六号病室
夏の初め。
高校からの友人でナースをしている長嶺桐絵ちゃんに会った。
「未希ちゃん、久しぶり」
待ち合わせた仕事帰りの桐絵ちゃんは、色白で長い髪をアップにして、変わらないすんなりとした細身の姿がナースのイメージそのものだ。
今夜は桐絵ちゃんの家に泊めてもらうことになっていたから、外でご飯を食べてちょっとお酒も呑んでお喋りしてから彼女の家で枕を並べた。
久々のお喋りも尽きない中、私はふと思いついて桐絵ちゃんに尋ねた。
「ねえ、病院てやっぱり夜中に怖いこととかある?」
「そうねえ。うちの病院てかなり古くて今年建て替えが始まったとこなんだけど、あることはあるよ。未希ちゃん、そういうの大丈夫?」
桐絵ちゃんは悪戯っぽく微笑んで言った。
「うん聴きたい。無理そうならストップ!っていうから、話して」
「ならいいよ」
桐絵ちゃんはまたふふっと笑って小さなスタンドを枕元に置き、ポッと点けると室内灯を消した。
すると部屋はオレンジがかった仄暗い明かりだけになった。
「雰囲気出すね、なんか怖ーい」
「ちょっといいでしょ」
桐絵ちゃんは言って枕を近づけると話し出した。
八月のある晩に夜勤をしていた時のこと。
深夜二時にナースコールが鳴った。
廊下の一番奥にある、個室の六号病室に入院している患者さんからだ。
桐絵ちゃんは懐中電灯を持って病室に足を運んだ。
「どうされましたか?」
『ちょっと前から何だか寒くて眠れなくて……』
病室に入ると確かにスーッとした感じで涼しく感じる。
でも室温を確かめると二十五度でそう低くもなく窓は閉めてあるし、エアコンは静かに作動していて故障している様子はない。
「お熱を測ってみてください」と検温したけれど発熱もなかった。
熱が出る前触れかな?と思った桐絵ちゃんは掛け布団を用意して病室に運んだ。
けれどその後患者さんは発熱することなく休んで、翌朝『お布団を余計にいただいたせいか、あれから寒いのは良くなって三時過ぎには寝たと思います』と言った。
桐絵ちゃんは病棟の婦長さんに話して、念の為病室のエアコンを点検してもらうことになった。
寒がっていた患者さんは空いた病室に移ってもらい、病室を移ってからは寒がることもなく無事に退院した。
次の夜勤で桐絵ちゃんがナースステーションにいた時の事。
深夜二時頃、六号病室を写すテレビモニターの画面がチカチカするのに気がついた。
六号病室は重症の人が入院した場合に備えてモニターカメラがあり、病室の様子がナースステーションのテレビ画面で見られる作りだ。
見ると室内で光が動いているようで、一瞬人影が見えたような気もした。
でも今六号病室は空室のはず。
誰かお部屋を間違って入り込んだり、まさか悪戯するとは思えないけど。
何だろう?嫌だな。
でも異常がないか確認しに行かなきゃ。
桐絵ちゃんは勇気を出して懐中電灯を持って六号病室に向かい、ドキドキしながらドアを開けた。
しかし当然のように病室には誰もいなかった。
病室のカーテンは開けてある。
外を通る車のライトでも反射して光が見えたのかな?
けれど深夜だし車はそんなに通らない。
しばらく部屋にいても眩しく感じるほどの光は差し込まない。
あれ?
