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史上最悪クソ令嬢と、冴えないオジ執事の恋。

作者: 朱宮あめ
掲載日:2026/02/13


 昼下がりの大学校門前に、あたしは仁王立ちで立っていた。


 すれ違う学生たちはいずれも、あたしの容姿に足を止めて魅入る者、足は止めないまでもちらちらと振り返る者、こそこそと噂話をする者など、とりあえずあたしに注目している。


 あたしはきれいだ。たぶん、この大学ではダントツできれい。


 あたしが通うブルーグリムガルカレッジは、多くの子爵や政治家の子が通う名門校。

 そのなかでも、あたしは一際目立っている。


 理由は明白。容姿と家柄がダントツだから。


 ディスワード家は国内屈指の財閥。


 肩書きだけでも破壊力はバツグン。それに加えて、あたしの容姿ときたら。


 風にさらわれる長い銀髪は絹糸のように艶やかだし、透き通った水のような白い肌にはニキビひとつない。

 あたしは、みんなが憧れるものすべてを持って生まれたいわゆるエリート。


 ただし、恋人はいない。

 友だちもいない。というか、いらない。


 男に頼らなくても生きていけるし、品のない女子同士で群れるなんて有り得ない。


 べつに、ぜったいいらないというわけじゃない。


 いいひとがいたら、友だちになりたいし、結婚もしたい。


 ただ、完璧なあたしに劣らない完璧な存在じゃないといやってだけ。


 あたしは前に落ちた髪を、うしろへ払った。


 ところで、あたしは最近イライラしている。


 理由は、あたしの身の回りの世話をする執事の件。

 先月から、あたしの執事兼ボディガードが新しくなったんだけど……これが、あたしの思う完璧とは程遠い。


 まず、今。迎えが遅い。もう二分は待ってる。信じらんない。


 いらいらしながら校門の前に立つことさらに一分。

 ようやく、目の前に黒塗りの高級車が停まった。


 運転席から、スーツを着た四十前後の男が降りてくる。


「遅いっ!」

「申し訳ございません」


 謝罪しながらも、男は表情ひとつ変えない。申し訳なさなんて、まったく感じられない。


 やってきた男――アルト・ハーヴァーは深く腰を折った。

 だが、あたしのイライラはすでに頂点に達している。


「使用人が主人を待たせるなんてどういうつもり? あんたはあたしの執事兼ボディガードなのよ! 待ってるあいだになにかあったらどうするのよ!」

「おっしゃるとおりです。申し訳ございません」


 もう一度丁寧に謝罪するアルトを見下ろし、あたしは舌打ちをした。


「次、私を待たせたらクビにするからね」

「肝に銘じます」

「いつまで突っ立ってるの。ドア、さっさと開けてよ」

「失礼しました」


 アルトは下げていた頭を上げ、車へと戻る。


「足音がうるさい」

「申し訳ありません」


 ぴしゃりと言うと、アルトは再び謝罪した。


 アルト・ハーヴァー。


 この冴えないおじさんが、あたしの執事兼ボディガードだ。

 新人が配属されるというから、てっきり若くていい男がくると思っていたのに。


 予想に反し、来たのはコレ。

 最初はなにかの冗談だろうと思ったくらいだ。


 若くもないしいい男でもない。外見はさながらどこかの村人A。

 四十過ぎのおじさんだからボディガードとしても頼りないし、執事としても有能かと言われると微妙。

 いつもくたびれたスーツだし、いくら怒鳴っても静かに謝るだけで、怯えもしない。ムカツク。


 アルトが車のドアを開ける。


「どうぞ」


 あたしはツンとしまま、車へと歩き出す。


「うわぁ、今の見た? なにあの子」


 一部始終を見ていた女学生たちは、あたしの態度に唖然としているようだった。


「知らない? あの子、結構有名だよ? ディスワード家の令嬢でめちゃくちゃ美人だけど、とんでもない性悪だって」

「聞いたことある。中学時代いじめっ子で、同級生を自殺に追いやったこともあるとか」

