うら若き娘のある日の理不尽。
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普段の作品をご存知の方へ。作風が全く違います。全然ほのぼのしていません。ご承知ください。
ウメは、片田舎の事務員をしている二十歳の娘だ。毎日山のふもとの小さな倉庫と隣の小さな事務所で仕事をしている。
「おーいおウメちゃん、今日も頼むわ」
ウメを呼ぶのは今日も微妙な商品を持ち込んできた中年のおっさんだ。来る日も来る日も何かしらを持ってやってくる。それらは全て、狙ったように処理がずさんで取り扱いが雑なので、文字通り日銭程度の額にしかならない。だから毎日働かなければならない。ウメも毎日微妙な評価をおっさんの査定に付け加えるのはすっきりしない。
「こんにちはミミーさん。今日も微妙な査定結果ですね。もう少し綺麗に持ち帰るか、綺麗に血抜きするか、傷を小さくするか、冷やしながら持って帰るかすればもう一段階上げた評価でとれるんですけど」
顔見知り故の気安さで、毎日ウメは評価額を上げるコツをストレートに伝えている。そしてミミーの方も、ウメの助言を華麗にスルーしている。実は聞こえていないのではないかと疑うほどだ。
「ははーっ5000フェーンかーっ!麦酒呑んで二回賭けたら終わりだなあ!ありがとよっ」
酒好きで、賭博好きで、それから風呂嫌いなのは頂けないが、彼の良いところは、どんな査定を下されてもそれに文句を言わないところだ――と、ウメはご機嫌に出て行ったミミーの後ろ姿を眺めやった。
ひどい状態の獲物に値がつけられるわけもないのに、自分の苦労が無価値であったと認められない者も結構いる。だからウメはそういう人には獲物を返して上げることにしている。価値を見出せる誰かのところへ行った方が良いと言い添えて。だいたい、そういう輩はもう二度と来ない。この街の肉屋と食堂を全部巡るらしいが、その後は知らない。だからこの街には狩人が少ない。
「どうして、先人に学ばないかなあ」
ウメはため息を吐いた。机の引き出しを開けて、中に入れてある大ぶりのナイフを見つめる。確かにこの街には狩人が少ないが、三年ほど前までは一人もいなかった。だからその頃ウメは事務員だったけれど、同時に現場作業員でもあった。正直、無意味に過労だった。あの頃に戻りたくはないが、この微妙すぎる品質の商品を取り扱い続けるのも、何やら不快だった。しかしミミーには耳がないのか、毎日行っているアドバイスは一切聞き入れられていない。そりゃ確かに、一人前の狩人だと自負した相手が、受付の事務員ごときにあれこれ言われて気分が良いはずはないけれど。腕はイマイチだけど。だが、この事務所にはこの辺りの商品になる動物に関する詳しい絵図が置いてあって、それは誰でも手にとれるようにしてあるのだ。せめてそれを参考にしてもらいたいと、ウメは毎日思うのである。
事務所受付の時間が終わったのを確認して、ウメは事務所の戸締りをした。もう今日は誰の何も受けつかないという意思表示だ。もしも緊急事態が起きればその限りではないが、緊急な商品なんて見たことないので受付を再開したことはない。ウメは腕まくりするとおっさんが置いて行った傷だらけで血の滴るポポロンテ――穴熊に似ている――を解体することにした。
ミミーの得物はウメが扱うナイフよりかなり細く、長い。傷跡を見ればわかる。皮を剥ぎながらウメは傷を検分する。おそらく最初に与えた傷は、肩口を裂いた大きな傷だ。細く長いから、突き出せば良いのに。なぜ振るのだろう。これでは毛皮が大きく裂けてしまう。
次の傷は、後ろ足を縦に裂いたこれだろうか。逃さないためなのか、しかしこれも傷が大きい。さすがのミミーも内臓部分には傷が入らないようにしているので、買い取れないということはないのだが何しろ傷が多い。枝肉の品質も下がるし、毛皮なり皮なりの品質も下がるし、だいたいこれだけ傷をつけているのに血抜きしてないのもマイナスだ。ついでにしばらく木に吊るしてくれればこんなに倉庫も汚れないのに。そして血臭い肉はウメが嫌いなものの一つである。せっかく美味しくなれるものを、無駄にされたように感じるのだ。
「所長は今日もお戻りじゃなかったと」
ポポロンテを処理し終わり、片付けも終わらせ、倉庫の戸締りも済ませてウメは家に戻った。所長はウメの上司である。先週から都の本社へ出張中で、予定では一昨日くらいに戻ってきているはずだったがまだ戻ってこないようだ。いつものことである。
だいたい所長が都へ行くと、有り金全て使い切るまで帰ってこない。それで戻ってくるたびにお嫁さんが着いてくるのだ。ウメにはよくわからない世界の話である。なんで都に行くとお嫁さんが増えるのだろう。だから所長の家にはもう奥さんが十五人もいる。でもみんな仲が良いし、それぞれ子供が男三人、女四人ずついるのだ。なぜか子供の年齢も性別もほぼ揃っていて、深く考えてはいけない雰囲気がぷんぷんしている。やたら謎の多いお屋敷なので、ウメはお呼ばれしても丁重にお断りする事にしている。
