第7章24 ヴァニタスの逡巡
24 ヴァニタスの逡巡
「ひと晩かけて仕留めた撃退士は1人だけ? あなたにしては手際が悪いわね」
「も、申し訳ございません」
セルセラから明らかに不満そうな視線を浴び、マスカは床にひざまづいたまま深々と頭を下げた。
「ですが、あまり騒ぎを大きくしても、却って敵の増援を呼ぶ怖れもあり……この場はゲート生成を優先した方が得策かと思いまして」
あの晩、2時間近く痛めつけたのにもかかわらず、山神美凪は最期まで仲間の居場所を明かすことなく息絶えた。
マスカが美凪を執拗に拷問したのは、ただ挑発されて逆上しただけが理由ではない。
彼女の強気の裏に何らかの思惑――すぐ近くに仲間の撃退士が潜んでいる可能性を疑い、彼らをおびき出そうという意図もあった。
だが結果的に他の撃退士は現れず、却って無駄な時間を浪費するはめになってしまったが。
そのため急遽計画を変更、「死体」を放置したまま公園から離れると、玉城芳香のスマホに電話をかけ「2人きりで内緒の相談がしたい」と持ちかけた。
頼まれるままに家を抜け出し、のこのこ現れた芳香を魔法で昏倒させ、取るものも取りあえずこの「隠れ家」へと運んできたのだ。
「――ともあれ最後の『生け贄』はご用意致しました。セルセラ様は、このままコアの完成をお急ぎください。館の警備は、我々にお任せを」
「ふうん? まあいいわ。そっちの方はあなたに任せたから」
撃退士の件についてはそれ以上追求せず、セルセラは億劫そうに部下の進言を受け入れた。
信頼されているのか、単に面倒だから丸投げされているのか、マスカにもさっぱり分からないが。
「そうそう。ひとつ困ったことがあるの」
「何でしょう?」
「ゲームの続きよ。高須賀俊夫は次の『道連れ』に広瀬雪穂を指名したんでしょ? でも本物の雪穂はもう死んでるのよねぇ。これじゃ今まで綺麗に続いてた『怨鎖』が途切れちゃうじゃない」
(ちょ! こんな時に何呑気なこといってんのよ!?)
「それは、その……いったんリセットということにして、改めて芳香に指名させては如何でしょう?」
「しょうがないわねぇ……まあそれで我慢しましょ」
(やれやれ、世話の焼けるご主人様だこと)
「マスカ」
「!? は、はいっ」
「ゲート生成が私たち悪魔にとってどれほど大切なことか……分かってるわよねぇ?」
「そ、それはもう」
「ならいいけど。くれぐれも失望させないでね? 私を」
蛇を思わせるセルセラの三白眼が冷たく光り、氷のような眼差しで配下のヴァニタスを射すくめる。
鳥肌が立つほどの戦慄を覚えながらも、マスカは表情を引き締め主に誓った。
「お任せ下さい――撃退士はむろんのこと、猫の子一匹、館には近づけさせません!」
館の扉を開け、朝日の降り注ぐ廃庭園に出たマスカは、ようやく緊張から解放されて大きく息を吐いた。
庭で待機しているディアボロは、ヘルハウンドが1頭、リビングデッドが3体、大津見市に来るとき最初から連れてきたグールが10匹ほど。
(館を守る戦力としちゃ、ちょっと心許ないけど……)
今この街にいる撃退士の正確な人数は知らないが、既に倒した美凪を除けば少なくともあと2人。他にいたとしても精々5、6人というところだろう。
それくらいの数なら充分返り討ちにする自信はある。
(万一ゲート生成に感づかれて、奴らが久遠ヶ原に増援を要請しても、依頼を出す手続きだの何だので到着するのにまる1日はかかるはず)
その頃には既にコアが起動し「ゲート」は完成しているだろう。そうなれば事実上、大津見市民の大部分を人質にとったようなもの。
たとえ100人の撃退士が押し寄せて来たところで、手も足も出せまい。
(際どいところだけど……まあ何とかしのげるわね)
ひとまず胸算用を済ませた後、ふと美凪のことを思い返す。
「あの女……本当に死んだかしら?」
今にして思えば、死体は切り刻んだうえで魔法で燃やすなりして確実に「処分」しておくべきだったかもしれない。
だが、あの時はなぜかそんな気になれず、息が止まった段階で死亡確認もそこそこに置き去りにしてきたのだ。
その後入れ違いの形で空を飛んできたラティエルが美凪を発見、間一髪で彼女は蘇生するのだが、マスカはまだそのことを知らない。
(……何だろうねぇ? このスッキリしない気分は)
あの日クラスに転校してきた美凪を「撃退士ではないか?」と疑い、意図的に近づいたのは確かだ。
プロの俳優が演技の最中は役になりきるように、マスカもまた大津見高でクラスメイトの前にいる間は、ある意味で雪穂自身に「なりきって」いた。