「え、なにそれ怖っ!」


 女学生たちが、あたしを見ながらこそこそと噂話を始める。


 ……聞こえてるっつーの。


 これだから、女同士で群れるのはいやなのよ。だいたい、こういう下品な話にしかならないから。


「あのボディガードさん可哀想」

「てか、あのボディガード、前と違わない? コロコロ変わり過ぎでしょ」

「たしかに〜。私、今年になって三人くらい見てる」

「やば。クズじゃん」


 ……知ってる。

 あたしは、クズだ。じぶんより三十近く歳上の人間を奴隷のように扱うろくでなし。


 だから、みんなに嫌われている。

 でも、だからなに?


 あたしはあんたらの友達でも家族でもないのだから、あたしがどうしようとあたしの勝手。


 あんたらにとやかく言われる筋合いなんてないっつーの。


 ムカついたから、あたしは噂話をしていた女たち(先輩だか後輩だかは知らない)を睨みつけて吐き捨てる。


「あなたたちの顔、覚えたからね」


 すると、彼女たちはびくりと肩を揺らして、青ざめた顔で逃げていった。


「ふんっ」


 車に乗り込むと、あたしは思い切りドアを閉めた。


 ……あーぁ、つまらない。

 バカばっかりの学校も、家も。

 というか、この人生まるごと。



 ***



「お嬢様、大学はどうでしたか?」

 車に乗ってしばらくすると、アルトが声をかけてきた。

「……どうって、なにが」

「御学友とか……」


 こいつは、さっきの彼女たちの会話を聞いていなかったのだろうか。


「……べつに。あたし、友だちいないし。あんた、あたしに喧嘩売ってんの?」

「いえ、そんなつもりは……出過ぎたことを、申し訳ありません」


 そのまま、アルトは押し黙った。


 あーぁ。分かりやすい。

 気を遣って話しかけてやったのに、可愛くないとか思ってるんだろうな。


 うざいうざい。あんたに気を遣われたからなんだっていうのよ。


 最初は、割のいい仕事を見つけた、とでも思ったのだろう。


 大財閥の令嬢専属の執事兼ボディガード。

 たしかに給料はいいだろう。でも、それなりに神経を使う仕事でもある。

 だって、あたしになにかあったらすべての責任を負うことになるのだから。


 さっさとやめたらいいのに。こんな仕事。


 飛び抜けた容姿を持つ令嬢のあたしは、幼い頃からトラブルに巻き込まれることが多い。

 誘拐未遂なんて数え切れないほどあるし、その他にも、これまでかなりのトラブルに遭ってきた。


 ディスワード家という、肩書きのせいで。


 あたしを心配したおじい様は、早々に専属のボディガードを付けた。

 でも、そのボディガードの奴らはみんな、途中で仕事を放棄した。


 理由は明白。


 あたしの容姿。


 ある男はあたしに懸想して仕事を怠慢にしてクビ。またある男は、あたしがちょっと優しくしたら、じぶんに気があると思い込み、婚姻届を出してきた。

 そうそう、逆に誘拐しようとしてきた男もいたっけ。


 あたしは学んだ。

 ボディーガードも、執事も、他人はひとつも信用ならないって。

 美人は、いい子でいちゃいけないんだって。


 いい子でいたら利用される。勘違いされる。きらわれているくらいがちょうどいい。


 その結果、性悪今のあたし……クズ令嬢が誕生した。


 あたしのクズっぷりが噂となって周囲に知れわたると、驚くほどトラブルは減った。


 ただその代わりに、あたしはひとりになった。


 バックミラー越しに、アルトと目が合う。


「……ねぇ」


 なんとなく、気になったことを聞いてみようかと思って口を開く。


「……あんたって、なんでこんな仕事してるの」

「こんな……というと?」

「ボディガードよ。あたしみたいなろくでもない女に毎日毎日罵られて、嫌にならないの? こんな小娘に、毎日奴隷みたいにこき使われて」


 訊ねながらあたしは、窓の外へ視線を向けた。流れる景色をぼんやりと眺めながら、返事を待つ。

 ……が、アルトは珍しく無言のままだった。


 ……え、なに。無視?