ウメは山の中腹の小さな山小屋に住んでいる。だから通勤は山道を上がるか下るか、とてもシンプルだ。事務服のままウメは岩を飛び移る。毎日通っているとコツも掴める。はじめの頃はがっちりしたブーツで通勤していたけれど、もう今はパンプスで大丈夫だ。なんなら道に飛び出てくるジョモモ――カピバラ的な魔物――もヒールでひと蹴りで済む。だからウメは毎日の行き帰りでジョモモをだいたい五、六匹やっつけて、それらを自分で査定して、自分の評価に付け加える。組織のシステムとしては欠陥がある気がしてならないが、何しろ所長と自分しかいない零細倉庫で所長が出張中なので、仕方ないかとも思っている。因みにヒールで脳天に穴を開けられたジョモモは、煮ても焼いても食べられない。仕方ないので、皮を剥いでは良い感じに毛皮に仕上げて縫い合わせ、ソファーのカバーを作ろうと目論んでいる。一日中椅子に座っているのはくたびれるのだ。
「――?」
もう夕暮れも終わろうかという時間であった。家についたウメが足を止めたのはなぜだったのか。何かしらの違和感か、それとも勘働きか――。しかし、特に何かが起きているわけではなかった。ウメは周囲を見渡し、首を傾げた。それから気のせいだったのかなと呟いて、山小屋の扉に手をかけた。鍵を開け、ノブを握り、そしてそれをひねった。
いつも通り扉を開けたウメが見たのは、闇だった。一面が蠢く黒で埋め尽くされていた。理解が追いつかず、ウメは一瞬硬直したが、それがいけなかった。
ノブを握った手から、凄まじい速度で黒が這い上がってくるのを、ウメは視界の端で捉えた。反射的に手を離して思い切り振ったが、ソレを振り落とすことはできなかった。一歩後ずさったウメを追うように、開けたドアからも黒が波を打って押し寄せてくる。ウメは顔面蒼白になりながら、体の向きを変えて逃げようとした。しかし、一歩踏み出したところで捕まった。
「――っあああああ!」
おぞましさにウメは叫んだ。黒いソレらが這い上がってくる。なりは、羽根のない蝿に見えた。無数の蝿が、身体に集っている。もう首元まで来た。半狂乱で首回りを払い、叩き潰した。しかし後から後から蝿はウメの顔めがけて這い上がってくる。
「あああ!やあああああ!来るなあ!」
おかしくなりそうだった。もう事務服の袖口から、裾から、相当数が潜り込んでいるのがわかる。ウメの全身がざわついていて、処理しきれない感触に怖気立った。がむしゃらに手足を振り回すが無意味であった。
いつのまにか髪の隙間、頭皮を蠢く感触がある。首の真後ろにも、蝿がいたらしい。もう、どこもかしこも蝿だらけだった。見る間にひっつめにした髪の間が気持ちの悪い感触で埋め尽くされる。ウメは両手で頭を鷲掴み、しっちゃかめっちゃかに指の腹で押しつぶした。
そうしている間に、必死になって払いのけた首回りに蝿たちが再び侵攻してきた。気がついたときには顎を越えられていた。
ゾッとして、頭皮から手を離したがもう遅かった。蝿は口に集り、鼻に集り、耳に集り、目に集った。叫び散らしたときに飛んだ唾など障害にもならぬようで、顔中に蝿が集まった。かろうじて目と口は固く閉じたけれど、鼻と耳は間に合わなかった。入り込まれた。
押し合いへし合い狭い鼻腔と耳道に蝿が殺到した。この世のものとは思えない、恐るべき感覚がウメを襲った。目は無事だったけれど、鼻から口には逆流した。蝿は気道にも入り込もうとしたので、ウメはたまらず咳き込み、口は内側からこじ開けられた格好になった。一度でも開いてしまえばもう閉じることはできなかった。息を吐ききった肺はもはや咳をすることが出来ず、吸い込んだ息と共に無数の蝿が侵入するのがわかった。苦しい。異物を排出しようと気道は咳き込むが、蝿の数が多すぎた。そして息を吸い込むたびに空気よりも蝿を多く取り込んだ。
今のウメの姿を誰かが見ることがあれば、びくびくと引き攣る不審な芋虫に見えたかもしれない。それほど、蝿はウメを隙間なく埋め尽くしていた。ウメの呼吸が止まるまで、咳は続いた。しかし、ウメが動かなくなっても蝿は蠢き続けた。
不運にも、所長が出張から帰って来たのは翌日で、だからウメが無断欠勤したのは把握されたけれども誰も困らなかった。所長が戻ってくるのが一日ずれていれば、日銭に困ったミミーがウメの家を訪ねたかもしれなかった。そして所長はウメが二、三日休むことを全く問題視していなかった。むしろ事務所にいれば書類仕事をやらされるばかりなので、所長はウメがいないのは好都合だとすら考えた。縫い掛けのジョモモの毛皮が出しっ放しなのは珍しいなとは思ったけれど、それだけだった。
一週間経って、さすがの所長も何かがおかしいと山小屋へ向かった。そこには一つ遺体が残されていた。遺体は皮膚と内臓がなくなっていて、頭の周りには髪が散らばっていた。服装と髪色から、遺体はウメだと推察されたが、なぜこの異様な遺体が出来上がったのか、理由を突き止めることはとうとう出来なかった。
無人になった山小屋は、その後は誰も住むことがなかったので、やがて風雨で朽ちた。
こんな感じの夢を見ましたので、書き起こしてみました。
起きた後、しばらく眠れなくなる程度の威力があった夢は久しぶりです。
連載してる作品に使えるネタではなかったので、短編になりました。