なんだかスーッとした感じで涼しい気がする。
八月だというのにカーディガンでも羽織りたいくらい。
空室だからエアコンも入れていないはずなのに。
一応エアコンを確認したけど確かに電源は切ってあった。
ナースステーションに戻るとまた何度か六号病室を写すテレビモニターの画面が瞬いた。
でも人影らしいものは見えず、夏のことで外が薄明るくなる三時頃からはチカチカ瞬く感じもなくなった。
その後何度か急な入院で六号病室が使われたけれど、特に何かの変化を訴える患者さんはいなかった。
また別の夜勤の日の夕方、六号病室に動悸と胸の苦しさを訴える患者さんが入院した。
診察の後、簡易型の心電計を身につけてもらい、ナースステーションで心電図を見守っていくことになった。
幸い患者さんの症状は落ち着いていた。
けれどまた、深夜二時頃から心電図の画面にしきりとノイズが入ってきた。
モニターがうまく行かない。
違う器械を持ち出して取り替えたけれど、やはり時々ノイズが入る。
これにはひどく困ったけど、朝方になったら急に正常になった。
これも後から器械を点検してもらって、結局何の異常もなかった。
ある日の夕方、また別の女性の患者さんが入院して来た。
空いている六号病室に案内すると、その人は部屋の前でピタッと足を止めた。
『あの、病室はここ?このお部屋しかないのですか?』
この人なぜそんなことを言うのだろう?
そう思ったけれど答えた。
「はい、ここのお部屋になります。何か気になることがおありですか」
あ、ひょっとして個室だから利用料のことかしら。
カメラもあるし。
「こちらは個室ですが、他のお部屋がなくてこの病室をご利用いただくので利用料は頂かないことになっています。それとお部屋のモニターカメラですが、見えないようにカバーができます」と話した。
その人は少し考えこんでいたけど『なんとか頑張ってみます』と言って病室に足を踏み入れた。
後から女性の友人だと言う人が入院に必要なものを届けに来ていた。
時間を置いて病室に行くと、部屋の隅に何かを書きつけた白い紙と、白いお皿に円すいの形をしたものが置かれている。
これ何だろう。
「あの、これは?」
『盛り塩です。すみません、おかしなことしてますよね』
盛り塩ってお清めとかの?
でもその日は仕事が結構忙しくて、それ以上詳しいことは聞けなかった。
そして六号病室の女性からは特に異変を知らせるようなこともなかった。
その夜勤の後桐絵ちゃんは一週間休暇だった。
休み明けに出勤すると、あの女性はもう退院していた。
「六号病室の女性の方、もう退院されたんですね」
『ああ、あの方ね』と婦長さんが言った。
女性は入院の翌朝、婦長さんに声をかけてきたそうだ。
『婦長さん私、実は占い師で霊感もあるんです』
そして続けた。
『こんなこと言うと頭がおかしいと思われそうだけど、この病室は今、霊の通り道になっています』
『え。お部屋が霊の通り道、ですか?』
唐突な話だったので、婦長さんは慎重に耳を傾けた。
女性は真剣な口調で続けた。
『ええ。この病室からあの世への道が開いているんです。最近、このお部屋でおかしなことが起こっていませんか?私、ここだと霊の通り道の真ん中で寝ていることになるので辛くて……。それで盛り塩とお札を置かせてもらいました。これはお盆が近いせいかもしれません。道は自然に塞がると思うけど、心配だったらしばらく盛り塩しておくかお札を貼っておくといいですよ』
でも昼間の六号病室は特に変わったこともなく、病室に盛り塩やお札を置いておくわけにもいかない。
せめて『道は自然に塞がる』というその女性の言葉を信じて他の病室が使えるときは六号病室を使わないようにしていた。
そうして気づけば九月に入っていた。
あれ以来、六号病室では何事もなく入院する人にも変化はない。
「そのお部屋、今は誰か使っているの?」
「ううん、誰もいないよ」
「そうなの。霊の通り道、塞がったのかな?」
「どうかなあ。私達にはわかんないよね。古い建物との付き合いも秋までだし」
でも、今年の夏はまだこれからだ。
「この夏も不思議なことが起こるかな?」
「何かあったら、また未希ちゃんにこっそり話すね。じゃあそろそろ寝よっか」
ひとつあくびをした桐絵ちゃんは仄暗いスタンドの明かりを消した。