 あたしはバックミラーへ視線を戻した。


 すると、アルトは戸惑うように視線を泳がせつつ、あたしと視線を合わせた。


「それは……」


 言いたくないのか、アルトはそれ以上なにも言わない。


 ……ま、べつにどうだっていいことだけど。


「もういい。今のは忘れて。ただ聞いてみただけだから」

「……はい」

「……あ、そういえば、今日なんで迎え遅れたのよ」

「……あぁ、実は、以前のボディガードから引き継ぎ受けていたんです」

「ふうん。じゃ、さんざんあたしの悪口聞かされてたんでしょ」


 以前のボディーガードは、かなりあたしを嫌って辞めていったから。


「まさか。そのような話ではありませんよ」

「ふん、どーだか」


 それからまた、沈黙が続いた。


 こういうとき、いつもならしょうもない話を始めるくせに、今日に限ってはなぜか無言。


「……ちょっと、なんか話しなさいよ」

「なにか……と言われましても」


 ……あぁ、もう。落ち着かない。


 この男の、こういうところがいやなのだ。


 こんなあたしに気を遣うなんてバカみたい。

 こんな、あたしに……。


「…………」


 たぶんあたしは、今日は、どうかしている。

 じゃなかったら、こんなこと言うはずがないもの。


「ねえ、アルト」

「はい」

「もし……あたしがあんたのことを好きにって言ったら、どうする?」


 急ブレーキの音がけたたましく鳴り響く。

 がくん、とシートベルトに身体がめり込んだ。


「ったぁっ……!! ちょっと!!」


 ハンドル操作を誤ったらしいアルトをミラー越しに睨みつけると、アルトは慌てて頭を下げた。


「もっ……申し訳ございませんっ!!」


 謝りながらも、あたしを見ようとしない。こころなしか、顔面が蒼白になっている気がする。


 ……は?

 いや、なんなのその反応?

