第6章20 「伯爵」との面会
20「伯爵」との面会
久遠ヶ原学園に帰還した光騎がまず向かったのは、学園の図書館だった。
館内に備えつけのPCから生徒会データベースにアクセス。過去の天魔事件に関する依頼報告から、今回の事件に類似したケースを検索してリストアップする。
その中には閲覧者限定の非公開情報も含まれていたが、これは久住から教わったパスワードにより調べることができた。
その後は学生寮の自室で仮眠をとり、深夜になって再び外出した。
向かう先は夜の繁華街――そしてさらにその奥の裏路地。
世間的には「日本最大の撃退士養成校」「巨大学園都市」として知られる久遠ヶ原であるが、その島内には学園とは直接関係のない商業施設も少なくない。
元々は学園を訪れる関連企業の社員や撃退庁関係者向けに出店したスナックやバー、各種遊興施設や風俗店。
どう考えても「学園都市」の施設としてはそぐわないが、これらの怪しげな店もまた「自由」を重んじる久遠ヶ原学園の校風の一環として、(本土に比べ)比較的緩い法規制により営業を許可されていた。
類は友を呼ぶ――事実上「治外法権地帯」である久遠ヶ原島内の下町、俗に「裏路地」と呼ばれる街区には違法な店や業者が集まり、挙げ句の果ては本土から逃亡した指名手配の犯罪者、官憲の目を逃れた犯罪組織までを呼び寄せ、ついにはある種の「暗黒街」を生みだすに至っていた。
学園理事会や生徒会、また日本本土の警察庁や撃退庁は、この現状をあえて「黙認」している。
理由は2つ。
天魔と戦うことを使命とする学園生徒=撃退士にとって、人間の犯罪者など敵ではなく、彼らが何か起こせば容易に制圧・逮捕できる。つまり危険な犯罪者や犯罪組織を日本国内で野放しにするくらいなら、久遠ヶ原島内に「隔離」しておいた方が本土の治安に貢献するという判断から。
そしてもう1つは――表だって語られることはないが――対天魔戦略の一環として、時には彼ら「裏社会」の手を借りることも少なくないからだ。
いま光騎はその「裏路地」深く踏み込んで行く。
暗い街路のあちこちには明らかに堅気とは思えぬ男たちがうろつき、「よそ者」である光騎をうろんな目つきで睨んで来るが、久遠ヶ原学園の制服を着た少年に手出しする者はいない。
それは野良犬が虎に喧嘩を売るのも同然の行為だと知っているからだ。
やがて光騎は裏路地の一角、薄汚れた雑居ビルの中へと入った。
既に久住から話が行っているのか、サブマシンガンを構えビル内に立つ用心棒らしき男たちは無言のまま地下への階段を指さす。
地下の廊下を進むとその行く手をものものしい鉄扉が塞ぎ、壁際に1人の若い男が立っていた。
(撃退士だな)
光騎は直感した。ただし学園生徒ではなく、金で雇われたヤミ撃退士だろう。
「波間矢光騎だな?」
「はい」
「『伯爵』が中でお待ちだ。時間はきっかり20分。あと面会中、スマホや携帯、それとヒヒイロカネを預かる」
「悪い噂を聞いたのですが……」
言われるとおり己のヒヒイロカネ、片手にはめた腕輪を外し、男からボディチェックを受けながら光騎はふと尋ねた。
「人類側に亡命する天魔は、必ず『人間の魂や感情を奪わないこと』を誓約するはず。なのに『彼』に限っては死刑囚や末期患者の魂が提供されていると……事実ですか?」
「聞きなボウヤ。大人の世界にゃ秩序とルールってもんがある。そいつを守るために答えられねえ質問もあるんだよ」
男はぶっきらぼうにいうと、ハンズフリーのマイクに何事か告げてから扉の鍵を開けた。
一歩室内に踏み込むと、そこは廃ビルのごとき外観が嘘のように思える、高級ホテルのスイートルーム並に豪華な部屋だった。
中央はテーブルを挟んでソファーが置かれた応接間となっており、奥の席にブランドもののスーツにネクタイ姿の男がくつろいだ様子で座っていた。
年齢ははっきりしない。見かけは30代~40代くらいまで、幾つとも取れる白人の中年男性。
サングラスで目元を隠しているが、口許には愛想のよい笑みを浮かべ、ちょっとした大企業の若手CEOといった風格さえ備えている。
「はじめまして。波間矢光騎です」
「ようこそ。待っていたよ」
翼も尻尾も隠しているが、「伯爵」は人類側に亡命したはぐれ悪魔だ。
ただし学園生徒でも撃退士でもない。「伯爵」というのはあくまで通り名であり、彼自身が実際その爵位にいたかは不明。もし本当であれば魔界でも上から第4位にあたり、はぐれ悪魔としては異例の高位悪魔ということになるが。
なぜそんな貴族悪魔があえて人類側に亡命したのか、そして人類側が(冥魔連合の報復を覚悟してまで)彼を受け入れたのか、光騎は知らないしそれを詮索している時間もない。
「早速ですが、本題に入らせて頂きます」
