「すぐに答えを求める人は肝心な場面で失敗するわ。」「そんな経験をされたんですか?」
最後の凪颯が残った封筒を引くとアナウンスが流れた。
『それでは封筒を開けて下さい。』
俺は緊張することもなく、気楽に封を切った。その中には厚紙が一枚あり、会社のエンブレムが押されていた。
『会社のエンブレムがあった方は挙手をお願いします。』
そのアナウンスを聞いて、俺は手を上げた。その瞬間、舞台の下から多くの声が上がった。
「良かったじゃない。良い人材を確保できるなんて、うらやましいわ。」
「ありがとうございます。でも何で神薙さんはわざわざ柏原さんを指名したんですか?」
「翔くんも嫌らしい質問をしてくるのね。強いて言うなら、あの子もうちに向いてると思ったからよ。それ以外は何もないわ。鹿野くんから聞いているでしょ?」
神薙さんはそう言って、封の切ってない封筒をポケットにしまった。
「早く次の子を決めなきゃね。翔くんは柏原さんのところへ行って入社の確認をした方が良いわよ。後のメンバーは基本的に被らないはずだから。」
神薙さんは舞台を降りながら俺に言った。席に戻ると鹿野先輩が送り出した時と同じ満面の笑みで迎え入れてくれた。
「やっぱり、佐和田が適任だったな。」
「八分の一を引いただけですよ。」
「それもそうか。神薙さんにも言われただろうけど、柏原さんのとこに行って確認をしてきた方が良いな。俺たちは一枠埋まった事になってるから、もし、入社の意向が無いのであれば、後期の枠を増やす手続きが必要になっちゃうから早めに知っておいて損はないだろ。」
鹿野先輩が俺に対して話を進めていたが、神野さんに目を向けた。
「梨紗ちゃんが行った方が良いのかな?少なからず、佐和田よりも愛想はあるし、親しみやすいよな。」
「わ、私ですか?」
いきなりのバトンパスに神野さんは焦っているように見えた。でも、数秒後には覚悟が決まった目になった。
「分かりました。確認してきます。待っていて下さい。」
そう言って、神野さんは席を立った。
「まあ、結果は梨紗ちゃんが帰ってこないと分からないな。わざわざ内定を蹴る可能性がある事が不安要素でもあるし・・・」
鹿野先輩は心配した様子で喋っていた。
残りの二人で第2、第3の就活生を選択し終えた後に神野さんが戻ってきた。
「その顔の様子だと、断られたって事はなさそうだね。」
鹿野先輩が神野さんに笑顔で話し始めた。
「はい!私が内定の事を話すと、二つ返事で第5支店の内定を承諾してくれました。」
「それなら良かった。こっちも気が気でない感じが続いてたから、一安心したよ。残りは、あの子を指名するだけかな。」
鹿野先輩がデバイスに手を伸ばして、坂堂くんの所を選択した。
「ただ、うちで育てるって言っても、一体何をすれば良いんだろうな。」
「それを考えるのが、僕たちへの課題って事ではないですか?」
俺の言葉を聞いて鹿野先輩は少し考えた顔をした後に、
「それもそうかもしれないな。今回は梨紗ちゃんも関わって来るわけだし。」
鹿野先輩は不意を突いて神野さんに言ったつもりだっただろうが、返事はまるで違った。
「はい!私もこれから頑張っていこうと思います。」
「やっぱり、元気な子は見ていて気持ちがいいわ。」
神薙さんが後ろからやってきた。
「それに、やる気がある子はもっと好きだわ。」
神野さんの肩に手を置いて、鹿野先輩に話しかけた。
「今日の晩餐するお店の予約は取っておいたわ。鹿野くんたちの仕事が一段落したら、私に連絡頂戴ね。」
「分かりました。」
「それじゃあ、またね。」
神薙さんは右手を上げ、背を向けた。
「ところで、どうして柏原さんは内定をすぐに蹴っていたか言ってた?」
鹿野先輩が神野さんに確認するかのように聞いた。
「私もそのことが気になったので聞きました。どうやら、自分が内定の枠を一つ取ってしまうことで、他の就活生が内定がないことがもったいない。だから、内定の通知が来ても、すぐに内定取り消しのメールを送っていたらしいです。」
