第5章15 仮面の死神
15 仮面の死神
「どこに行くんだろ? あのお姉ちゃん」
夜の帳に覆われた住宅地の一角で、ラティエルは不思議そうに独りごちた。
今日は日中、一般人の子供を装い市内のあちこちを見回っていたが、これといった収穫はなかった。ヒリュウを召喚して視覚共有すればもっと広い範囲を調べられるのだが、さすがにそれは人目を引いてしまう。
夕刻、空が暗くなったのを見計らいヒリュウを召喚。空からの調査を始めたが、あいにく召喚獣は夜眼が利かないため今ひとつ見辛い。
(つまんないの。そろそろミナギの部屋に戻ろうかなぁ)
そう思いかけたとき、上空を飛ぶヒリュウの視覚を通し奇妙な光景を発見したのだ。
女子高生と思しき制服姿の少女が、地上100mほど上空を飛んでいる。
「飛ぶ」といっても、正確にはフワフワ宙に浮いたまま、手足を動かさず滑るように移動しているのだが。
彼女の紺色の制服は闇に溶け込み、道路を歩く通行人は誰ひとり気付いていない。
「空を飛ぶ人間」自体は、ラティエルにとってはさほど驚くべき存在ではなかった。
彼女自身が堕天であり、今は翼を消しているものの、その気になれば飛行が可能だ。
久遠ヶ原学園には彼女同様に堕天やはぐれ悪魔の生徒(撃退士)が多数在籍しているため(また人間の撃退士でもジョブによっては飛行スキルを備えているため)、学園生徒が空を飛ぶ光景など(少なくとも久遠ヶ原では)見慣れている。
だがここは住民の大多数が一般人の大津見市。また自分以外に堕天やはぐれ悪魔の撃退士が派遣されているという話も聞いていない。
(もしかして、天魔……?)
残念ながら周囲が暗いこともあり、ヒリュウの視覚では充分に「少女」の姿を確認することができない。
ともかく召喚獣に指示し、彼女の行き先を追跡し始めた。
間もなく「少女」は高度を下げ、とある民家の2階へ幽霊のごとくスルリと溶け込んだ。
「透過能力――やっぱり天魔だ!」
すかさずスマホで美凪に連絡。
状況と現在地を告げた後、ヒリュウに命じて民家の窓に近づけた。
ラティエル自身が飛んで行けば透過能力で後を追えるのだが、多くの一般人から見て敵の天使と堕天の撃退士の区別などつかないため、却って厄介なことになりかねない。
それでもいざとなれば民家に飛び込む覚悟で、彼女は引き続き召喚獣の目を借りて2階の窓から監視を続行した。
「うわぁあああ!?」
大津見高校1年男子、高須賀俊夫は自室の学習椅子から転げ落ち、床の上にへたりこんで悲鳴を上げていた。
学校から帰宅後、2階の自室に上がって着替えを済ませ、夕飯前の時間つぶしに漫画でも読もうと机に座った、その直後。
ふと背中に何者かの気配を感じた。
振り返ると、いつからそこにいたのか――同じ高校の制服を着た少女が部屋の真ん中に佇み、こちらをじっと見つめていたのだ。
俊夫は「彼女」に見覚えがあった。
クラスメイトの倉谷弥里。ここ1週間ほど病気で授業を休んでいたはずだが。
「く、倉谷? 何でここに――」
そう尋ねかけ、俊夫はハッと気付いた。
弥里の様子が尋常ではない。
彼女の顔は青白く血の気を失い、虚ろに見開かれた双眸は瞳孔が一杯に開き、ぽっかり黒い穴が空いたようだ。
やばい。やばすぎる。こいつはどう見ても生きてる人間じゃない。
俊夫は悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた。
何が何だか分からない。
助けを呼ぼうにも恐怖に体が硬直し声が出なかった。
『トシオ、クン……』
弥里の唇が動き、抑揚のない掠れた声で囁いた。
『スキダヨ……ダカラ、アナタモ、イッショニ、イコウ……』
「あわわ……」
「つれないわねぇ。それがクラスメイトの女の子に対する態度かしら?」
声と共に、新たな人影が部屋の壁を擦り抜けて現れた。
喪服のような黒いドレスをまとった若い女。
両目の部分だけ穴の空いた、デスマスクのような白い仮面で顔を覆っている。
声からするとほぼ同い年の少女のようだが、今の俊夫にいちいちそんなことまで判断する余裕はなかった。
「だ……誰だ? 何なんだよおまえら!?」
ようやく舌が動き、辛うじて声が出た。
「見ての通り、倉谷弥里はもうこの世の者じゃないわ。彼女は芝野紗佳に祟り殺されたの。そうそう、芝野さんももう死んでるわよ」
仮面の女は淡々と、だがどこか嘲るような口調で告げた。
芝野紗佳? そういえば彼女もここ最近病欠していた。
「ちょ……どういうことだ? それが俺と何の関係があんだよ!?」
「当然でしょ? 2人が憎み合う原因を作ったのはあなたですもの。芝野さんが死に、倉谷さんが死に……そして今夜あなたがここで死ぬ。これで三角関係がスッキリ精算されるってわけね」
俺が死ぬ? 何で?
