第5章16 5人目の生け贄
16 5人目の生け贄
光騎と美凪が民家の前に駆けつけたとき、真っ先に目にしたのは路上に倒れたラティエルの姿だった。
家の中から中年女性の叫び声が聞こえる。
「ラティエル!」
駆け寄った美凪が、ワンピースドレスを血に染めて意識を失った幼い堕天の元へ駆け寄った。
幸い、息はあるようだ。
「大玄霊の神に祈願し奉る――」
光騎は呪を唱えると、手中に召喚した回復用の霊符をラティエルの体に貼り付けた。
続けて数枚の霊符を民家の周囲に放ち、天魔の逃亡を封じるため阻霊陣の結界を張り巡らせる。
「この子を頼む」
美凪にいうなり、玄関に向けて走った。
「撃退庁の依頼で来た者です!」
インターフォンに告げると、間もなくドアが開き、青ざめた表情の母親らしき女性が現れた。
「む、息子の部屋から悲鳴が……でもドアに鍵がかかってて……!」
光騎が提示した撃退士の身分証を見るなり、藁をもつかむような表情で泣きながら訴える。
「失礼ですが、息子さんは大津見高校の生徒ですか? お名前は?」
「は、はい……高須賀、俊夫です」
「危険です。ご家族の方は全員家の外に避難して下さい!」
そういうなり、母親の返答も聞かず家の中に飛び込み階段を駆け上がった。
2階にある俊夫の部屋の前で電子式盤を取り出し確認するが、予想していたような冥魔の気配はない。
嫌な予感がする。
光纏した光騎は力ずくでドアノブを壊し、部屋に飛び込んだが――。
「……遅かったか」
室内にディアボロらしき姿はなかった。
残されていたのは、床に俯せに倒れた俊夫の遺体。
180度ねじ曲げられ、体と反対に天井を見上げる少年の顔は恐怖にひきつったまま、眼球が飛び出すほど大きく目を見開いていた。
「申し訳ありません……」
以前に美凪がしたように合掌して一礼した後、改めて遺体と室内の状況を確認した。
死因は見た目どおり頸骨をねじ切られたことだろうが、魂(生命エネルギー)を抜き取られたかどうかまでは分からない。
ただはっきりしているのは、ラティエルの妨害を受けた「敵」は遺体を持ち去ることを諦め逃走を優先したということだ。
高須賀俊夫はこの部屋で命を落としたが、少なくともその遺体がディアボロに変えられることだけは免れた。
これを「不幸中の幸い」というには余りに痛ましいが。
(しかしディアボロにそんな咄嗟の判断ができるほどの知能はないはず……直に命令を下す悪魔、もしくはヴァニタスが側にいたのか……?)
そう思いながら室内を見回す光騎の目に、ふと気になるものが映った。
壁際の棚に置かれた写真立ての1つ。
大津見高校の制服を着た女子生徒のポートレートだが、光騎はその少女の顔に見覚えがあった。
「……広瀬雪穂?」
家の周囲にディアボロ、その他天魔の存在がないことを確認後、光騎は久遠ヶ原学園の斡旋所に24時間待機するオペレーターの生徒に事態を報告した。
撃退庁を始め、警察、大津見高校など各方面への連絡や必要な手配は全て彼らオペレーターが代行してくれるはずだ。
公的機関に引き継ぐまでの間、光騎と美凪は高須賀家に留まり、現場の保存と突然の悲劇に動転して泣き叫ぶ家族への対応に当たった。
応急手当を施したラティエルは1階リビングのソファを借りて休ませている。
遅れて2階に来た美凪が、無惨な俊夫の遺体を見て言葉を失った。
「彼は……私がいるクラスの生徒だ。まだろくに話す機会もなかったが……」
たった1日とはいえクラスメイトだった少年の変わり果てた姿を前に、無念そうに呟く。
「つまり、広瀬さんとも同級生だったわけだね?」
「え?」
光騎にいわれて棚に飾られた雪穂のポートレートに気付いた美凪は、意外そうに目を瞬いた。
「高須賀君と広瀬さんは、そんなに親しい間柄だったのか?」
「いや……教室での印象では、そんな風には見えなかったが……」
「では彼の片思いだった可能性もある……か」
「いずれにせよ、明日には担任から知らされることになるだろう。雪穂……あ、いや、広瀬さんには、私の方からそれとなく探りを入れておこう」
なぜか照れくさそうに光騎から視線を逸らし、美凪はいった。
「別に名前で呼んだっていいんじゃないかな? 今日一日だけで、君らはだいぶ仲良くなったようだし」
「雪穂はいい子だよ。でも……いやだからこそ、今回の事件には巻き込みたくないな……」
「僕もそう思う。彼女の方に心当たりがないようなら、この写真の件は内密にてしておこう」
「そうだな……ああ、ラティエルの方は大したケガじゃなさそうだ。でもなるべく早めに治療を受けさせてやりたいんだが」
「心配ないよ。警察に現場を引き継いだらすぐ病院に連れて行こう。向こうに久遠ヶ原から派遣されたアスヴァンが待機してるはずだ。大学部の龍崎海さん……医療系のエキスパートだよ」
遠くから徐々に近づいて来るパトカーのサイレンを聞きながら、光騎は頷いた。
間もなく数台のパトカーや救急車が到着、近所の住民も何事かと集まり騒然となった高須賀家周辺の住宅地。
そこから少し離れた電柱の陰から、じっと現場を見つめる黒いドレスの少女がいた。
「……ちっ」
忌々しげに舌打ちすると、少女は電柱を離れ、夜の闇に溶け込むように姿を消すのだった。