 ふつうそこ、青じゃなくて赤くなるところでしょ。

 ほんと、うちの執事ったら信じらんない。



 ***



 その後あたしは、アルトの運転でなんとか無事に自宅へと帰った。


『あのさ、もし……あたしがあんたのこと好きって言ったら、どうする?』


 なんで、あんなことを言ったんだろう。

 じぶんでじぶんが分からない。


 部屋に入って、頭を抱える。


 勉強どころじゃない。

 ティータイムどころでもない。


 なんであんなことを言ったのかいくら考えても分からなくて、結論としてあたしは考えることを放棄した。


 それからというもの、あたしはさらにアルトへの態度を悪くした。

 けれど、アルトのほうは変わらなかった。

 あたしがどんなわがままを言っても、困ったように笑うだけ。それがさらにあたしの心をざわつかせるから腹が立つ。


「お嬢様、よろしければティータイムをなさいませんか。お嬢様がお好きだと会長から聞いて、取り寄せてみたスイーツがあるんです」

「いらない」


 すかさず言うと、アルトは少し残念そうにジャムたっぷりのクッキーを下げた。


「……失礼いたしました。ご気分ではありませんでしたね」

「そんなものより、チーズケーキが食べたい。買ってきて。今すぐ」


 アルトの顔に、パッと歓喜の色が灯る。


「かしこまりました」


 揚々と部屋を出ていくアルトの背中を見つめていたら、胸がちくりとした。


 でも、じぶんの衝動が止められない。


 数時間後。


「こんなのいらない!」


 がちゃん! と皿が割れる甲高い音が部屋に響く。

 アルトは床にちらばったぐちゃぐちゃのチーズケーキを困惑気味に見つめた。


「ですが、お嬢様がチーズケーキが食べたいと……」

「あたしは、ルビーファクトリーの限定のヤツしか食べないの! あんたあたしの執事でしょ! なにが引き継ぎよ! なにも分かってないじゃない!」


 アルトがハッとした顔をする。


「申し訳ありません。すぐに買い直してきます」

「いい! もういらない!」

「お嬢様……」


 ベッドに潜り込み、丸くなる。

「申し訳ございません」

 かすかにため息が聞こえ、直後扉が閉まる小さな音がした。


 翌日から、あたしは大学を休み始めた。


 心配するアルトを一方的にはねつけ、罵声を浴びせたり、無茶なことを言って困らせた。


 それでもアルトはあたしがどんなにわがままを言っても、困った顔で笑って、受け入れた。

 どれだけ罵倒しても、どれだけバカにしても。


 そんな日々が半年近く続いて。


 いい加減、あたしのほうが我慢できなくなった。

 だから、

「クビ……ですか?」


 アルトが呆然とあたしを見つめる。


「……なぜ」

「もう無理。おじさんだし臭いし、あたし、やっぱりボディガードならイケメンがいいの。もうべつの候補のひと見つけてるから、今日中に荷物をまとめて出ていって」


 べつの候補なんて口から出まかせだ。

 とにかく、アルトの顔を見たくなかった。


「待ってください。私、なにか粗相をしましたでしょうか」


 珍しく、アルトが動揺した顔を見せる。

 これまであたしがどんなに罵倒しても、涼しい顔をしていたアルトが。


「なに、あんた、じぶんの仕事が完璧だとでも思ってたの? 粗相だらけだった気がするけど」

「……それは……申し訳ございません」

「とにかく、クビはクビだから。話は終わり。今までごくろうさま」


 わざと大きな音を立てて扉を閉める。

 あたしは扉に背をもたれて、深く息を吐いた。

 胸の痛みを誤魔化すように、目を瞑る。


 これでいいのだ。

 このままだと、手遅れになる。


『ローズ』

 耳奥に響くのは、幼い頃事故で死んだ両親の笑い声だった。



 ***



 その後あたしは、頭を冷やそうと、ふらりと外へ出た。

 屋敷を出てまっすぐ坂を下り、突き当たりにある川沿いをのんびりと歩く。

 どこへ行こう。

 考えるが、頭の中は空っぽだった。

 行きたいところも、会いたいひとも、あたしにはもういない。

 虚しくなって、笑みをこぼしたそのとき。


「あれぇ、お姉さんひとり?」

 振り返ると、見知らぬ男がふたり立っていた。

 煤かなにかで汚れたようなシャツに、ボロボロの革ベスト。ズボンもあちこち穴が開いているし、うしろでひとつに引っつめられた長髪もボサボサだった。

 治安のいい人間の風貌ではない。