俺が何をしたっていうんだ?
芝野と倉谷。この2人は俺に勝手に惚れて、ラブレターみたいな携帯メールをしょっちゅう寄越してきた。
でも俺はこいつらなんか興味ない。ただ露骨に振るのも何だか気が引けたし、他の男子連中からモテ男みたいに羨ましがられるのがちょっといい気分だから、今まで曖昧な態度で誤魔化してただけだ。
だいいち俺が本当に好きな子は――。
「飲み込みが悪い男ねえ」
仮面の女が、急に声を荒げた。
「あんたはたった今、この場で倉谷の怨霊に祟り殺されんだよ。『人生オワタ』ってことだ理解しろバカ!」
終わる? 俺の人生が?
――嫌だ。死にたくない。
まだ15歳なのに。せっかく高校に進学できたのに。
やりたいことは山ほどある。
これからも友だちと遊んだり部活で好きなサッカーを続けたり。
彼女だって作りたいし、それから大学に行って社会に出て結婚して……
「ねーよ! なに妄想してんだか知らねーけど、テメーの人生これでジ・エンドだって。倉谷がそう願ったんだから仕方ねえだろ? 潔く諦めろこの屑野郎っ」
その間にも、弥里の「亡霊」はゆっくりと近づいて来る。
「何で……」
俊夫の目から涙が溢れた。
「何で、なんで俺が……」
「こんな目に遭うかって? 納得いかないってか? ヒャハハハ! 確かにそうだよなぁ。だから1つだけチャンスをやるよ」
「……チャンス?」
「誰か1人『道連れ』を選ぶ権利を与えてやる。憎い奴、気にくわない奴、一緒に連れて行きたい奴――誰だっていいよ? ああ、今この街に居る人間って条件でな」
「……みちづれ……」
『トシオクン……ネ、イッショニ、イコウ……』
弥里の死相が眼前一杯に迫り、彼女の両手が首にかけられた。
少しずつ――だが女とは思えない腕力で、ギリギリと締め上げられていく。
(うわぁあああああああ!!)
恐怖と絶望でパニック状態となった頭の中で、俊夫の心は悲痛に叫ぶ。
そうだ。俺だけが死ぬなんて不公平だ。割に合わない。
どうせ死ぬなら、こんな訳の分からない形で人生を断ち切られるなら、こいつのいうとおり誰かを道連れに――!
「ほらほら、早く決めないと殺られ損だよ? それでもイイのかい?」
仮面の女が片手で合図すると、首を絞める力が僅かに緩められた。
ゲホゲホ咳き込みながら、俊夫の脳裏をふと1人の少女の顔が過ぎる。
――どうせ一緒に死ぬなら。
倉谷や芝野なんかじゃなく、せめてあの子と――
「おやぁ? 誰か心あたりがありそうねぇ」
「……ひ、ひろ……」
「答えちゃダメだ!」
ふいに三つ目の声が叫んだ。
(今度は誰だ?)
視界の端に、背中から小さな白い翼を広げた幼い少女が飛び込んだ。
――天使?
「こいつは幽霊なんかじゃない! ディアボロだよ! 騙されないで、いま助けてあげるから!」
「何だテメーは!?」
仮面の女が怒鳴る。
「うぜーよ! すっこんでろチビ!」
目も眩む閃光が閃き、幼女の悲鳴と窓ガラスの砕ける音が響いた。




