その51 お互いのために
お互いのために
●森田卓の視点
翌朝、ゆりかはすでにいなかった。
フロントに尋ねると、7時にはチェックアウトしたことがわかった。
僕だってすぐに帰りたいのは山々だけど、会社の慰安旅行は別名、研修旅行でもあるため、この日は数箇所、各種工場見学の予定になっている。
組織の一員である以上、勝手に抜けて帰るわけにはいかない。
結局、夕方までのスケジュールをこなしたものの、ゆりかのことがたまらなく気になるあまり、どこを見学何したのかも頭の中から飛んでいた。。
その間、三木さんの遠目視線は感じていたが、僕はそれを無視した。また、彼女の方から話しかけてくることもなかった。
帰宅は6時ごろ。
僕は玄関前で躊躇していた。入ろうとしてもすぐには入る勇気がない。
僕の先走りな妄想が勝手に一人歩きしてゆく。
ゆりかはショックのあまり帰宅してないんじゃないか?
それとも荷物をまとめてすでに出て行ってしまったとか?
だとしたらやっぱり実家に戻ってあの怖いお義父さんに報告するだろう。
(゜ロ゜; 三 ;゜ロ゜)ヒイイイィィ
こうしていつまで玄関先にいても仕方ない。
僕は覚悟を決めてそっと玄関の扉を開けた。
「おかえりなさい。」
ゆりかが目の前に立っていた。
「うわっ!いたっ!」
「どういう意味?」
「いや、その・・」
言葉の出ない僕がすぐに思い立ったこと。何よりもそれは土下座することだった。
「ごめんなさいっ。もうしません!絶対しませんっ!本当にごめんなさい!」
十数秒間の空白の時間。。やがてゆりかが口を開いた。
「とりあえずリビングに来て。少しお話しましょう。」
至っておだやかな口調のゆりか。笑顔のないのは当然だけど、怒りの感情も感じられないのが気になった。
「いずみは?」
「まだ実家。さっきもう一日預かってもらうようにお願いしたから。」
「…そうなんだ。。」
テーブルを挟んで座った僕とゆりか。
「卓さん、お茶飲む?」
「あ、僕が入れようか?」
「じゃお願い。」
「えっ?」
「入れてくれるんでしょ?お茶」
「あ…うん。。」
こうもあっさり『じゃお願い』なんて言われたのは初めてだ。
今までは『私が入れるからゆっくりしてて』とか『いいの?ありがとう』
なんて、優しい返事をくれたもんだけど、今の僕の立場ではこれが当然の結果だろう。
お中元でもらった高級なお茶を、僕とゆりかは無言で最初の一口をすする。
少し間があって、ゆりかが第一声を出した。
「卓さん…私、少しここから離れて考えてみようと思ってるの。」
「!!!」
それはわずかながら予想はしてた言葉だった。
けれどそれを直接聞いた瞬間、僕の心の奥底にその言葉がズシンと突き刺さった。
「ごめんね。僕が100%悪いよ。それは認めるからさ。」
「・・・・・」
「別にあの子が好きなわけじゃないんだ。僕がいつも一緒にいたいのはゆりかだけなんだよ!だから。。」
「信じたい。信じたいけど、あんな場面を見せられて信じることなんて…」
「だから僕が大バカ者なんだよ。拒否すればいいことなのに、いつも決断する前に人に呑まれてしまうんだ。」
「卓さん…そこなの!そこも私には耐えられないの。」
「え・・?」
「たとえ浮気が本当じゃないとしてもよ、判断が曖昧だと人に疑われても当然でしょ?」
「・・うん。。」
「今まであった卓さんのドジの数々はまだ許せた。でも騙されたり利用されるのは絶対にイヤ!」
「・・・・」
「卓さんは人が良すぎるの。あの写真にしてもまんまと騙されそうになったわ。未だに誰が仕組んだのかわからないけど、なぜターゲットが卓さんなの?」
「それは…僕もわからないけど。。」
「一難去ったと思ったら次はこれ。浮気が事実でもウソでも私が悩むのは同じこと。卓さんといたら色んなことに巻き込まれ過ぎるの!」
「・・・ごめんね。僕のこの優柔不断な性格のせいで。。」
ゆりかはここでお茶の二口目をすすった。
「私、ずっと考えてたの。昨日の夜から泣き明かした朝も…そして今日一日この時間までね。」
「・・・・」
「卓さん、私の方こそごめんね。」
「えっ?」
なんでゆりかが謝るだろう?僕の不安が更に高まった。
それは紛れもなく、夫婦生活終焉を意味する最大の不安。。
「人の持って産まれた性格は直るものじゃないわ。私が卓さんにどうこう言うのは間違ってるかもしれないって思ったの。」
「そんなことはないよ。もっと言って…」
「いいえ、私が卓さんの性格をちゃんと把握できなかっただけ。理解してたつもりだけど、それに耐えられなかっただけ。」
「ゆりか…そんなこと言わないでよ。。」
「ごめんね、卓さん。私が至らなくて。。これからはは伸び伸び生活してね。」
「そんなぁ…離れるっても少しの間だけってさっき…」
「私の心の整理がつくまでね。」
「整理がついたら戻って来るんだよね?」
「・・・卓さん、大好きだったよ。。」
ゆりかの語尾が急に震えて…そしてあっという間に彼女の目から涙が零れ落ちていた。
「ゆりか…そんな過去形な言い方しないでよ。。謝り足りないなら何十回でも何百回でも謝るから。。お願いだから。。」
僕も気づくと鼻がグチユグチュになりながら泣いていた。
(続く)