渡名波駐屯地
10月6日 日本列島より遠く離れた海上
雷雲が空を覆い、雨水を吸った海原は大きく膨らみ、暴れている。大嵐に見舞われているその海域で、1隻の帆船が高波に揺られていた。
「すぐに帆を畳め! 千切れるぞ!」
船長の指示が飛び、それを受けた水夫たちはメインマストの上へ登ろうとする。しかしマストを登る程に雨風が強く打ち付け、シュラウドやヤードにしがみつくので精一杯だった。余りにも強すぎる追い風を受けて、帆はパンパンに膨らんでいる。
ビリビリッ!
そうこうしているうちに、布が破れる様な音が聞こえて来た。見上げてみれば、メインセイルに大きな裂け目が出来ている。
「メインセイルが! しまった!」
破れてしまった帆を見て、船長は顔を青ざめる。
そして・・・
「うわあああ!!」
航行能力を失った船に、巨大な横波が襲いかかる。船はそのまま横転し、マストで作業をしていた水夫たちは海へと投げ出された。船乗りたちの断末魔は雷鳴に掻き消され、船があった場所には木片や瓦礫が浮かんでいた。
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10月7日 日本政府特別直轄地 夢幻諸島・北島 渡名波駐屯地
沖縄本島よりさらに南南西方向へ600kmほど離れた場所に、日本政府がこの世界へ来て初めて編入した領土である「夢幻諸島」がある。20日前に自衛隊が発見し、新たな駐屯地が設置されたそこには、官民合同の資源調査団が派遣されていた。
沖合では海洋研究開発機構の地球深部探査船である「ちきゅう」によって、試験的な海底油田の採掘が開始されており、砂浜ではグアノ鉱床の調査が行われている。さらに海岸に面した平原には、自衛隊によって設営された数多の仮設住宅が並んでおり、約1ヶ月後に上陸する予定の開拓民たちを受け入れる態勢が整いつつあった。
そしてこの日も何時もと同じ様に、調査活動を終えた調査員や自衛隊員が、土汚れの付いた身体を引き摺って宿舎へ帰って来る。夢幻諸島は4つの大きな島と、その他大小様々な所属島嶼からなっており、資源調査団が各地に散って地質や埋蔵資源の調査を行っていた。
(まだ試掘段階だが、グアノ鉱床は相当量の採掘が見込めそうだ。流石は人の手が触れていないだけの事はある)
民間企業から派遣されている村田は、調査結果が書かれた書類を見ながら、宿舎に面した砂浜を歩いていた。彼が今日調査していたグアノ鉱床とは、海鳥の糞が堆積して出来た鉱床のことであり、農業肥料に欠かせないリンが採掘出来るのだ。
(明日からは非鉄金属の探索現場に回らないと・・・)
村田は明日以降の調査内容について考えていた。西の水平線を見れば、真っ赤に染まった夕日が既に半分ほど沈んでいる。
(この世界の太陽も、東から昇って西へ沈むのか)
鮮やかに美しい夕日の姿を見て、村田はわずかな懐かしさを感じていた。彼はしばしの間、その見事な夕焼けに目を奪われる。
そして数分後、夕日に満足して宿舎に戻ろうとしたその時、彼は沈みかけている太陽の下に奇妙な物体が鎮座している事に気付いた。
「あ、あれは・・・!?」
事態に気付いた村田は、一目散にその物体の下へ走り出す。昨日までは無かった筈の木造帆船が、いつの間にか砂浜に打ち上げられていたのだ。
「こりゃあ・・・酷い」