「それはすごいな。ここにだって受かると決まった訳じゃないのに、そんなことを考えて就活なんてしてなかったわ。」
鹿野先輩は苦笑いしながら、話を続けた。
「でも、こっち側としても、あれだけのいい人材が来たら、多少の噂があっても取りに行くよな。そう考えると、佐和田は開始早々に見つけたのはすごいと思うよ。」
「まあ、たまたまですよ。僕だって目の前に柏原さんがいなければ、話しかけなかったでしょうし、結局は運ですよ。」
その時、最後の指名が終わって、会場にアナウンスが流れた。
「第4指名の集計が終わりました。各支店で指名が重複していなかったため、決定となります。以上をもちまして、前期試験を終了とします。皆さん、お疲れ様でした。」
鹿野先輩はアナウンスを聞いて、深く息を吐いた。
「二人とも、今日はお疲れ様。梨紗ちゃんにおいては急に呼んじゃったから、本当にごめんね。」
「いえいえ、そんな事ありません。こういう経験は滅多に無いですから。」
「そう言ってもらえると助かるよ。実際、柏原さんは二人がいなかったら、とれていなかっただろうからね。それじゃあ、帰る準備をするか。お店は神薙さんがもう取ったらしいから先に行ってて良いらしい。」
俺たちは、本部から借りたデバイスを返して、会場から出た。
「ところで食事に来るのは神薙さんだけなのでしょうか。」
「他にも来てほしい人でもいるのか?」
鹿野先輩が俺の顔を不思議そうに見た。
「・・・僕が他の人が来ないかを確認するのは変ですか?」
「いや、そんな事は無いけど・・・。神薙さんは・・・ねぇ?」
鹿野先輩は言葉を言い終わる前に、神野さんの方を向いた。
「まあ、配慮をしてくれたって事じゃないかな。」
その時、入り口が開いた音がした。神薙さんの声は聞こえなかったが、おそらく最短のコースでここまで来たのだろう。
「三人とも、かなり待たせちゃったわね。」
「そんな事ありませんよ。神薙さんこそ、最近は色々と忙しいって聞いてますよ。大改革をすることは耳に入っています。」
神薙さんは少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐに返事を返した。
「一体誰から聞いたのかしら?結構、情報規制はしっかりしていて、来年度にならないと伝わらないはずだったのに。」
「まあ、第六支店には僕の事を信用してくれる上司がいますから。」
きっと、東條さんの事だな。
「そうだったの。あの人は情報通だったのね。お話は後でもできるわ。先に食事を頼んでしまいましょう。今日は疲れたし・・・」
「そんな事言っても、お酒は飲みませんよ。」
「あら、どうして?折角、佐和田さんと神野さんも来たのにそれくらい・・・」
「どんなに理屈を並べようとダメです。」
鹿野先輩が頑なに断っているのに嫌な予感を感じた。
「鹿野先輩、どうしてダメなのでしょうか?」
神野さんは不思議そうに質問した。
「それはな・・・」
「そこのお兄さん、ビールを一つもらえるかしら。」
「かしこまりました!」
その後に厨房から、元気なコーリングが聞こえた。
「鹿野くん、私だってバカじゃないんだから、二人にみっともない姿は見せないわ?」
「もしかして、お酒に弱いんですか?」
神野さんは不思議そうに質問した。
「そうなn・・・」
「嘘を言わないで下さい」
鹿野先輩は強めの口調で言った。
「・・・鹿野くんは入社した頃に私につぶされた事をまだ気にしているのね。」
「持つに決まってるじゃないですか。『私、弱いのよ。』なんて嘘をついて、僕にたくさん飲ませて気づいたら家だったんですから。」
「私もあのときは若かったわ。もうそんな事はしないから二人とも安心して。今日は早く帰らないといけない用事を会社に置いてきたのよ。」
「鹿野先輩、そんなに心配することはないんじゃないですか?僕たちは学生って訳でもないですし。」
