URASIMA TARO
ニヤリ( ̄ー ̄) と笑っていただけたら嬉しいです。
ここは常夏の島ハワイ。ノース・ショアのラニアケアビーチ近くに位置するプライベート・ビーチの一つ。
その浜辺では今、一頭のアカウミガメが覆面をかぶった男達により、よってたかって棒でたたかれ蹴飛ばされている。
――ハワイでウミガメは希少動物として保護されており、普通ならばこのような非道な行為は許されない。だがここはプライベート・ビーチ。早朝の今は外部からの監視の目もなく、止めに入る者もなかった。
そこへ一人の男が通りかかる。ここ一カ月この浜辺で朝の散歩を日課としている若い男だ。男はその光景に驚き、ウミガメを助けるため男達を問いただした。
「君たちは一体何をしているんですか!?」
ウミガメをいたずらに傷つけていた者達は、罰金を恐れてかすぐに逃げ出した。男はとっさに追いかけようとするも、傷ついたウミガメの苦しそうな呼び声を聞いて追う足を止める。
「あぁ、危ないところを助けていただき、ありがとうございます。どうかわたくしに、あなた様のお名前を教えてください」
「お礼など結構ですよ。当然のことをしたまでです。ですが、これも何かの縁ですね。私の名前は浦島太郎と申します。これからは人気のないビーチには極力、近寄らないことですよ」
「はい、ご親切にどうも。あの、わたくしは竜宮の使いをしている者です。いまは乙姫様のお使いの途中でした。きっと、私を助けてくださった浦島さんに主も感謝を伝えたいと言うに決まっています。どうか、私と一緒に竜宮城へいらしてください。このままお礼もせずに浦島さんをお返ししては主に叱られてしまいます。私の背に乗れば、海の中でも困ることなどありませんから、どうか……」
「お気遣いなど無用ですよ。だが、貴女が主に叱られるのも忍びない。折角のお誘いです、少しだけお邪魔しましょう」
そう言って、あらためてウミガメの赤褐色の甲羅を見た男は心を痛めた。傷つき、枯れたように変色した甲羅は、背にまたがるのをためらうほど酷い。
だが男は、余計な事は口にせず、無言でその背にまたがった。ウミガメは嬉々として男を背に乗せ、海の中へと潜って行く。
「しっかりつかまっていてくださいね」
「ええ、ウミガメの背中に乗ることが出来るなんて光栄です。皆に自慢したいくらいですよ」
「そうですか?喜んでもらえて嬉しいです。……けれど、この事は内緒にした方が良いでしょう。動物愛護団体によって罰を受けた方もいるようですから」
「あぁ、あの愚かな若者達の起こした事件ですね、知っています。本来であればここではウミガメには触れることも禁止されている。ですから、こうして貴女にまたがっているところを人に見られれば私もただでは済まないしょうね」
「浦島さんは私が誘って無理に乗っていただいているのですから、そのようなことにはなりませんよ。あなたがいい人だということは私が一番よく知っています」
ウミガメは微笑みながらも、何かに追われるように急いで海の中を進んでいった。
男は海中でも呼吸に困らず海流に流されることなく、色鮮やかなサンゴ礁を通り抜け、ぐんぐんと海底深く潜って行く。不思議なことにウミガメの背に乗った男の衣服は濡れず、水流がまるで風のように吹き抜けて行くのだった。
「水魔法……」
男の低い呟きは、必死に泳ぐウミガメの耳には届くことはなかった。
海底トンネルを抜け、筒状にくり抜かれた岩場の底にそれはあった。
地上から差し込む光が波の模様を海底の白い砂に映し出し、波間を縫って届く日の光が幻想的な風景を作り上げている。
円筒状の岩に囲まれたその中央には豪華な城が建っていた。その周りには色とりどりの熱帯魚の群れが優美にひれを揺らめかせながら泳いでいる。
城門に近付く。するとその門前には、波に揺れる美しい衣装を身に纏った妖艶な美女が出迎えていた。
「ようこそ、竜宮城へ。わたくしは乙姫と申します。このたびはわたくしの大切な使用人を助けてくださったとのこと。本当に感謝してもしきれません。どうか、ごゆるりとお過ごしください。――さあ、どうぞ中へ」
乙姫が笑顔のまま扉の奥へ消えると、カラフルな貝のビキニを身に付けた人魚たちが笑みを浮かべ、男の背を押して奥へ奥へと誘った。
男は楽しそうに笑う女達を一瞥する。
この女達の目には、果たして本当に自分は映っているのだろうか。
女達の目はどこかうつろで、一言も話さずただ笑みを浮かべているだけ。それも夢の中を漂っているような表情だ。