昼間図書館で収集したデータに今回の依頼途中経過を加えた書類を差し出す。
「これらの事件は全て同一の悪魔による犯行と思われます。あなたの知識で、その悪魔を特定して頂けますか?」
「ふむ……」
伯爵は分厚い書類をパラパラめくりながら目を通していたが、やがて書類を傍らにどかすと、その片手に革表紙の分厚い「本」を召喚した。
魔書「ディアスティマ」――冥魔連合を構成する2つの世界「魔界」「冥界」に関するあらゆる知識を網羅した辞典。ただしその中身を覗けるのは(人類側では)伯爵のみ。
並の撃退士が表紙を開けば、その瞬間顔面を灼かれ永遠に失明するといわれる。
伯爵が魔書をテーブルの上に置くと、間もなく革表紙の上に3D画像のごとく1人の女の姿が現れた。
旧い舞踏ドレスで着飾った妙齢の美女だ。
しかしその顔つきはどこか冷酷な爬虫類を連想させる。
「彼女はセルセラ。地球に派遣された下級悪魔の1人だ」
「ご存じなのですか?」
「ああ、よく知ってるよ。ある意味『有名人』だからねぇ」
伯爵の話によれば、セルセラはかつてある高位悪魔の配下であったが、上司から任された地球上における「占領地域」の管理に失敗したため解任されたという。
「何をしくじったのですか?」
「占領地域の人間を、魂も抜かずに皆殺しにしてしまったのだよ。まあ彼女の弁解によれば『ちょっとイタズラしたら、人間どもが勝手に殺し合った結果』だそうだが」
「イタズラ……いったいどんな?」
「魂を抜くため、ある人間を生け贄にしたとしよう。その時に持ちかけたのさ。『もう1人、別の人間を道連れにする権利を与える』と」
くっくっく……と忍び笑いを漏らしながら、伯爵は語る。
「まあ人間、誰しも恨みのある相手の1人や2人はいる。『どうせ死ぬならあいつも』と思うだろうね。そうして1人、また1人と恨みの連鎖で人が死んでいく」
「なぜそんなことを?」
「理由なんかないさ。それが彼女の『趣味』なんだから。そして配下のヴァニタスに命じてその噂を広める……そのうち人間たちは疑心暗鬼に陥り、最後には武器を取ってお互いに殺し合いを始める。その報告書に書いてある事件も、殆どそのパターンではないかね?」
「理解出来ませんね。それでは悪魔側とっても損ではないですか」
「だから趣味が行きすぎて彼女はクビにされたのさ。ほら、君らの同族にもいるだろう? 特に理由もないのに、力の弱い子犬や猫をなぶり殺しにして楽しむ手合いが」
「それは単なる異常者です。僕らの世界では危険人物とみなされ、場合によっては治療のため社会から隔離されることになりますよ」
「君らの世界ではね。だが我々冥魔の世界に『異常者』という概念はないんだよ。何せ我々にとって最大の罪悪は冥魔陣営そのものに対する離反……つまり私みたいなはぐれ悪魔。その次に悪いのが『弱いこと』なのだから」
「あなたがた悪魔にとって、セルセラのような同族はどう見られるのですか?」
「力さえあれば、個人の趣味など関係なく尊敬される。そうでなければ、せいぜい『変わり者』と思われるくらいだねぇ……そうそう、一部の悪魔は彼女のことをこう呼んでたよ。『怨鎖の魔女』と」
「……なるほど」
それから光騎はセルセラの特徴や能力、戦闘パターンなどについて幾つか質問した。筆記用具の持ち込みも禁じられているため、伯爵の返答を一言一句もらさず記憶に収める。
既に約束の面会時間は残り少ない。
「お忙しいところ、どうもありがとうございました」
ソファから立ち上がり礼儀正しく頭を下げた後、ふと顔を上げ伯爵を見つめた。
「これは個人的な質問なのですが――」
「何かね?」
「あなた方悪魔は、死んだ人間を甦らせる力をお持ちですね?」
「ヴァニタスのことかな?」
「あれは死亡直後の、保存状態の良い死体でなければ無理ですよね。そうではなくて……昔死んだ人間を、生前の記憶や人格もそのままに」
「そりゃあ無理だ。たとえ私であっても」
伯爵は肩を竦めた。
「まあ魔界の王ランドル、冥界の王ハデス――このお二方ならどうか分からんがね。彼らは私から見ても雲の上の存在だから」
「分かりました。……ありがとうございます」
「気が向いたら、またいつでも来たまえ。君のように若い人間と話すのは、私にとってもなかなか興味深い体験だよ」
「またご縁がありましたら」
部屋の外でヒヒイロカネやスマホを返してもらい、ビルから出た時には、もう東の空が明るくなっていた。
「もうこんな時間か……大津見市に戻るのは昼過ぎになりそうだな」
そのとき、マナーモードにしていたスマホがポケットの中でバイブした。
画面に表示された発信者はラティエル。
通話ボタンを押した途端、少女の泣き叫ぶ声が耳に飛び込んだ。
『早く帰ってきてミツキ! ミナギが、ミナギが……!』




