一話 初めての……
少し前からちょっとした事件が起きている。
いや、ちょっとしたではない。ものごっそい大事件だ。コウキの身の回りでそれが起きていたら、もう駄目だと思って、呆然自失として、訳わかんなくなって、逃げて、逃げて、逃げまくって、多分、その挙句に死ぬ。
朝ご飯を食べながら、一人テレビを見ながらそう思った。
コウキの肉体的理想は、細いアイドルのようなかんじではなくて、がっしりした体型だ。だから、最近自分の中ではキツイ筋トレをして、タンパク質中心の食生活をしている。そのおかげで、朝っぱらから掌より大きい鶏肉のステーキとゆで卵二つを食べている。
ワンルームのベッドの上でぼけっとしながら、それらを機械的に口に運んだ。
テレビは今日も、外国のアレを報道している。
現地リポーターが挙動不審気味になりながらも、精一杯状況を説明している。
コウキは少し同情した。
お金のためとはいえ、命を張りたくはない。それとも、情報を発信したいという確固たる意識が、彼または彼女たちを戦地――いや死地に等しい場所に赴かせるのだろうか。
「こ、ここは韓国のぷ、釜山近郊の街です……! 現在現地時間で午前の8時を過ぎたあたりです。見てください」
カメラがサッと辺りを見渡す。
「韓国陸軍が厳重警戒を――!?」
続報をしたかったようだが、その時ダダダダッと発砲音が連続した。
平日、午前の早朝。そんな時間から発砲するなんて、日本ではありえない事だ。
いや、現代社会、古今東西見ても、戦争地帯・紛争地帯でもなければそうはならない。
でも、実際、今、誰かが発砲して、そして誰かが死んだ。
リポーターはなれたように地面に伏せていた。映像は乱れているが、被害なはいらしい。
ニュースのアナウンサーが現地リポータの安否を確認する。数秒遅れで返事が来ると、ほっとした空気が流れた。
「だ、大丈夫です……! と、このように、お隣韓国でも未曽有の被害は広がっている模様です」
アナウンサーが礼を言うと、次は中国に切り替わった。
こっちはもっとひどい。
画面が切り替わった瞬間から発砲しまくっている。
幸い遠くでの銃撃戦のようだから、安全はある程度確保されているようだ。
若い男性リポーターが流暢に喋る。
「こちらは中国北京郊外にある避難所の一つです。十五分ほど前から断続的に発砲音が続いています」
「そちらは大丈夫ですか?」
「はい。ここには食料と武器弾薬の備蓄も多く、外からの脅威を今のところ寄せ付けていません」
「現地の人はどのような様子ですか?」
「流石に疲れているようですが、被害が無いためあまりギスギスした雰囲気はありません。ただ……」
リポーターが言いよどんだ。
「どうかしましたか……?」
テレビに映るアナウンサーが何事かと心配している。それもそうだ。命がかかっているのだ。コウキも何事が起きたのかと、咀嚼を止めて、リポーターの言葉を聞き逃さないようにした。
「いえ、その……。何と言いますか、あまりマナーがなっておらず、日を追うごとに揉め事が多くなっています。この辺りを見ると、やはり日本人というのはマナーがなっているなと思います」
最初こそ言いよどんでいたが、最後の方は元の調子に戻って、あまり言わない方が良いようなことまで行っていた。まだ余裕そうだ。
アナウンサーが気を付けてください、とだけ言うと画面がスタジオに戻った。
「ご覧いただいたのは韓国と中国だけでしたが、ほぼ全世界で同様の被害が起こっています。政府からは海外への渡航禁止命令が出ており、日本も水際対策が現状を維持していると言っていいでしょう」
アナウンサーが歳食ったどこかしかの偉そうな教授に話を振った。
「日本は数少ない被害が全く出ていない国ですが、何故このようになっているのでしょうか?」
「やはり、日本の立地に関係があると思います。日本は島国のため、入国するためには海か空しかない。陸が無いだけ、対策する幅が狭まって人員を集中する事が出来ているのがやはり大きいですね」
「政府の対応はどうでしょうか?」
「そうですね。ここ稀に見る対応の早さでした。被害が確認されると日本国籍を持つ人間以外の入国を拒否したのが大きい。また外国に滞在している日本人の多くを強制召還したのも大きいでしょう。安保法案が可決されて、それに施行もされている現在、日本人が銃撃戦に巻き込まれると、自衛隊を派遣しなければならない可能性が出てくる。わざわざ戦力――ゴホン、人員を減らすのは得策ではありませんから、日本人をこの島国に、良い方は悪いですが監禁出来れば、要らない心配はしなくていい。日本は物理的に隣国に接していないから、あとは単純に飛び火しない様にすれば安全は確保できます」
時計をチラッとみるとそろそろ大学に行く時間だ。
着替えながらニュースを聞き流す。
「安全対策は万全だと?」
「100%とは言えない。陸が無いとはいえ、海と空からは入れる。それに日本は食料自給率が低いから輸入に頼る面が大きい。この事態になってから外国の輸出は減りましたが、それでも外国からの流入はゼロにはできないでしょう。そこに密航している人がいないとは言い切れない。もちろん、私が考える事は、国の偉い人も考えているでしょうから、その辺りの対策をしているでしょう。それでもミスをゼロにはできない。今のうち何かしらの対策をするのが良いでしょう」