大きな丸テーブルの上には和洋折衷、豪華な食事が並べられていた。酒の種類も各国の銘酒が用意されている。
恐縮しつつ、男が酒の呑めない下戸であることを告げると、無理に酒をすすめられることもなく料理を楽しむよう促された。
吹き抜けのホールには室内を半円状に取り囲む一枚ガラスがはられており、外のサンゴ礁を背景に鯛や平目が舞いを舞う。
一糸乱れぬ動きで見るものを楽しませ、他にも多くの魚や魚介類が男のために様々な芸を見せた。
その間、男は何度かトイレに行くため席を立つ。時折、廊下の隅などにこっそりと小さな二枚貝を落として行ったが。それを咎めるものはいない。
人魚も魚介類たちも、乙姫でさえどこか恍惚とした表情で宴会を楽しんでいた。
ドアの隙間からは、子どもの泣き声や呻き声が微かに聞こえているのだが、男が敢えてそれを誰かに指摘することはなかった。ただじっと音の聞こえてくる方向を確認するのみ。
男が宴会場への廊下を戻ろうとした時、軽いめまいを覚えた。この城にはそこかしこに香が炊きしめられていて、甘い匂いが漂っている。
「安息香に……これは、アルカロイド系?」
漂う香の中には軽い幻覚作用をもたらすものが含まれているようだ。だが、これは長期的に継続して身に浴びることによって効果が出るものだと思われる。男に効果を期待したものではないと判断した。その対象は……。
席に戻った男は夢うつつに踊る魚や人魚たちを見やり、一つ溜め息を落とした。
「どうされましたか?何かお気に触ることでも…?」
「いや、これほどの歓迎を受け、貴女のような美しい方に寄り添ってもらい幸せでつい吐息がこぼれてしまいました。お許しください」
「まぁ、お上手ですこと」
ほほほ、と口元を扇で隠して笑う女は褒め言葉をそのまま受け取り、満足そうに笑っている。まるで子どものように。
気を良くした女は、特別だと言って特製の飲み物を男に作るよう、人魚に命じた。どうやら、奥に運ばれていくあの材料で作られるようだ。ちらりと盆の上に乗せられた足が生えたような木の根をみて男は瞠目する。
――マンドラゴラ……?
根に数種のアルカロイドを含むマンドラゴラ。古くは鎮痛薬、鎮静剤、瀉下薬(下剤・便秘薬)として使用されたていが、毒性が強く、幻覚、幻聴、嘔吐、瞳孔拡大を伴う危険な植物だ。場合によっては死に至る可能性があるため、現在薬用にされることはほとんどない。噂では錬金術や、魔女の秘薬の材料として使われているという。
マンドラゴラが入っていると思われる飲み物が男と女の元に振舞われ、女は美味しそうにそれを飲み干した。美容効果が高いのだと笑う女は、それを飲んでも顔色一つ変えることがない。
宴もたけなわとなり、男にしな垂れかかるようにしてくつろいでいた乙姫は、恍惚とした笑みで男の胸板を撫でていた。時折見せる、女の妬むような眼差しを見ないふりでやり過ごす。
男が笑みを浮かべて頭を撫でれば、女は妖艶な化粧を施した顔に小娘のようにあどけない笑みを浮かべた。そんな女を一瞥し、男がひと際大きく声をあげる。
「ずいぶんと長居をしてしまったようです。そろそろ帰らねばなりません」
「そんな、まだ良いではありませんか。……もし、浦島様さえよろしければ、ずっとここにいて、わたくしの夫となっていただいても……」
乙姫はその豊満な体を男に押し付け、色香を振りまく。
だが、男は家で待つ母が心配だからとその申し出を断った。乙姫は一瞬、冷たい目をするがすぐに柔らかな微笑みを浮かべ、人魚たちに「例の物を」と言いつけ玉手箱を持って来させた。
「これは、竜宮にのみ伝わる宝が入った玉手箱です。竜宮城の秘宝であるこちらを浦島様へさしあげます。ですが、これだけはお約束していただきたいのです。この箱を何があっても決して開けないとお約束してください」
「わかりました、貴女と出逢えた記念に戴いてまいります。決してこの玉手箱を開けたりしないとお約束いたしましょう」
乙姫はそれを聞いて玉手箱を男に手渡した。すると男の手に触れた瞬間、玉手箱がほんのりと熱を持つ。だが、男はそれに何も反応もみせず、またウミガメの背に乗せられて地上へと帰って行ったのだった。
地上へと着く前に浦島は気を失った。ウミガメに掛けられていた魔法が海中で打ち切られたのだ。
気付けば波打ち際に半身を濡らし横たわっていた。既に日は落ち、空には星が瞬く。男の傍らには乙姫から受け取った玉手箱も一緒に打ち上げられていた。
