第1章02 撃退士(ブレーカー)
02 撃退士
少年が提示した学生証も兼ねたIDカードを目にして、警部もようやく金縛りが解けたように我に返った。
「君が……撃退士か?」
「はい」
年齢でいえば自分の息子くらい年下の少年だ。
しかしその服装は確かに(以前に資料で見た)久遠ヶ原学園の制服。
もっとも同学園において日常の通学では原則私服が許可されており、また専ら戦闘時に着用されるそのレザーコートは学園指定の通学用制服と区別する意味で「儀礼服」とも呼ばれているらしいが。
見たところ、武器らしいものは身につけていない。
その代わり腰に巻いた九字の数珠を初め、何やら呪術的な印象を与えるアクセサリーをいくつか身につけている。
(おい大丈夫か? こんな坊やがあのバケモノを――)
仕事柄、警部にとって撃退士と会うのは初めてではない。だが彼らはれっきとした公務員、すなわち撃退庁に所属する国家撃退士たちであった。
久遠ヶ原学園から来たという少年は、その美貌と相まって、撃退士というよりむしろビジュアル系バンドのミュージシャンを連想してしまう。
「どうしてこんなに連絡が遅れたんだ!?」
よく通るアルトの声が、警部の当惑を遮った。
光騎と名乗った少年のすぐ後ろから怒鳴り声を上げたのは、彼とほぼ同い年、そして同じ久遠ヶ原の儀礼服をまとった少女だった。
光騎より背が高い。長い黒髪を後頭部でポニーテールにまとめ、強い光を放つ瞳はややきつめながら、凜とした容貌の美少女である。
光騎の美貌を冴えた月光にたとえるなら、彼女のそれはまさに生命力に漲る太陽の輝きというべきか。
レザーコートの下はスカートにロングブーツ。
それだけなら一般の女子高生と大差ないが、異彩を放つのは腰のベルトに差された日本刀だった。
撃退士はその任務の遂行に必要な限り、銃刀法を含め日本国内のあらゆる法規を免除される。武器の所持以外でもたとえば自動車の運転、建築物や施設の損壊など。
それだけ彼らの任務が危険きわまりないものである証拠といえよう。彼らの「敵」は犯罪者でもテロリストでも、そして人間ですらないのだから。
「私たちが依頼を受けたのがちょうど1時間前。あと1時間通報が早ければ、それだけ多くの人命を助けられたんだぞ!?」
「いや、それは――」
それまで撃退士の到着が遅いとぐちっていた警部が、今度はしどろもどろになる番だった。
「その辺にしときなよ、美凪」
軽くため息をつき、光騎が相棒をなだめる。
「民間から警察、警察から撃退庁、そして久遠ヶ原の僕らへ‥‥色々と煩わしい手続きがあるのさ。救急車のようにはいかない」
「しかしな……」
納得がいかないようになおも言いつのろうとする少女だったが、時間の無駄と悟ったか、自らのIDカードを提示しながらぶっきらぼうに名乗った。
「山神美凪。同じく久遠ヶ原学園高等部1年だ」
(なるほど。こいつぁ、確かに撃退士だな)
部下の面前で叱り飛ばされたにも関わらず、警部は怒るどころか奇妙な感心さえ覚えていた。
女だてらに――とは思わない。彼の部下にも、似たような婦警は何人かいる。
そして美凪というその少女の強気が単なる世間知らずのわがままではなく、何らかの特殊な訓練と経験に裏打ちされた――それは婦警や女性自衛官にも通じる――一本筋の通ったものであることを直感したからでもあった。
「んーとね、あたしラティエル! 初等部1年生だよー」
最初に飛び出した例の幼女も、同様のIDカードを周囲の警官達に自慢げに見せて回っていた。
(学園撃退士に年齢・性別の区別はないと聞いたが……それにしてもこの嬢ちゃんは、いくら何でも)
そう思って振り向いた警部は幼女の背中から生えた何か白いもの、左右一対の小さい翼を見たような気がして慌てて目を擦った。
ほんの一瞬のこと。ラティエルの背中に特に変わったものはない。
(気のせいか……?)
