三人の朝
暗い空間に俺は一人漂っていた。
体を動かそうとしても、まるで泥の中にいるのではないかと思うくらいに体が動かなかった。
現実的では無いこの状況、だけど俺はこれが夢であることを理解していた。
何故だか解らない。ただ夢である、それだけは理解出来ていた……。
そしてそのまま……夢の中へと意識はより深いところへと沈んでいき……。
――キリ、カリリ、キリキリカリキリカリキリキリ――!
何かが歯軋り合うような激しい音が胸ポケットから聞こえ、沈んで行く意識が無理矢理覚醒させられた。
――な、なんだっ!?
慌てながら俺は胸ポケットから音の原因を取ると、懐中時計が普通ではありえないような感じに時間を示す針がグルグルと時計回り反時計回りと回転をしていた。
今までこんな事になったことは無いこれは――夢、だからか?
『ああ、良かった。目を覚ましたかい、京一くん』
そう思っていると……暗い空間に声が響き渡った。
聞き覚えが無い声だけど、女性であることは間違いない。
――いったい誰だ?
問いかけようと口を動かすが、声がまったくでない。けれど言いたいことは伝わっているらしく響き渡る声は返答する。
『今は誰かは教えるつもりは無いよ。まだその時じゃないからね、だけど……もう直ぐ会えるさ』
その声が空間に響く中、俺の体は浮き上がるようにして段々と上に上がり始めた。
同時に暗い空間に光が差し込み始め、纏わり付く泥が無くなっていくように体は段々と軽くなっていく。
『もう目覚めの時だ。さぁ、目を覚まして現実に帰るんだ。今度は現実で会おう――』
別れの声を聞きながら、俺の意識は覚醒へと導かれた。
ピピピッ、ピピピッと夏休みの間ずっと聞いていなかった目覚まし時計の電子音が向こうから聞こえる。
「んっ……、うっ、ううっ……寒い」
目覚めてから、最初に思ったのはそれだった。
いや、部屋の中は若干蒸し暑いはず、なのに体の芯が寒く感じられるのだ。
起き上がるとそこは俺の部屋の中で、俺自身は何故だか入口近くのカーペットに倒れるようにして寝ていた。
ふらつきながら立ち上がると、俺は今だ鳴り続ける目覚まし時計のアラームを止める。
ピピッ、ピ――と時計はなるのを止め、部屋は静かになった。
それだけの動作だったが、頭を動かすには十分な時間だったらしく、俺の頭の中を霞んでいた霧は段々と晴れてきた。
何で……ベッドで寝てなかったんだ?
覚醒して行く頭で疑問に思いながら、俺は昨日の出来事を思い出す。
そう……昨日、俺は双子と同棲という事実に悩んでた。そして、悩んでても仕方ないって結論を出して水を飲みに行こうと……、そうだ!
「癒樹音! 癒樹音が何時の間にか部屋に居て……それで……俺に……」
昨日、甘いシャンプーの香りと共に俺の唇に当てられた柔らかな感触を俺は思い出す。
でも、何で俺にキスを……?
「はッ! まさか長年燻ぶっていた恋の炎にいきなり火がついてそれでっ!? ……なわけないよな」
そんなことを暫く考えてると、部屋の扉が叩かれた。
「おはよう京ちゃん、朝ごはんが出来たよ。……何してるの?」
不思議そうな顔で癒樹音が床に寝転ぶ俺を見る。
どうやら、色々と考えて悶々とかしてたために……気がつくと部屋の中をゴロゴロと転がっていた……らしい。
「えーーっと……考え事?」
「そうなの? 変な京ちゃん、ふふっ」
俺の返答が面白かったのか、癒樹音は軽やかに笑う。
それを見ながら、俺と癒樹音は一階へと居り始める。
……っとそうだ。階段を下りる中、俺は癒樹音に聞いてみることにした。
「なぁ、癒樹音」
「何? 京ちゃん」
「お前って、昨日の夜……どうしてた?」
そう聞いてみると、階段の真ん中辺りまで降りた癒樹音は首を傾げる。
「どうしてた……って、リンちゃんとお風呂入ってから二人でテレビを見て、時間になって寝たけど……どうしたの?」
「ん? あーー……なんでもない、気にしないでくれ」
「そうなの? 変な京ちゃん」
質問の意味が理解出来ない上に、自分で勝手に納得していることに癒樹音は再び首を傾げて、そのまま下に下りていった。
やっぱ……夢、だったのか?
