第6章19 雪穂の不安
19 雪穂の不安
その日、光騎は「親戚に不幸があり欠席」、美凪は「妹が朝から熱を出したため少し遅刻する」と大津見高校に届け出ていた。
高校側も彼らが撃退士であることは承知しているので、特に立ち入った質問をしてくることもない。
1年生の高須賀俊夫が自宅で天魔に襲われ不慮の死を遂げたことは、今朝のHRで各クラスの担任を通して発表する予定だという。
昨夜住宅地で発生した「事件」については既にニュースでも報道されてしまった。なまじ隠して不安を煽るよりは、事実をありのまま公表し生徒たちに冷静な行動を求める方が賢明――との判断だろう。
病院を出た美凪がタクシーを借り、高校に着いたのはちょうど1限目の授業が終わる時刻だった。
1年用の校舎に入り自分の教室に向かっていると、廊下で見覚えのある女生徒が、別の男子生徒と何やら言い争っていた。
(あれは……玉城さん?)
「ちょっと、もういっぺん言ってみなさいよ!」
「お、落ち着けよ玉城。俺が言い出したんじゃねえ、噂だよ、噂」
芳香は烈火のごとく怒り、胸ぐらをつかまんばかりの勢いで男子生徒を問い詰めている。
昨日の人なつっこく愛嬌たっぷりだった彼女とは思えないほどの怒りようだった。
「いくら噂だって言っていいことと悪いことがあるでしょ!?」
「どうした? 喧嘩はよくないぞ」
急いで美凪は両者の間に割って入った。
「あ、山神さん……」
昨日知り合ったばかりの転校生の顔を見て、芳香は気まずそうに口ごもる。
が、やがて言いづらそうに(今朝方HRで聞かされた)俊夫の事件を美凪に伝えた。
「私と同じクラスの? そんな……いったい何で」
美凪にしてみればとうに知っていることだ。だがこの場では初めて知らされた風を装い、驚いたように眉をひそめた。
「だからユキちゃんもショック受けてるだろうなって心配してたのに、こいつが……」
「こいつ」と指さされたのは、芳香と同じクラスの高田という男子だった。
「ダチから聞いたんだよ。高須賀は同じクラスの男子を取り合ってた倉谷弥里の幽霊にとり殺されたって」
「倉谷さんといえば……確か病欠中の?」
「今、うちの学年で同じように長期欠席している女生徒が何人もいる。そいつらはもう全員殺されてて……しかも悪魔の呪いで怨霊に変えられて、恨みを持つ相手を『道連れ』にして祟り殺してるって」
(どういうことだ? ディアボロが弥里の姿を留めていたことは、関係者だけの機密事項でマスコミには厳重に伏せられてるはずなのに)
内心で戸惑う美凪をよそに、再び芳香が激怒した。
「ナホやアオもそうだっていうの!? ふざけないでよ! そりゃー倉谷さんのことはよく知らないけどさ、人を恨んだり恨まれたり……ナホやアオは、そんな子じゃないよ!!」
「落ち着け、玉城さん。それに高田君だっけ? 君はそんな噂を本気で信じているのか?」
「いや、俺は別に……ただ、もう学校中その噂で持ちきりだぜ?」
(ヴァニタスの工作か? くそっ、好き放題やってくれる)
「いや、私も別に専門家じゃないからそんなに詳しいわけじゃないが……天魔が人を襲うのは、魂だか感情だかをエネルギーとして奪うため。たとえていえば、腹を空かせた熊が人間を襲うようなものだろう? それを怨霊だ、祟りだとは……ちょっと非科学的じゃないかな?」
「まあそうだとは思うけど……」
「それに、仮にも同じ学校の友だちが2人も亡くなったんだ。いくら噂とはいえ、今そんな話をするのは不謹慎と思わないか?」
「わ、分かったよ……ごめん玉城。この話は、もうしないから」
(全く……これじゃ先が思いやられるな)
何とか2人の喧嘩を仲裁した後、美凪は改めて自分の教室を目指した。
「――山神さん!」
教室の扉を開けるなり、机に座り俯いていた雪穂が弾かれたように立ち上がり、美凪に飛びついてきた。
その表情は既に半泣きだ。
「よかった……無事だったんですね?」
「ど、どうした!?」
「た、高須賀君が……」
「ああ、その話はもう聞いたよ」
「クラスのみんなが噂してるんです。いま長期欠席中の生徒は、みんな菜穂子ちゃんみたいに悪魔に殺されたって……それで山神さんが朝から来なかったから、何かあったんじゃないかって、私、私……」
それ以上は言葉にならず、美凪に抱きついたままワッと泣き出した。
「はは、心配ないよ。ただ今朝方、妹がちょっと熱を出したから……」
小柄な少女の頭がちょうど顎のあたりに当たり、ヘアリンスの良い香りが鼻をくすぐる。
「すまない……心配させて」
両手をクラスメイトの背中に回し、今朝ラティエルにしてやったように抱きしめてやった。
だが美凪の心臓はなぜかドキドキと鼓動を早める。
それは今まで感じたことのないような、どこか甘く切ない感情だった。
その日の昼休み。
美凪は雪穂に誘われ、芳香も加えた3人で屋上に上がり弁当を開いた。
「波間矢君は今日お休み。田舎の親戚が急に亡くなったんだって」
「それは気の毒だな」
芳香の話を聞き、美凪はやはり「初耳だ」という顔で答えた。
雪穂は相変わらず元気がない。
食欲がないのか、お弁当にも殆ど箸を付けていなかった。
「元気出してよー、ユキちゃん。あんな噂、気にすることないって」
「玉城さんのいう通りだ。こういう事件が起きると、とかく面白がって無責任なデマを流す輩がいるものさ」
「……次は……私の番かもしれない」
美凪はぎょっとして雪穂の顔を見つめた。
「ちょっ、ユキ!? あんた、まさかあの件を気にして――」
「あの件? 亡くなった高須賀君と、何かあったのか?」
聞きとがめた美凪が、芳香に尋ねる。
「えっと、その……」
「高校に入学して、まだ間もない頃です」
意を決したように、雪穂が顔を上げた。
「私、高須賀君に呼び出されて、こう言われたんです。『俺とつきあってくれないか?』って……でも、お断りしました。別に彼のこと嫌いじゃなかったけど……いきなりのことで、びっくりしちゃったから」
「……」
殺された俊夫の部屋に飾ってあった雪穂のポートレートが、美凪の脳裏に甦る。
「犠牲者に『道連れ』を指名させる」という光騎の仮説も。
「あんなの、もう2ヶ月くらい前のことじゃない。高須賀君だって忘れてるよー」
「でも……」
「気にしすぎだって。そんな理由でいちいち祟られてたら、あたしみたいな美人命がいくつあっても足りないじゃ~ん。って、まだ告られたことないけど~。アハハハ」
芳香がそういっておどけてみせるが、雪穂の顔は浮かない。
「……広瀬さん、君の家はどの辺だ?」
美凪は思い切って問いかけた。
「え?」
「もし迷惑でなかったら、部活の後、私が家まで送って行こう」
「で、でも……」
「いやもちろんあんな噂はデマだと思う。だが、ただでさえ物騒なご時世だ……デマに便乗した愉快犯が出ないとも限らないしな」
「うわっすごいじゃんユキ! 白馬の王子様出現だよ?」
芳香に冷やかされ、真っ赤になって俯く雪穂。
だがその表情は、あながち嫌そうでもなかった。




