第6章18 幼天使の悔恨
18 幼天使の悔恨
事件の翌朝。
救急車で病院に搬送されたラティエルは、間もなく意識を回復した。
「負傷の方はもう心配ありません。今日一日安静にすれば任務に復帰できますよ」
治療に当たったアストラルヴァンガードの龍崎海が、付き添いの光騎と美凪に説明した。
「彼女が受けたのは魔法攻撃、それも相当強力なものと思われます」
最初の一撃で部屋から吹き飛ばされ失神したことで、結果的にはそれ以上の攻撃を受けず済んだらしい。
海に礼を述べ、光騎たちは病室に入った。
ラティエルはベッドに寝かされていたが、2人の顔を見るなり上半身を起こした。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
その大きな瞳から、ポロポロ涙がこぼれ落ちる。
「あたし、何の役にも立てなかった……あのお兄ちゃんを助けてあげられなかった……!」
つかつか歩み寄った美凪が、泣きじゃくるラティエルを両腕で抱きしめた。
「自分を責めるな。あの場におまえがいたからこそ高須賀君のご家族まで被害が及ぶのを食い止められたんだし、高須賀君自身もディアボロ化されずに済んだんだから」
「でも、でも……!」
「撃退士なら、誰でも一度は突き当たる試練なんだ。辛いだろうが、乗り越えてみせろ……それで、おまえはもっと強くなれる」
美凪の胸に顔を埋め、ラティエルが声を上げて泣き出す。
その様子を、光騎はベッドから一歩離れた場所に立って見守っていたが、ラティエルがやや落ち着いた頃合いを見計らい口を開いた。
「……敵の数、そして特徴は?」
(今そんな話を出さなくてもいいだろう!)
美凪が顔を上げ、そう言いたげに睨んでくる。
が、すぐ思い直したように目を伏せた。
確かに光騎の行動は正しい。現場に居合わせた撃退士として、ラティエルには速やかに事態を報告する義務があるのだから。
「2人……あの高校の制服を着た、幽霊みたいなお姉ちゃんと……白いお面を被った女の人」
光騎はポケットから3枚の写真を取り出し、ベッドの上に並べた。
「制服姿の女は、この中の誰かに似ていなかったか?」
それは現在失踪中の女生徒たち。
死亡した菜穂子を除く、愛央、紗佳、弥里の3名。
「……この人」
ラティエルがおずおず指さしたのは、弥里の写真だった。
「倉谷弥里……既にディアボロ化されていたのか」
「グールとはまた違うタイプだな」
美凪も訝しげに呟いた。
ディアボロの「素体」は悪魔に殺された人間であるが、殆どの場合その姿は見る影もなく変貌し、「生前」の身元が分かることは滅多にない。場合によっては複数の人間の遺体を融合させ、大型ディアボロが生み出されることもある。
多くの天魔にとって人間は単に「エネルギーを収奪する獲物」「奉仕種族を生み出す原材料」に過ぎず、生前のパーソナリティなどはどうでもいい問題なのだ。
従って、今回のように生前の姿を留めたままディアボロ化させるのは、むしろ珍しいケースといえる。
「どういうことだ?」
「おそらく大津見市の人々に対する『威嚇』だろう。殺した倉谷さんの『幽霊』もしくは『怨霊』と思わせることで、より多くの恐怖を与えようという」
「何て悪趣味な奴だ……」
最初のビル襲撃事件の時から分かっていたことといえ、犠牲者を弄ぶような敵のやり口に、美凪は改めて怒りを露わにする。
「気になるのはもう1人、仮面を被った女の方だな……ラティエル、君を攻撃したのはどっちだ?」
「お面の人……たぶんミツキたちと同い年くらいだと思う。そんな声だったから」
「声? 人間の言葉を喋ったのか?」
「うん」
「それだけの知性があるということは……やはり悪魔かヴァニタスか」
戦闘能力では光騎や美凪に及ばないといえ、ラティエルとて堕天の撃退士だ。
それを一撃で戦闘不能に陥れたところからみても、ヴァニタス級以上の敵と考えて間違いないだろう。
「しかし、なぜ仮面なんか被ってたんだ?」
「顔を見られるとまずい理由があったんだろうね」
美凪の疑問に、光騎が答える。
「おそらく敵はヴァニタス。普段は一般人を装って、大津見市内で行動している人物……」