と言うよりも、まだ二日しか一緒に暮らしていないが現実だったら……目の前の少女は顔を真っ赤にしたまま部屋に逃げ込んでいたことだろう。
癒樹音のあとを追ってリビングに入ると、食べ物の良い香りが充満していた。
テーブルを見ると焼きたてのトーストが二枚、トマトとレタスを使ったサラダ、コップの中には牛乳が注がれていた。
「……おはよ」
台所から、鈴華が半熟に焼かれた目玉焼きを載せた皿を持って現れた。
何か不機嫌そうだ。顔も赤くしているし同棲という出来事に悩んでいるのだろう。
「あ、ああ……おはよう」
「…………ふんっ!」
俺を見ないようにしながら、そっぽ向いて鈴華は椅子に座った。
……やっぱまだ怒ってるみたいだ……よなぁ?
まぁ、無理も無いか……昨日の朝からの出来事を思うにしても怒らないはずがない。
とりあえず、俺も椅子に座り、朝飯を食べようと……あれ?
「あの、何か……わたくしめのご飯が置かれてないのですが?」
そう言うのを待ってましたと言わんばかりに鈴華が蔑み混じりの瞳で鋭く俺を睨む。
「は? 何でボクがおにいちゃんの朝ごはんも作らないといけないわけ?」
「そんな……、リンちゃんこれはちょっと……ひどいよ」
お母様、お姑さんが、お姑さんが俺をいじめます! 婿イビリです!!
まぁ、婿じゃないけどさ。そう思いながら気を取り直し……。
「――って、何でだよ! 別に作ってくれたっていいだろ、同じ家に住んでるんだし!!」
「お……、同じ家に住んでても! 作らないものは作らないの!!」
あー、これだねやっぱ……昨日のこと怒っての行動だよねこれ?
そう考えながら、目を合わす気がない鈴華を見るが何ともならないと理解して溜息を吐きながら俺は立ち上がる。
こうなりゃ一人でトーストでも焼いてジャム乗せて食うしかないな。
「あ、あの……京ちゃん」
立ち上がろうとしたとき、癒樹音が話しかけてきた。
「ん? 何だよ」
「あの、あのね……、私が……朝ごはん作ろうか?」
「え”っ!」
おずおずと恥かしそうに言う癒樹音に対して鈴華は恐怖に彩られた表情をする。
一体全体どうしたんだ? でも、作ってもらえるなら助かる。
「お、いいのか? って、何だよ鈴華」
「え、あ……あー……っと、なんでも無いよ。何でも……って、あぁっ! パンがちょうど無くなっちゃってたんだ!」
「そうなの? でも、残っているのが見え――」
慌てながら鈴華は癒樹音をキッチンへと近づけさせないようにする。
「あ……その。そう、時間! 作るにしても時間が掛かって遅刻しちゃうよ、ユキちゃん!」
「あ、本当だ。そっか……残念」
作る時間はもう無く、食べる時間しか残っていない。言われてから気づき、残念そうに呟きながら癒樹音は椅子に腰掛けた。
そして、それを見ながら鈴華がホッと一息ついた瞬間を俺は見逃さなかった。
怪しい……、この顔と行動、癒樹音の料理に何か関係があるんじゃないのか?
でも、朝飯食わないと腹減るしな……。どうするかー。
そう悩んでいると、投げつけるようにしてトーストが一枚差し出された。
「しょうがないから一枚だけ。一枚だけあげるっ! ほ、本当にしかたなくだからね!!」
「ああ、はいはい。わかったよ。……あんがとな」
トーストを受け取りながら、お礼を言ってトーストに齧り付いた。
こんがり狐色に焼かれて、サクッとした外とふんわりとした中身が口の中に入って行く。
「良い焼き加減で、美味しいな」
「――――ッッ」
「リンちゃん……あ、ふふっ」
何か気に触ったのか、鈴華が突然下に視線を移して。それに気づいた癒樹音がすぐに何かに気づいたのか、嬉しそうに微笑んでいた。
向かいに座る双子の行動を俺は理解出来ず、首を傾げるばかりだった。