「翔は私のことが好きなの?」「嫌いじゃないよ。」
「ふう、やっと仕事が終わった。」
俺は思わず声が出た。実際、俺じゃなかったら、もう1時間はかかる程のタイピングの量だった。
「お疲れ。」
そう言って凪颯は俺に缶コーヒーを差し出してきた。
「・・・俺、コーヒー飲めないんだけど。」
「あっ!そうだった。ゴメン。」
急いで他のものを買いに行こうとしたのか、凪颯は財布を取り出した。
「いいよ。今からご飯を食べに行くんだろ?その時になんか飲むんだし。」
「そう?じゃあ行こう。」
「はいはい。俺のアパートの近くでいいだろ?」
「うん。」
俺と凪颯は会社を出て、電車に乗った。時間的には全く人がいなかった。
「ところで第8支店の前にはお前どこにいたんだよ。」
「第3支店だよ。」
「そっか。そんで瀬戸社長に呼び出された?」
「そうそう、ホントにびっくりしたよ。一瞬、悪い人かと思ったよ。」
「それはあるな。俺の時は俺の進退についてだから、より一層怖く感じたわ。」
「でも、すごくいい人だよ。」
「なんでそう思うんだよ。」
「だって、みんなのことを一番に考えてるし、目が嘘を言えそうな目じゃないもん。」
「目なんかでわかるもんか?関係ないような気がするけど・・・。」
「分かるよ。翔だってそんな目してるからね。」
「はぁ?!と言っても心理学とかは正直よく分かんないからきっとそうなんだろうな。」
凪颯は心理学を、しかも同じ大学だから、鹿乃先輩のことはよく知っている。てか、なんで逆に同じ職場に入った事に気が付かなかったのかが分からない。
「翔はなんで工学科に入ったの?」
「急だな。まあ、言うとすれば、数学が得意だったし、さして機械にも抵抗が無かったからかな。そう言うお前はどうして心理学なんて選んだんだよ。就職先が少ないのは覚悟で選んだんだろ?」
「そんなことはあまり考えなかったよ。なんとかなると思ってたし。」
「相変わらず無鉄砲な性格は変わらないんだな。」
その時、ちょうど最寄駅についた。
「よし、降りるぞ。」
「うん。」
俺と凪颯で家の近くの店に入った。
「おおー、もしかして凪颯ちゃんか?大きくなったなー。」
「おっちゃんこそ元気そうでなによりだ。久々におっちゃんの料理が食べたくなってな。」
「吉さんの料理は美味しいから、私も楽しみだよ。」
「翔は少し前に街で見かけたけど、凪颯ちゃんはざっと5年以上は会ってないよな。いやー、いい女になったな。」
その時、厨房の奥から弥子さんがフライパンを持って吉さんの頭を叩いた。
「父さん、そんなことを言ってないで席を案内しな。」
「「ご無沙汰です。」」
俺と凪颯の声がかぶった。それを聞くと弥子さんは夜中にもかかわらず、大声で笑った。
「お二人さん、相変わらず息がぴったりだね。席はどこでもいいから座りな。この時間だと人は滅多に来ないから。」
「カウンターでいいだろ?」
俺は凪颯に聞いた。
「いいよ。」
「それにしても弥子さんは外に出ないんですか?弥子さんくらいの力があればどこでもやっていけますよね?」
「翔は嬉しいこと言ってくれるね。でも、ココでいいんだよ。」
「そうですか・・・。」
「ほれ、ビールと吉さん特製の突き出しの盛り合わせだ!」
そう言って、吉さんが二人分の突き出しを一気に出した。
「『特製』って言っても、サイコロを振って決めてるんでしょう?」
「そうだったんですか?」
「そうだよ。一回一回考えるのが面倒でな。きっと、こういう所が弥子に遺伝したんだな。」
そう言って、吉さんは笑った。
「お二人さんは何を食べる?」
「弥子さんにお任せします。一人5000円以内で。」
「あいよ!」
弥子さんが厨房に戻った。
「弥子は良く作るだろ?弥子はいつも『ココでいい。』だなんて言ってるけど、本心は外に出たいんだよ。」
「おっちゃん、それどう言う意味なんだよ。」
「実はな、少し前に俺が倒れたんだ。」
「吉さん、大丈夫ですか?」
「いやいや、本当に対した事じゃないんだ。でも、そんなことがあって弥子が昔、俺の行った言葉を覚えてたらしいんだよ。」
「なんて言ったんですか?」
俺はビールを飲みながら聞いていた。
「『店を継いでくれたら嬉しいなー。』って言ったんだよ。ちょうど、凪颯ちゃんくらいの歳の時だったかな。それから、弥子は外で修行してたんだけど、倒れた時にすぐさま帰ってきて『継ぐから安心しな!』って。」
「へえ~、そんなことがあったんですか。」
「口とか態度はキツいけど、料理のことならば真剣になるし、根っこはものすごく優しいやつなんだよ。」
笑顔で吉さんは弥子さんの事を語った。