 ごくりと息を呑む。


「ヒマなら、俺らとちょっと遊ばない?」


 無視を決め込み、早足でその横を通り過ぎようとすると、肩を掴まれた。


「ちょっと、なに……」

「素直に着いてくれば手荒なことはしないのに、馬鹿な女だ」

「なっ……」

「ローズ・ディスワードだな。大人しくしろ」


 布切れを顔に当てられた。布には薬品がついているらしく、つんと鋭い香りがした。


 その直後、


「!!?」


 頭に鋭利ななにかが刺さったような痛みを覚える。もがく余裕もなく、あたしは意識を手放した。



 ***



 ふと目を覚ますと、暗闇が広がっていた。

「なに、ここ」

 じぶんの声がどこか遠くに感じ、身体を動かそうとすると、身体の自由を奪われていることに気付く。

 どうやら目隠しもされているらしい。


 感触からして麻紐のようなもので固く縛られているらしい。力を入れてもビクともしない。


 寒々しい室内の空気とじぶんの置かれた状況に、すぐに理解する。


 誘拐だ。


 冷静にため息をつく。

 昔から未遂は何度もあった。


 大財閥の令嬢だし、両親の事故のせいで世間に顔も知られていたから。

 こんなことでパニックになったりはしない。


 もう、あの頃のような子供じゃないのだから。


 ひとりきりの部屋で身体をくの字に折り、押し寄せる孤独に耐える。


「……べつに、怖くない」


 怖くない、怖くない。

 小さな声で何度も呟く。言い聞かせるように、じぶんの脳を洗脳するように。


 がちゃん、と扉が開く音がした。びくりと身体が跳ねる。


「あ、お嬢様、もしかして起きてる?」

「ちょうどいいな。始めるぞ」

「はいよー」


 ひとを誘拐しておきながら、ずいぶん平然とした声だった。


「おい、お嬢様」


 足音が近づいてくる。


「今からディスワード会長のところへ行く。居場所を教えろ」

「……会って、どうするの」

「脅すに決まってんだろ。そのために少し、お嬢様のきれいな髪をもらったんだからな」


 髪の毛を切ったということだろう。最悪だ。


「安心しな。毛先をちょっと切っただけだからさ」

「溺愛する孫娘のためなら、簡単に金を出しそうだ」


 ……どうだろう。

 たしかに、おじい様はあたしを溺愛している。


 でもそれは、あたしがお母様に似ていたからだ。おじい様は、あたしに娘である母を重ねているだけ。

 その証拠に、おじい様はあたしを『ローズ』と呼んでくれたことはない。

 あたし自身に、価値はないのだ。


「……居場所を言ったら、あたしを殺してくれる?」


「……は?」

 息を呑む音がした。


「……おまえ、なに言ってるんだ?」

「死にたいの。あなたたちの望みは金なんでしょ。なら、居場所を教える代わりにあたしを殺して――」


 そのときだった。窓の外から、忙しない声が聞こえてきた。


「火事だ!」

「だれか、早く消火を!」

  喧騒の中聞こえてきた「火事」という単語に、どきっとする。


「お、おい。今、火事って言っていなかったか!?」

「なんだと!?」

 男たちが慌て出す。窓を開ける音と共に、喧騒が飛び込んできた。


「燃えてる!」

「逃げろ!」


 騒ぎはどんどん大きくなっているようだ。


「まずいな……煙が入ってきた」

「どうする? このままだと……」

「こうなったら逃げるしかない」

「で、でもこいつは?」


 視線がこちらへ向いた気がして、どきりと心臓が弾む。


「……置いてくしかない」

「でも、このまま置いてったら」

「縄なんて解いてるヒマはねぇ。とにかく出るぞ。急げ!」

「あ、ちょっと待ってくれよ!」


 バタン、と扉が閉まる音がする。

 バタバタと忙しない足音が消えると、微かに焦げた匂いがしてきた。


 男たちは結局誘拐の成果なしのまま、あたしを置き去りにして扉から出ていったようだった。


「……ご苦労なこと」


 取り残されたあたしは、ぽつりと呟く。


「……結局、死ぬのか」


 どうせなら目隠しくらい取ってくれたって良かったのに。


「……まぁいいや」


 これで、両親の元へ行ける。大好きなふたりに会える。


「……みんな、あたしのこと覚えてるかな」


 両親は七歳までのあたししか知らない。大人になったあたしを見て、じぶんたちの娘だと気付くだろうか。


 今さらだけど、両親はあたしを愛していたのだろうか……?


