第6章21 罠
21 罠
その前日の放課後。
剣道部の部活を終えた美凪は着替えを済ませ、雪穂と共に下校した。
「す、すみません……おうちがまるっきり逆方向なのに……」
「なに、気にするな」
雪穂の家は、駅前から学校を挟んでさらに街外れの方向だという。
「ご家族は?」
「母は私が子供の頃に亡くなって……父と2人暮らしですけど、父も今週は県外に出張中で私1人なんです」
「それは大変だな」
「菜穂子ちゃんの家がご近所だから、高校に進むまでずっと彼女と通学してたんですけど……」
そこまでいって死んだ菜穂子のことを思い出したのか、雪穂は黙り込んで俯いた。
「……すまない」
「え? 何で山神さんが謝るんです?」
「い、いや……知り合って間もないのに、ズケズケ聞きすぎたかな、と思って」
「そ、そんなこと……ほんとは、山神さんにこうして付き添ってもらってホッとしてるんです。私ってば臆病だから」
「そういってもらえると嬉しいよ」
「怨霊だの祟りだの、あんな噂ウソだと思います。でも……人間、死んでも魂は残るんじゃないかって思いませんか?」
「さあ? 私はそういうのに詳しくないから」
「あの、私こう思うんです。菜穂子ちゃんの魂が、私のこと心配して、こうして山神さんと引き合わせてくれたのかな? ……なんて」
「……そ、そうかな……?」
(ば、バカ! 何を動揺してるんだ、私は)
「ええと、広瀬さんは――」
「『雪穂』でいいです。菜穂子ちゃんもそう呼んでくれてたから」
「じゃあ私は『美凪ちゃん』? 似合わないかな、はは」
「美凪さんって呼んで……いいですか? まだ知り合って2日目なのに、何だか他人みたいな気がしなくって」
「あ、ああ。どうぞ」
内心どぎまぎしつつ、美凪は答えた。
(参ったな……)
自分が男に対し奥手なのは――別に男嫌いというわけではないが――よく分かっている。
この1年、撃退士として度々コンビを組んできた光騎とさえ、プライベートで2人きりになると、先日のようについ気恥ずかしくなってしまう。ただし彼が女装し、特に姉の「光代」になりきっている間は妙にリラックスして会話できるが。
しかし同性と2人きりになって、ここまで緊張するのは生まれて初めてだった。
最初は彼女の親友だった菜穂子を(ディアボロ化していたといえ)斬ってしまった罪悪感だと思っていたが、どうやらそれだけが理由ではないような気がする。
(私が本当にただの転校生で……こうして友だちになれたらよかったのにな)
この先どんなに雪穂と親しくなれても、いずれ撃退士としての任務を果たせば、正体を告げることなくこの街を去らなければならない。
そう考えると美凪はひどく寂しい気分になった。
学校を出てから30分も歩いたろうか――ふと気付くと、2人は駅前から離れた市民公園の中を歩いていた。
ここを通るのが近道らしいが、この時間は人影もなく、園内の街灯の明かりだけが周囲をぼんやり照らし出していた。
(寂しい場所だな……)
ふと気付くと、雪穂が自分の手を握りしめている。
通い慣れた道とはいえ、忌まわしい事件が立て続けに起きた矢先だ。彼女も心細いのだろう。
美凪が少しだけ強く握り返すと、自分の顔を見上げ、安心したように微笑んだ。
「この公園を抜けたら、すぐ私の家です。よかったら、お茶でも飲んでってくださいね」
「そ、そうだな。あまり遅くならない程度に――」
そこまで言いかけ、美凪ははっとして口をつぐんだ。
雪穂も気付いたのか、怯えたように立ちすくんでいる。
闇の向こうから近づく黒い影。
外見こそ犬に似ているが、その身の丈は人間の大人ほどもある。
闇の中で両眼をギラつかせ、鋭く剥き出した牙の間からダラダラ涎を垂らしていた。
(ディアボロ――ヘルハウンドか!)
いつの間に現れたのか、猟犬型ディアボロの左に1人、右に2人、大津見高の制服を着た少女たちも滑るように近寄ってくる。
「愛央ちゃん! それに倉谷さんに芝野さんも? 無事だったの!?」
「待てっ!」
思わず駆け出そうとした雪穂を、美凪が制止した。
よく見れば3人とも普通ではない。
姿こそ以前と変わりないが、その顔は血の気を失い、両眼はぽっかりと黒く開いた空洞のようだ。
「……ウソ……っ」
雪穂は凍り付いたように立ち止まり、ワナワナ震え出した。
中央のヘルハウンドが歩みを早める。
迷うことなく美凪は光纏した。
全身から金色のオーラが立ち上り、制服の上から戦闘用の儀礼服が体を覆う。
腰に召喚した愛刀・天火明命の鞘を払った。
「えっ? えっ?」
戸惑うような雪穂の声。
魔犬が咆吼を上げ、地面を蹴って飛びかかってきた。
美凪は刀を一閃、刃から放った衝撃波でディアボロを迎え撃つ。
衝撃波に弾き飛ばされた魔犬が地面に叩きつけられ、苦しげに吼えた。
本来ならここで間合いを詰めてとどめの斬撃を入れたいが、いま雪穂から離れるわけには行かず、美凪は刀を構えたまま踏みとどまった。
「雪穂、私から離れるな!」
素早く立ち上がったヘルハウンドが再び牙を剥く。
左右からは、ディアボロ化した女生徒たちもゆっくり迫ってくる。
「美凪……さん?」
「隠していてすまない。私は……撃退士なんだ」
「撃退士? それじゃ――」
「詳しい話は後だ!」
前方のディアボロたちを睨んだまま、美凪は叫んだ。
「心配するな。君のことは、命に代えても守る!」
「ホント? なら命から先に頂戴よ」
ドンッ。
背後から鈍い衝撃を受け、美凪の体は前のめりに傾いた。
右の脇腹。ちょうど肝臓の辺りを鋭い刃物で抉られた――そう理解した瞬間。
「~~~~~ッ!!」
悲鳴すら出せぬほどの激痛が走り、美凪の喉から掠れた息だけが吐き出された。
「命に代えても守るぅ? ヴァーカ。自分で死亡フラグ立ててどうすんだって」
「……ゆ……」
「雪穂チャンだと思った? 残念でした! 私はマスカ。ま、別に憶えなくてもいいけどね♪」
辛うじて半分だけ振り向いた視界の隅で。
こちらを見上げる雪穂の顔が、残忍な嗤いに歪んでいた。




