列強の一角
2025年12月7日 ウィレニア大陸 アルティーア帝国 首都クステファイ
世界を統べる7列強の一角であり、その中では最も東側に位置する此処「アルティーア帝国」は、130年前よりウィレニア大陸の統一に乗り出し、現在はその東半分を手中に収める強大な大陸国家である。
かつてこの大陸に存在していた国は、その全てがこの国、もしくは大陸の西半分を治めているもう1つの列強国の属領ないし属国となっており、属領を含めたアルティーア帝国の総人口は4千万に達する。
その中央集権の象徴である皇城を擁する首都「クステファイ」は、70万の人口を抱えるこの世界で屈指の大都市だ。港には砲列甲板を有する帆走軍艦や貿易帆船が並び、その様相はさながら近世のヨーロッパの様であった。
その街の中心部に2人の日本人の姿がある。煉瓦で舗装された地面の上に立つ彼らは、外務省から派遣された外交官であり、名を川口伸行と嶋信司と言った。彼らは今、この国の外交を担当する部局である「外交局」に来ていた。
「意外とすんなり受け入れてくれたもんだな・・・嶋」
「確かに・・・最悪門前払いも覚悟していたからね」
係員に案内され、建物の中の廊下を歩く2人は、アルティーア帝国側が国交樹立交渉に素直に応じてくれたことを意外に感じていた。
彼らが乗って来た護衛艦「いなづま」は、この首都から350kmほど離れた海上貿易都市「ノスペディ市」の沖合に停泊している。この国は海禁政策を執っており、外国籍の船は首都に来航することを禁じられているからだ。
官僚の中には、イラマニア王国に対して行った様に、首都へ護衛艦で乗り込み、こちらの力を見せつけてから交渉に当たるべきという意見もあったが、相手の態度を硬化させる原因になりかねないということで、その案は見送られていたのである。
故に、首都の役人たちは、日本という国の実態を全く知らない。そんな状況で、交渉の申し入れがすんなり通ったことは、彼らにとって予想外だった。
数分後、2人はとある部屋の前まで案内される。川口が扉をノックすると、中から“入りたまえ”という声が聞こえてきた。
「失礼します」
2人が部屋の中に入ると、そこには華美な服装に身を包んだ、いかにも成金という言葉が相応しい風貌の男が居た。その男は、仮にも客人の前であるにも関わらず、ソファに座ったまま脚を組んで、右腕の肘を背もたれの上に掛けるという、あまりにも不遜な態度で2人を迎え入れる。
「お前らがニホン国とやらの使いか、私は外交局東方貿易部長のアネミア=プランマーヴィンソンだ」
「・・・日本国外務省の川口伸行と申します。こちらは嶋信司と言います」
アネミアと名乗る男の態度を不快に感じながらも、川口は自分たちの素性を伝える。部屋の中にある椅子は彼が座っているソファ1つのみであり、2人は立ったままだ。加えてアネミアの態度は相変わらずであり、彼は果実酒と思しき飲料が入ったグラスを片手に持ちながら話を進め始めた。
「本来ならば・・・貴様たちの様な辺境に棲まう蛮国の使いなど、門前払いして然るべきところ。だが、皇帝陛下より受け入れよという命令が下ったのだ。陛下の慈悲に感謝するのだな」
「・・・っ! それはどうも」
アネミアは川口と嶋を見下す言動を隠そうともしなかった。故国を蛮国と扱き下ろされ、2人は顔を歪める。
「何だ、その顔は? ・・・まあ良い、それよりも陛下より貴様たちへ言伝を預かっている。国交樹立の要件だ、有り難く受け取るが良い」
アネミアはそう言うと、折りたたまれた1枚の羊皮紙を懐から取り出した。それにはアルティーア帝国の文字で幾つかの文章が書かれており、彼の国の言葉を前もって習得していた川口はその内容を順に読み進める。それには以下の様なことが書かれていた。
・ニホン国は国家元首の上に、帝国から派遣された総督を設置することを認める。
・ニホン国は全ての職人を帝国へ差し出す。
・ニホン国の外交・貿易は、帝国政府の管理下に置かれる。
・ニホン国は帝国人の治外法権を認める。
・ニホン国は帝国の求めに応じて、人的資源を含むあらゆる物資及び技術を帝国へ供出する義務を負う。
・以上を両国の国交樹立における最低条件と定める。
「・・・な、何ですか! これは!?」
川口は文書の内容に激高した。アルティーア帝国が提示した条件は、日本国に対して“自国の植民地になれ”と言っているのに、ほぼ等しかったからだ。
「何が不満だ? 皇帝陛下は貴様らの国の産物に興味を持って下さっている。その為、陛下は慈悲深くも、貴様らの国を直々に管理してやろうと仰られているのだ。有り難いと思え」
アネミアは川口が怒りを露わにしている理由すら分からない様子であった。彼は渡された文書をすぐにでも破り捨てたい衝動に駆られたが、そんな彼の心情を察知した嶋は、川口の袖口を掴みながら耳打ちをする。
(此処で交渉そのものをおじゃんにするのは不味いぞ! 気持ちは俺も同じだ、だが頼むから此処は堪えてくれ・・・!)