「現在の状況は?」
穏やかな、しかし一言一言がはっきりと響く光騎の声に、警部は我に返った。
「あぁ……中の状況はよく分からねぇ。近隣ビルの入居者は避難済み、一般人の野次馬や報道陣は厳重に立ち入り規制を継続。レスキュー隊と救急車は100mほど先の道路で待機中……こんなところか」
「『ヤツ』に手出しはしてないでしょうね?」
「むろんだ。天魔関連の事案は元よりおたくらの管轄だからな。それに全員殉職するのが分かって部下を突入させるほど、俺たちだってバカじゃねぇさ」
「賢明な判断です」
半ば皮肉を交えた警部の返答に対し、光騎は顔色ひとつ変えず頷いた。
少年はコートの内ポケットから小型のタブレットPCを取り出した。
四角い液晶画面は記号とも漢字ともつかぬ奇妙な「文字」でびっしりと埋め尽くされ、中央でCGの円盤がゆっくり回転している。
「何だそりゃ?」
「式盤……本来は雷に打たれた棗の木から作る式占の呪具ですがね。今は材料がなかなか手に入らないので、僕が自分でプログラムしました」
「要するに、占いの道具ってことか」
「まあそんなところです」
手にした電子式盤をビルの方向に向け、光騎は細い指先をタッチパネルに当ててしばし動かしていたが、やがて顔を上げた。
「陰の気が強い……『敵』は冥魔側の存在だな」
「悪魔か!?」
傍らの美凪が表情も険しく声を上げる。
「いや、悪魔本体ではなく、彼らが創りだした怪物……ディアボロだろう」
「何だ、下っ端か……いや油断は禁物だな。タイプによっては手強い奴もいるし」
端で聞いている警部には何のことやらさっぱり分からない。
「詳しい形態は……ラティエル!」
「はーい!」
光騎に名を呼ばれた幼女は、待ってましたといわんばかりにビルへと駆け寄る。
小さな両の掌を万歳するように差し上げ、何かを念じるように目を閉じたラティエルの背中からぼんやりと白い光を放つ小さな翼が出現したのを見て、警官たちがにわかにざわめいた。
「おい、その子……まさかて、天使――」
「ご安心ください。確かに天使ですが、彼女は天界から離反し久遠ヶ原に亡命した『堕天』の1人。人間に危害は加えませんから」
「……」
当惑する警部たちをよそに、ラティエルの頭上に体長50cmほどの生物が出現した。
朱色の体表にエメラルド色の大きな目。
頭から角を生やし、翼を広げたその形態は伝説のドラゴンを思わせる……が、全体的に丸みを帯び、愛嬌すら感じさせる姿はどちらかといえばドラゴンをモデルにディフォルメしたマスコットのヌイグルミのようでもある。
「今度は何だ?」
「あれは召喚獣のヒリュウ。見かけこそ子供ですが、彼女は優秀なバハムートテイマーです」
一口に「撃退士」といっても、さらに「ジョブ」と呼ばれるカテゴリで分類され、各々の能力には特性がある。だから撃退士が単独で行動するケースは希で、依頼(戦闘も含む任務全般)においては異なるジョブに属する複数の撃退士がチームを組んで派遣されるのが一般的だ。
ラティエルのジョブはバハムートテイマー。異次元からドラゴンに似た各種の生物を一時的に召喚し自在に使役する異能者である。
『キュウーッ』
ひと声無くと、ヒリュウはパタパタ羽ばたいて宙を飛び、ビルの中へと姿を消した。
「えらく可愛らしい竜だが……アレで、中のディア何とかいうバケモノを退治できるのか?」
「いえ、ヒリュウは主に偵察用の召喚獣です。彼女はいまヒリュウと視覚を共有し、ビルの内部を探っているのです」
「リモコンのカメラみてぇなもんか……」
「――いた!」
ラティエルが小さく叫んだ。
「3階フロア、東から3番目の部屋……」
そこまでいって、急に口をつぐんだ。幼い顔が今にも泣きそうにしかめられる。
言葉に出せないほど残酷な光景を見てしまったらしい。
「――大丈夫だ」
美凪がしゃがみこみ、背後からラティエルの小さな体を抱きしめた。
「私たちがついてる。気持ちをしっかり持て」
「ディアボロの数とタイプは?」
対照的に、光騎はあくまで冷静な声で尋ねる。
「い、一匹だけ……形はグールに似てるけど……」
声を震わせながらも、堕天の少女は報告を続ける。
「人間をそのままディアボロ化させた奴か……」
美凪がキッとビルを見上げた。
「つまりゾンビってことかい?」
「まあそうですが……創造主の悪魔の目的によって強さも能力も千差万別ですからね。実際に戦ってみないことには何ともいえません」
警部の問いかけに答えながら、光騎は電子式盤を懐にしまう。
「大玄霊の神に祈願し奉る――」
囁くような小声で光騎が呪を唱えると、彼の手許に数枚の霊符が出現した。
まるで手品のようだが、紙の御札のように見える「それ」は、実際には撃退士の力の源である「アウル」のエネルギーが実体化したものだ。
光騎のジョブは「陰陽師」。天地陰陽の理を知り、その力を借りて数々の呪力を操る者――日本古来から伝わる陰陽道に独自の改良を加えた能力を身につけた撃退士で、戦闘時には銃器や刀剣の代わりに、自らのアウルを実体化させた各種の霊符を武器とする。
いつしか少年の手の甲には五芒星を象った光が浮き上がっている。
陰陽道の教えのひとつである「五行相克」を象徴する紋章だ。
光騎が軽く手を振ると、数枚の霊符は鳥のようにその手から放れて天高く舞い上がり、ビルの外壁、3階付近の四方に張り付いた。
「阻霊陣の結界を張りました。これでしばらくの間、ヤツはビルの外には出られないでしょう」
「じゃあ、そろそろ行くか……ラティエルはヒリュウで他のフロアを調べてくれ。まだ生存者が残ってるかもしれない」
「……うん」
美凪に軽く頭を撫でられ、幼い堕天使も真剣な表情で頷いた。
「2人だけで……大丈夫か?」
「携帯の番号をよろしいですか?」
光騎が警部に振り向き、微笑みながら尋ねた。
これから命がけの戦闘に赴く者とは思えぬ、どこか妖艶ささえ感じさせる少年の笑顔。
「安全な状況になり次第ご連絡しますので、レスキュー隊と救急車の手配を……逆に30分経っても連絡がない場合は……お手数ですが、至急久遠ヶ原学園まで通報をお願いします」
「分かった」
警部は頷き、自らの携帯を取り出すと光騎のスマホと番号を交換した。
「釈迦に説法かもしれんが、相手はバケモノだ……くれぐれも気をつけろよ」
「お気遣い、痛み入ります」
ビルの玄関に向かって歩き出す光騎と美凪の体を、ぼんやりと金色の光が包みこんでいる。
昼間の陽光の下では一般人の視力で気付くかどうかといった程度の明るさだが、その発光現象こそがいわゆる「光纏」――彼らが撃退士であることの証であった。