「佐和田、後でどうなっても知らないからな。」
「佐和田、か、肩を貸せ・・・」
俺はこんなことになるとは思って無かった。確かに、俺と神野さんには一切のませるような事はしなかったが、その分が鹿野先輩にいってしまった・・・そして今、鹿野先輩をトイレから回収中。
「こうなるから神薙さんは飲ませちゃダメなんだよ。」
俺は申し訳なさを感じると同時にここまで飲んでも、会話が出来ている事に驚いている。
「どうせ、俺が会話できていることを不思議に思ってるんだろうが、前はもっとひどかったからな・・・」
そう言いながらも、席に戻る事が出来た。
「鹿野くん、もう吐いちゃったの?」
そんな事を言う神薙さんの横には瓶ビールが20本近く置いてある。
「それじゃ、今日はもうお開きにしましょうか。」
そう言って神薙さんはまっすぐレジに向かった。ただ、俺にはもう一つ不安因子があった。
「神野さん、起きて下さい。神野さん。」
俺が体をいくら揺らしても、起きる気配がない。確かに、そこまで強くないことは知っていたが、何もつぶれるまで飲まなくても・・・。
俺がそんな事を思っていると神薙さんがレジから帰ってきた。
「鹿野くんは・・・、大丈夫そうね。昔と同じで強いわね。問題はぐっすり眠ってる神野さんね。」
「それは神薙さんが『たくさん飲む子は好きだわ』なんてことを言ったからですよ。」
「あら、私は本心を話しただけのつもりなんだけど。それに・・・」
神薙さんは神野さんの頭をそっと撫でた。
「こんな私の事でも、尊敬してくれるなんてうれしいじゃない。そうだ、二人が起きるまでもう少し時間がかかりそうだから二人で話しましょ?」
その時、さっきまで起きていたはずの鹿野先輩も突っ伏して寝ていた。
「鹿野くんから貴方の事は良く聞いていたわ。周りに気づかれないようにバックアップをしていたこと、支店長になってからは、色々な制度を加えて、全員の負担も軽減したことも素晴らしいことだわ。」
神薙さんは俺の目を見ているように見えたが、何かその先を見ているようにも見えた。
「まあ、周りを見すぎないことね。」
「それはどういう意味でしょうか?」
「それは、翔君が考えることだわ。何時もすぐに答えを得た人は、大一番で失敗する傾向にあるわ。」
「神薙さんは何かで失敗したんですか?」
俺の質問を聞くと、神薙さんは笑い始めた。
「やっぱり翔君は面白いわ。話したいことは話したわ。二人を起こして帰りましょうか。鹿野くんは叩けば起きるだろうし、神野さんは準備している間にきっと起きるわ。」
そう言って、鹿野先輩の耳元で神薙さんは何はつぶやいていた。すると、鹿野先輩はいきなり立ち上がった。
「帰りましょう!」
その声に、神野さんも反応した。
「あれ、いつから寝ていたんだろう?」
神野さんが不思議に思っている所に、神薙さんは水を差し出した。
「梨紗ちゃん、大丈夫かしら?はい、お水。私があんなこと言っちゃったから、今日は結構飲んでいたわね。」
「ありがとうございます。」
神野さんは神薙さんから水を受け取り、勢いよく飲んだ。
「私は仕事があるから、翔君にお願いしてもいいかな。」
「分かりました。お疲れ様です。」
「今度は二人で飲みましょう。それじゃあ、またね。」
神薙さんは今にもスキップをしそうなくらい軽い足並みで帰って行った。
「鹿野先輩も神野さんも大丈夫ですか?」
「私は、大丈夫です。それよりも鹿野さんは・・・。」
「全く・・・あの人はつぶれるって事を知らないのかよ。」
さっきとは全く違う様子に俺はとても驚いた。
「まあ、おかげさまで復活力だけは相当鍛えられたけどな。梨紗ちゃんは歩けそう?」
そう言って、鹿野先輩は神野さんに手を伸ばす。
「ありがとうございます。でも、一人では歩けるので大丈夫です。」
「それじゃ、帰るか!」
その言葉を聞いて、三人は駅へゆっくりと歩いて行った。