同僚に釘を刺されたことで、川口は一先ず冷静さを取り戻す。彼は一度深呼吸をした後、顔を取り繕いながら口を開いた。
「ひ、一先ず・・・貴国が提示したこの条件を、本国に報告させて頂きます。正式な返答はまた後日ということで・・・」
「・・・分かった、良い返事を待っているぞ」
アネミアはそう言うと、側に控えていた部下に対して彼らを出口まで案内する様に指示を出す。
その後、外交局の建物を出てこの街の宿へ戻った川口と嶋は、アルティーア帝国が提示した国交樹立の条件を日本政府へ伝える為、持参していた無線通信機にて、文書の内容をノスペディ市の沖合に停泊している護衛艦「いなづま」へと送信した。その内容は幾つかの中継地を経由しながら、外務省へ届けられることになる。
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同日 極東洋 ロバーニア王国 首都オーバメン
2人の外交官がアルティーア帝国にて屈辱的な交渉に当たっていた頃、日本本土から南西方向に遠く離れた場所にある此処「ロバーニア王国」の都にて、ある事件が起こっていた。
大陸文明圏の島国である「セーレン王国」滅亡からおよそ1ヶ月後、彼の国を攻め滅ぼし、併合していたアルティーア帝国は、次なる標的としてこの国に食指を伸ばそうしとしていたのである。3日前に上陸した特使を介して、彼の帝国はロバーニア王国、ひいてはロバーニア王国を盟主とする28カ国連合である「極東海洋諸国連合」に、ある要求文書を送りつけていた。
王の宮 執務室
南国情緒溢れる首都の小高い丘の上に「王の宮」がある。現在そこに居住しているのは、第23代国王のアメキハ=カナコクアだ。彼はこの国の元首であるだけでなく、ロバーニア王国を盟主とする極東海洋諸国連合の「最高理事」でもある。最高理事の座は連合の盟主であるロバーニア王が代々引き継いでおり、アメキハ王は正に極東洋そのものを代表する存在なのだ。
執務室の机の前に座るアメキハは、頭を抱えながらアルティーア帝国から送られて来た要求文書を眺めていた。
「近年のあの国は狂っているのか? 何時までも大陸に留まっておけば良いものを・・・この海は我々の領域だぞ・・・」
アルティーア帝国の特使が持って来た文書には、極東洋に点在する28カ国全てが帝国へ隷属する様に書かれていた。もし断れば、ロバーニア王国はセーレン王国と同じ結末を迎えるだろうと・・・。
「これは・・・ふざけているな」
若き王であるアメキハは静かに怒りの炎を燃やす。彼の目の前に立っていた王国宰相のアトト=イスキイアは、王に漂う張り詰めた空気を感じて、思わず生唾を飲み込んだ。
「彼の国の軍が来るのにもまだ猶予が有ります。その間に連合の軍を集結させてはどうでしょうか?」
単純な航海術と海の知識ならば、海の民である極東洋の民にアドバンテージがある。アトトは28カ国の水軍を結集すれば、アルティーアの艦隊を翻弄出来るかも知れないと考えていた。
「それは勿論だ。連合にはこの一件を早急に伝えなければならない。それともう1つ・・・ニホン国の大使をこの王宮に呼び寄せてくれ」
王の命令を聞いたアトトは、彼の目論見を悟る。王が告げたのは、2ヶ月ほど前に見た事も無い灰色の巨大艦を引き連れて、首都の沖合に現れた謎の国の名だった。
「ニホン国・・・ですか? ですが彼の国は連合に属していません」
国交樹立交渉に際して未知の技術力を見せつけてきた謎の国「日本国」、確かにあの国ならば、列強に抗う力を持っているかも知れない。だが、極東海洋諸国連合に属している28カ国とは違い、日本国とロバーニア王国の間には軍事的な同盟関係は結ばれておらず、日本にはわざわざ列強に敵対してまで、ロバーニアに味方をする義理は無かった。
「そんな事は分かっている。だが一か八かだ・・・ニホン国に軍事支援を依頼してみよう!」
「・・・承知しました。彼の国の大使館に至急連絡を致します!」
王の命令を受けた宰相のアトトは、一礼した後に執務室を退出し、部下である文官に日本国大使館へ連絡を入れる様に指示を出した。
数時間後、この国の王に呼びつけられたロバーニア王国駐箚全権特命大使である前田晶が、ロバーニア政府の用意した牛車に乗って王の宮へと現れる。応接間へと案内された前田は、王国宰相であるアトトとの会談に臨むこととなった。
王の宮 応接間