コウキは着替え終わってテレビを消した。
ここ数日こればかりで大体内容は頭に入っている。何回も聞く内容ではない。
音の無くなった部屋からさっさと出て、自転車に乗り、少し肌寒い空気に身を震わせながら大学へ向かった。
15分ほどしてすぐについた。
いつもと同じ動作で自転車の鍵をかけて、そのまま研究等に足を延ばして、エレベーターへ。五階のボタンを押し、ちょっと歩けばいつもの研究室だ。
ドアを開けるのと同時にやる気のない声で「……ざいまーす」と挨拶。数人の先輩や同級生から返事が返ってきた。
そのまま自分の机まで歩いて、パソコンの電源を入れると同時に、椅子に座って、ちょっと休憩。起動を待っていると、となりの同級生が話してきた。高藤だ。
「うぃっす」
「はよ」
適当な挨拶だなあと思いながらも、コウキもそうやっている。あまり話すのは得意ではないが、高藤は男だし、同級生というのもあってまだやりやすい。それに高藤はコウキのことをコミュニケーション能力が低い奴だというのを分かっている。それをネタにもするが、嫌という訳では無い。実際、そうなのだから。
話という話もせず、コウキはさっさと自分の研究を始めた。コウキの研究は実験室に行かなくても良い。俗にいうin silico だ。だから人と会話する必要が無い。この研究を勧めてくれた教授に感謝だ。
そうやってポチポチパソコンを弄っていると、高藤が話しかけたり、勇気を出してコウキから話しかける。他愛もない。特別なことは言わないし、言うつもりもない。というより、言えない。気の利いた事は言えないし、表には出さないだろうけど、好かれていないだろう。
でも、俺は皆ことが好きだ。
話はしないけど、毎日ちょっとは顔を見る。そうしていると、なんとなく仲がいいような感じにコウキは勝手に思う。
「……気持ち悪いなあ」
ボソッとそう思ったので、つい口に出てしまった。幸い、誰にも聞かれていないようだ。
昼ごろまで適当に研究して、もういいか、やりたくねえとか思うまで作業したら、前日に買ったパンをもさもさ食べる。
本当は蛋白質を摂取したいが、ここで肉を食おうものならお金が無くなる。
なので安い菓子パン二個がコウキの平日のお昼だ。
研究室の隅っこには小さいテレビがあって、そっちに移動して、ご飯を食べる。
すでに高藤が飯を食っていた。
ルールでここはNHKしか映せない。
だから味気ないニュースを見る。まあこの時間帯の他の番組だって、くそどうでもいい内容を垂れ流しているだけだから、まだマシだ。
「またアレやってるぜ」
高藤がテレビを指さす。
映っているのは外国の映像だ。死体が多いのかモザイクばかりだ。飯時になんてもの流すんだ。
「関谷君、知ってる? 今めっちゃ日本円が高くなってるんだぜ」
「なんか、聞いた事ある」
そしてちょっとした高藤のご高説が始まった。コウキも適当な知識しかないので、あまり良く分からなかったが、とにかく、日本が安全だから自分の金を日本円に変えておく投資家がたくさんいるらしい。そうしておけば、自国の金の価値が下がっても、痛手は無い。
「いやー、安全っていうのはすげー価値なんだな。こういうときになんねーとわかんねーよ」
「そうだね」
「……てことは、今ドルとか元とか安いってことだよな?」
「まあ」
「てことは、今たくさん買っておいて、あとで値上がりした時また売ったら、めっちゃ利益でねえ!?」
「出るね」
「こうしちゃいらねえ!! 為替の勉強してくる!」
高藤は自分の席に戻って、高速で何かを検索している。まあ儲かるならあとでコウキもやらないこともない。
コウキはパイプ椅子に腰かけて、続報を見続けた。
やれどこの国が日本に救援要請を出している。協力を得るために、特別に訪日にする国がある。外は騒がしい。こんな時にパソコン触ってまだ研究している。
「……危機感、足りない……?」
良く分かんない。でも誰も何もしてないから、大丈夫なのだろう。難しい事は誰かがやってくれる。
そのうち、研究室の人が集まって、ランチタイムとなった。基本皆参加なので、コウキもいる。けど、喋りはしない。心の中で申し訳ないと思いながら、視線をさまよわせた。
コウキのせいで、空気が悪くなっているかもしれない。いや悪い、と思う。誰も言わない。それは皆が優しいからだ。だから好きになる。けど、皆は俺の事が嫌い、とまではいかなくても、好きではないだろう。もっと流暢に会話出来たらとか思うけど、それはできない。できないというか、しない。このままでいいかと思っている自分がいて、それは変化を拒んでいる。だから皆喋っている中、一人で黙ってご飯をとてもゆっくり食べる。
そうやって三十分ほど過ぎて、そろそろ皆ご飯を食べ終わって、んじゃ戻りますか、みたいな空気になった頃に、緊急速報が流れた。
テレビの画面上部にテロップが流れる。
「なんだろ」
誰ともなくそう言った。
テロップが流れる数秒がもどかしい。
皆注目していた。
流れた。短い文章だ。すぐ読める。
でも理解が出来ない。
「え……」
息の飲む声。
もう一度読む。理解する。解釈する。噛み砕いて、理解する。
いやあ……やばいよなあ。
『国武首相が無差別殺人症候群に感染。国内感染の初症例』
今から、日本は、文字通り孤島と化した。