オープンスクール
七月の終り、毎日のように猛暑日が続くようになったある日、とある私立高校のオープンスクールがあり、雪那はそれに出かけた。その高校は、雪那が二年生のときから第一志望に考えている高校である。
その道すがら、雪那と春希は偶然鉢合わせた。
「立花さんも中高見に行くんだ」
雪那のことを見つけた春希が声をかけると、彼女は少し驚いた反応を見せ、その驚きが冷めきっていない様子で答えた。
「そう…。中津國高校は第一志望だから。
何故、君はここを見に行くの?」
「うーん…とりあえず、オレが受かれそうな高校を見に来たってところ。志望校とかはまだ全然考えてないかな。立花さんは何でここが第一志望なんだ?」
「理由は幾つかあるけど、学力が自分に合ってると思ったっていうのと、仏教の学校だからっていうのが大きいかな」
「すごいね…。ちゃんと考えてるんだ。オレなんかやりたいこととか何もないし、とりあえずみんな行くからオレも高校行っておこうかなーって感じで」
「私はむしろ一つのことしか見てないから、これ以外の選択肢は…と、正門が見えてきたね」
気がつけば高校のすぐそこまで歩いていた。案内に従って二人は講堂に入っていき、説明会が始まった。
私立中津國高校は住宅街の中に立っている、創立百三十年余の伝統ある学校である。市内の私立高校の中ではかなりの上位に入り、公立難関校の滑り止めとして受ける人も多く、一学年の生徒数は五百人を超える。そんな中津國高校の一番の特徴は、仏教曹洞宗の教えを建学の精神としているところだ。
説明会が終わって生徒会による学校見学会に入り、中高生徒の案内で学校の施設を見ながら、二人は行きのときにしていた話の続きを始めた。
「立花さん、志望理由に宗教のこと言ってたけど、何で?」
「私の学びたい分野がね、人間とか総合科学で、その中でも特に宗教について興味があるから、高校のうちから学べるのがいいなって」
すごい、と春希は改めて思った。自分とは違う彼女が羨ましく、自分に何の考えもないのが恥ずかしく思えてくる。
「ゆっくりでいいんだよ。急がなくたって、然るべき時に見えてくるんじゃないかな」
「…そういうもんか?」
「そういうものだよ」
何度もつっかえながら一生懸命案内をしている男子生徒をよそに、雪那はそのまま話し出す。
「中の絵をどのように描いていくかは本人次第だけど、きっと、枠は既に出来上がっているんだよ。その必然には逆らえないし、逆らう必要もない。まぁ、その枠を変形させて自分の人生を変える人もいるだろうけど、それは並々ならない本人の努力だったり、思いの強さの結果だと思う」
「もしかして、いつもそんなことを考えてるのか?」
うーん、と唸ってから雪那は答えた。
「いつもってわけじゃないかな。こう、私の中の根底にある考えって感じ。何をしていても、何を考えていても、心の中に必ずある…」
そう話す雪那の顔からどんどんと表情が失われ、声も冷たく尖るようになった。その声音は、修学旅行の夜に聞いた声とひどく似ていた。
「…いつから」
知らずのうちに、春希は問いかけていた。
「いつからそんな風に考えだした?」
その問いに答えた雪那の声は依然として冷たいままだった。
「さぁね…。でも、こんなことを考えるのも、決められた運命、かな」
次に春希の目を見た雪那の顔からは、もう先ほどまでの冷たさは消えていた。
「要するに、決められた枠の中でどうやって生きていくかだよ。
それで、君は何故そんなことを知りたがるの?」
雪那の言葉に、春希は笑顔で答えた。
「だって、理解する努力をしたいから。修学旅行のときも言っただろ?」
それを聞いた雪那の目が一瞬見開いたのを、春希は見逃さなかった。
気がつけば、案内は終わっていた。
「やっぱり私はここがいい。来てみて改めてそう思った。
君はどう?悪くないところだと思うけど」
「んー良いかもしれない。まだ分かんないけど」
そう春希が答えると、雪那はぷっと笑いだした。
「えぇ?そこ笑うとこじゃなくね?」
「いやー、あまりに当たり前な質問をした自分と同じく当たり前な答えを出した君がおかしくて…。ごめんごめん、今こんなことを聞いても差し障りないような答を出すしかないよね。何言ってるんだろ、私。
あー…おかしい…」
そう言いながらも笑い続ける雪那を見て、春希はふと気がついた。雪那がここまで笑うところなど、見たことがなかったのだ。そんな思いがぽろりと口からこぼれた。
「立花さんって、そんな風に笑うんだ…」
「人を何だと思っている?私も一応人間のはしくれだよ。まぁ確かに、ここまで笑っちゃうのは珍しいことだけどね。
ふぅ、やっとおさまってきた。本当に、人前で何やってるんだろう…」
やはり雪那は変わっていると、春希は思った。世の中にはこんな人間がいて、その変わった人と普通に話している。もしかしたら、雪那の言うとおり自分も変わっているのかもしれない。
雪那もまた、春希のことを少なからず意識していた。世の中には自分と普通みたいに話すことができる人がいて、その人とまともな会話をしている。もしかしたら、このことを自分は楽しんでいるのかもしれない。
二人の時間は、確実に動いていた。