第8章30 ゲームの終わり
30 ゲームの終わり
真正面から振り下ろされたマスカの刃を、美凪は刀身で受け止めた。
何とか受けきる――が、重体の激痛のため大きく体勢を崩した。
「もらったぁーっ!」
舞うような動きで背後を取り、マスカが刺突をかけてくる。
しかし必殺の一撃を繰り出した先に美凪の姿はなかった。
「背後からの肝臓狙い……それがおまえの十八番か」
すぐ背後から囁くような声。
「ひっ!?」
慌てて防御の態勢を取ろうとしたヴァニタスにその暇を与えず、問答無用の強烈な斬撃が襲いかかった。
「げはぁ!?」
小柄なマスカの体が数m先へ吹き飛ばされた。
肩口から斬られたダメージに加え、全身に受けた衝撃のため、地面に倒れたまましばらく身動きがとれない。
「勝ちに乗った時ほど攻撃がパターン化するものだな。マスカ、おまえの技はもう見切った」
刀を構え直した美凪が、とどめの斬撃を加えるべく歩み寄る。
「……うっ」
だがその途中、彼女も苦しげに呻いて地面に片膝をついた。
口から吐いた血が地面を染める。
渾身の一撃を放ったことで、ついに体力が限界を迎えたのだ。
「……褒めてやるよ……まさか、その体でここまでやるたぁね」
ゼエゼエ息を吐きながら、辛うじてマスカが身を起こした。
周囲から傷だらけのヘルハウンド、リビングデッド、そして生き残りのグール数体が集まってくる。
スレイプニルは既に姿を消し、庭の隅には力尽きて意識を失ったラティエルが俯せに倒れていた。
「わりーが、これで……終わりだ」
にたぁ、と嗤いに顔を歪めたマスカが、血に染まったククリナイフを高々振りかざし、うずくまった撃退士の少女めがけて振り下ろそうとした、その時。
「やらせないっ……!」
影を凝縮したようなヨーヨー型の手裏剣が黒い夕立のごとく降り注ぎ、マスカを始めその場のディアボロたちを打ち据えた。
門の方から赤いマフラーをなびかせて走り寄った少年、鬼道忍軍の犬乃さんぽ(いぬの・-)が美凪を庇うように立ちはだかった。
「お待たせ、さぁ勝負はこれからだよ!」
ヘルハウンドが咆吼を上げ、新手の撃退士に躍りかかろうと大きく身を伏せる。
だが魔犬が跳躍する寸前、
「残念でした。既に私の間合の中です」
周囲の空気が唐突に凍てつき、密かに忍び寄っていたナイトウォーカー・鷹司律がスキル「氷の夜想曲」を併用した回し蹴りをその頭部に浴びせた。
門の入り口付近に並んだレフニーと瑞穂がタイミングを合わせて攻撃魔法「コメット」を発動、流星雨のようなアウルの光弾が庭園内の広範囲に降り注ぐ。
スレイプニルとの戦闘でダメージを負っていたグールやリビングデッドたちが、耐えきれずにバタバタと倒れていった。
「なっ……何だテメーら!? 一体どこから――」
喚きながらもナイフを構え直したマスカを、淳紅が放った魔法攻撃――激しい風の渦が直撃し、ヴァニタスを一瞬朦朧とさせる。
彼らだけではない。
あるいは庭の門を走り抜け、あるいは柵を乗り越え、久遠ヶ原学園の撃退士たちが次から次へと踏み込んでくる。
「増援部隊? そんな……いくら何でも早すぎる!」
マスカは我が目を疑うが、それは紛れもなく現実の光景だった。
「長々喋りすぎたな、マスカ。勝つ気があるならさっさと戦えばよかったのに」
友軍のアスヴァンから回復魔法を受けながら、美凪が顔を上げ哀れむように告げた。
庭に倒れたラティエルも仲間たちからの介抱を受けている。
「テメー、まさか……」
「彼らの到着は聞いていた。私たちの役目は、それまでの時間稼ぎだったのさ」
「き、汚ねぇ! ハメやがったな!?『強敵を乗り越える』だの『自分を取り戻す』だの……恥を知れクソ女っ!!」
「何をいまさら。おまえが教えてくれたことだろう?『命がけの戦いに卑怯もへったくれもない』と」
手の甲で口許の血を拭い、思わず苦笑をもらす美凪。
撃退士たちの集中攻撃を受けたヘルハウンドが、断末魔の咆吼を残して大地に倒れ伏した。
「……ちぃっ!」
1人ではとても支えきれないと見たマスカは踵を返し、屋敷に向かって逃走を図る。
「セルセラ様ぁーっ! 早くコアを起動させて下さい!」
