使節の手記
10月2日・朝 イラマニア王国 首都アリナー 港
この日の朝、ノーザロイア島の東端に位置するイラマニア王国の首都アリナーの港に、王国政府から派遣された役人たちが集まっていた。イラマニア王国外交局長官のミヒラ=スケレタルを首班とする彼らは、国王より「遣ニホン国使節団」の任を預かっている。彼らは港の桟橋で、日本国より派遣された1人の男と対面していた。
「初めまして、イラマニア王国使節団の皆様。私は日本国外務省より派遣されました南大悟と申します。皆様のご案内役を務めさせて頂きます」
「・・・イラマニア王国外交局長官のミヒラ=スケレタルと申します。国王陛下より使節団代表の任を預かっております。ダイゴ殿、こちらこそ宜しくお願いします」
両国の代表者が自己紹介と握手を交わす。案内役の南は今後の予定について説明する。
「あれが我が国の客船『オリエンタル・オーシャン』です。皆様にはあの船に乗船して頂きます。尚、この港の水深が足りない為に着岸出来ませんでした。なので、別の小型船にてあの船まで向かいます」
南が指し示した先には、日本国の使節が現れた最初には居なかった、白い巨大な船が海の上に浮かんでいた。
「またあの船の護衛として、我が国の海軍艦である『あきづき』が随伴します。1日もあれば到着すると思われます」
南はそう言うと、客船の隣に浮かんでいる灰色の巨大艦を指し示した。最初にイラマニア王国へやって来た日本国の使節が乗ってきた艦である。
(・・・本当に大きいな、帆が付いていないが風で進むのでは無いのか・・・? そう言えば、西方世界の列強国は自走機関を持った船を開発していると聞いたことがあるが・・・。とは言えども、あれほどに巨大な船・・・列強国でさえ有していないだろう)
使節団代表のミヒラは、沖合に停泊している日本国の客船と軍艦を見て考えを巡らせる。今の時点で彼らが分かる事は、日本という国が少なくとも、彼らが持ちうる常識の範疇を超える技術を持っているということだけだった。
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使節団代表ミヒラ=スケレタルの手記
10月2日
この日の朝、我々はニホンの客船に乗りニホン国本土へ出発した。
我々の案内役としてニホン国の外交担当機関からダイゴ=ミナミという者が派遣されている。本人は「南大悟」と名乗っていた。ニホン国では姓名の順序は我が国とは逆のようだ。
ニホンの船は城と見間違う程大きく、鉄で出来ていて帆もついていない。まさに異世界の船とも言うべき我々の常識からかけ離れたものだ。それによる船旅も我々の常識からかけ離れた快適すぎるものである。船の内装は我が国の王城を凌ぐ程に絢爛であり、船と思えないほどの速さで海を進んでいるのにも関わらず、あまり揺れもせず、艦内は船の中とは思えないほど明るいし、湿気もない。そして優れた食糧保存技術によって、船内で出る食事は新鮮でみずみずしく、我々が今まで地上で食べてきたものより美味な程である。
客船の護衛として「あきづき」という、ニホン国がイラマニア王国への最初の接触に用いたニホンの軍艦が伴走している。こちらも客船と負けず劣らず大きいが、南殿の話によるとニホン海軍は、この「あきづき」を初めとするゴエイカンという種の軍艦を50隻、また艦艇総数ならば140隻の艦を所有しているという。海軍の一般的な軍艦所有数としては少ないが、それはこちらの世界の一般的な帆船軍艦であればの話である。これほどの艦が50隻または140隻あるとすれば、少なくともこの極東世界などあっという間に征服できるだろう。
10月3日
遂にこの日の夜、ニホン国の西にあるキュウシュウという島の港街であるナガサキ市に到着した。
ニホンの港は継ぎ目の無い石造りで覆われており、とても強靱な仕様になっている。これほどの頑丈さなら、我が国のように嵐が来るたびにいちいち多大な損害を出さずに済むだろう。
港に降りた我々の前に自走する巨大な箱、バスという種の「自動車」が現れる。南殿の説明によると「自動車」という乗り物は内蔵の動力を持っており、我が国における馬車のような扱いだと言うが、馬車とはとても似ても似つかぬ姿である。そして港から市街地の中へ入って行くバスから目にしたものは、見たこともない程に繁栄している都市だった。