「父さん、料理ができたから持ってって。」
「あいよ!」
そう言って吉さんも厨房に向かった。
「二人共、返事は『あいよ!』だって。なんだかんだで二人も仲いいよな。お前もそう思うだろ?」
「そうだね。きっと、言わなくても分かり合ってるんだよ。」
「『以心伝心』ってやつか。」
「いや、きっとそれ以上の何かだよ。」
「俺は証明ができないことは信じないんだ。」
そう言って、俺は弥子さんが作った料理を食べた。時間が遅くて他の客がいないせいか時間が経つのがとても遅く感じた。
「そういえば、第5支店はどんな感じ?」
不意に凪颯が口にした。
「どんな感じって言われてもな・・・。まあ、あの業績は俺だけのものじゃないし、特に鹿野先輩にはいつも助けられるよ。」
「鹿野先輩と翔がいればそっちは百人力だ。」
「それにパソコンをうまく使えば、早く仕事ができんだよ。」
凪颯は少し酒を飲んでいるせいか口調が定まらなかった。
「翔はすごい!私よりも支店長で活躍してんだもん。」
「お前だって支店長だろ。それに今の調子なら上位に食い込むんだろ?」
「そんなことできないよ~。」
そう言いながらも凪颯は酒を飲む手を休めなかった。
「実際、俺だって神田が墓穴を掘らなきゃ、もっと支店長になるのは遅かったわけだし、お前とは大差は無いだろ。」
「・・・。」
「凪颯?おーい。」
俺が凪颯の顔を覗き込むとぐっすり眠っていた。きっと、酒の飲み過ぎだな。これといって強いわけでもないのにガブガブ飲んで・・・。
「今日、会社の近くで何かあったのか?」
料理を持ってくるついでに弥子さんが聞いてきた。
「いや、大した事じゃないんですけどね。今日、会議で発言したことを論破されたんですよ。」
「そんなことがあったのか。」
「そんなことで一回一回落ち込まれたらこっちの身が持ちませんよ。」
「まあ、そうだろうな。でも、自分にはその気持ちよく分かるよ。」
「弥子さん、論破されることなんてあるんですか?」
弥子さんは裏から毛布をとってきては凪颯に掛けてその反対側に座った。
「自分もさー。正直、外に出て驚いたよ。自分の意見は絶対にあってるのに料理長には認めてもらえないことがあってね。すっげー口論になったんだよ。そこで自分なりに料理を作って料理長に訴えたんだ。」
「そんでどうなったんですか?」
「その時、料理長は料理の事は褒めてくれたよ。ただ、その後に言葉を付け添えられてね。」
弥子さんは決して俺の目を見ずに話を続けた。
「『お前は誰のために料理を作っているんだ。』ってね。その時、やっと自分の独りよがりに気づいたんだ。自分が料理が好きだからってどんどんウマい料理を作っていって提案していったけど結局は自己満足にしか過ぎなかったってね。」
いつも明るい雰囲気の弥子さんがその時だけその雰囲気を感じなかった。
「そのあとはどうしたんですか?」
「ちょうど、父さんが倒れたんだ。自分で料理長に言われたことを考えても分からなった時にだよ。でもその時に気づいたんだ。父さんの店に来る人の顔は来た時はどうであれ、帰るときは必ず笑顔だったことをね。そんでこの店からやり直すことを決めたんだ。」
「強いですね。普通の人ならその時に心が折れちゃいますよ。」
「自分でもそう思う。だから、相当ショックだったと思うよ、凪颯。自分を全否定されたんだから。翔はそんなことを経験したことがないからわかんないかな?」
「俺にだって感情くらいはありますよ。ただ、昔っからこいつには振り回されっぱなしで・・・。」
「でも、凪颯がいなかったら、昔の翔はとてもつまらなかったんじゃない?」
「まあ、そうですけど・・・。」
「それに二人は相変わらずじゃないか。昔は『みこ姉』って呼んでいたのは覚えてる?」
「それは僕が小学生でしたし…」
その時、弥子さんの奥にある時計を見ると午前1時を過ぎていた。
「ヤッバ!帰らなきゃ!」
「『帰らなきゃ!』って言ったってもう電車はないぞ。」
遠くから吉さんが弥子さんを呼んだので弥子さんは厨房に戻った。
「こりゃ、もうおうちに連れて行くしかないですね。」
はあ、久々にお前と意見が合ったな。じゃあ、タクシーでも・・・。
「貴方、そんなにお金を持ってないでしょ?」
俺は財布を確認すると確かに初乗りの料金も無かった。
「ダメですね~。お金にはきちんと気を配らなきゃ。」
じゃあ、どうすんだよ。
「おぶって行くしかないですね。」
俺は少し考え、そうすることにした。幸い、凪颯は比較的軽かったので助かった。
「そんじゃ、ごちそうさまでした。」
「「まいど!!」」
吉さんと弥子さんがハモって言った。