その行く手に、黒衣に身を包む阿修羅のエリス・K・マクミランが素早く回り込んだ。
「見苦しいですよ、あなた。いい加減、年貢の納め時と諦めてください」
退路を断たれ立ち往生したマスカに、撃退士たちの攻撃が開始された。
「畜生! 畜生! こんなハズじゃ……っ」
マスカは両手に次から次へ短剣を召喚すると、四方八方に投擲して死にものぐるいの抵抗を続けた。
だがただでさえ美凪との戦闘で体力を消耗したところに撃退士数十人による包囲攻撃を浴びて、見る間にその動きは鈍り、全身朱にまみれていく。
「あいつは所詮下っ端だ。それより早く屋敷の中へ――コアと悪魔がそこにいる。あと一般人の女の子が人質に!」
美凪の言葉を受け、総勢50名に及ぶ撃退士たちはヴァニタス攻撃班の十数名を残し、光騎が破壊した玄関から次々と洋館の内部へと突入していった。
やがて力尽きたマスカが地面に倒れ伏したとき、美凪は鞘に収めた愛刀を支えに、全身の痛みを押して立ち上がった。
「すまない。あいつへのとどめは……私にやらせてくれ」
撃退士たちが無言で頷き、攻撃の手を止め引き下がる。
この数日、大津見市で何が起きたかは斡旋所で聞かされている。誰が言い出したというわけでもないが、少なくとも対ヴァニタス戦に関しては、彼らの間に1つの合意ができていた。
『山神美凪がまだ戦える状態なら、最後の一太刀は彼女のために残してやろう』
――と。
周囲の撃退士たちが油断なく魔具を構える中、美凪はよろめきながらも一歩一歩、マスカの元へと歩み寄っていった。
「へっ……よかったじゃねーか。雪穂チャンの仇が討てて」
既に戦意を喪失し、地面にへたり込んだヴァニタスが、わずかに顔を上げ虚ろに笑う。
「ひとつ聞きたい。おまえの本当の名は?」
「……知ってどーすんだよ」
「時間稼ぎでおまえをはめたのは確かだが……さっきの言葉もまた本当だ。私はここでおまえを斬り、生きた自分を取り戻す。そして雪穂や他の生徒たちを救えなかった己の過ちも、おまえがヴァニタスとして犯した罪も全て背負って、これからも歩き続ける。撃退士として」
刀の鞘を払い、美凪はマスカを見下ろした。
「だから、おまえは……もう悪魔の下僕でも、誰かの偽者でもない、本当のおまえ自身として逝ってくれ。それがせめてもの手向けの花……そして私からの願いだ」
「は、ははは……負けたよ……あんた、ホントに正義の味方だな」
もはや観念したように、マスカはがっくりうなだれた。
「でもさぁ……登場すんのが遅すぎだって。せめて私が生きてるうちに助けてくれりゃ……ヴァニタスなんかならずに……誰も殺さずに済んだのにさ……」
「おまえの名は?」
「…………ミチル」
天火明命の刃が一閃し、首の皮一枚を残して少女の首がグラリと落ちる。
死者の首を地面に落とさぬ作法通りの介錯。
美凪は懐紙で血を拭い、刀を鞘に収めると、地面に跪いて少女の首をその胸に抱きしめた。
「もういい。おまえは悪い夢を見ていたんだ……何もかも忘れてゆっくり休め」
「さあボウヤ。早く答えなさい。あなたが道連れにしたい相手はぁ?」
屋敷の中では、光騎に対しセルセラが執拗に回答を迫っていた。
もっとも光騎の方は、わざわざ聞かれずともとうに答えは決まっていたが。
「なら指名しましょう。……セルセラさん、あなたです」
「はぁ? あんた、なに寝ぼけ――」
不意にセルセラの言葉が途絶える。
急に体が重くなったかと思うと、そのまま床に落下した。
「痛っ! ……な、何さ?」
突然飛行能力が失われた。
わけが分からず周囲を見回す女悪魔の目に、空中に浮かんで仄かに光る霊符が映った。
その数、合わせて9枚。円を描くようにしてセルセラを取り囲んでいる。
「何よコレ……?」
「説明しなければ分かりませんか?」
片手に召喚した脇差しで体に絡みつく茨ディアボロの茎を切断、光騎は床に飛び降りた。
その姿は、既に以前通り儀礼服の少年に戻っている。
「さっきあなたに放った霊符……あれは攻撃用のものではありません。柵封符……つまりあなたがた天魔をその能力と共に封じ込める特殊結界です」
