冬の終業
十一月の初めには合唱コンクールがあり、A組は体育祭の雪辱を晴らすかのように優勝を収めた。その月の終わりには作品展もあり、気がつけば十二月も半分以上が過ぎた。
気温はどんどん低くなり、街がクリスマスネオンで彩られるようになったこの日、彼らの学校では終業式が行われた。
とは言うものの、大半の生徒は式での退屈な話より通知表の方が気になるところだろう。
だが、そんな中で雪那は一人、心ここに在らずと行った様子で教室に入った。
結局雪那は、引っ越しのことを担任以外の誰にも―智恵にでさえ―言っていない。
雪那自身学校には興味を持てなかったため、わざわざ騒がれる必要などないと思ったし、ただ一人を除いては、別れを惜しんでほしいとは思わなかった。だからといってそのただ一人の人にも単に別れを惜しんでほしいわけではないのだが、かといって、引っ越しのことを伝えてどうしたいかなど、考えれば考えるほど解らなくなった。
ぼんやりとしているうちに終業式は終わり、残るは通知表のみとなった。出席番号一番から順に、担任からの一言をもらいつつ一喜一憂する人達を、雪那はただ眺めていた。
もう会えない。――本当に?
もう終わり。――本当に?
相反する言葉が頭の中で交錯する。目の前の本に集中できない。
「セツナー」
ふいに名前を呼ばれて我に返った雪那が声がした方を向くと、安岡がこちらを見て手招きしていた。それを見てようやく順番が来たのだと気づき、慌てて安岡の元へ行った。
「ハイ、通知表。数学が伸びたね。英語の点数がもう少しあったらカンペキだったかな。品行方正については文句なしだったね」
そう言ってから、安岡は声を潜めて言葉を続ける。
「大丈夫?本当に伝えなくていいの?チエとかサオリとかは特に寂しがるだろうし、ショックを受けるんじゃないかな?」
「いいんです。それより、二十三日はよろしくお願いします。…ありがとうございました」
軽く一礼して自分の席に戻ると、それを待っていたかのように春希が声をかけた。
「どうだった?オレ内申二つ上がったんだ!中高の推薦も取れたし、第一志望合格確定だな!」
そう言って得意げに笑う彼に、何も言わずにこの場所からいなくなるのか?
「私は一つだけ上がったよ。英語がもうちょっと取れてたらなって感じ。まぁ、私も中高合格は確実かな。私、失敗しないから」
「おぉ?自信たっぷり。立花さんらしいな」
今目の前にいる人のことで悩んでいるのに、それをごまかせてしまえる。実はそこまで悩んでいないのだろうか。
「せーちゃん国語教えてぇ…。あたし、このままじゃ…」
「国語はインスピレーションだよ。私からは何も言えない」
もし何か教えられることがあったとしても、教えてあげられる機会など、もうどこにもないのだし。
「はーい、終わるから席ついてー」
安岡の一言で春希も智恵も自分の席に戻り、雪那は一人になった。
冬休みや三学期のことなどを話す安岡の言葉が上手く聞き取れない。
話を終えた担任が一瞬、何かを訴えるような目で雪那を見た。見ただけだった。
号令がかかったらしい。周りの人が一斉に立つのを見て、それに合わせて雪那も立って、礼をして。
終わり――?
「立花さん、帰ろーぜ」
「あぁ、ちょっと待って」
急いでマフラーと手袋を身に着け、一度だけ教室を振り返り、廊下に出た。
「上履き忘れずにね」
忘れたら容易には取りに来れない自分に対しても、二度とこのような言葉をかけてやれないかもしれない春希に対しても言うように。
「あ、そうじゃん。あっぶねー」
まだ校内に残る生徒も多い中、二人は学校を出た。
「よかったの?友達置いてきて」
「いーのいーの。立花さん早く帰りたいだろうし」
「まぁ、否定はしないさ。長々と学校に残る必要もないし」
んー、と大きく伸びをした春希は、友達のことや最近あった面白い話をとりとめもなく話した。いつも通りに。雪那もそれに相槌を打ち、思ったことを言った。本当にいつも通り。そして、ふいに話が途切れた。
「…私は、嘘つきだから」
そう雪那はこぼした。その言葉は、別れを言えない雪那の最大限の思いだった。自分の思いを理解して伝えるのが下手な彼女の本音だった。それを聞いた春希は聞き返すことができなかった。これが雪那の本音だと気づくことができなかったのだ。
沈黙の後、先に口を開いたのは雪那だった。
「まぁ、頑張って」
何をどう頑張るのか、それすらも聞き返せないまま、分かれ道まで来た。
「また三学期」
と、春希が言った。
「じゃあね、春希」
と、雪那は言った。
その日の夜、初雪が降った。地面に落ちては溶けて消えるような、淡い雪だった。




