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光を背負った王――神力を宿す王太子エルドウルフの戦記  作者: RE:ANNE
呼び名のない少女

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4章(2)第21話 〜生きている音〜


 朝は、まだ城が完全に目覚めきる前だった。


 南館四階、エルドウルフの寝室。

 寝台では、彼が変わらぬ呼吸で眠っている。


 フェギスノーラは、クワルノーへ移ってからも、夜はこの部屋で眠っていた。


 行軍の間に、それが自然になった。


 何かを約したわけではない。

 互いに触れ合って眠るわけでもない。


 ただ、近くにいる夜の方が、よく眠れた。


 寝台の中で、互いに触れないだけの距離を空ける。

 ただ、同じ部屋で、同じ夜を過ごす。


 それで十分だった。


 

 扉が、控えめに叩かれた。


「……失礼いたします」


 入ってきたのは、フェギスノーラ付きの侍女長、ネレアだった。

 足音はほとんどしない。だが、迷いもない。


 南館四階――王太子の居住区は、城の中でも最も格式が高い。

 本来、女の従者が足を踏み入れる場所ではない。


 ネレアは許されていた。

 執事長の娘として。

 幼い頃から王太子の身の回りを知る者として。

 そして――王太子が、例外を許す数少ない相手として。


 ネレアはまず寝台の位置を見て、呼吸の音を確かめた。

 起こさない。けれど、守るべきものがここにあると理解している動きだった。


 フェギスノーラは、もう起きている。

 寝台の縁に腰掛け、外套を膝に乗せたまま、静かに待っていた。


 ネレアはまず、湯を差し出す。


「お顔を」


 短い言葉だが、冷たさはない。

 フェギスノーラは頷き、両手で温水を受けて顔を洗う。

 眠るエルドウルフのすぐそばであっても、彼は目を覚まさない。


 拭い布を渡し、

 次に、椅子を引く。


 フェギスノーラが座ると、

 ネレアは背後に立ち、髪に櫛を通す。


 群青から水色へと移ろう髪が、カーテンの隙間から入る朝の光を受けて静かに揺れた。


 編み込む動作は慣れている。

 引きすぎず、緩めすぎず。


「……今日は、風が出そうです」


 独り言のように言い、結びを少し強める。


 着替えも簡素だ。

 動きやすい衣。

 飾りはない。


 最後に外套を肩に掛け、

 ネレアは一歩下がる。


「よろしいですね」


 フェギスノーラは小さく頷いた。


 二人は、もう一度だけ寝台を見る。

 眠る王太子は、まだ世界の外にいる。


 音を立てないよう、扉を開ける。


 南館四階から三階へ。

 階段を降りるにつれ、空気が少しずつ変わる。


 ここからは、

 フェギスノーラの居住区だ。

 

 この光景を見咎める者は、城にはいない。

 そういう朝が、すでに日常になっていた。


 ネレアは半歩後ろを歩きながら、

 彼女の一日を、静かに始めさせる。


 南館の扉を抜けるとき、

 フェギスノーラは、いつものように小さく微笑んだ。


 ただの挨拶だ。

 そうするものだと、教わった通りに。


 一瞬、衛兵は目を見開いた。

 それから、照れたように視線を逸らし、

 背筋を伸ばして、少しだけ声を張った。


「……お気をつけて」


 その声は、昨日より柔らかかった。


 フェギスノーラは、数歩進んでから足を止める。


 胸の奥が、じんわりとする。

 熱ではない。

 痛みでもない。


 ただ、何かが残っている。


「……いまの」


 微笑んだだけなのに。


 相手が、少し嬉しそうだった。


 それを見て、

 自分の中にも、何かが生まれた。


 フェギスノーラは、胸元に指を当てる。


「……あたたかい」


 名前は、まだわからない。

 

 


