に、男は重ねて問いかけた。

「その女子は、どんな女子だったのだ?」

「今、凪沙と近いと言ったでしょう? あいつの、腹違いの妹です」

「……」

 目を見開く男に、首を傾げながら説明する。

「凪沙のガキとは、あれからも、つかず離れずの間柄だったんで、そいつを通じて知り合ったんです」

「その子とは、葵坊の事か?」

「お存知の通り、凪沙は身ごもってたガキを、産み落とせませんでしたからね」

 軽く答えているが、今だからこそ、だ。

 それでも、少しまくし立てるように話してしまう蓮は、顔を上げて男の変化に気付いた。

「……? どうしたんですか、今更、そんな話を持ち出した上に……」

 妙に厳しい顔つきになったカサネは、若者に確認した。

「つまり、その女子は、鬼の子であったのだな?」

「え、ええ」

「……首以外なら、いくら斬られても、みるみるうちに傷が治っていた、か?」

 そんな確認は、今更だった。

「凪沙を知っていたのですから、あなたも、知っているでしょう?」

「そうか。そういう事か。だから、あの時……」

 台本の中のこの話をした時、廊下の奥で、一瞬怒気を発した者がいた。

 その時は、女に騙されたと言う思いでの怒りかと思ったが、あの若者にしては生々しすぎる気がしていた。

 この理由なら、何故か納得できた。

「どうしたんですか?」

 顔に出ていたらしく、蓮が問いかけるが、話す訳にもいかない。

「何でもない。お前も、女運がない様だの。ま、成長しきればいい方向に行くかもしれんが」

「……」

 気休めに出した話題に、今度は蓮の顔が変化した。

 複雑怪奇な表情で、苦し気に答える。

「いい方向に行けばいいですが、どちらにしても、無理のような気がしてるんですよ」

「何故だ? 中々精悍な顔つきになったと思うが」

 黙り込んだ若者の顔を覗きこみ、ある可能性に気付いた。

「お前もしや、一方的に好いた女子がいるのか?」

 弾かれたように顔を上げた蓮が、男の顔を見てぎょっとした。

「どのような女子なのだ? 名前は?」

 子供を、からかう時の顔だ。

「あんたが、知らねえ奴ですよっ」

 振り払う勢いで言ったが、それで引いてくれる人ではないのは、昔からよく知っていた。

 更に問い詰めようとするカサネを止めたのは、一本の電話連絡だった。

 辛うじて電波のあるそこで、携帯電話が受信を継げたのだ。

 男を振り払って電話に出ると、待っていた報告だった。

「……そうか、分かった、すぐに向かう」

 電話を切った蓮は、いつもの調子を取り戻していた。

「それでは、用事が入ったので、オレはこれで」

 不敵な笑顔を見返し、残念そうにカサネも頷いた。

「世話になったな。縁があったらまた会おう」

「はい」

 頭を下げて去っていく蓮の後姿を見送りながら、カサネは難しい顔で唸った。

 本当に数百年ぶりに、祖国に戻る決意を、するべき時かもしれない。


 数日ぶりにあったセイは、その現場の真ん中で良に告げた。

「ここの片づけをお願いしたいのが、まず一つ、だ」

 その背後で、エンが良を見つけて、笑顔で手を振って来るが、その掌は赤く染まっていた。

 ついでに、その現場も真っ赤っかだ。

 鉄じみた匂いも、強烈だ。

 立ち尽くしたまま、見ていたらしい若い男も、胃からせり上げて来るものを必死で抑えているようだ。

「無理すんなよ」

 言いながら、蓮がセイの隣でその男に声を掛けながら、刀の血糊を拭いている。

「……まず、訊きたいんだが、これは、何があったんだ?」

「訊きたいのか?」

「訊くしかないだろうっ? お前、何でこんなことをっ?」

 ようやく知れた、例の場所へ率先して女優を送り込んでいた事務所の大元の、マフィアの親玉の屋敷だ。

 出た埃を元に逮捕した後、こちらの国に連行予定だったと言うのに、来た時にはその姿は見る影もなかった。

「マフィアと言う割に、張り合いはなかったですね」

 無表情の大男が、固い声音で感想を述べた。

 「来夢」のマスターに似た姿かたちの、大男だ。

 細身のナイフの血糊を丁寧に落としながらの感想に、エンが苦笑している。

「仕方ないだろう、あんな画策して、金儲けするしか考えられない連中だぞ、強いはずがない」

 気楽な連中を背後に立つセイは、良の問いに答えた。

「色々理由はあるけど、最大の理由は蓮の願いかな」

「出し抜かれたくなかったんだよ、他の奴らに」

 凌が、東に頼まれて行方を追っていた。

 だが、出来ればユズの恨みは、自分が晴らしてやりたかったのだ。

「……それだけの理由かっ? お前ら、多少は分別があると、思っていたのにっ」

「代わりに、報酬は、一銭も要求しない」

「そんなの、引き換えになるかっ」

 喚く男に、珍しく困ったように考え込み、セイは首を傾げて持ち掛けた。

「これが代償になるか、分からないけど……」

「何だっ?」

「あの現場近くのある土地を、購入したんだ、勢いで」

 切り出してその土地の購入額を告げると、良は目を剝いた。

「おい、そんな大きな土地を、一括で購入したのか、お前。いくら溜め込んでたんだっ?」

「溜め込むだけで、使う機会がなかったんだよ。で、提案なんだけど……」

「貰う。その土地、これから価値が上がる。研究所の一つも作りたい」

 話があっさり通り、ここの後始末も、押し付けることに成功した。

「楽できて、良かった」

 表情を緩めて言うセイは、移動時間に熟睡していたため、完全に元気だ。

 山積みだった問題は、残るところ一つだ。

「……伊織」

 屋敷を後にし、一息つける場所へ移動した時、若者は、一人同行させていた男に声をかけた。

 振り返る塚本伊織に、通例通りの茶封筒を渡す。

「この件での報酬も入れて置いた。国に戻らないのも、操を娶って、一族に離縁宣言して、遠くで暮らすのも、君次第だ。自由にしろ」

「ですけど、それだと、家を継ぐ者が……」

「いらないよ」

 思いつめた考えを、セイはあっさりと切り捨てた。

「さっき見たのは、私が昔率いていた者たちがやっていた活動の、ごく一部だ。嬉々として、こんなことをする集団でもある。塚本の家は、もう犯罪と戦う方の家柄になっているはずだ。そろそろ、家ごと離れるのが得策だよ。それにはまず、後を継ぐ者から代わってもらわないと」

「……」

「掟の方は、きちんと今の当主から説明してもらえ。その上で、どうするのか決めればいい。さっきの現場を思い出しながら、な」

 古谷の一族は、昔からセイのいる集団の本質を知った上で、生活上の緩い所の手助けをしてくれていた。

 だが、塚本家は違う。

 本質が全て暴かれる前に、暴かれて時には抜け出せなくて苦しむことがないように、今引き離す必要がある。

 後は、先代達に、セイ自身が冷たく接することが出来るかが、今後の課題だった。



このお話はこれで終わりですが、世界観はそのままで、時代や登場人物が微妙に変わる話を、いくつか考えてしまっています。この続きと考えていいのか、これは完結としていいものか……静止画しか書けず、漫画のようにすぐに想像できるお話を書きたいと言うのが、私の昔からの夢でした。それが叶っているのか分かりませんが、読んでくださった方には大変感謝しております。ここまで読んでくださって、ありがとうございました。


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