そびえ立つ高層建造物群、その間を自動車がめまぐるしく尚且つ規則的に動いていて、地面は先程述べた継ぎ目の無い石造りで出来ている。さらに街全体がまばゆいばかりの光を放っており、夜だというのに街中は視界の限り見渡せるほど明るく、とてもこの世の都市とは思えないほど美しい。まさに異世界の都というべき別世界が、そこには広がっていた。
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10月4日 九州地方 長崎県・長崎市
イラマニア王国使節団が日本に到着してから2日目、日本政府が用意した稲佐山のホテルで目を覚ました彼らは、2階の会議室へと集まっていた。今、彼らは、室内に設置された長机を挟んで、日本国の代表者たちと向かい合う様な形で着席している。
「ミヒラ殿、窓からの景色・・・ご覧になりましたか?」
使節団の1人であるガイラス=ブロードマンが、隣に座っていた使節団代表のミヒラに年甲斐も無いわくわくした表情で話しかける。
「ああ見たよ、あれは凄かった・・・。まるでこの世の宝石を全て散りばめた様な・・・素晴らしい景色だった」
ミヒラは部屋の窓から眺めた長崎市の夜景を思い出す。「日本三大夜景」の1つに数えられるこの街の夜景は、見事に彼らの心を奪っていた様だ。とは言っても、転移によって石油の輸入が途絶えた為、計画停電の真っ最中で実際の美しさにはほど遠かった訳だが。
『イラマニア王国の皆様、改めましてようこそ日本国へ! 今回の“情報交換会”において司会進行役を務めさせて頂く白鷺和香伍と申します。ではまず、私たちの方から、この国“日本国”についての説明をさせて頂きます』
会議室の最奥にある壇上に、白鷺と名乗る男が現れる。マイクによって増幅された彼の声が、室内のあちこちに設置されているスピーカーから聞こえて来た。そして彼が舞台袖に控えている裏方に合図をした後、会議室の照明が暗くなる。
その直後、天井から降りてきたスクリーンにプロジェクターによって映し出されたスライドが現れる。ざわめくイラマニア王国の面々を余所に、白鷺は説明を始める。
『では図や写真を交えながら、我が国に関する概要を説明させて頂きます。我が国は本土4島とその他大小6千個近い島々からなる島嶼国家であります。総人口はおおよそ1億2千万、その10分の1に当たる1千2百万が首都である“東京”に居住しております』
「い・・・ちおく!?」
白鷺がさらっと述べた言葉に、ミヒラは驚愕していた。この島国に自国の150倍を越える様な人口がうごめいているというのだろうか。イラマニア王国の面々は怪訝な表情で顔を見合わせる。
『こちらが首都の写真です。我が国は政体として“立憲君主制”及び“議会制民主主義”を採用しており、国家元首である“天皇陛下”及び“御皇室”の居城である皇居、全国民の投票による普通選挙で選ばれる議会制の立法府である“国会”、行政府の長である“内閣総理大臣”の住まう官邸、司法権の頂点にあたる“最高裁判所”など、この国の中枢機関が全てこの都市に集中しております。都市としての規模、経済力もこの長崎市の様な地方都市とは比較になりません』
スライドに映し出された異次元の大都市の姿を見て、イラマニア王国の面々は一層大きなざわめきを見せる。
『首都に居を構える我が国の皇室は、歴史的に判明している範囲で1500年、神話の時代を含めると2600年の長きに渡って存続しております。また、我が国は国教を定めておりませんが、太古に渡来した“仏教”と呼ばれる宗教と、民俗信仰・自然信仰から発展した我が国由来の“神道”が国民の生活に色濃く根付いております。国政議員を含めた一般の国民の間には階級制度は無く、加えて男女間の平等を是としており・・・』
その後も移り変わるスライドを交えながら、白鷺は日本国についての説明を続ける。国政の形態、文化・経済、日本国内を歩く時の注意点等々、イラマニア王国の面々は白鷺の説明に注意深く耳を傾けていた。
『・・・では、最後に我が国の軍事力について説明させて頂きます』
「・・・!」
1時間に及んだプレゼンの終盤、議題は日本国が誇る国防組織である“自衛隊”に関する説明に入る。イラマニア王国側にとっては最も関心の高い情報であり、スクリーンに向けられる彼らの視線はより鋭いものとなった。