 木槌の音が、あちこちで鳴っている。

少し、うるさい。


怒号も聞こえる。

焦りや苛立ちが、そのまま音になっている。

心の圧が、空気に混じっている。


——なのに。


フェギスノーラは、首を傾げた。


「へん」


ネレアが視線を向ける。


「みんな、必死なのに」


木を運ぶ人。

指示を出す人。

額に汗を浮かべて、笑っている人。


「軽い」


そう言ってから、言い直す。


「……楽しい、って」


フェギスノーラは、確かめるようにネレアを見る。


「へんでしょう?」


ネレアは、少し考えるようにしてから答えた。


「……皆が、同じ明日を想像しているからだと思います」


木槌の音が、間を埋める。


「今日よりも、ほんの少しでも良い未来を描けている」


フェギスノーラの視線に、静かに応える。


「それは、人が生きていくために、とても大切なことです」


それから、声を落とした。


「そして――その未来を、殿下が示しておられる。だから、疑わないのでしょう」


「エルドウルフ、みんな、好き?」


ネレアは、少しだけ視線を巡らせた。


忙しなく行き交う使用人。

木材を運ぶ職人。

門の向こうで声を張り上げる騎士。


それから、穏やかに答える。


「……好き、という言葉とは、少し違うかもしれません」


フェギスノーラの方を向く。


「でも――信じています」


「殿下が、皆を裏切らないと」


一瞬、迷ってから付け足す。


「だから、皆も殿下を裏切らないのです」


「……好きじゃ、ないの?」


 少しだけ眉を寄せて聞く。

ネレアは、否定も肯定もせず、穏やかに答えた。


「大きな意味では――好き、だと思いますよ」


「……?」


「大切に思っていますし、誇りにも思っています。

 殿下がいるから、ここに居たい。そう思う人が、たくさんいますから」


 フェギスノーラは、少し考えたあと、


「……ふうん」


 と、小さく息を吐いた。

 それから、もう一度外を見て、


「じゃあ……好き、だね」


 どこか納得したような顔をする。

 複雑なものを、いったん小さな箱に収めた顔だった。


 ネレアは、その横顔を見て、微笑む。



 ◇◇◇

 

 城下、露店の前で、果物を選んでいると――


「お嬢さん」


 声をかけられて振り向く。


「髪の色が、まあ……綺麗ねえ」


 年嵩の女店主だった。

 籠を抱えたまま、感心したように目を細めている。


「夏の空みたいだよ。ほら、朝の高いところの色」


 フェギスノーラは、思わず自分の髪に触れた。

 群青から水色へ、光の中でゆるやかに変わる色。


「……きれい?」


「ええ。珍しいけど、嫌じゃない。

 むしろ、目を引くってやつさ」


 女はそう言って、果物を一つ多く籠に入れた。


「おまけ。いい色の朝だからね」


 フェギスノーラは、少し戸惑ってから――


「……ありがとう」


 言葉に、力はなかった。

 祈りでも、畏れでもない。

 ただの、挨拶。


 胸の奥が、ふわりと温かくなる。


 色は、ここでは“意味”じゃない。

 誰かを救う印でも、崇められる印でもない。


 ――綺麗、というだけの理由。


 それが、なぜか嬉しかった。


 横で見ていたネレアが、そっと微笑む。


「よかったですね」


 フェギスノーラは、もう一度髪に触れて、小さく頷いた。


◇◇◇


 騎士団詰め所は、城の東側にあった。


 近づくほど、音がはっきりしてくる。

 剣がぶつかる乾いた音。

 足運びの擦れる音。

 短い号令と、息を吐く気配。


 ――圧がある。


 胸の奥が、きゅっと締まる。

 戦場と、似ている。


 けれど。


「……いやじゃない」


 フェギスノーラは、ぽつりと零した。


 ネレアが足を止め、横を見る。


「そう感じられるのは、理由があります」


 詰め所の中では、騎士たちが真剣に打ち合っている。

 一切の無駄がない。

 遊びも、誇示もない。


「彼らの圧は、向けられていないからです」


「……?」


「守るためのものですから」


 ネレアは、静かに続けた。


「クワルノーの領民を。

 城を。

 そして――殿下を、お守りする責任を背負っている方々です」


 フェギスノーラは、もう一度、騎士たちを見る。


 誰も彼女を見ていない。

 誰も、神を感じ取ろうとしていない。


 ただ、己の役目に集中している。


「……だから、軽いの?」


「はい」


 ネレアは頷いた。


「重い責任を持つ人ほど、

 覚悟が定まると、心は軽くなるものです」


 フェギスノーラは、胸に手を当てた。


 戦場の圧は、恐ろしく、鋭かった。

 ここにある圧は、固く、まっすぐだ。


「……守るって、すごい」


 その言葉は、誰に向けたものでもなかった。


 けれど、確かに――

 人を、また一つ、理解していた。


「ネレア様、先ほど執事長殿が――」

 回廊を行き交う途中、控えめな声がかかった。


 ネレアは足を止め、軽く頷く。

「ありがとう。伺います」


 伝言を終えた使用人は、安堵したように一礼して去っていった。


「ネレア」

 少し遅れて、フェギスノーラが呼ぶ。


「お父さんに、呼ばれた?」


 一瞬、ネレアは目を瞬いた。

 それから、ふっと柔らかく笑う。


「ええ。たぶん、今日の段取りのことでしょう」


「ふうん」


 フェギスノーラはそれ以上聞かず、

 ただ、また前を向いて歩き出した。


「一緒に行きますか」


 ネレアがそう言うと、

 フェギスノーラは一拍考えてから頷いた。


「うん」

 


