卒業
勇気を翼に込めて、希望の風に乗り、この広い大空に夢を託して。
今、別れのとき。飛び立とう、未来信じて。弾む若い力信じて、この広い大空に―。
学校を休むようになってから一か月ほどが経ち、卒業の日を迎えた春希だったが、未来の希望を信じた歌など唄う気にはなれなかった。泣きながらも懸命に唄う生徒。もし雪那がここにいてくれたら、自分もあのように泣けたのかもしれない。
何もかもにもやがかかっているように感じる。かつて彼女が言っていた虚しい世界とは、こういうことを言うのだろうか。無彩色で、ぼんやりとしか音が聴こえない。たった一人の存在が、自分の世界をこんなにも変えてしまうなんて思いもしなかった。
(この学校に未練なんてない。…ただ、もう一度だけでいいから彼女に逢いたい。そして、想いを伝えたい)
でも、それが叶わないことが春希には分かっている。分かっているけど、どうしようもなく逢いたい。それだけ春希にとって雪那は特別で、大切で、愛しい存在だった。
この日の卒業式は、三年生一一七名の門出を祝う、幸せそうな、しかしどこか寂しげな、ありふれた式となった。
教室に戻ったときにふと目に入った花にも、何も感じられなかった。自分が好きなはずの桜の花も、今はどうでもいい。もっと好きな花との出会いと別れを、桜が散って再び咲くまでの間に経験してしまった。
担任へのサプライズに寄せ書きと花束が渡され、集合写真を撮り、一人ずつ別れを言って、―自分が何を言っているのかも春希にはよく分からなかった―最後の号令。これで解散となったが、生徒はみんな揃って卒業式の余韻に浸っていた。そんな有象無象を横目に見て、春希は一人で教室を出た。
「春希ー?もう行くのかよ?」
背後から、そんな声が聞こえた気がした。
――――――――――
履きなれた白いスニーカー。三年間着続けた学ラン。使い込んでボロボロになった黒いリュック。今日でこれらを捨てて、四月には真新しい制服で身を包み、中津國高校へ通うのだろう。―雪那のいない場所に。
そう考えながらふと前を向くと、校門に一人、春希のことをまっすぐ見ながら立っている人がいた。軽く脚を開き、片手で無造作に花束を持ち、嬉しそうな表情を浮かべたその人は、紛れもなく。
「立花さん…」
立花雪那以外の誰でもない。見間違うことなどありえない。少し髪が伸びていても、紺色の制服を着ていなくても、今まで一度も見たことがないほど優しく笑った顔でも、彼女は彼女だ。
春希の目から涙がこぼれ、彼はその場から動けなくなった。それでもちゃんと、雪那のことを見つめている。そんな様子を見た雪那はますます笑んだ。
「やぁ」
と、変わらない声で雪那は言い、一歩一歩を踏みしめて春希の元へ来た。
「はい、これ。卒業祝い」
差し出された花束を受け取った春希は、やっとのことで声を出した。
「何故…?」
何故突然消えてしまった?何故何も言ってくれなかった?そして何故、もう一度逢ってくれた?
雪那はどこから話せばいいのか解らなかった。解らないけど、今はとにかく逢えたことが嬉しくて、困ったように少しだけ眉を寄せて笑った。その笑みはまるで、春の訪れを喜び咲く花のようだった。
春希もそれにつられて笑った。
二人にようやく、光が射した瞬間だった。
冒頭は、『旅立ちの日に』(作曲:小嶋登 作詞:坂本浩美)より引用しました。