白鷺は陸海空の自衛隊の大まかな規模や装備について説明し、それに加えて、日本国は憲法によって自発的な戦争を放棄しており、自衛隊が他国より宣戦された場合のみに動く軍である事を強調して説明した。
『では最後に、日本陸軍の砲術・火力演習の様子を収めた映像を皆様にお見せしたいと思います』
白鷺はそう言うと、舞台袖に控えているスタッフに合図を送る。その直後、スクリーンに映し出されていた画面が切り替わり、富士総合火力演習の様子を10分程に編集した映像が流れ始めた。
「オオ・・・!」
映像の中に登場する戦車やりゅう弾砲、迫撃砲から放たれる砲撃音や弾着による爆発音、攻撃ヘリコプターが放つロケット弾や誘導弾の命中精度、そして航空自衛隊や海上自衛隊の航空機の飛行など、その全てが使節団員たちの目を奪う。
『では、日本国に関する説明を終了させて頂きます。ご静聴ありがとうございました』
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使節団代表ミヒラ=スケレタルの手記
10月4日
国会と呼ばれる立法府、内閣と呼ばれる行政府、そして圧倒的な火力を持つニホン軍の姿、我々はナガサキの宿にてニホン国についての簡単な説明を受けた。そして我々は最大の発見をした。
私は今まで「ナイカクソウリダイジン」と呼ばれている者がこの国の王だと思っていたが、それは内閣という行政府の長であり我が国における宰相にあたる存在で、それとは別にニホンには「天皇」と呼ばれる皇帝と皇族がいることが分かった。今回は謁見の予定はないがこれほどの大国の頂点に立つ存在、いつかお目通り願いたいものだ。
我々は明日ニホン国の首都トウキョウへ出発する。シラサギ殿の話によるとトウキョウは都市としての規模が根本的に違い、人口や建造物の高さ、交通網など、ナガサキを始めとする地方都市とは比較にならないらしい。
そもそも地方都市であるナガサキですら、列強たる七龍各国の首都と同等か、それらを凌ぐ規模の都市である。トウキョウとは一体どのような姿をしている都市なのか想像もつかない。
10月5日
この日の昼過ぎ、我々はバスに乗り「ナガサキ空港」に向かい、そこから「飛行機」に乗って首都・トウキョウへ出発した。飛行機とはニホンの遠隔地間を結ぶ輸送機関の一種である。その名が示すとおり空を飛ぶ巨大な乗り物で、各都市や離島に置かれている「空港」という空の港を往来しており、1300リーグ以上離れているナガサキ・トウキョウ間をわずか1時間ほどで行き来出来るほどの速さを誇る。
ナガサキを出発して1時間後、我々は首都・トウキョウのハネダ空港に到着した。さすが首都の交通の要衝というだけあって、ハネダ空港の規模はナガサキのそれを大きく凌ぐものであった。
ここでも我々はバスに乗り、市街地の中へ入って行く。宿に案内され、ミナミ殿から今後の予定について説明された後、それぞれの個室にて我々は長距離移動による体の疲労とこの国に来てから驚きっぱなしの心の疲労を癒した。
船といい自動車といい、そして飛行機といいニホンの乗り物はどれもこれもとてつもない速さで走るのに、何故あんなに快適な乗り心地なのだろうか。ニホンの交通手段のどれか1つでもイラマニアに導入することができたなら、我が国は経済的に大きな発展を遂げることができるだろう。
10月6日
会談を明日に控え、我々はミナミ殿の案内でこの国の首都であるトウキョウを観光することになった。ナガサキの町並みでさえ驚愕した我々だが、トウキョウの規模と人口、町並みはそれらニホン国内のあらゆる地方都市を隔絶したものである。
250ルーブをゆうに超える超高層建築物が立ち並ぶシンジュク、この国を治める皇帝の居城、伝統的な建物が並ぶアサクサ、「鉄道」という日本国内の遠隔都市間を結ぶ大規模陸上輸送機関の拠点であるトウキョウ駅、そして私が何より驚いたのはニホンで一番高い建造物だという「トウキョウスカイツリー」という名の超巨大な塔である。
理由としては700ルーブをゆうに超えるその高さ然り、そしてもう一つはその建築期間である。この様な建物を我が国が建てようとすれば30年、50年でも足りないだろう。何より技術が無い。七龍各国でさえ不可能だ。それをニホンはわずか4年で作りあげたという。トウキョウに存在する超高層建築物は全て同じ様な期間で作られたものらしい。恐るべき技術力である。