 あたしの死を悼むひとは、この世に何人いるだろう。

 これまで関わってきたクラスメイトにもボディガードにも、さんざん酷い言葉を投げ付けた。


 空き家の火事に巻き込まれ、焼け死んだ哀れなディスワード令嬢。


 当然の報いだ。あたしに相応しい死に様だ。


 助けは……来ないだろう。

 屋敷を出ていることすら、だれも知らないのだから。


 ひとつだけ、心残りがあるとすれば……。

 脳裏を掠めるのは、アルトの顔。


「アルトには申し訳ないことをしたな……」


 直接言えないから、小さく呟く。

「ごめんね、アルト。ひどいことたくさん言って、ごめん」


 死が迫っているというのに、涙ひとつ出てこない。

 心は驚くほど凪いでいた。


「こんなときまで、死んだ心は戻らないんだな……」


 すぅっと大きく空気を吸い込み、目を瞑った。



 ***



「……様、お嬢様っ!」


 切羽詰まった声に名前を呼ばれ、ハッと意識が覚醒する。


 目の前に、アルトがいた。

 目が合うと、たちまちアルトはホッとしたように息を吐く。


「よかった……お嬢様」


 放心状態のまま、周囲を見る。


 見知らぬ一室だ。どうしてあたし、こんなところに……。


「って、ちょっとなに触ってるのよ!」


 アルトに抱き起こされていることに気づいて離れようとしたときだった。

「いたっ……!」


 あちこち身体が痛くて、ハッとする。

 そうだ、あたしは誘拐されていたのだった。


「お嬢様、じっとしていてください。すぐに縄を解きますので」

「……分かったから、早くしてよ」

「承知いたしました」


 手際よく縄を解くアルトを、じっと見つめる。

 すっと通った鼻筋に、少し垂れた目元……。

 あれ、なんかちょっと……イケメン、かも?

 というか、初めてアルトの顔をじっくり見たような気がした。

 でもなんで、ここにアルトが……?


 すると、あたしの疑問を察したかのようにアルトが言う。


「お嬢様が部屋にいらっしゃらなかったので、GPSで位置を調べさせて頂いたんです」

「ジー……? は? え、なにそれ?」


 眉を寄せると、アルトが簡潔に説明した。いつの間にか、縄は解かれている。


「あぁ、えっと……簡単に言いますと、GPSというのは、お嬢様が今どこにいるのかを教えてくれる魔法のようなアイテムのことです」

「ふーん……? それって、おじい様が新しく開発したアイテム?」

「いえ、開発したのは私です」


 アルトが? そんなすごそうなものを?

 ぽかんとなる。


「……うちの事業手伝ってたなんて、初めて聞いたけど」

「事業を手伝うというより、お嬢様のためになるアイテムのみ提案、開発をさせていただいております」


 悪用を避けるため、私が開発したアイテムは世間には公にしていないんです、とアルトは言う。


「……あんた、魔術師かなんかだったわけ?」


 半分本気、半分冗談で聞くと、アルトは上品に笑った。


「まさか。異能もレベルもゼロのただのおじさんですよ」


 にこりと笑うアルトからは、胡散臭さがぷんぷん滲み出ている。


「……というかあたし、そんなアイテム身につけた覚えないわよ?」


 いつのまに隠したのかと思いながら問う。


「お嬢様に言ったら嫌がるでしょう?」

「当たり前でしょ。で、どこに入れたのよ?」

「靴の裏ですよ」


 靴を脱いでひっくり返す。


 ……が、

「なにもないじゃない」


 睨むようにアルトを見る。


「中に埋め込んであるんですよ。お嬢様にもバレないようにしないといけませんでしたから」

「……ん、分かった。あんた、本当は詐欺師ね」

「ですから私は、ただのおじさんです」


 アルトはにこりと笑ったあと、すぐに表情を引き締めた。


「それより、なにもされてませんか?」

「……うん。あ、まぁ、髪は切られたけど」


 でも、鏡見てないからどうなってるのか分からないけど。


「……申し訳ありません、私がもっと早く来ていれば……」

「……べつに、いいわよ。こんなの慣れてるし」


 吐き捨てると、アルトがあたしの手を握った。


「……なに?」

「……慣れちゃダメですよ。こういうことは。慣れたらだめです」


 目が合い、気まずくなって目を逸らす。


「……あ、あたしを捕まえた奴らは?」

「捕まえましたよ。ディスワード家お抱えの隠密部隊が」


 オンミツブタイ?


「え、なにそれ。うち、そんなのもいたの?」

「はい。私が提言して作らせました」


 提言して、作らせた?

 このポンコツ執事が?


「……いやいやいや。あんた、何者?」

「お嬢様の執事兼ボディーガードですが」


 胡散臭さMAXなんだけど……って、今はそれどころではない。


 ここ、燃えてるんだった!