帆船の側まで駆け寄った村田は、その余りにも悲惨な様子に顔を歪ませる。帆船は完全に横倒しの状態になって倒れており、あちこちに大穴が開いていたのだ。嵐にでも遭遇したのだろうか、ここまで流されて来たのが奇跡だろう。
「・・・?」
何処からか人の呻き声に似た音が聞こえて来る。村田がその声がした方へ駆け寄ると、瓦礫の下に水夫と思しき人間の姿があった。
「君、大丈夫か!?」
村田は急いで瓦礫をどかすと、その水夫の身体を抱き上げて頬を叩く。意識は定かでは無い様だったが、呼吸はしており死んではいない様子だ。
「村田さん! これは一体!?」
ちょうどその時、村田と同じく漂着した木造帆船に気付いた自衛隊員たちが、彼に遅れて現れた。その中の1人である山崎二尉は、村田に事態の詳細を尋ねる。
「何処の船かは分からないが・・・早朝の嵐に乗って漂着した様だ。この人はまだ息がある。探せばまだ生存者が居る筈だよ!」
「わ、分かりました! おい、生存者の保護とけが人の手当を急げ!」
村田の言葉を聞いた山崎は、自身が率いる第一調査団の隊員たちに指示を出す。その後、駐屯地から続々と自衛隊員たちが集まり、国籍不明の船乗りたちの救助活動に当たった。
結果として発見された木造帆船の乗員は20人ほどしかいなかったが、その全員が衰弱しきっていたため、彼らはすぐさま駐屯地の簡易病院に運び込まれたのだった。
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翌日 渡名波駐屯地簡易病院 集団病室
白衣を着た医官や看護師たちが、並べられたベッドの間を縫って忙しそうに動いている。渡名波駐屯地に設営されている簡易病院は、突如流れ着いた漂流者たちの治療でてんてこ舞いの状態になっていた。
「嘘だろう・・・生きてる」
集団病室の一画にあるベッドの上で1人の男が目を覚ます。帆船の乗員であるジェニアは、自らの生存を信じられずそうつぶやいた。周りから聞こえる喧騒に気づいて辺りを見渡すと、仲間たちが同じ様な白いベッドに寝かされている。
「おや、お目覚めになりましたか?」
突然横から聞こえた声の方へ、重い頭を振り向ける。そこには白い衣装に身を包んだ壮年の男が居た。
「貴方は・・・?」
「私は夢幻諸島第三調査団医官の笹川武彦と申します。この病院に勤める医師の1人ですよ」
「び、病院・・・?」
笹川の言葉を聞いたジェニアは改めて周りを見渡す。すると、白いベッドに寝かせられている自分や仲間たちの手足や頭に、包帯が巻かれていることに気付いた。ジェニアは事此処に至って現在の状況をようやく飲み込めた様だ。
「我々を治療してくださったのですね、ありがとうございます。私はロバーニア王国の商人でジェニア=エソファガスと申す者です」
ジェニアは上半身を起こすと、感謝の言葉と自らの素性を述べる。
「無理はしないでくださいね、まだ治療は終わっていないんですから。そう言えば、貴方方は一体何故、この島に漂着していたのですか?」
意識を取り戻したジェニアに、笹川は漂流した訳を尋ねた。
「・・・実は」
ジェニアは顔を俯け、2日前の出来事を思い返す。その後、彼は船が漂着してしまった経緯について述べ始めた。
彼らは「極東洋」のほぼ中央にある「ロバーニア王国」という島国から「ノーザロイア島」に向かう予定の商人だったのだが、その航海の途中でひどい嵐に遭い、漂流してしまったのである。
(確かに言葉が通じる・・・、一体なぜ?)