いくら魔法で姿と声をコピーしたところで、それだけでは家族や親しい友人に疑われる怖れがある。そのため予め化ける相手の性格や好みを徹底的に調べ上げ、「○○ならこう考え、こう受け答え、こう行動するだろう」と常にシミュレートしながらそれを忠実に演じるのだ。
だがそこまでしてもなお、鋭い直感を備えた撃退士を騙し仰せるかどうかは、マスカ自身にとっても五分五分の賭けだった。
昨日の昼休み、美凪が「家まで送っていこう」と言い出したとき、マスカは格好のチャンスとほくそ笑む一方で、「実は自分の正体を見抜き、下校時に仲間と共に襲撃するつもりでは?」という警戒心をも捨てきれなかった。
蓋を開けてみれば全くの杞憂に過ぎなかったが。
「山神のやつ、まるで私を疑ってなかったのか……それだけ広瀬雪穂にご執心だったってことかしらね?」
ポケットからハンドミラーを取り出し、未だに雪穂という「仮面」を被った己の顔をじっと見つめる。
「何だかんだいってもトクだよね可愛い子は。まあこの顔とも、あと何日かでおさらばだろうけど」
美凪には明かさなかったが、マスカの変身能力には幾つかの「制約」がある。
ひとつは姿をコピーする対象の人間が「生きている状態で」目の前にいること。そして一度変身すると、次に姿を変えるまではそのままの姿でいなければならない。
つまり彼女はもう二度と「元の自分の姿」には戻れないわけだが、その点については何の未練も後悔もなかった。
『○○、おめぇホントに不細工だな~。キモいからこっち来んじゃねーよ』
『あのさー○○。アンタ、マジで整形手術受けた方がいーんじゃない? そのツラじゃ彼氏どころか一生結婚できないわよぉ~。キャハハハ!』
『ブスのうえに口ベタで根暗かよ。ホント救いようがねーよなぁおまえ』
もう何年前のことになるだろうか?
「生前」の自分を散々罵り、いじめ抜いたかつてのクラスメイトたち。
ヴァニタスになった直後、セルセラへの「貢ぎ物」としてまず彼ら彼女らを捕らえたマスカは、魂を抜き取る前に全員生きながら顔の皮を剥ぎ取ってやった。
「どいつもこいつも、一皮剥いたらみんな似たようなツラだったじゃないのさ……たった皮一枚の違いで、何で私だけがあんなに差別されなきゃならなかったのよ? 馬鹿らしい」
とはいえ、あの山神美凪は他の女子生徒たちと明らかに一線を画していた。
同性も見惚れるほどの美貌とプロポーション、竹を割ったような清々しい性格、加えて剣道の腕前も超一流。
いや、それだけではない。
撃退士であることと関係あるかは知らないが、彼女がその場にいるだけで周囲の人間を安心させ、勇気を分け与えるような眩しいばかりのオーラを放つ存在であったことは、マスカも認めざるを得ない。
そんな美凪に好意を寄せられ――敵の撃退士と知りつつも――実はマスカ自身もまんざら悪い気分ではなかった。
公園で正体を明かすまでの間に美凪に対して示した態度は、あながち「演技」ばかりだったとも言い切れない。
(特に教室で抱きしめられた時は……不覚にも胸がときめいちゃったっけ。ついセルセラ様に愛されてる時のこと思い出して)
とはいえそれも、自分が「広瀬雪穂」という仮面を被っていればこそ。
生前の、醜くいじけていた本物の自分であれば、美凪のような非の打ち所がない美少女には近づくことさえかなわなかっただろう。
それがひどく悔しく腹立たしく、いっそ自分の手で滅茶苦茶にしてやろうと目一杯痛めつけておきながら――結局彼女の遺体を「処分」できなかったのも、いくばくかの未練が残っていたせいかもしれない。
「フン、私らしくもない……何だか調子が狂っちまったじゃない、あいつのせいで」
急にむしゃくしゃしてきたマスカは、ご機嫌を伺うように近づいてきたヘルハウンドの鼻先にハイキックを食らわせた。
「馴れ馴れしく近寄るんじゃねー犬コロ! テメーはその辺で見張りでもしてやがれ!」
『ギャウン!?』
哀れな悲鳴を上げ、ディアボロの魔犬はすごすご離れていった。
ちなみにヘルハウンドの「素体」となったのは小野崎菜穂子。彼女の場合表向き「グールになって討伐された」ことになっているため生前の姿を残すわけにいかず、専ら戦闘能力を重視した猟犬型ディアボロに改造してある。
生前の雪穂と菜穂子が幼なじみで親友同士だったのは事実だが、マスカにしてみれば菜穂子など美凪とは比べものにならぬつまらない女だった。
「ま、何にせよ……『ゲート』さえ完成すれば、この街はもうセルセラ様と私の物。そのためにも、今日1日は踏ん張らなくちゃね」
気を取り直して顔を上げると――。
庭園を囲む鉄柵の隙間から眼下に広がる大津見市を見渡し、ヴァニタスの少女はニヤリと笑った。