「アルト、急いで! 早く逃げないと……」

「あ、そちらはご安心ください。火事もフェイクです」

「はぁ!? あんた、火事もうそなの!?」

「すみません。真正面から乗り込むより安全かと思いまして……」


 アルトが苦笑する。


「さて。とりあえずここから出ましょう。立てますか?」

「……うん」


 手を差し伸べられ、その手を取る。足に力を入れると、くらりとした。


「わっ」


 バランスを崩したあたしを、アルトが支える。大きな手が、思いの外力強くあたしを抱き寄せた。

 身体が密着し、あたしはハッと息を詰める。


「……大丈夫ですか? お嬢様」

「……こ、腰が抜けて……」


 あぁ、もうサイアク。

 みっともなくて、恥ずかしくて、耳まで熱くなる。


 座り込んだあたしの前に、アルトがしゃがみこむ。ぽん、と頭の上に大きな手が乗った。


「怖かったでしょう。よく頑張りましたね」


 アルトは優しく、

「帰りましょう」

 と言ってあたしをお姫様抱っこすると、ゆっくりとした所作で立ち上がった。


「ちょっ……お、降ろしてよ!」

「暴れないでください、歩けないんでしょう?」

「……それは」


 恥ずかしさを堪え、あたしはアルトから顔を背ける。


「ところでお嬢様」

「……なによ」

「クビの件……なかったことになりませんか? 私、今職を失くすとちょっと困るといいますか……」


 アルトがうかがうようにあたしを見下ろす。


 そういえば、そんな話になっていたのだった。

「……あんた、こんな大失態犯しておいて、なに言ってるわけ? あんたなんか即刻クビに決まってるでしょ」

「返す言葉もありませんね……」


 はは、とアルトは笑う。


「……でも」


 あたしは、肩に置いていた手をぎゅっと握り込む。


「あたし、ずっと眠ってたらしいから誘拐とか覚えてないし……今日だけは、あたしの散歩に付き合ってただけってことにしてあげてもいいけど」


 すると、アルトが驚いた顔をしてあたしを見た。

「お嬢様……」

 目が合い、頬がカッと熱くなる。


「なっ、なによ」

「……いえ。ありがとうございます」

「言っておくけど、今回だけだから!」

「肝に銘じます」

「そうしてちょうだい」


 つんと言うと、不意にアルトが小さく笑った。


「やっぱり、お嬢様は繊細でお優しいかたです」

「っ……はぁ? なにそれ嫌味?」


 アルトは穏やかに「まさか」と微笑み、言った。

「お嬢様は覚えてないかもしれませんが」

「?」

「実は私、ボディーガードになる前に一度お嬢様にお会いしているんですよ」


 目を丸くする。


「……うそ、いつ?」


 ぜんぜん記憶にない。


「そうですね……お嬢様が、ご両親を亡くされてすぐの頃でしょうか」


 過去の記憶を手繰り寄せるが、思い出せない。


 眉を寄せていると、アルトは苦笑混じりに言った。


「お嬢様はきっと覚えておられませんよ」

 その言葉にムッとする。


「どこでよ。もっと具体的に言ってくれない」


 不機嫌をあらわにして言うと、アルトは少しためらいがちに目を泳がせてから、

「……ご両親のお墓の前です」

 と言った。


「……え」

「……お嬢様は、項垂れるようにしてご両親のお墓の前でうずくまっていました。声をかけようかとも思ったのですが、そのときはまだお嬢様に話しかけられるような立場ではなく」