客人である前田とホストであるアトトの2人は、軽く挨拶を交わした後に向かい合う様にして並べられた椅子に座る。そして最初に口を開いたのはアトトの方だった。
「急にお呼び立てして申し訳無い、アキラ殿」
「いえ、構いませんよ。それで・・・今回はどのようなご用件でしょうか?」
謝意を示すアトトに、前田は自分を呼びつけた理由を尋ねる。
「始めにお尋ねしますが、アルティーアという国をご存知でしょうか?」
「ええ、名前くらいは」
前田は外務省に属する人間として、アトトが口にした国名には聞き覚えがあった。今の日本がある場所から、最も近いところにある列強国の名だ。
「率直に申し上げます。そのアルティーア帝国ですが、今後1ヶ月に満たない内に、我が連合と戦争になる可能性が極めて高くなりました。つきましては、貴国に軍事的支援を依頼したいのです!」
「・・・! はあ・・・成る程、詳細を教えて頂けますか?」
「はい、実は・・・」
前田の質問を受けたアトトは、今この国に迫っている事態について説明する。数日前に現れたアルティーア帝国の特使から、独立国として到底認められない条件と共に、一方的な従属を求められたというのだ。
要件を聞いた前田は、途端に難しい表情を浮かべる。前知識として、アルティーア帝国が侵略国家紛いのことをしているという情報は得ていたが、まさかこんな形でその片鱗と相まみえるとは予想していなかった。
(確かアルティーア帝国には、外交官が国交樹立交渉に向かったばかりの筈。そんな状況で、彼の国と敵対する様な行為に日本政府がGOサインを出すとは思えないが・・・)
口元を抑えながら思案を巡らせた後、前田はゆっくりと口を開いた。
「・・・これは、一外交官である自分には判断しかねる案件です。本国に連絡をして、正式な返答はそれからということにして貰えますか?」
前田が述べた返答は極めて無難な言葉だった。望む答えを得られず、アトトはやきもきした気持ちになる。
「了解しました、良い返事を期待しています。ただ1つ・・・これだけは忠告させてください」
「・・・?」
「セーレン王国の武力併合に現れている様に、彼の国は近年極東方面への進出姿勢を強めております。我が国が堕ちれば次はノーザロイア、そして何時かは貴国へ・・・今のあの国はそういう国です。・・・いずれにせよ、貴国とアルティーアの衝突は避けられないと思いますよ」
「・・・肝に銘じておきますよ」
会談の最後、椅子を立とうとしていた前田に、アトトは脅迫めいた忠告を伝える。
その後、王の宮を後にして大使館へ戻った前田は、至急この一件をモールス信号にて日本本国へと報告したのであった。
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12月8日 日本国 首都東京 首相官邸 国家安全保障会議
この日も首相官邸の一室にて、「国家安全保障会議」が催されていた。今回の会議は議長たる内閣総理大臣の下、「緊急事態大臣会合」という形で催されており、普段の「9大臣会合」で顔を並べる9人(財務大臣である浅野太吉が副総理を兼任している為、実際には8人)の議員の他、泉川首相の許可の下で参加を許された農林水産大臣と統合幕僚長の姿もある。
この日の議題内容は、ロバーニア王国の日本国大使館より伝えられた、極東海洋諸国連合からの軍事支援要請の可否についてである。この世界に来て初めての軍事支援要請であり、臨席している議員たちの間にはどことなくピリついた空気が流れていた。
「平和主義の精神は変わらない。出来れば戦闘は回避するに越したことはありません。ただ・・・もしロバーニア王国との貿易が途絶えたらどうなりますか?」
最初に口を開いたのは議長の泉川だった。転移してまだ3ヶ月しかたたない日本にとって、数少ない友好国を1つ失うことはそれだけで打撃である。彼はその事実を危惧していた。
「ロバーニア王国は現在、日本で消費される海産物と果実の主要な輸入源です。この友好国を失ってしまっては、これらの品目はまた配給制を布くしかなくなる」
臨時参加が許可された農林水産大臣の小森宏は、最大の懸念材料である国内の食糧事情への影響を説明する。
「それに、ノーザロイア5王国からの輸入量も当初の試算ほど増えていません。加えて、相手は近世のスペインやイギリスのように対外進出を国是とする覇権主義国家・・・。極東連合を手中にした後は、前田大使の報告通り、ノーザロイアにその矛先を向けるのではないでしょうか?