笹川はジェニアの話を聞いている中で、イラマニア王国と接触した日本政府の報告通り、異世界の人間とは言葉の壁が存在しないことに驚いていた。
何故話し言葉の垣根が無いのか、その事について日本政府はイラマニア王国との情報交換会の場で彼の国の使節団に尋ねたが、この世界の住民たちにとっては異種族同士でも話し言語が通じ合うのは当然のことらしく、困惑した表情が返ってくるだけだったという。
「失礼ですがあなた方の装束を見るに、極東洋文化圏やノーザロイア文化圏のものではありませんね。ここは一体なんと言う国なのですか?」
今度はジェニアが笹川に質問を投げかける。彼にとって、笹川を初めとする医療スタッフたちが着ている白衣は見慣れない服飾だった。周りを見れば、心電図の計測器や点滴装置など、ジェニアから見ればよく分からないものが並んでいることもあり、彼はわずかな警戒心を抱いていた。
「ここは日本国の南端領土である夢幻諸島という場所です」
「ニホン国? 聞いたことのない国名ですが・・・」
聞いた事の無い国名を聞かされたジェニアは、途端に怪訝な表情を浮かべる。聞き慣れない地名、見たこともない文化、もしや世界の東端のさらにその先の未知の領域の未知の国に流されてしまったのではないかという不安に駆られていた。
「ご心配なさらなくても、ここはあなたのおっしゃるノーザロイア島よりそう遠い場所ではありません。我々も2週間程前に無人だったこの諸島を発見し上陸したのです」
「はて、この極東洋で開拓可能な無主の島など、そう無いはずですが・・・」
ノーザロイア島や日本列島の南側に広がり、世界の東の最果てに位置する此処、極東洋には大小様々な島々が点在している。だが、居住可能な島の殆どが有人島であり、新たな開拓が出来るほどの無人島など、ジェニアが知る限りは存在していなかった。
「もしや・・・ここは『海の底』ではありませんか!?」
ある可能性に思い至ったジェニアは、血相を変えて笹川に問いかける。
「『海の底』?」
「ええ・・・世界の東の果てにある“海流の渦の中心にある諸島”、そこを我々は『海の底』と呼び、恐れているのです」
ジェニアが述べた説明によると、この夢幻諸島は周辺を流れる海流の流れが特殊であり、帆船の場合上陸は容易だが脱出が非常に困難で、それによる開拓の困難さから極東洋と呼ばれる海域に点在する各島国の住民は、ここを『海の底』と呼び、付近の海域には近寄らないようにしているらしい。
それがこの広大な諸島が無主地である所以であったのだ。
「・・・なるほど、そういうことだったのか」
極東洋に暮らす人々がこの諸島を恐れ、この広大な島々が無人である理由を知った笹川は、納得した様子で頷いていた。
「それならば、我が国の船であなた方の国へ帰還できるように、本国政府に連絡致しましょう。我々の船は海流や風に逆らって海を進むことができるので、ご心配する必要はありません」
「・・・え」
風に左右されずに進む船・・・帆船しか知らないジェニアは、そんな船がこの世に存在するのだろうかという疑問を抱いていた。だが此処は彼らの厚意に頼るしかなく、ジェニアは改めて笹川に頭を下げる。
「・・・よろしくお願いします!」
斯くして2025年10月8日、資源探査を行う中で、イラマニア王国に次ぐ国家勢力である「ロバーニア王国」との接触を果たした夢幻諸島の資源調査団は、この一件をすぐさま日本政府へ報告した。
そして5日後の10月13日、日本政府は新たなる国と国交を築く為、外務省から派遣された外交官を乗せた護衛艦「いずも」を渡名波駐屯地へ派遣した。そして同地にて療養中だった漂流民を乗船させた後、「いずも」は彼らの故郷であるロバーニア王国に向けて出発したのである。
さらに1日後、日本使節団はロバーニア王国の首都オーバメンへ到着し、漂流民の引き渡しと現地政府との接触に成功する。日本の技術力の一端を目の当たりにしたロバーニア王国政府と国王アメキハ=カナコクアは、イラマニア王国と同じく日本との友好関係を築くことを決め、こちらからも日本へ使節を派遣することを決定したのだった。
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10月31日 日本国 首都東京・千代田区 首相官邸
日本国の転移から1ヶ月半以上が経過したある日、この国を治める閣僚たちが、内閣総理大臣の居城である“首相官邸”に集まっている。
「では・・・会議を始めます」
蒼々たるメンバーが顔を揃える中、首相である泉川耕次郎の声に端を発して、転移後に何度行われたとも知れない「国家安全保障会議」が、この日も開催されることとなった。