  執事長室は、中央棟の一階にあった。

 華美ではないが、整っている。

 木の机、積み上げられた帳面、壁際の棚に並ぶ鍵束。


 ここは、城が呼吸をする場所だと、フェギスノーラは思った。


「――姫さま」


 低く、よく通る声。


 机から立ち上がったのは、ジョフロア・ド・ダンマルタン伯爵。

 かつては第二王妃ミレーヌに仕え、

 王妃亡き後は、その子である王太子に仕える男だった。

 背筋は伸び、動きに一切の無駄がない。

 だが、その視線は、柔らかい。


「おはようございます」


「……おはよう」


 フェギスノーラは少し考えてから言葉を返した。


 ダンマルタン伯爵は、わずかに目を細める。

 それは笑みではないが、拒絶でもない。


「城内の見回りをなさっていたと聞きました」


 ネレアが一歩下がり、簡潔に補足する。


「はい。姫さまは、城と街の様子をご覧になりたいと」


「それは、良いことです」


 即答だった。


 フェギスノーラは、その言葉の重さを測る。

 褒められたわけではない。

 許可された、という感覚に近い。


「……城、うるさい」


 思ったままを口にする。


 木槌の音。

 怒号。

 呼び交わされる名。

 今朝見聞きしたことをそのまま。


 ダンマルタン伯爵は、少しだけ視線を窓へ向けた。


「ええ。今は、そうでしょう」


 否定しなかった。


「ですが、あれは――生きている音です」


「いきてる?」


「はい」


 彼は、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「この城も、この街も。

 殿下が来られてから、止まっていた歯車が動き出しました」


 フェギスノーラは、胸の奥がきゅっとするのを感じた。

 圧ではない。

 重さでもない。


 向きが、揃っている。


「……へん」


「そうですね」


 ダンマルタン伯爵は、わずかに口角を上げた。


「ですが、人は皆、明日を思い描けるとき、

 こういう音を立てるものです」


 ネレアが静かに続ける。


「殿下が、その“明日”を示しておられますから」


 フェギスノーラは、二人を見上げた。


「……エルドウルフ」


 名前を呼ぶと、胸の中で何かが落ち着く。


「みんな、好き?」


 問いは、真剣だった。


 ダンマルタン伯爵は、すぐには答えなかった。

 代わりに、少しだけ肩を緩める。


「大きな意味では――そうですね」


「……ふうん」


 フェギスノーラは、小さく頷いた。

 分類が、一つ終わった顔だ。


 その様子を見て、

 ネレアは何も言わず、そっと視線を伏せた。


「ネレア」


 執事長は、帳面を一つ指で叩いた。


「姫さま付きの予算が、ほとんど動いていない」


 ネレアは一瞬だけ目を伏せ、すぐに顔を上げる。


「……必要なものが、まだ見極めきれておりませんので」


「そうだろうな」


 叱責はなかった。


「だがな、それは“節約”ではない。使われない予算は、放置だ」


 フェギスノーラは、言葉の意味を追う。


「姫さまは、人と同じではない。

 だが、“人の中で過ごしておられる”」


 帳面を閉じ、静かに続ける。


「衣類、履き物、外出用の装い。

 消耗品、遊び、学び――」


 一呼吸おき、


「必要になる前に、揃えなさい。

 困ってからでは遅い」


 ネレアは、深く一礼した。


「承知しました」


 ジョフロアは、そこで一拍置く。


「判断は、お前に任せる。

 過剰でも、控えめでも構わん。

 だが、“何もない”は許されない。」


 それだけ言って、視線をフェギスノーラへ向けた。


「姫さまが、城で息が詰まらぬように」


 フェギスノーラには、まだよく分からなかった。


 けれど――

 廊下の向こうで鳴る木槌の音も、

 城を行き交う足音も、

 確かに生きていた。

 

 

更新 月曜日/木曜日 20:00


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https://x.com/REANNEcreative

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