しつこく下半身にまとわりつくスライムを霊符で消滅させながら、光騎が告げた。
「バカおっしゃい! 人間ごときに、そんな――」
「もちろんまだ試作段階で、まともな天使や悪魔には通用しないでしょう。発動までやや時間がかかる欠点もありますしね。でもセルセラさん、あなたはついさっきコアを完成させたばかり。しかもまだゲートを使って新たな魂エネルギーを吸収してないでしょう? コア作成に膨大な魔力を費やし、今の力は普段より大幅に低下しているはず」
「……!?」
「ここがあなたの結界内で、撃退士の力も大きく削られるから気がつかなかったのでしょうが……さらにその中に作った結界の中に、あなたは今封じ込められているのです」
「……ウソ……」
慌てて光騎に向けて攻撃魔法を放とうとするが、魔法はおろか、身動きすらままならない。
入り口の方からドヤドヤと足音が近づく。
「何よあんたたち!?」
「久遠ヶ原学園からの増援部隊到着……これで『詰み』です」
何事か喚き散らす女悪魔に背を向け、光騎は増援の撃退士たちに一礼した。
「悪魔の方はもう無力化しました。それより一刻も早くコアを……あとあそこに捕らわれた一般人の少女の救出もお願いします」
ダアトやインフィルトレーターなど、遠距離攻撃を得意とする者たちが魔具を構える。
真下にいる芳香に当たらないよう慎重に狙いを定め、一斉射撃が開始された。
「や……やめて! やめて!」
表面に無数のヒビが走り、少しずつ、しかし確実に破壊されていくコアを目の当たりにして、セルセラはなりふり構わず哀願した。
「ゲート生成が阻止された」というだけではない。コアの作成には彼女が長い歳月蓄えてきた魔力が注ぎ込まれており、その破壊はセルセラの「悪魔としての人生」がほぼ振り出しに戻ったことを意味する。
「お気の毒ですが、もうあなたはお仲間の悪魔に相手にされることもないでしょう……そろそろ潮時だとは思いませんか?」
セルセラはぎょっとしたように光騎を凝視した。
見れば、少年は再び召喚した長弓に特大の矢をつがえ、至近距離から彼女を狙い弓を引き絞っている。
「待って! 取引しましょ!? この場を見逃してくれれば、あなたの家族を殺した悪魔……『彼』の名前を教えるわ! その居場所も!」
「結構です。縁あらば、いずれ巡り逢うこともあるでしょうから」
堕天やはぐれ悪魔など飛行能力を持つ者たちがぐったりした芳香を救出。人質がいなくなったこともあり、コアへの攻撃は益々その激しさを増す。
「ね、ねえ落ち着いて……別に私があなたの家族を殺したわけじゃないのよ? 本当の仇に復讐したくないの?」
「何か勘違いなさってませんか? 僕があなたを殲滅するのは、あくまで撃退士としての任務。個人的な復讐は関係ありません」
「なっ……」
「まあ個人的感情を言わせて頂ければ……僕の友人を傷つけ、罪もない人々を殺したあなたの行為はやはり許しがたい。ただその一方で、感謝もしているのです。どうしても知りたかった姉の最期を追体験させてくれたことに」
少年の顔に妖しい微笑が浮かぶ。
「ありがとうございます。これで僕の中の『光代姉さん』は、また一歩完璧なものに近づきました」
「何ですって? あんた、まさか……」
セルセラは何事か言いかけ絶句した。
「ああ、気づかれましたか? その通りです。これが僕が撃退士を続ける……いえ、今こうして生きている理由そのものなのですから」
「……本気で出来ると思ってるの?」
女悪魔もまた、力なく微笑んだ。
それは今までの嘲笑ではなく、自らの終焉を前にした絶望と諦念の笑み。
「だとしたら……ずいぶん変わり者なのね」
「伯爵が言った通りですね。あなた方悪魔に『異常者』という概念が存在しないというのは」
ついにダメージの限界を超えたコアが崩壊を始め、水晶のような破片が煌めきながら音を立てて床に降り注いだ。
「さようなら。『怨鎖の魔女』さん」
光騎の放ったアウルの矢が、狙い違わずセルセラの心臓を射貫く。
女悪魔はかっと目を見開いたまま天を仰ぎ――胸に突き立った矢が爆発すると同時に、その肉体も薄闇の中に四散した。




