広がりを見せる世界(終)
7月8日 アルティーア帝国 首都クステファイ港 「いせ」 士官室
臨時措置として「アルティーア帝国総督府」が設置された「いせ」には数多の官僚たちが寝泊まりし、アルティーア帝国の改革に向けて日夜奔走している。そして占領開始からおよそ3ヶ月経ったある日、“総督”である後藤の部屋に1人の官僚が入室していた。
「失礼します」
「どうした?」
後藤は入室して来た部下に要件を問う。男は持って来た書類を見ながら報告をする。
「隣国の“七龍”ショーテーリア=サン帝国が、イラマニア王国政府を介して日本政府へ国交樹立交渉の打診をしてきました。加えて彼の国の使節団が5日後、国境地帯・アルカード平野の国境警備隊の基地が置かれている街、ジュッペを訪問する予定だそうです」
「何・・・!? 分かった、今すぐジュッペの自衛隊へ連絡を取れ!」
報告を聞いた後藤は、ジュッペ基地に配備されていた陸上自衛隊国境警備支援部隊に使節団訪問の旨を通達するように指示を出した。
「承知しました! では、すぐにそのように!」
「頼んだぞ!」
後藤の指示を受けた役人は退室する。彼の後ろ姿を見送った後、後藤は再び椅子に深く腰掛けた。
「初めて列強の方からコンタクトを取って来たか・・・、今後は是非とも平和的な関係を結びたいものだな・・・」
誰も居なくなった自室で、後藤はぽつりとつぶやいた。
5日後、予定通り陸路でジュッペに到着したショーテーリア=サン帝国使節団は、現地の自衛隊による歓迎を受けた。その2日後、使節団は自衛隊の送迎により、総督府が置かれている首都クステファイに到着したのである。
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7月15日 クステファイ 港
総督府「いせ」の目の前に、プレハブ建築によって臨時の応接間が作られていた。その中では、今回の外交交渉の為に外務省から派遣された外務副大臣の木島徳人が、ショーテーリア=サン帝国使節団の到着を待っていた。
「どうぞ、こちらにて我が国の代表である木島徳人外務副大臣がお待ちです」
総督府に勤める官僚が4人の使節団をプレハブの中へ案内する。その中には1つのテーブルを挟んで向かい合う様に設置されたソファが置かれており、その一方には隣国からやって来た使節を迎え入れる木島の姿があった。
「遠路はるばるお越し下さいましてありがとうございます。此度の交渉担当として日本国全権の任を承りました木島徳人と申します」
「・・・多分な歓迎の言葉、恐れ入ります。使節団団長のシグモイダス=メソコロナスと申す者です」
両者は挨拶を終えると握手を交わす。そして双方はソファにゆっくりと腰掛け、いよいよ交渉へと入る。この時ついに、2カ国目の七龍との公式接触が成されることとなった。
「さて、今回は我が国と国交を結びたいとの申し出ですが・・・」
「はい、皇帝陛下の命を受け、ここへ参りました。陛下は貴国と友好かつ平和な関係を築くことを望んでおります」
シグモイダスは皇帝の勅命で国交を結びに来たと告げる。彼の様子を見る限り戦争をしに来た訳ではなさそうだと、木島は心の中で安堵していた。ショーテーリア=サン帝国側でも、日本に対してどういった関係になることを目指すのか数ヶ月に渡り議論が行われていたが、ついに皇帝と大多数の閣僚の判断により、友好的な関係を結ぶことが決定されていたのだ。
「我々も貴国との平和的な関係を築けることは願ってもないことです。では国交樹立へ向け、その具体的な内容について協議を行いましょう・・・」
木島は話の本腰へと踏む込む。その後、協議は数日間に渡って続いた。
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8月19日 日本国 首都東京 羽田空港
クステファイでの会談から1ヶ月後、交渉を重ねてきたショーテーリア=サン帝国と日本国との間でついに国交樹立の目処が立ち、2カ国間で修好通商条約を締結する為の調印式が行われる運びとなっていた。式典の舞台となる東京の羽田空港では、来訪するショーテーリア=サン帝国の到着を待って、外務大臣の峰岸らが駆けつけていた。
