急いで起きた悲劇
「も、もーーぅ、ぜは、だめだ……ぜえ、一歩もぜひ、動けない…………」
校門前で俺たちは息絶え絶えになりながら、燃え尽きていた。
「う……うん」
「ふぅ……ふぅ……」
同じように息を切らした鈴華、肩を揺らして懸命に呼吸をする癒樹音。
「け、けど……間に合った……」
あとは靴を履き替えて教室まで一気に行けば……って、何か誰も急いでいないような……?
「センパイセンパイ♪」
「んだよ松乃紗……、早く行かないと遅刻するだろ」
何故だか妙に嬉しそうな松乃紗が近づき、自分の腕時計を俺に見せた。……見ろ。ってことだよなぁ?
俺は見せられた腕時計へと視線を動かし……固まった。
「……マジ?」
「本気と書いてマジです。何なら声に出しましょうか?」
見間違えでは無いようだ。況してや松乃紗の時計が狂っているというわけでもないはずだ。
何故なら、松乃紗の腕時計が刻む時間は……、八時五分だった……。
俺の時計よりも遥かに遅れていた……いや、というよりも俺の懐中時計のほうが故障していたようだ。
「ってことは、骨折り損のくたびれもうけってやつかよ……」
「まぁまぁ、そう言わないでくださいよ~。逆に考えれば少しでも余裕がある思えば良いんですから♪ さっ、センパイ早く教室に行きましょうよ~」
「あぁ……そうだな。おーい、お前らも職員室に行かないといけないんだろ、折角だし連れて行くけどどうする?」
松乃紗に相槌を打ちながら、俺は息を整えているであろう二人に向かって声をかけようと振り返る。
だが運が悪く、振り返ろうとしたときに自分の足を引っ掛けるという昔のお笑いのような転び方かたをした。
お笑いだったら軽い笑いが起きるだろう。
「おわっ!?」
――って、やばいっ! 手で支える暇が無い、このままじゃ顔から地面に落下する! 何か掴むもの掴むものっ!!
必死に何か掴めるものを探しながら俺は両手を空中でバタつかせた。
そしてその祈りが通じたのか、俺の両手に何か掴めるものが引っ掛かり、倒れそうになる体を支えようと――。
「「……………………え?」」
だが、掴んだものはあっさりと地面に落ちてしまい、俺の顔は地面とキスすることになった。
「ぶべっ!? あぃっててて……綺麗に顔を地面にぶつけたぞ……、鼻血とか出てないよな?」
あと何か気の抜けた声が二つ聞こえたような気がしたが……。
ヒリヒリと痛む顔を擦りながら、俺はもう片方の手を地面に手を当てて立ち上がろうとした。
……目の前に二つの島が見えた。
片方の島は、さっきも見た覚えがある青白の島。そして隣には桃と白の島。
「――――え?」
いきなり目の前に現れた島に俺の思考は一瞬停止した。
……落ち着こう。いったいどういう状況か簡単に述べてみようじゃないか。
――目の前に、縞々パンツが二つ、浮いていた。
よし、そんな感じだよな。そんな感じで……理解した瞬間、汗がだらだらとあふれ出し始めた。
恐る恐る見上げると……パンツを見せているのは鈴華と癒樹音だった。
再び恐る恐る地面に目を向けると灰色のチェックスカートが二人の足元に落ちていた。
……えっと、つまり、さっき俺が掴んだものって……、こいつらのスカート?
