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月と五芒星  作者: ちまだり
第二話「怨鎖の魔女と仮面のヴァニタス」
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第3章11 闇と瘴気の中で

11 闇と瘴気の中で


 扉を開け、一歩室内に踏み込むと、真っ先に強烈な異臭が鼻をついた。

 カビと錆と魚が腐った臭い。そこにきつい香水を混ぜたような、悪臭を通り越して「瘴気」と呼びたくなるくらい淀んだ空気。

 うぇっ、勘弁して欲しいよマジで。

 部屋全体の内装についていえば、ゴシック調に統一された雰囲気自体は悪くない。

 木製のチェストや本棚や鏡台、優雅な曲線を描くパイプベッドはなかなか素敵。でもどの家具も古びて色あせ、ろくに手入れもされていないから所々カビや錆に覆われている。

 天井の豪華なシャンデリアに光は灯されず、代わりに燭台に並ぶ蝋燭の炎が暗い室内を薄ぼんやりと照らしている。おかげで部屋の汚らしさも目立たずに済んでるけど。

 テーブルの上に置かれた自動蓄音機のラッパ型スピーカは、相変わらずノイズ混じりの旧いレコードをエンドレスで奏でていた。

 この曲は知ってる。

 1933年、ハンガリーで発表された「暗い日曜日」。

 別れた恋人を想って嘆く女性が、自殺を決意するまでの心情を切々と歌い上げた陰鬱な歌詞とメロディ。

 発表当時、本国のハンガリーを始めヨーロッパ各地でこの歌を聴いたことが切っ掛けとなって何百人もの男女が衝動的に自殺し、後に「自殺の聖歌」とまで呼ばれたいわく付きの歌よね。

 今こうして聴いてみると確かに陰気な歌だとは思うけど、だからといって自殺したくなるほどじゃない。

 むしろ嫌なのは巷で流れるロマンチックなラブソングや、生きる喜びを歌い上げた(つもりの)脳天気なポップス。

 あっちの方が「暗い日曜日」なんかより数百倍うっとうしいし、聞いてるだけでホントに死にたくなってくるわ。

 華やかなステージの上でとびきりの笑顔を振りまきながら、「奴ら」はいつでも私に向けて呪いをかけ続けていた。

『恋人ひとりできない子に生きてる価値なんかないの』

『君はいまハッピーじゃないのかい? ならすぐに自殺しなよ。この世界は幸福と希望に満ちあふれた僕らのためにあるんだから』

『友だちいないの? その顔と性格じゃしかたないわねぇ。うざいから今すぐ死んで?』

 

 うるさい! うるさい! うるさい!

 おまえらこそ死ね!!


 あああああムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく。

「暗い日曜日」を聴いた人間が必ず自殺するっていうなら、今すぐ全世界のTVやラジオで放送して、みんな首吊るなり電車に飛び込むなりして死んじまえばいいのに。

 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねみんな死んじまえ。

 クスリ飲んでリスカして首吊って、それでも死にきれず涙と鼻水と涎と大小便を垂れ流し、息が詰まって悲鳴も上げられず自分の愚かさと世界の全てを呪いながら宙づりでぶざまにジタバタもがき苦しんで――


「マスカでしょ? 何そこでぼーっと突っ立ってるの?」


 ハッと我に返り慌てて床にひざまづく。

 部屋の一番奥にあたる場所に据えられたクラシカルソファー。

 その上に、旧い映画に出てくるような舞踏服をまとった若い女が、気怠げに水煙管みずギセルをふかしていた。

 大きく胸元の開いたドレスから垣間見える豊満な胸の谷間。

 長く伸ばした銀髪が半ば顔を覆い隠してるけど、髪をアップにすれば彫りの深い、ハリウッド映画の女優みたいな美人だ。羨ましい。

 ただ本当に「若い女」といえるかどうか微妙だけど。

 その背中に折りたたまれた黒い翼は「彼女」が悪魔であることを示し、実際の年齢はおそらくその辺のババアなんかよりずっと高いだろう。

 ……なんてコトはどうでもいいか。

 とにかく今は彼女が私の「ご主人様」。

 彼女にもらった「マスカ」って名前も割と気に入ってる。

 本名? そんなの忘れたよ。思い出すだけで吐き気がするから。

「――で、街に放ったグールはどうなったの?」

「はい、30人ほどの人間を殺しましたが……結局撃退士に倒され、死骸は撃退庁に回収されました」

「ふうん。ま、そんなトコでしょうね」

「しかしよろしかったのですか? これで我々の動きが撃退庁に悟られてしまいましたが」

「構わないわよ。だってつまらなかったんですもの。『ゲーム』そのものの出だしは順調だったけど、人間どもはいつまで経ってもやれ家出だ、誘拐だのと見当違いの方向で騒いでるばかり……そろそろこちらの存在をアピールして、連中をびびらせてやらなくちゃね」