我々はミナミ殿の案内でこの国ではもう見慣れた「エレベーター」という昇降装置に乗り、トウキョウスカイツリーの第一展望台に登る。そこで我々を待ち構えていたのは、その眼下地平線まで続くこの世界のどの都市よりもはるかに壮大な栄華を誇る大都市圏だった。地上500ルーブから見下ろすニホン首都圏の広大さと巨大さを我々は恍惚として眺めていた。
我々は明日、国力において明らかに七龍各国を凌ぐこの強大国家を相手に協議を行わなければならない。如何なる要求を出されても、この圧倒的な国力差を前にしては、イラマニア王国はその全てを受け入れざるを得なくなるだろう。我々の世界の外交常識では強国は弱国に理不尽な要求をたたきつけるのが当然だ。しかし、この国の役人たちが我々に接する態度はその様な傲慢さを感じさせないものだった。明日彼らが豹変しないことを祈ろう。
10月7、8日
2日間に渡った協議は一言で言えば大成功に終わった。
国交開設においてニホン政府が求めてきた用件は大きく分ければ、イラマニアにおいての交渉で提示したものと同じ相互不可侵、公正な交易、そして早急な食糧の輸出であった。かつて彼らが元いた世界では、一億を超えるその膨大な人口を支えるために、海外から食糧を輸入していたという。
彼らが求めてきた食糧は年間総量1520万ヤガル(1600万トン)というこれもまた膨大な量であり、我が国一国だけではこの輸出量を満たすことは当然出来ない。しかしノーザロイア5王国全ての輸出可能量を合わせれば、ニホンが求める量を十分に満たせる。そこで我々は、食糧の輸出と併行して他の4カ国に対してニホンとの国交開設を促しその仲介等を買って出ることを提案した。しかしこれほど大量の物資を運搬できる設備や手段が我が国や他の4カ国には無いことも同時に伝えた。
するとニホンはそのことを予見していたらしく、なんと我が国に陸上輸送路や湾港施設を整備・建築すると言ってきた。あれらの設備を導入できればイラマニア王国は経済的に大きな発展が出来るだろう。
ニホンはこれだけの国力を誇りながら、その政府や国民は、他国に対して奢ったり見下したりすることのない温厚で気品ある性格を持っている。そのことは彼らの憲法の条文や、軍事力にものを言わせ食糧を略奪することを善とせず、このように正当な取引、交易での購入を求める外交姿勢からも分かる。彼らの侵略戦争を嫌悪する思考やそれを禁止する法は、過去ニホンが存在した元の世界で勃発した我々の想像を絶する大戦争に起因しているらしい。
ニホン人の主張によると彼らが元いた世界では、我々の世界にとって常識を逸脱しているこれほどの技術力や軍事力は普遍的で一般的なものであった。すなわちニホンだけが突出していた訳ではなく、むしろ彼らを超える技術や軍事力、国力を持つ国が存在していたという。彼らの世界とは一体どのような世界だったのだろうか。
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10月9日 九州地方 長崎県・長崎市
国交樹立に関わる実務者会議を終えたイラマニア王国使節団は、日本に来て最初に上陸した長崎市の港にて船が出るのを待っていた。
「ミヒラ殿・・・私はもう少しこの国に滞在したいです」
タラップへ脚を進める使節団員のガイラスは、日本からの出発を名残惜しく思っていた。
「私もだよ、たった1週間ではこの国の全容を知るにはまだ足りない。今後はより一層、この国に関する情報を収集する必要があるな」
ミヒラはそう言うと、客船へと伸びるタラップの上で振り返り、長崎市の街並みを見つめる。その後、行きの時と同様に客船「オリエンタル・オーシャン」に乗り込んだイラマニア王国使節団の面々は、日本国との国交樹立に係る条約草案を国へ持ち帰ったのだった。
使節団の帰国後、数週間と待たずして両国は正式に各種条約における調印を交わし、日本政府のODAのもと、イラマニア王国・スーサ市で貿易基地の建設と同時に、食糧輸入が早速始まることとなる。貨幣の為替レートの制定や食料品以外の関税など、詳細な点の議論についても、随時進められることとなった。