紐はきっちりと結ばれており、開けられた形跡はない。
男は辺りを見回して、見覚えのない景色を何度も確認する。
「ここはどこだろうなぁ」
そんな呟きをもらすが、男に焦ったような様子は見られない。むしろ、それまでどこかぼんやりと人の良さそうな顔をしていたのが一変して、鋭く研ぎ澄まされた刃のような眼差しに変わっていた。
ここへ男を運んだ狙いは、どことも知れぬ場所で不安に陥った男がこの箱を開けてしまうことを狙ったものだろう。
玉手箱を受け取った際に契約魔術の発動を感じた。
アレは多分、約束を違えることで何かしらの罠が発動するものだ。竜宮城での宴会も乙姫の接待も、全ては男にこの玉手箱を開けさせるための撒き餌でしかない。
本命は、開けないと約束したこの箱を開けさせること。
波音だけがさざめく砂浜に人気はなく、周囲には人工の灯りも見えない。ここはどうやら無人島のようだ。しばらく地形や海水温、星座などを確認した男は懐から小さな薄いカードのようなものを取り出し、指をスワイプさせた。
寄っては返すさざ波が時を忘れさせるような空間に、コール音だけが異質に響く。
三回のコールでカチャッと受話器を上げる擬音がスマホから聞こえた。男は静かな、それでいて落ち着いた威厳ある声音で話し始めた。
「インターポールの浦島です。警視庁長官に取次を。はい、そうです。――――ご無沙汰しております。浦島です。緊急協力を要請いたします。はい、世界会議の案件です。世界的犯罪組織、RYUUGUUNOTUKAIの本拠地を発見いたしました。主犯格の一人、OTOHIMEの本人確認は済みました。人質も複数確認、詳細な数や監禁・拘束場所などは全てこちらで把握済みです。私の現在地をお知らせしますので、迎えをお願い致します。乗り込み次第、そのまま現場へ直行しますのでお付き合いください。えぇ、そのように取り計らいます。こちらは東京都西之島、西側付近の海岸です。はい、はい。では、よろしくお願い致します」
通話が切られ、30分も経たぬうちに夜空からプロペラ音が轟いた。男は日本政府の素早い対応に深く感謝する。
彼は国際刑事警察機構、通称インターポール所属の熱帯・亜熱帯海域担当官TARO・URASIMA。
現在活動中の犯罪組織の中でもなかなか尻尾を掴ませず逃げ回っていた指名手配組織を摘発するため、呼び寄せられたのがこの男だ。
彼はその平凡な容姿を活かし、潜入捜査の第一人者として影でささやかれる人物だ。仕事の特性上、彼の顔を知る者は少ない。だが、その功績は多大。
数多の犯罪組織を壊滅に追い込み、狙った獲物は絶対に逃さない。今回その標的となったのが、犯罪組織RYUUGUUNOTUKAIとその主犯格OTOHIMEだった。
だが、今回の摘発は彼にとっても因縁深いもの。
彼の祖先が昔、乙姫の起こした犯罪に巻き込まれた過去があった。浦島家は子を亡くした母の悲しみを代々語り継いできたのだ。
それは遠いむかしむかしの物語。
その後の動きは迅速だった。
浦島とその仲間の迅速かつ丁寧な下調べのおかげもあって仕掛けておいたGPSを辿って竜宮城の場所を特定。現在活動拠点となっていたハワイ沖に建設されていた竜宮城は一網打尽に押さえられ、OTOHIMEも逮捕される。
この大捕り物はインターポールの大勝利で終わった。
人質をとられ強制労働させられていた者や奴隷として物言わぬ人形とされていた人魚族、洗脳を受けていた半魚人族の男達はすぐさま病院へと搬送された。
彼らが社会復帰できるかどうか、それは本人達の努力次第。彼らが素直に罪を認めるかどうかが判断の分かれ目となる。
人質とされていた子ども達は無事に親元へ還され、今しばらくは親子の時間を持てるよう配慮されることだろう。
浦島は加害者であり被害者でもある最後の一人に会うため、またハワイのプライベート・ビーチが並ぶ浜辺に向かっていた。
サクラ役を担っていた半魚人族の男たちが一向に現れず、当惑した様子のウミガメが一頭、浜辺に佇んでいる。
「――貴女はアカウミガメで間違いないですか?」
「っ!……あ、あなたは浦島さん!?どうしてここに……」
甲羅も爪も皮膚もぼろぼろのアカウミガメが、驚愕に首をすくませた。ひどくおびえた表情をして、目を泳がせている。
「もう、心配はいりません。あなたの卵は無事ですよ」
「!?……ほ、本当ですか?」
アカウミガメは息をのんで首を伸ばすと男の目をしっかりと見つめた。