「…………」


 両親を亡くした頃、私は塞ぎ込んでいた。

 大人を信用できなくて、だから、悲しくても寂しくてもだれにも言えなくて。

 辛くなると、いつも両親のお墓に行って、ひとりで泣いていた。


「……以前、お嬢様は私に聞かれましたよね」

「なにを?」

「なんでこんな仕事をしているのかって」

「あぁ……」


 そういえば、そんな話をしたこともあった。


「私はもともとこの国の生まれではなくて……気付いたらこの国にいたんですよ」


「気付いたら? え、なにそれ」


 気付いたら知らない国にいた? そんなことがあるのだろうか。


「私にも分かりません。ただ……その国に戻る方法は今のところないみたいで」


 そう呟くアルトは、よりどころない顔をしているように見えた。


「……国が戦争中とか?」

「いえ、そうではないのですが……ええと、簡単に言いますとですね、私が暮らしていたのはこの世界の地図に載っていない場所なんですよ」


「は? なにそれ、そんな場所ある?」


 ますます謎だ。困惑するあたしを見て、アルトはやっぱり困ったように笑う。


「まぁ、それで……途方に暮れていたとき会長に拾われて」

「…………」

「会長は、お嬢様のことをとても心配しておられますよ」


 ご両親を亡くし、大人の黒い部分を知ってしまったお嬢様は、大切なものを作ることを極端に恐れ始めてしまった、と。


「……べつに、そんなの子供の頃の話だし」

「いいえ。お嬢様は今も怯えている」


 思わず息を呑む。顔を上げると、アルトは寂しげにあたしを見つめていた。


「嫌いという感情は、両想いになりやすいって知ってましたか?」

「え?」

「お嬢様が私に辛く当たるのは、私に嫌われるため。私がお嬢様を嫌えば、お嬢様も私を嫌いになれるから。そうやってずっと、じぶんの心を守ってきたんですね」


 大切なひとを作らないように、と言うアルトの言葉を遮るように叫ぶ。


「違う!」


 じぶんでも驚くほどの声が出た。


「そんなわけないじゃない。あたしはもともとこういう性格! クズで価値のない人間なの!」


 興奮して声を荒らげるあたしに、アルトは優しい眼差しを向ける。


「お嬢様はとても優しいひとです」

「違うってば!」

「なら、どうして今そんな泣きそうな顔をしてるんですか」


 ハッとした。


「し、してないし!」

「泣いておられます」


 ぽろり、と頬になにかが落ちて、あたしはそれを慌てて拭う。


「泣いてない! あんた、老眼なんじゃないの!?」


 老眼、という言葉にアルトは一瞬面食らったように固まる。直後、くすっと笑った。


「お嬢様のわがままはぜんぶ、寂しい、助けてっていう言葉の裏返しです。だから私は、お嬢様のわがままを性悪だなんて思いません」


 その瞬間、これまでずっと堪えていた涙が、ぽろぽろと溢れ出した。


「バカにしないで」

「しておりません。私はただ、愛おしいと申しているんですよ」

「…………」


 あたしはぎゅっとアルトの服を掴む。


「だって……仕方ないじゃない。そうするしか、分からなかったんだもの。だれかを失うよりずっと、ひとりのほうが楽だったんだもの……」


「私はお嬢様を置いてどこかに行くことはありません。だから、そんなに気を張らないで」


 とめどなく溢れてくるそれを、ごしごしと指の腹で乱雑に拭う。

 優しく微笑むアルトに、なぜか胸が鳴った。


 なんだろう、この感じ。

 心臓がざわざわして、いらいらする。


 でも、いらいらするのにいやじゃない。


「ほら、そんなに雑に拭ったらせっかくのきれいなお顔が赤くなってしまいますよ」


 どくん、とまた心臓が跳ねる。


 きれい、だなんて言われ慣れているはずの言葉なのに。アルトに言われると特別に恥ずかしくなるのは、なぜ……!?


 目を合わせることができなくて、心がそわそわと落ち着かない。


「……アルト」


 名前を呼ぶと、アルトが「はい」とあたしを見る。


「……今まで、ひどいこと言ってごめんなさい」

「いえ」

「これからは気を付ける……から」

「……」

「……だから、今まで散々なことをしておいて図々しいかもしれないけど……これからもあたしの専属でいてくれる?」


 そろそろと訊ねると、アルトは柔らかく微笑んだ。


「もちろんですよ、お嬢様」

「っ……」


 あたしは、アルトの微笑みから目が離せなくなる。


「ちょっと、生意気なこと言わないでくれない」

「すみません」

「……もう」


 あたしの執事兼ボディガードは、くたびれたスーツの冴えないおじさんだ。

 ぜんぜんイケメンじゃないし、スマートでもない。


 それなのに、あたしのレンズにはとびきりカッコよく見えてしまうのだから、恋って怖い。

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