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光を背負った王――神力を宿す王太子エルドウルフの戦記  作者: RE:ANNE
呼び名のない少女

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4章(1)第20話 〜王太子領、始動〜


 初夏のクワルノーは、風がやわらかい。

 丘を渡る空気はまだ冷たさを残し、草の匂いを含んで城下へ流れ落ちていく。


 低い丘が幾重にも連なり、その間を縫うように細い道が伸びている。

 遠くには川のきらめきが見え、陽を受けた水面が、白く瞬いていた。


 エルドウルフは、城壁の高みからその景色を眺めていた。


 ――見えているのは、城下だけではない。


 丘の向こうに、煙がいくつも立っている。

 鍛冶の煙。窯の煙。朝の炊事の煙。

 点ではなく、散っている。


 川沿いには小さな桟橋が見える。

 船は大きくない。だが、動きは途切れない。

 荷の流れがあるということは、人の流れがあるということだ。


 クワルノーは、ひとつの街では終わらない。

 州都の周囲に、川港の町、工房の集まる町、畑の広がる村落が連なっている。

 それぞれに名主がいて、領主を名乗る家がぶら下がっている。

 小さな旗が、別々の紋を掲げていた。


 王太子領。

 それは“領地”というより、いくつもの小さな領分を束ねる器だった。


 クワルノーは、もともと王族が保有する丘陵の景勝地にすぎなかった。

 狩りと保養のために整えられ、長く「何も起こらない土地」として扱われてきた場所だ。


 この地を自分に与えたのは、

 母ミレーヌ――第二王妃だった。


 当時は、

 「景色が綺麗だから」

 それくらいの理由だと思っていた。


 だが、今は違う。


 丘の形。

 川までの距離。

 街道との位置関係。


 物流にも、防衛にも向いた地形。

 攻めにくく、しかし閉じすぎない。


  ――選ばれていた土地だった。


 エルドウルフは、ふと息を吐く。


 母は、最初から見抜いていたのかもしれない。

 この場所が、いつか「人が集まり、根を下ろす土地」になることを。


  風が草を撫で、丘の向こうで木槌が鳴る。

 その音に、城門側から別の響きが混じった。


 車輪だ。


 朝のうちに動くはずの荷が、門前で詰まり始める。

 この規模の領は、城だけでは回らない。

 城門の外、道の上、荷の順番の中で、政治が始まる。


 エルドウルフは、城壁から視線を落とした。

 門へ続く坂道の先に、荷車の列が見える。

 早朝の霧の中で、帆布の影が重なり、馬が小さく鼻を鳴らした。


 その背後に、さらに列が伸びている。

 ——想定より早い。


 背後で、衣擦れの気配がした。


「殿下」


 執事長ジョフロア・ド・ダンマルタン伯爵だった。

 いつもより声が低い。

 手元の帳面は閉じられているのに、指先だけが忙しい。


「城門前が詰まり始めています」


 帳面を閉じる音が、一つ。


「荷車が先に積み上がれば、今日の工事が止まります」


 工事が止まれば、人が止まる。

 人が止まれば、賃金が止まる。

 賃金が止まれば、空気が変わる。


 エルドウルフは、一拍だけ考えた。


「……行く」


 短い返事。


 ジョフロアは頷いた。


「こちらへ。通路を一本、空けさせます」


 次の瞬間には、石段を下りていた。


 ◇◇◇◇◇


 城門の内側は、すでに「朝」だった。


 桶の水が揺れる音。

 厩舎で馬具が擦れる乾いた音。

 革紐を締め直す音。


 門の方角からは、もっと粗い音が押し寄せる。

 車輪が石畳を噛む音。

 馬の蹄が、同じ場所を何度も踏む音。

 人が声を張る音。


 落とし門の格子は上がっている。

 けれど、流れができていない。


 門前の広場は、荷車で埋まっていた。


 材木。

 石灰の袋。

 釘の樽。

 板金の束。


 どれも急いでいる。

 急いでいるから、譲らない。


 その間を縫うように、町の者が歩く。

 土埃と汗の匂い。

 朝の冷えが残るのに、空気だけが熱い。


 ジョフロアは門兵に目配せし、短く言った。


「まず、工事用の荷を通す」


 門兵が頷き、槍の柄で地面を一度叩く。

 音が鳴っただけで、周囲が静かになる。


 完全には止まらない。

 だが、耳は向く。


 そこで初めて、エルドウルフが前へ出た。


 外套の裾が風に揺れる。

 護衛騎士が半歩後ろに付く。


 荷車の列の一番前——

 木材を積んだ商人が、口を開きかけた。


「殿——」


 言いかけて止まる。


 目の前の男は、王太子のはずなのに、

 護衛が多いわけでもなく、

 威張っているわけでもなく、

 ただ“ここにいる”。


 視線だけで、順番を測る。


 エルドウルフは、荷の山を一つ見てから、門の内側を見た。

 石灰の袋が積まれている。

 今日の補修に必要だ。


 次に材木。

 梁の交換に使う。

 そして釘。

 最後に、板金。


 判断は終わっていた。


「石灰」


 短く言う。


 門兵が即座に動き、列の横へ腕を伸ばした。


「石灰を先に。次は梁用の材木」


 商人たちの顔が一斉に硬くなる。

 不満が喉元まで上がる。


 だが、声にはならない。

 この場で逆らえば、今日の取引が死ぬことを知っている。


 荷車が一台、軋みながら動いた。

 続いてもう一台。


 流れができる。


 ジョフロアが小さく息を吐いた。

 良い意味で、諦めた息だった。


 エルドウルフはそれを見届けてから、商人に向けて言った。


「遅れた分は、城が買い取る」


 ほんの一言。

 だが、列の空気が変わる。


 怒鳴り合いになるはずだった朝が、

 帳尻のつく朝になる。


 誰かが、声を押し殺して呟いた。


「……殿下、現場に出るんだな」


 別の誰かが言った。


「噂通りだ」


 エルドウルフは聞こえていないふりをした。

 聞こえている。


 だから、これ以上は言わない。


 視線を門の外へ流す。

 まだ列は長い。


 だが——もう詰まらない。


 背後から、聞き慣れた声がした。


「エルドウルフ。会議の時間です」


 エランだった。

 その隣で、ゴディエが帳面を抱えている。


「城門で政をなさるのは結構ですが、

 議題は山積みですよ」


 エルドウルフは一瞬だけ門を振り返り、

 それから歩き出した。


「分かってる。続きは机の上でやる」


 現場だけでは動かない。


 動かすものは——まだ山ほど残っている。



 


更新 月曜日/木曜日 20:00


X更新情報/活動報告など発信してます

たまにイラストも

https://x.com/REANNEcreative

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