「大臣・・・使節団を乗せた機が長崎空港より間も無く到着致します」
「・・・分かった」
1人の外務官僚が峰岸に耳打ちする。その数分後、1機の旅客機が羽田空港の滑走路に降り立った。停止した旅客機にタラップ車が近づき、旅客機の扉が開く。
「捧げー!! 銃!」
旅客機の中から登場した国賓を迎え入れる為、第302保安警務中隊から編制された特別儀仗隊が列を形作っている。彼らは一糸乱れぬ動きで旧式の銃を扱い、人々はその華麗な動きに思わず目を奪われた。
古代ローマ帝国を彷彿とさせる白色の“トガ”を身に纏ったショーテーリア=サン帝国使節団の面々は、戸惑いながらもタラップを一歩一歩下りて行く。彼らが地面に足を付けた時、歓迎の空砲が鳴り響いた。使節団は特別儀仗隊の隊員が挟むレッドカーペットの上を進む。
「ようこそ『日本国』へ! 日本国外務大臣の峰岸孝介と申します」
彼らの前に外務大臣の峰岸が現れた。彼は自らの素性を紹介すると、握手の為に右手を差し出す。
「ショーテーリア=サン帝国宰相、コンティス=アルヴェオリスと申します。此度は宜しくお願いします」
70歳近い高齢でありながら、使節団代表を任されていたコンティスは、嗄れた声で自己紹介をすると、峰岸の右手を強く握り返した。
「天皇陛下が皆様の到着をお待ちしております。皇居へ向かいますので、此方にお乗りください」
峰岸はそう言うと、カーペットの先で列を作っていた公用車の群れを指し示す。
(テンノウ・・・ニホン国の皇帝・・・!)
コンティスは峰岸が述べた天皇という人物が、どういう存在なのかを予め分かっていた。東の果てに突如として現れた“謎の国”の皇帝に謁見出来ると聞いて、奇妙な緊張が身体の中を駆け巡る。
(この国の皇帝は国家元首ではあるが、最高権威であって最高権力者ではないと聞いている・・・)
皇帝や王が一切の国家権力を有しない君主制国家など、この世界には存在しない。だが、市民が革命を起こして皇帝の権力を奪った訳でも無いという。コンティスはそんな政治形態に至った日本の歴史に興味を抱いていた。
羽田空港を出発したショーテーリア=サン帝国使節団は、日本政府が用意した車に乗って一路皇居へと向かう。馬や牛に引かれることなく発進する乗り物とそれが平然と行き交う街、林立する超高層建築物、謎の材質で舗装された大通り・・・東京という街を形作る全てが彼らの目を奪う。
「これは・・・我々は一体何処に居る? 日本は本当に我々と同じ世界にあるのか?」
使節団の1人が心の内を独白する。他の団員たちも同じ思いを抱いていた。自分たちが知っている世界からあまりにもかけ離れた光景は、彼らの心に漠然とした不安を生んでいた。
(ニホン人は異世界から国ごと転移したと言っていた・・・。世迷い言かと思うたが、これはそれ以外に説明の仕様がないのう・・・)
コンティスは異世界から来たという日本人の主張が真実であることを悟る。その後、車は皇居に到着し、ショーテーリア=サン帝国使節団は天皇・皇后両陛下への謁見を果たしたのだった。
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8月20日 東京都千代田区 首相官邸
謁見を終えてホテルで身体を休めた使節団は、翌日に首相官邸へと向かう。首脳会議室へ通された彼らを、日本政府の首脳陣が迎え入れる。
「ようこそ、コンティス殿。日本国首相の泉川耕次郎と申します」
「初めまして、コウジロウ殿。宜しくお願いします」
内閣の長であり、事実上の日本国最高責任者である首相の泉川と、ショーテーリア=サン帝国使節団の代表であるコンティスが固い握手を交わす。その後、両陣営は大きな長テーブルを挟んで向かい合う様に座り、修好通商条約の締結へ向けた最後の協議に入った。会議の内容は主に条約内容の最終確認であり、会議そのものは1時間ほどで終了した。
その後、両者は条約の調印式の為に設けられたスペースへ移動する。そこには大勢の報道陣が詰めかけていた。既に数多のフラッシュライトを浴びていた使節団の面々はそれらが何なのかを理解しており、コンティスは余裕のある表情で手を振ったりしている。そして壇上に立った泉川とコンティスの2人は、互いに条約を取り交わす公文書へ署名する。報道陣は2人がその公文書を交換して握手を交わす瞬間を狙い、星の様な数のフラッシュを焚いた。