「確かにこれだけの騒ぎを起こせば、例の失踪事件もいい加減悪魔の仕業と気付くでしょうが……ただ、グールの正体が大津見高校の生徒だった事実は、当分マスコミにも伏せられると思いますよ?」

「ウフフ……だから、ここから先はあなたの出番よ。うまく校内に情報をリークして、生徒たちを不安に陥れるよう誘導する……少しずつ、少しずつね。出所のはっきりした『情報』より、どこからともなく流れてくる『噂』の方が人間を何倍も不安にさせるものよ」

「はい。お任せ下さい」

 さすがね。「彼女」は悪魔のくせに、私なんかより何倍も人間の心理に精通してる。

 今までこんな「ゲーム」を何度繰り返してきたのか。

 そしてその度にどれだけの人間を殺してきたのか――。

 私ってば運がいいわ。

 ちょっとした運命のイタズラで、ゲームの駒じゃなくプレイヤーの側に回れたんだから。

 ふふ。これからどうなるのか、想像しただけでゾクゾクしちゃう。

「そうそう。そろそろ新しい『駒』を準備しなきゃいけないわねぇ」

 彼女は煙管キセルを口から離し、ゆっくりソファから立ち上がった。

 向かう先は部屋の片側の壁。

 その一面だけコンクリートむき出しになった壁際に、3人の女の子が並んで立っていた。

 正確には両手に掛けられた手錠に天井から垂れ下がった鎖を結びつけられ、強制的に「立たされて」いるわけだけど。

 ここにさらってきてもう大分経つ。

 最初のうちこそギャアギャアうるさかったけど最近ようやく弱って大人しくなってくれた。

 ただ風呂にも入れずその場で全部垂れ流しだから、臭くてたまったもんじゃない。

 ああ臭い。汚い。ぶざま。いい気味。

 早く殺せばいいのにって思うけど、「彼女」が食事として少しずつ魂を吸収するためにこうして生かしてるんだってさ。

「飢え死にしないように適当に何か食わせておやり」といわれたから、日に一回、スーパーで買ってきた犬や猫の餌を口に押し込んでやってるわ。

 知ってる? 最近のペットフードはあんたたちがケラケラ笑いながら食べてたハンバーガーやドーナツなんかより、よっぽど栄養バランスがいいのよ?

 優しい私に精々感謝することね。

 そんなことを考えながら眺めていると、彼女は壁際に並んだ女の子のうち1人に歩み寄り、手を伸ばしてその胸に掌を当てた。

「……!」

 それまで半ば放心し、虚ろな半開きになっていた瞳がかっと見開かれた。

「ひっ!? あぐっ、あがががっ、がぁぁぁ!!」

 喉から悲鳴を絞り出し、衰弱した体のどこにそんな元気が残ってたの? と聞きたくなるほどに全身をくねらせて滑稽にもがく。

 魂を吸い取られるのってそんなに痛いのかな?

 私の時は気がついたらもう全部抜き取られた後だったからよく憶えてない。

 そう、私はもう死んでいる。

「彼女」の話ではいったん殺したけど、「契約」したから代わりの魂みたいなモノを体に入れてくれたらしい。「ヴァニタス」っていうんだってさ。まあ何でもいいけどね。

 1分ほどの間散々もがき苦しんだ挙げ句、女の子はぴたりと動きを止めた。

 残りの魂を完全に吸収されてようやく死んだらしい。

 よかったね楽になれて。

「こいつはディアボロにしないんですか?」

「もちろんするわよ? でもグールとはまた違ったタイプにね。ゲームの方も、次からちょっと趣向を変えていくつもり」

「私にお手伝いできることが他にあれば、何なりと」

「そうねえ……今日は高校の方はお休みなのよね?」

「はい。日曜ですから」

「なら……いらっしゃい。ゆっくり楽しみましょ? ウフフ……」

 彼女は私をベッドの方へ導くと、くいっと顎を持ち上げるなり口づけして、服を脱ぐように命じた。

 元々そんな趣味なかったから初めての時は驚いたけど、最近は自分でもしっかり「感じる」ようになってきたわ。

 目覚めてきちゃったのかな?

 何より嬉しいから。


 こんな私でも、彼女――セルセラ様は愛して下さるのだから。

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※この作品は出版デビューをかけたコンテスト
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