「まさか大津見高の生徒か!?」
「その可能性は高い。被害者があの高校の生徒に集中している理由にも説明がつくし」
「お手柄だぞ、ラティエル。おかげで敵の手がかりがつかめた」
幼天使の頭を優しく撫でながら、美凪が微笑む。
「とはいえ、大津見高だけでも全校合わせれば千人近い生徒がいる。ヴァニタスの特定は容易じゃないな……」
光騎は腕組みして思案した。
そしてそれ以上に気になるのは、ヴァニタスの背後にいるであろう「主」の悪魔。
「そういえば、昨夜『過去に同じケースがある』といってたな?」
ふと思い出したように、美凪が尋ねた。
「ああ。ただし元凶の天魔は未だに特定されていないけどね」
「なぜだ? 依頼の報告書がある以上、私たちのように撃退士が派遣されたのだろう?」
「どれも田舎の、小さな村や町が狙われたんだ。撃退庁が異変を察知し、撃退士が派遣された頃には……村や町の住民たちは、殆ど死に絶えた後だった」
「たった1人のヴァニタスのために?」
「それがよく分からない。ある町では暴動が発生して住民同士が殺し合ったらしくて……だから、正確には何人が天魔の犠牲者かさえ分かってないんだ」
「なら、なおさら一刻も早くヴァニタスと親玉の悪魔を見つけ出さないと……この大津見市は十万近い人口を抱えてるんだぞ!」
焦燥に駆られたように、美凪は唇を噛んだ。
「方法がある……かもしれない」
「なに?」
「ただそのためには、僕自身が一度久遠ヶ原に戻る必要がある。往復の時間を含めればまる1日、ここを離れなければならない」
「私は構わないぞ? 1日くらいなら1人でも何とかなるさ」
「あたしだって……こんなケガ、もうへっちゃらだよ!」
無理してベッドから降りようとしたラティエルが、慌てた美凪にたしなめられた。
「ありがとう。なら僕はすぐにでも出発するよ。悪いけど、学校の様子に気をつけてくれないか? 小野崎さんに続いて高須賀君の事件で、みんな不安に思ってるだろうから」
「そうだな……私はもう少しこの子に付き添って、2限目の授業から出席しよう」
ラティエルの身を気遣う美凪の姿に、姉・光代が生きていた頃のイメージが被り、一瞬光騎の胸がチクリと痛んだ。
病院の玄関を出た光騎は、スマホを取り出し久遠ヶ原に電話をかけた。
ただし斡旋所のオペレーターではなく、撃退庁から学園へ出向している土御門久住の携帯へ。
『もしもし? おお、波間矢君か。どうしたのかね?』
「朝早くから申し訳ありません。今回の依頼に関して、折り入ってお願いしたい件がありまして」
『今回の? それなら担当のオペレーターに要請した方が早いと思うが……』
わずかな躊躇の後、光騎は要件を切り出した。
「至急『伯爵』に面会したいのです。土御門さんからとりなして頂けますか?」
その言葉を聞いた瞬間、久住の声が慌てたように上擦った。
『――き、君ッ! 滅多なこといっちゃいかん!』
「ああご安心ください、今ここにいるのは僕だけです」
『察してくれたまえ。彼は公式には存在しない人物なんだ。いくら君の頼みとはいえ……』
「そこを曲げてお願いしたいのです。ことは多くの人命がかかった問題ですから」
『ううむ……』
低く唸りながら久住が黙り込む。
撃退庁の高級官僚といえども無理な頼み事なのだろうか?
だが光騎には分かっていた。
久住は困っているフリをして、自分の「次の言葉」を待っているということを。
「……もちろん勝手なお願いだということは存じています。このご恩は……いえ、この『借り』は決して忘れませんから」
『ハハハ、借りだなんて水くさい』
一転して口調が変わり、久住が鷹揚に笑った。
電話の向こうで、「してやったり」と満面の笑みを浮かべる男の顔がありありと目に浮かぶ。
『よかろう! 亡き親友のご子息にそこまで頼まれて断るようでは男がすたる。一肌脱いでやろうじゃないか』
具体的な場所や時間などは決まり次第連絡してもらう約束をとりつけ、「よろしくお願いします」といって電話を切る。
スマホを制服のポケットにしまうと、光騎は大きくため息をついて天を仰いだ。