「これで・・・我が国と貴国は正式に友好国です。互いに刺激し合い、共に発展していくことを望みます」
「こちらこそ、我が国の皇帝陛下も喜ばれることでしょう・・・」
泉川とコンティス、両国の代表者である2人は微笑みを浮かべていた、斯くして、“列強国・七龍”ショーテーリア=サン帝国との対等な関係の元での国交樹立を達成した日本は、アルティーア帝国に変わり、極東世界をその影響下に置く新たな列強として認識されるようになって行く。
そしてこの両国の友好関係は、後に起こる“ある戦争”で重大な役割を果たすことになる。
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8月23日 アルティーア帝国 首都クステファイ 皇城 執務室
日本とショーテーリア=サン帝国が国交を樹立したというニュースは、世界魔法逓信社によってたちまち東方世界に広がって行った。暫定政府の代表である第三皇女・サヴィーア=イリアムが執務を行う部屋に、新宰相を勤めるマイスナー=コーパスクルが朝刊紙を持って入室してきた。
「どうしたのですか? マイスナー」
「ショーテーリア=サン帝国とニホン国が、国交を樹立することを宣言しました!」
マイスナーはそう言うと、朝刊紙の紙面をサヴィーアの机の上に広げる。
「成る程・・・そうですか。隣国は我が国とは違い、極めて理性的な判断をしたと言うことね・・・」
サヴィーアは紙面を手に取ると、その内容を読み進める。自国と日本との戦争に対して傍観を続けてきた長年のライバルは、日本に歩み寄る道を選んだのだ。その直後、軍事局に代わって設置された「国防局」の大臣に就任したシトス=スフィーノイドが入室して来た。
「南部の国境地帯にて、元属領『メルターニ国』の賊が現れたとのことです! 故に軍・・・ではなく保安隊を動かす許可を頂きたく・・・!」
「保安隊を動かす権利は私にはありませんよ? 総督殿と相談して決めなさい」
「・・・! はっ、その様に!」
現在、アルティーア帝国内に存在する全ての軍事力の指揮権は、日本から派遣された総督の手中にあった。シトスはそのことを思い出し、はっとした表情を浮かべる。そして2人が部屋から退出した後、サヴィーアは1人で考えていた。
(占領後の新たな法の下では、皇帝たる私の政治権限は限定され、主に儀礼的な存在となる。宰相も投票で選ばれるようになる・・・。いちいち私に許可をもらいに来る閣僚の習慣を改めなければならないわね・・・)
サヴィーアは国の未来の形に思いを馳せる。
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ジュペリア大陸 クロスネルヤード帝国 首都リチアンドブルク 皇宮 執務室
アルティーア帝国とショーテーリア=サン帝国が位置するウィレニア大陸のさらに西に、「ジュペリア大陸」と呼ばれる広大な大陸がある。その大陸には7カ国存在する列強国のうち、4カ国が存在している。その中で最強・最大の列強と謳われる「クロスネルヤード帝国」の首都リチアンドブルクの皇宮にて、皇帝ファスタ3世は執務室の机に座り、政務を行っていた。
「東にはなにやら威勢の良い国が現れたそうですな。兄上」
「アルフォンか・・・何の用だ?」
そんな彼の下に1人の男が訪ねて来た。皇帝を兄と呼んだその男の名は、皇太弟のアルフォン=シク=アングレム、皇帝ファスタ=エド=アングレムの実の弟である。
「西の『スレフェン』と東の『ニホン』、このジュペリア大陸を挟み込む様に勃興した2つの新興勢力について、いかがなさるつもりかと・・・。逓信社の新聞には、すでにニホン国こそが七龍最強であるという風にもとれる記事が書かれておりますが・・・」
皇太弟のアルフォンは、兄を揺さぶる様に尋ねる。クロスネルヤード帝国は七龍の中で最大版図を誇る。故に七龍の中で最強であるという自負がこの国にはあるのだ。
「・・・別にこちらからは何もしないつもりだ。・・・向こうが我が国を傷つけない限りはな」
ファスタ3世はきっぱりと答える。実のところ、彼は皇帝という立場にありながら、最強の七龍という地位には全く興味が無かったのだ。
