第2章06 光騎の過去
06 光騎の過去
「……そう。光っちゃんの気持ちは分かった。光っちゃんの人生だもの、好きなように生きていいと思うよ?」
「でも……」
「跡継ぎのことなら心配しないで。姉さんが光っちゃんの代わりになります……って、父さんたちを説得するから」
「そんな……今時退魔師だの陰陽師だの、時代錯誤だよ! 今はちゃんと撃退士がいるんだし、姉さんがそんな危険なことしなくても!」
「仕方ないわよ、うちは『そういう家系』なんだから……それに姉さんだってきちんと修行を積んできたもん。立派な退魔師になる自信があるわ。もしかしたら光っちゃんより強いかもよ? ふふっ」
電話越しにいたずらっぽく笑ったその声が、3つ年上の姉――波間矢光代との今生の別れとなった。
実家を飛び出し、厄介になった遠戚の家から一般の中学に通い始め、そろそろ受験シーズンを迎えようとしたある朝、居間で登校の支度をしていた光騎の目にTVニュースの画面が飛び込んだ。
『天魔の仕業か? 民間退魔師の一家、惨殺死体で発見される!』
名前こそ伏せられているものの、画面に映し出されているのは忘れもしない故郷の町だ。
当時の保護者である遠戚の夫婦と共に呆然と画面に見入っていると、電話が鳴った。
『波間矢光騎さんですか? ○○県警の者です。ご家族の件で、至急お知らせしたいことが……』
故郷に呼び戻されての遺体確認。
あまりに変わり果てた姿だが、確かに両親と姉だった。
その後の葬儀や法的な手続きについては殆ど記憶がない。
自分が放心状態の間に、親戚筋がうまく代行してくれたのだろう。
遠戚の夫婦や親戚、親しい友人たちは光騎に気を遣いこの事件には極力触れなかったが、世間やマスコミはそう甘くない。
とある休日、たまたま居間で点いていたTVの中で、「天魔事件研究者」の肩書きを持つ中年のコメンテーターがしたり顔で説明していた。
『えーまぁ、古来より伝わる陰陽道や密教といった伝統的な退魔術が対天魔戦のベースになっているのは事実ですがぁ、これらは時代と共に形骸化し、既に効果の期待できないものとなりつつあるわけですねぇ……現代はV兵器を装備した撃退士、つまり天魔に対抗し得る公的機関がきちんと整備されているわけですからぁ、いくら安部氏の流れを汲む陰陽道の旧家といっても、今回のケースはあまりに無謀、失礼ながら自業自得と申し上げても……』
怒りに身震いしつつ固く握りしめた両拳。
噛みしめた唇から滲む血の味を今でも憶えている。
そんな状況であるにもかかわらず、受験では皮肉にも第1志望の公立高校に受かった。
入学の際に受けた健康診断の結果「アウル行使者」の適性が判明したときも「それがどうした」という程度の感情しか湧かなかった。
「土御門久住」と名乗る壮年の男が訪れたのは、高校に進学してからひと月ほど経ったある晩のこと。
撃退庁のさる高級官僚の名刺を差し出した久住は、自らを亡くなった光騎の父、波間矢光則の旧友だという。
「亡くなったお父上とは、陰陽道の研究を通し学生時代から親しくさせて頂きました。もっともあくまで伝統的な退魔術にこだわる光則さんとは、私が撃退庁に入庁してからすっかり縁遠くなってしまいましたが……」
大して面白くもない昔話がしばらく続いた後、久住はおもむろに切り出した。
「久遠ヶ原学園に編入して、ご自分の適性を社会のために役立ててみたいとは思いませんか?」
最初は「何の話か?」と正直、唖然とした。
その時の光騎にとって、天魔だの撃退士だのは縁の無い……いやむしろ積極的に忘れたい存在であったのだから。
当時の遠戚の夫婦とはいずれ養子縁組をし、家業の農家を受け継ぐ約束まで交わしていた。
ところが久住は夫婦に対しこれまでの光騎にかけた養育費や受験費用の合計を3倍にした高額の「慰謝料」を提示し、あっさりと説得してしまった。
「光騎ちゃん、うちのことは心配ないのよ?」
「撃退士は立派な仕事だぞ。男なら、天魔どもを退治してご両親やお姉さんの仇を討ってみせろ!」
自分の理解者であり、実の父母のごとく慕っていた夫婦からそう説得されたとき、光騎の心の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。
――もうどこにも逃げ場はない。
「家族の仇討ち」といわれても実感はなかった。
ただ漠然と「天魔」といわれても、それが天使か悪魔か、具体的にどんな相手だったのか、それすら不明なのだから。
だから、憎む相手は自分以外にいなかった。
――全部僕のせいだ。自分が引き受けるべき運命から逃げだしたばかりに、姉さんにあんな死に方をさせてしまった。