僕の恋愛遍歴
初恋とは。日本では一般的に初めて誰かに恋したときのことを初恋という。中国だと、初めて成就したときのことを初恋という。つまりそれを知っている僕には2回の”初恋”がある。その2回の初恋を含めて、僕の波乱万丈な恋愛遍歴をエッセイとしてまとめようと思う。
日本の意味での初恋は、幼稚園から。もちろん、その頃には恋愛感情というものはよくわかっていなかった。毎日一緒に幼稚園に行き、一緒に遊び、一緒に帰る。ただそれだけの幼馴染。それが初恋相手だった。同じ日に生まれ、同じ公園で公園デビューし、同じ幼稚園で同じ小学校で同じ中学校でたまに同じクラスにも隣の席になったこともあった。中学生の頃は「これ運命かよ」なんて二人で笑いあったこともある。
転機が来たのは高校時代。お互いに別々の高校に進み、当時はまだ中学の頃は携帯電話を持ってなくて高校に入って初めて携帯電話を持つことができたので、お互いに連絡先を知らなかった。いつもいたはずの姿がないことに違和感があり、はじめてその人を意識した。ベタな展開ではあるが、いなくなってはじめてその重要性に気付いたのである。しかし連絡先も知らないし今どこの高校にいるのかも聞いていない。今までずっと同じだったからわざわざ聞くという習慣がなかったのである。もどかしい思いは日々の部活動に昇華した。部活動で忙しいときにはアイツの顔は出てこない。そう思っていた。
そんなある日、ひょんなことから当時はやっていたSNSに連絡が来た。同じ誕生日。同じ出身校。名前の漢字の一部が使われているハンドルネーム。まさか、と思った。相手もまさかと思って連絡してきたらしい。素直に運命だと思った。それからは毎日メールの嵐。お互いに部活動が忙しかったから、引退まではメールでの交流のみだった。引退してからは一度だけ一緒に遊びに行った。お互いの誕生日が同じだから、誕生日の日にお互いの誕生日プレゼントを買いに行こうというものだった。それまでのメールでどんなものが好きでどんな物が欲しいのかはだいたい見当がついていたものの、はじめて意識して買う誕生日プレゼントは不安だらけで、結局サプライズではなくお互いいっしょに買い物をするということになった。いわゆる買い物デートだと認識していた。結局買ったのは当時流行っていたアニメのキャラクターグッズ。そのアニメは大好きだと言っていたからとても喜んでくれた。その笑顔がまた幼稚園の頃から変わらない愛らしさが有り、懐かしさも相まってますます好きになった。時間がすぎるのがとても早くて、夕暮れ時になると講習があるからと軽い感じで帰っていくのが寂しくてたまらなかった。
本当はこのときに言いたかった告白をいつしようかと悩み抜いて、卒業式の日になった。もうこの日しか無いと卒業式の後にお互いの家の近くの駅で待ち合わせて、そこでおしゃべりしようということで誘った。快諾してくれたので、卒業式の後にすぐ学ランのままじっと家の近くの駅構内で待った。今から考えるとちょっと焦っていたのが、相手の高校の卒業式は、終わった後にみんなでご飯を食べる行事があり、そのあとだったら会えるという意味だったらしい。おかげで午前中にすべてのことが済んでしまった僕は、日が暮れるまで何時間も駅構内でそわそわする羽目になった。
日暮れ時。彼女が電車から降りてくるのがやっと見え、安心するどころか急に緊張が始まった。ちょっとだけ話すというていで誘ったので、家まで送る間に話すということになった。駅からたった5分の帰り道。その5分間のうちに告白しなければならない。家がどんどん迫ってくる。ここまででいいよ、と言われたのは駅からすぐの踏切だった。そこで人生はじめての告白をした。駅で待つ何時間もの間に考えていた何万文字の言葉も、全て真っ白になって消えてしまい、空っぽになった頭の中から残った言葉をすくい上げて告白した。
結果は撃沈。僕のベタな幼馴染との初恋はここで終わった。しかも理由が、嫌いではないが恋愛対象ではないというところまでは普通だが、「私には〇〇がいるから」とアニメキャラを出して言われたのがショックだった。それからそのアニメキャラに対してはなんとも複雑な思いが続いている。
大学に入ってすぐ、グループ内で仲良しの女性の友人ができた。その子は周りからとても人気がある子で、これこそ高嶺の花だと認識していた。幼馴染との映画みたいな初恋を経験してからは自分に自身が持てず、卑屈になっていた。しかしそんな時、ある噂が飛び交ってからこの恋は動き出した。なんとその子が実は僕のことが好きなのではないかという噂だった。当時まだ告白された経験がない僕は人から好かれたことがないと思っていたので、有頂天になり突進するようにアピールを頑張った。その結果、避けられるようになった。後日聞かされたのは、別に好きでも何でもなくデマだったらしいということだった。