俺のアパートまでは遠くは無かった。少し歩いてから凪颯が目を覚ました。
「・・・翔?」
「なんだよ。歩けるか?」
「このままでいいかな?」
どうやら、酔いは覚めていないらしい。俺はせっせと歩いた。
「・・・懐かしいね。」
「何が?」
「小学3年のあの時も翔がおんぶしてくれたよね。」
「そんなことあったっけ。」
「その時の約束覚えてる?」
「約束なんてしたっけ?全く覚えてないわ。どんな約束したっけ?」
「覚えてないならいいよ。大したことでも無かったし。」
――――――――――――――――――――――――
ガッシャーンという音と共にガラスの花瓶を落としてしまった。
「痛っ!」
「しょうがねーなー。」
私がガラスの破片を拾っているとと、隣で翔も拾い始めた。
「ほら、凪颯。オメーは手を切ったんだからそのハンカチで押さえとけ。」
私は翔が出してくれたハンカチを手で払った。
「いっつも私に優しくしてくれるけど、その優しさがツラいの!」
私は涙を流しながら言った。もしかしたら、その時、始めて翔の前で涙を流したかもしれない。
「じゃあ、どうしてほしんだよ。」
「ほっといて!」
流れている涙を袖で拭きながら言った。ただ、翔はしゃがんで私の右足を見た。私も見てみると花瓶の破片が刺さっていた。
「ちょっと待ってろ。」
翔はもう一枚のハンカチを取り出した。
「少し痛いからな?」
翔はタイミングを見計らって引っこ抜いた。
「痛っ!」
立っていた私は翔に寄りかかった。
「取り敢えず家に帰るぞ。凪颯の母さんに言わなくちゃ。」
そう言いながら翔は私の足にハンカチを巻い手くれた。何回か私は一人で歩こうとしたが、足を引きずるような歩き方だった。
「ほら、いいから乗れよ。」
私は少しためらったが、翔が2、3回言ってくれたから私は翔の背中に乗った。
「もう無理すんじゃねーぞ。」
「・・・なんで翔は私に優しくしてくれるの?」
「なんでって・・・、そりゃお前が心配だからだよ。」
私はその時、嬉しいに限りなく近い感情があった。
「翔は私のことが好きなの?」
「『好きかどうか』って聞かれたら答えにくいけど、嫌いじゃないよ。」
翔は顔色一つ変えずに言った。
「じゃあ、一つ約束していい?」
「別にいいけどなんだよ。」
――――――――――――――――――――――――――
俺はやっと家に着いた。一階で助かったわ。流石に人を背負って階段は登れないわ。
「一回下ろすぞ。」
俺は凪颯を一旦下ろして鍵を開けた。
「翔、立たせて。」
「・・・、わーかったよ。ほら。」
俺は手を差し出した。なぜか凪颯は笑っていた。
「お前、流石にスーツのまんまでは寝ないだろ?俺の余ってる服でいいなら着ちゃえ。」
「うん。」
そう言って、急に俺の目の前で脱ぎだした。
「ち、ちょっと待て。流石に昔とは違うんだ。俺はあっちに行くから。」
俺は急いで服を準備して隣の部屋に移動した。
「珍しく貴方の心が読めませんでした。」
お?悪魔さんはなんでもできるんじゃないんですか?
「だから驚いてるんです。ただ、嘘はいけませんよ。少しでも角度が変わってくればわかりますからね?」
まあ、俺だってやられてばっかじゃ気が済まねーからな。
「もう仕事に戻りますね。失礼します。」
アクアはいつものように消えていった。てか、アイツ、いつもフェードアウトするけど、そんなんで本当に天界に行けんのかよ。
そう思いながら俺もスーツから部屋着に着替えた。半年近く寝てないから寝巻きとか気にしたことなかったわ。その時、俺は昨日買った本を読もうと辺りを見回した。
「あっ、バックの中か・・・。」
バックは凪颯が着替えている部屋に置いてきた。
「凪颯?着替え終わったか?」
その言葉と同時に扉が開いた。
「うん。」
「じゃあ、あの部屋にベッドがあるから、そこで寝ろよ。」
「翔はどうすんの?」
「俺は~、床にでも寝っ転がって寝るよ。」
凪颯は申し訳なさそうな顔をした。
「来客を床に寝させる礼儀がどこにあんだよ。何も考えなくていいから寝ろって。」
俺は最もらしい理由を言った。凪颯は一応納得したような顔をして部屋に行った。
俺はたった今、凪颯がいた部屋に入った。ハンガーに服はかかっていた。俺は次のオーディションのために練習を始めた。時々、音が漏れていないか気になって、携帯の録音機能を使って調べるが一切音漏れはない。非科学的すぎてもはやアイツのすることに理由を付けるのが面倒になってきた。ただ、一つ言えるのは、アイツに睡眠を排除してもらったおかげで明らかに有意義な生活を送れていることだ。そう思い、俺は再び歌の練習に入った。