「ねえ、アレって……」
「おいおい、また奈々坂のやつ新しい伝説創る気かよ……ご馳走様」
「毎度毎度懲りないわよね、さすが究極馬鹿コンビの片割れ」
通学途中の生徒が立ち止まり俺たちを見ながらヒソヒソと「あー、やったよ」見たいな事を言っていた。
携帯とかスマホで写真を撮っているやつらは幸いにも居ないようだ。
というか、関わりたくないのか立ち止まった生徒たちも即座に校舎へと歩いていっていた。
と、とりあえず……今は癒樹音と鈴華の二人をどうにかしないと……。
「あ、あの……お二方……?」
「……………………きゅう」
暫く呆然としていた癒樹音だったが、急に魂が抜けたかのように背中から倒れた。
そんな癒樹音へと、即座に松乃紗が駆け寄る。
「癒樹音ちゃん大丈夫ですか~?」
癒樹音は気絶……鈴華は……何だろう、残暑なのに……凄く寒気がし始めてきた。
倒れた癒樹音の隣を錆びた機械のように振り向くと、鈴華がずり落ちたスカートを自分で引き上げて穿き直した。
ホックの部分が壊れているのか、若干ずり落ちるらしく……片手でそれを押さえていた。
「…………覚悟いいよね? おにい、ちゃん?」
にっこりと楽しそうに笑いながら俺のほうを向いた。ちなみに目は、全然笑っていない。
そして、俺にはしっかりと見えた気がした。鈴華の背後から見える怒りと殺意の渦巻くどす黒いオーラが……。
「あ、あは……そ、その……これはだな……これは……」
この場合、俺が取るべき行動は一つしかなかった。
と言うかそれを選ばないと俺の命が危うい! 危険なんだよぉ!!
「すまん、松乃紗! 癒樹音を頼んだっ!!」
乾いた笑いで後退りし、いきなり叫びながら俺は校舎へと走り去る。決して逃げるわけではないんだ。
「あーーーーっ、待てこらぁぁぁぁっ!!」
そして、潔く殴られることを期待していたらしい鈴華は少し遅れて追いかけてくるのが見えた。
その背後から、楽しそうな声で松乃紗が俺に向けて大声で語りかける。
「は~い、霜が責任を持って癒樹音ちゃんを見ておきますね~♪」
「はぁ、はぁ……、はぁ…………!!」
外履きのまま俺は校舎の中を一心不乱に駆け抜け、一階の廊下を突っ切るようにして走る。
廊下に出ている生徒は多くは無いが、追われる恐怖とついさっき全力で走ったからか心臓がバクバク音を立てる。
「あ……っと…………居た! 待てーーーー!!」
律儀にも玄関で外履きを脱ぎ捨てたらしく、若干遅れて俺を追いかける足音と罵声が後ろから聞こえた。
そして廊下を歩いていた生徒たちは何時の間にか居らず、教室から覗いている者たちが増えていた。
要するに、一直線で鈴華は俺を追いかけることが可能となっていた!?
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
恐怖に叫びながら、俺は廊下を抜けると即座に曲がり、急いで階段を駆け上る。
少しすると、階下を抜けた鈴華が下からパンツが見えても気にしないくらいの勢いで追いかけてくるのが見えた。
「ちょ! お前、もう少しは羞恥心持てよっ!!」
「も、持っているよ! だけど、今はおにいちゃんをボロ雑巾にするのが先なの!」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっ!! 羞恥心よりも殺意が上なわけぇぇぇっ!?」
二階から、三階まで一気に駆け上り……、三階廊下を一直線に抜けると階段を素早く下りて二階廊下を突っ走る。
その頃には、俺が行った行動は知られているのか、各教室からは逃走劇を見るギャラリーが沢山居た。
階段を駆け下り、駆け上り、廊下を走り抜け懸命に逃げ続ける。しかし、鈴華から逃れることが出来なかった。
もう、息が切れ切れで脚もガクガクになり始めてきたが、走るのをやめるわけにはいかない。
まるで死のマラソンというべきか、はたまた血反吐を吐いてでも走り続けるマラソンというべきか……そんな感じだ。
「捕まったらボロ雑巾確定、捕まったらボロ雑巾確定、捕まったらボロ雑巾確定ーーっ!!」
捕まった場合の状況を叫びながら走り、俺は階段を駆け上り続ける。そして気がつくと……。
「ここは……屋上。はっ!? しまった――っ!!」
ここに、逃げ道は無かった。
入り口に恐る恐る視線を向けると、鬼の形相で鈴華が俺を睨みつけていた。
俺が逃げられないのを分かるや、満面の笑みを浮かべながら、指をパキパキと鳴らして近づいてくる。
「覚悟いいよね? ね、おにい、ちゃん??」
「ぎ、ぎゃああぁぁぁっぁぁぁぁぁぁあああ――っ!!」
絶叫する俺が、最後に見た光景は顔面に迫る鈴華の拳とその直後の視界いっぱいに広がる晴天だった。