その頃ちょっと有名になった地方アイドルの中に、知っている名前があった。幼稚園くらいのときに、同じ音楽教室に通っていた知り合いの女の子だった。当時から自分はアイドルになるって張り切っていたから、やっと夢を掴んだんだなと僕まで嬉しくなった。あの頃もっと仲良くなっていれば、今頃は……なんて妄想したこともあった。幼稚園の頃になんで恋心がなかったのか、ちょっと悔やまれた。
はじめての長期留学の前段階として、2週間の短期留学をしたとき、とても美しい日本人女性と出会った。彼女は他県の学校の数名の短期留学生をまとめるリーダーで、そのあと唯一その中で1年の留学をすることが決まっていた。僕も僕の学校の数名の短期留学生をまとめるリーダーで、唯一その中で1年の留学をすることが決まっていたので、必然的に仲良くなっていった。ファッションに疎い僕に服を選んでくれたり、料理を教えてくれたのもその人だった。二人で遊びに行ったりランニングしたり勉強したり、もうほとんど付き合っているも同然な雰囲気があった。だから、確認の意味で告白した。するとその人には日本にまってくれている彼氏がいるから申し訳ないけど、ということだった。さすがに留学先に定住する予定でもない、たった1年間だということから、それなら仕方がないと諦めるしかなかった。
長期留学の終盤、女友達の中でも特に一緒に遊ぶ回数が増えていた日本人女性がいた。自由奔放でいつも明るくいじられ役で笑いのセンスがある人だった。いっしょにグループで旅行し、日本に帰国してからもお互いの故郷に旅行しあってよく会っていた。その人にはドキドキするような感覚はなかったが、とにかく落ち着く、安心感があった。ある日、もしかしたらこれは好きなのかもしれないなと一瞬だけ疑うと、そこからはもうその人しか思い浮かばなくなっていた。しかしタイミングが悪かった。その人は日本で就職し、僕は3年間の長期留学が決まっていた。ただ、気持ちだけは伝えたいと思い彼女のいる街へと向かって、旅行できたと嘘を付き彼女を誘ってイルミネーションが綺麗なところで告白した。結果はもちろん……とおもったが、意外にもその時は保留になった。断られることを前提にしていた僕はビックリし、結果を素直に待つことにした。元々一緒にグループで沖縄旅行に行くことになっていてもうチケットは手配していたので、そのときに返事をもらった。夕暮れ時、砂浜で、他の人が気を使って二人にしてくれて、そこでゆっくり話をした。付き合ってもいいくらいの良い人だけど、遠距離恋愛には自信がないということだった。キープでもなく、お互いのためにスッパリと友達のままでいようと二人で決めた。その当時から、この恋のテーマソングはMr.Childrenの「君がいた夏」と決まっている。
中国の意味での初恋は、意外にもそれからすぐに訪れた。長期留学の始まりとともに、語学パートナーのお誘いが来た。語学パートナーというのは、中国語を練習するために話し相手になってくれる人で、日本語専攻の彼女からしたら日本語を練習するための話し相手として僕が担当になったということになる。お互いがお互いのメリットのためにいる。元はそういう関係だった。知り合ってから毎日一緒にごはんを食べ、一緒に散歩し、いろいろなことを話し合った。本当に毎日だった。1ヶ月もかからないうちに、散歩の途中に告白してくれた。人生で初めてきちんと告白されたのがこのときだった。そして付き合って2週間で彼女の仕事の影響で学校の近くに住まないといけないことになり、そこから同棲開始。スピードが早すぎるかもしれないとは思ったが、当時はそんなことより初めて付き合えたことが嬉しくて他のことはどうでも良かった。お互いが友人と旅行する時以外、出会った日から今日まで毎日一緒に過ごしている。もちろん喧嘩もするし別れを切り出すけど、結局1日経たずに仲直りする。この関係が壊れることは今現在まだ想像しにくい。
これ以外にも小さな衝動や心動はあったものの、目立ったもので言ったらこんなものだろう。このように、それぞれの恋を短編小説にして、この恋愛遍歴を短編集として出しても良いくらい濃い経験をしていると自負している。2回の”初恋”を含めて、すべてのこれまで恋愛を経験させていただいた女性たちが、僕の恋愛小説の原案になっているのではないかとおもう。この方々が作ってくれたのが”柿原 凛”なのではないかと。事実は小説より奇なり。