「そうですか・・・」
「そうだ。我が国と民が平穏であればそれで良い・・・」
兄の言葉を聞いた弟は、そのまま皇帝の執務室を後にする。日本という国の存在は、東方世界だけでなく世界各地の国々も注目し始めていた。
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西方のとある王国 首都 王城
ウィレニア大陸、そしてジュペリア大陸からさらに西へ行った先に、ある王国が存在する。時を遡ることおよそ10年前に列強入りした日本に次ぐ新顔であるその国を、人々は“最後の七龍”と呼んでいた。
「・・・何? 列強が1つ堕ちた?」
1人の文官が国を治める王の執務室を訪れていた。その文官は海外へ放っていた間諜からの報告を王に告げる。王はその報告内容に首を傾げていた。
「はい・・・ニホンとか言う聞いた事の無い辺境国に敗北した様で・・・」
「・・・ニホン? フン、そんなどこの馬の骨とも知れない国に敗れるとは、東方世界は軟弱なのだな」
鎖国政策を敷くこの国に、世界魔法逓信社の報道は届かない。間諜からの情報も理解可能な部分のみが抽出され、日本が如何に勝ったのかという情報は削ぎ落とされていた。だが、この文官が日本の軍事力について正確に王へ伝えたとしても、王は信じることは無いだろう。
「いずれにせよ、西方世界は我らが王国の天下になる。そのニホンとか言う国がもし障壁になるのなら、排除しなければならないな」
「はい、その為に技術局には“密伝衆”に新兵器の開発を急がせていますが・・・」
「当然だ・・・これまでどれほどの資金援助をしていると思っている」
王はそう言うと軽くため息をつき、椅子に深く腰掛けて天井を見上げた。
「七龍最強はクロスネルでもニホンでもない。我らがテュダーノヴ家、そしてこの国こそが最強だということをいずれ世界に知らしめてやる」
王は世界の頂点に立つ夢を思い描く。
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日本国 首都 東京 首相官邸
内閣府の職員が首相官邸の総理執務室を訪れ、報告をしていた。
「総理! ウィレニア大陸の向こう側にあるジュペリア大陸の国々からも、国交樹立の打診が届いております!」
その報告とは日本との国交樹立を望む国々が急増しているという知らせであった。他国からの使節の接受や、此方からの外交官の派遣など、外務省はすでにこれまでにない多忙に陥っていた。
「そうですか・・・良い傾向です。例の・・・ウラン産出国への使節派遣についてはどうですか?」
泉川はその報告を満足げに聞く。そして彼は別の質問をぶつける。それは数ヶ月前にアルティーア帝国総督府へ出向していた経済産業官僚が見つけた、ウラン鉱石の産出国についての状況であった。
現代では主に核燃料として使用されるウランだが、19世紀にはガラスの着色剤として使われており、鮮やかな蛍光緑を放つウランガラスは人々を魅了してきた。さらに時を遡ると紀元後の古代ローマですでに着色剤として使用されていたことが判明している。
「『トミノ王国』と『カシイート国』については、現地へ派遣した外交官より良き知らせが届いています。ウラン加工の工場についても現地での建設許可が貰えそうだと・・・」
「核物質の加工工場など、日本国内に新たに作るとなると現地住民と揉めるに決まっていますからね。多少脅迫的な態度を取っても不問としますから、何としてでも現地に工場を建てるという許可をトミノ王国政府から取ってください」
「はい、ではその様に!」
首相からの指示を受けた職員は執務室から退出する。その後ろ姿を見送った泉川は、静寂へ帰った部屋の中で大きなため息をついた。
(転移してから、今までどんな形であれ接触出来た列強は未だ2カ国。残り5カ国とは友好的な関係を構築出来るかどうか・・・)
日本と結びつきを有する国は着実に増えており、この新しい世界は更なる広がりを見せている。泉川は天井を見上げながら、転移という未曾有の事態に見舞われているこの国の将来を描いていた。
この強大なる新興国は今後、この世界にどの様な影響を及ぼして行くのか。それはまだ、誰も知らない物語。