「国家安全保障会議」とは、日本の安全保障に関する重要事項を審議する機関として、内閣に設置された組織だ。その議題は本来なら主に国防に関する事項になるのだが、今回の会議で審議する事項は“重要影響事態への対処”について、即ち、日本という国を襲った「転移」という名の天変地異によって、足腰が立たなくなった日本の経済事情や食糧事情、エネルギー供給事情に対して今後どの様に対処し、どうやってこの国を存続させていくのかについてである。
「・・・現在、夢幻諸島で行っている資源調査・開発についてですが、海岸部にて相当量と思しき海底油田が発見された他、海浜でのグアノ鉱床、また内陸部ではレアアースの出土を認めています」
最初に発言したのは、転移後に設置された特命担当大臣の1つである「夢幻諸島及び海外開発担当大臣」の任を務める笹場茂だ。
「それに補足ですが・・・国内における閉鎖された炭鉱の再開発も順調に進められています。失業者の再雇用先としてうってつけでしたからね」
次に発言したのは、経済産業大臣の宮島龍雄だった。
経済産業省は石油の輸入途絶による火力発電の停滞に対処する為、数十年前に閉山されていた国内の炭鉱の再開発を行っていた。かつて国内の炭鉱が次々と閉山されたのは、外国産の安価な石炭に圧された為であり、採掘可能な石炭はまだかなりの量が眠っているとされているのだ。
「農林水産省はどうですか?」
首相の泉川は農林水産大臣の小森宏に話を振る。尚、本来ならば農林水産大臣は国家安全保障会議へ参加することは無く、彼は臨時の議員という形でこの会議に参加していた。
「食糧の輸入についてですが、ノーザロイア島からの小麦の輸入に続いて、先日国交樹立の目処が立ったばかりのロバーニア王国から、果実や魚介類の輸入が開始される予定です。必要量と比較すればまだまだ足りませんが、夢幻諸島で建設中の巨大農園が完成するまで、輸入は続けなければなりません。ただ、日本国内でも第一次産業への従事者が急増していますし、食料自給率については改善されていくでしょう」
2025年現在、日本の食料自給率はカロリーベース換算で75%程であり、食料輸入に頼れなくなった今は、無駄な食料消費を防ぐ為、外食チェーン店や食料品店は軒並み閉店状態になっていた。自給率100%を達成するまで、農林水産省主導の配給制度が継続される予定である。
「外務省は現在、国交が持たれている国々から得た地理情報を素に、周辺海域の地図の作成に当たっています。判明している事としては、日本列島がある此処は“世界の東端”に当たる場所の様で、ここから東には国は存在していないらしいですよ」
外務大臣の峰岸孝介は、この世界について判明した情報を伝える。その後、彼が説明したのは以下の様な事だった。
この世界、即ちこの惑星は一般的に「テラルス」と呼ばれている。テラルス世界は大まかに分けて3つのエリアに別れており、現在の日本列島がある区域は「東方世界」というエリアらしい。
この東方世界には、イラマニア王国が位置する「ノーザロイア島」、ロバーニア王国の他大小様々な28ヶ国の島国が点在する「極東洋」があるが、さらに西へ行った先に「ウィレニア大陸」という大きな大陸があるというのだ。
「・・・で、そのウィレニア大陸についてですが、2つの“列強国”によってその広大な土地を二分されているらしいのです」
「・・・列強? この世界にも列強という概念があるのか?」
外務大臣の発言を聞いていた官房長官の春日善雄は、峰岸に問いかける。
「ええ、その2カ国を含んだ“7カ国”・・・この世界は7つの大国に牛耳られている。そして世界の頂点に立つその7大国を、龍になぞらえて『七龍』と呼んでいるそうです」
「・・・“七龍”?」
「はい・・・その七龍の中で地理的に我が国と最も近いのが、ウィレニア大陸の東半分を統治する『アルティーア帝国』という国、我々外務省は、近いうちにその国へ使節団を派遣する予定です」
「・・・!」
この世界における“大国”との接触、すなわち“列強国”との国交樹立に動こうという峰岸の言葉を聞いて、閣僚たちの間に緊張が走る。
「列強との交易が出来れば、貿易市場は大きな拡大を見せる。死に体の日本経済にとって一筋の光明となるでしょう。ですが・・・くれぐれも慎重にお願いしますよ」
首相の泉川は、アルティーア帝国との交渉に際して細心の注意を払う様に、外相の峰岸に釘を刺す。
「勿論・・・承知しています」
若き首相の言いつけに対して、峰岸は含みのある表情で答えた。
その後も各省庁からの報告が相次いで議題に上がり、数時間に渡る討議の末にこの日の国家安全保障会議は終了した。外務省は最初の列強国との国交樹立交渉に向けて、アルティーア帝国に関する情報の収集に力を入れることとなる。