もしもそうなってしまっては、日本は再び餓死者大量発生の国家危機に直面することとなってしまう・・・」
「そうなっては日本は滅ぶか、略奪による修羅の道を行くか、どちらかを選ぶしかなくなるな」
外務大臣の峰岸孝介は腕を組みながらしかめ面でつぶやいた。その後、防衛大臣の安中洋助が手を上げて発言する。
「先の戦争を経て、我々も国民も積極的に自らの身を守ることの重要性を知ったはずです。我々は国民と国家を守ることを第一に考えるべきです。アルティーア帝国がロバーニア王国を滅ぼすことが、将来日本国民の生命の危機を招くことになりかねないならば、この不穏の種を、我々は全力をもって払拭すべきではないでしょうか」
「たとえ・・・その後、この世界の強国たるアルティーア帝国と戦争になりかねないとしてもですか? 武器弾薬の新規製造もままならないこの時期に・・・」
泉川はロバーニアに対する軍事支援に、踏ん切りを付けきれない様子だった。もし自衛隊を派遣するとしたら、現在国交樹立交渉中のアルティーア帝国とは完全に敵対することになる。それどころか確実に両国の間で戦争になるだろう。
「とは言っても、此処でロバーニアを見捨てれば、確実に他の友好国の不審を買うことにもなるでしょう。この極東世界は、現状我が国の生存圏なのですよ? ・・・勿論、アルティーア帝国と本格的な開戦を迎えた場合に備えて準備はしておきましょう」
安中は首相である泉川に決断を迫る。自衛隊の出動を極力避けたいという彼の言い分は最もだったが、その為に主要な貿易市場を失っては元も子もない。
「外務省としても、現在帝国に派遣している外交官の安全確保のため、彼らに一時国外退去の命令を出すことにする」
外相の峰岸も、安中の言葉に補足を加える。
「ただ・・・野党の反発は必至でしょう・・・」
泉川は2つめの不安要素を口にする。それは何時如何なる時においても、与党のやること成すことに反対することを是とする“野党”の存在だった。
「・・・野党も反戦市民団体も、先の戦争以降、国民からの求心力を大きく失っている。今更気にとめるようなものでもありません」
副総理兼財務大臣の浅野太吉はそう述べると、ペットボトルの茶を口に含む。他の議員たちも何か異を唱えるそぶりは見せない。
2019年1月に発生した「日中尖閣諸島沖軍事衝突」、そして2022年11月に勃発し、ロシア、モンゴル、アメリカを巻き込んで、極東アジアを戦火の渦に飲み込みながら2024年3月まで続いた「東亜戦争」、この2つの出来事を経て、軍備に頼らない理想的平和主義を掲げる思想は、日本国民の求心力を失っていたのである。
閣僚たちに後押しされて意を決した様子の泉川は、一息深呼吸をすると、ついに“あの言葉”を口にする。
「・・・分かりました。では、内閣総理大臣の権限の下に、集団的自衛権に基づく『防衛出動』を発令します。至急、宮内庁に連絡してください。陛下にはご負担を掛けることになりますが、召集詔書の公布と共に『臨時国会』を即日召集します」
若干40代の若き首相の口から、第2次世界大戦後2度目となる「防衛出動」命令が発せられた。会議に参加していた各閣僚は、防衛出動への準備に向けて各々の省庁へと連絡を入れる。
そしてその日の夜、天皇陛下による召集詔書の公布と共に「臨時国会」が召集され、衆参両議院にて防衛出動が承認されることとなった。
斯くして日本政府は、食糧輸入源確保による国民の生命保持とアルティーア帝国の勢力圏拡大阻止の為、国交を結んでいるロバーニア王国に防衛対象を限定するという方針で集団的自衛権に基づく自衛隊派遣を決定したのである。