「ええ、貴女が今年産卵した60個の卵たちは日本のハヤマという場所で、手厚く保護されています。貴女が方向感覚を狂わされて産み落とした卵を運よく、日本人男性が見つけてくれたのです」
「あ、あぁ、うあぁぁぁ!!」
アカウミガメの母は嗚咽交じりに泣き崩れた。
RYUUGUUNOTUKAIの一味である洗脳された半魚人メンバーによって、意図的に方向感覚を狂わされたアカウミガメの母達が今までに何頭も行方不明となり、無残な姿で見つかっていた。
今目の前にいるこの彼女も、産卵のため向かっていたオーストラリア北部から方向感覚を失わされ、卵を産んだ場所の特定も難しく太平洋をさまよったのだろう。そんな不安の中で卵を盾にされた彼女はOTOHIMEに従うほかなかったのだ。
我が子を守るために。
「お子さんはもう大丈夫。……しかし、脅されていたとはいえ貴女のしたことは犯罪です。ウミガメ愛好家の、ウミガメに触れてみたいという純粋な心を利用して、誘い込み、甘い言葉でOTOHIMEの洗脳や玉手箱の一方的な契約魔術で若さを吸いとったこと、その罪は裁かれなければなりません」
「えぇ、わかっています……我が子可愛さとはいえ、自分のしたことは自覚しているつもりです。ですが、まだ産まれてもいない我が子だけは、どうか、どうか、お許しください!」
首を極限まで伸ばしてすがる母の姿に、男は憐憫の表情を浮かべた。
「……貴女も、住む海域の違う場所で、環境の変化による体調不良など辛いことがたくさんあったでしょう。そんなに身体がボロボロになるまで働かされて……」
本来であればアカウミガメの生息域は、大西洋、太平洋、インド洋、地中海の亜熱帯・温帯域。
アメリカ東部、ブラジル、オーストラリア北部、オマーン、南アフリカなどが産卵地として有名だ。
もちろん日本においても産卵が確認されている場所はある。だが、彼女が仕事をさせられているこの場所はハワイ。熱帯・亜熱帯地方の海の比較的水深が浅いところに生息するアオウミガメが多い場所。
住み慣れた場所を離れ、産後の身体を押して働かせられた彼女の姿を見れば、先はそれほど長くないことが見て取れた。
「情状酌量の余地は十分にあると思います。ですから、ご自分の犯した罪をしっかりと認め償ったうえでお子さんに会いにいってやってください。それまでは水族館関係者のもとで手厚く保護すると約束いたしましょう」
「……いいえ、いいえ、いいんです。子ども達が元気に孵って海へと辿りつけさえすれば、それだけで母は満足です。私はしっかりと罪を償うつもりです。……浦島さん警察まで、一緒についていってもらってもいいでしょうか?」
「――ええ、もちろんですよ。では、参りましょう」
「……はい」
母ウミガメの目から涙のような体液が一筋こぼれた。
アカウミガメの名前の由来は、甲羅の背中側の色からきている。体の色は背中側が赤褐色、腹側は淡黄色。他のウミガメに比べて大きい頭部も特徴で、甲羅は少々ゴツゴツとしていて、甲羅の周囲の部分がギザギザしている。
浦島は、本来ならばいるはずのないアカウミガメが、ハワイ沖で目撃されたとの情報から捜査を始め、見事に犯罪組織の動きを突き止めたのだ。
男は一度深く目を閉じて、彼女の甲羅に手をかけ、最寄りの警察署までの道をゆっくりと気遣うように進んでいった。
彼女の産んだ卵達は、9月下旬に孵化を果たし力強く海へと還って行った。
その様子を遠くから見守る男の影が葉山の浜辺にあり、最後の一頭が波間へと消えていくのを確認し去って行く。
その後、アカウミガメの子ども達の動きを確認することはできていない。だが、翌年以降も日本の太平洋側ではアカウミガメの産卵が続いているという。その中に、あの60個の卵から孵った子ども達がいるかもしれない。そう思うだけで心が温まるようだ。
また今年もアカウミガメの産卵時期が近づこうとしている。もし、浜辺でいじめられているカメを見つけたらあなたも勇気を出して彼らを助けてあげて欲しい。
罪を憎んで人を憎まず。それが、浦島家の思いである。
母の愛から受け継がれた、犯罪をこの世からなくしたいという切なる思い。
それが今日も男の背を押す。
インターポールの事務総局があるリヨン。その町にひっそりと建つビルの一室で男が受け取った玉手箱は眠る。
――世界が終るその時まで。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!